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死線という名の鏡  作者: 宮雲八尋
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第二章 明晰夢

目の前に渡り廊下が広がる。特別棟と管理棟を繋ぐそれは、僕にはひどく広く感じられた。幅は、横二列の人間の行列が互いにすれ違えるほどの広さで、間にいくつか並んだ観葉植物が空間を引き締めている。しかし僕の耳には、そんな視界に映るその景色とは脈略のない、そしてどこか不快感のある音が、渡り廊下の奥から聞こえていた。何なのかは分からない。ただ音そのものが不快なのだ。しかしそんな思考と対照的に、体はその音の方へ吸い寄せられていく。そして心のどこかで、行かなくてはいけないという感覚が沸き上がる。それは使命感からくるものではなく、強迫観念のような、単純な恐怖のようなものに近い。しかし歩幅はいつもより小さく、まるで足枷をつけているようだった。やっとの思いで階段前に着いた時、その音が小学生の声だということに気づく。しかし複数人の声が煩雑に絡み合っていて、とても聞き取れるものではなかった。重い足を上げ、階段の一段目に足をかけたとき、頭の中にある光景が映し出される。階段の先に一切の望みを感じなかった、色褪せた視界の記憶。その階段は日陰になっていて、自分の心を写し出されている感覚になった、あの小学六年生の一日の始まり。一抹どころではない、あふれ出す心の叫びを無理やり押し込め、階段を昇った痛い記憶が思い出された。それは一瞬の出来事だった。しかしあまりにも長く、全身に汗があふれ出ていた。それでも足を止めずに、階段を昇る。声は一段と強くなる。それは小学生時代の自分の気持ちと、呼応している様にも感じられた。最上階に到達すると、長い廊下が伸びる奥から声が聞こえる。どうやら声の主は視聴覚室にいるようだ。正面に見えるドアに向かって歩き出したとき、再び頭に映像が浮かびあがる。それはどこか窮屈になったランドセルを背負いながら、「六年二組」と表記された室名札がつけられた教室に向かって歩いた、何気ない記憶。しかしそんな何気ない日常に、嗚咽を心の中で繰り返したあの感情が思い出される。いつしか僕は、眉間にしわをこれでもかと寄せていた。睨む眼差しからみえる景色はどこか圧迫感があり、心臓を裏側から撫でられているようであった。不快感を抱いたまま、視聴覚室の扉の前で足を止める。ドアの小窓に反射した自分の顔が、あまりに弱弱しかった。それでも頭の中には何故か、引き返すという選択肢はなかった。冷たくなった指先を扉にかけ、ゆっくりと横に引く。飛び込んできたのは、放送委員の執行部の面々がテレビを見ている光景だった。しかし不思議なことに、テレビに映る映像が何なのかを識別できない。ただ、今まで聞こえていた声の群れが、あのテレビから流れていることは分かった。彼らに気づかれてはいけないような気がして、音を立てないように足を出しては足を出し、足を出しては足を出す、これを繰り返した。彼らの背後に近づいているのに、何故か一向に映像が識別できない。いつしか周りの音が聞こえなくなるほど、意識は画面の中へと吸い寄せられ、それに呼応するようにテレビへと近づいていく。気づけば腕を伸ばせば画面に触れられる距離に立ち、画面を見つめていた。小さな粒が確認できるほどの距離なのに、画面に映っているのは、まるで誰かに映像をかき混ぜられたような、マーブル模様のような映像だった。不意に正気に戻り、後ろを振り返り執行部メンバーを見る。彼らの視界は画面を捉えていた。しかし不自然なほどに見開かれた目と口をぽっかりと開けたそのどこか魂の抜かれた表情は、僕の中に揺蕩う不安の火を激しくするには十分だった。再びテレビの方に視線を向けたとき、後ろから違和感が。先ほどまではなかった何かが、後ろに存在している。そんな中、頭の中で自分の目がとらえた情報が、ゆっくりと巻き戻されていく。シーンは先ほどの後ろを振り返った場面だ。執行部メンバーの三人がテレビを見ている。三人。そこに違和感を覚えた。「灯台下暗し」、そんな言葉が頭に浮かぶ。不安に駆られて疑うことを忘れていたのか、明らかな疑問に気づくことが出来ていなかった。五十畑委員長がいないのだ。どこかでいないはずがないと思っていたのか、全く気づかなかった。委員長はとても優しいひとだ。こんな僕のこともいろいろと気にかけてくれている。僕がなかなか執行部の面々とも打ち解けられない中、委員長はそんな僕を気遣い、手を引っ張ってくれた。おかげで僕は、執行部の他のメンバーとも交流が出来ている。僕は勢いよく振り返る。そこには五十畑委員長がいた。柔らかい笑顔で、温かい雰囲気を纏ったその姿に違和感を覚えた矢先、背中を思いっきり押された。徐々に遠ざかっていく彼女を見たまま、僕はマーブル模様の一部になっていった。そんな刹那見えた彼女の表情を、僕は知らない。

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