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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第二章 紅碧色の町と人魚
8/63

第二話

2023.4/6 文章の見直し、漢数字に直しました。

2022.12/20 一部修正いたしました



「お出かけですか?」


 少し遅い午前。小鳥の囀りに自然と目覚めた。

 遅いといっても、私にしては早い起床だ。


「はい。食材を買いに行こうと思って。何か食べたいものはありますか?」


 私が使っている部屋は二階。朝の挨拶を奥様にしようと一階に下りたところ、出掛ける支度をしている彼女を発見した。


 買い物か。

 ふむ、と髭の生えない顎を擦る。


 ……何か見えてくるかもしれないな。


「私もご一緒して宜しいですか?」

「ええ勿論」


 嬉しそうに指を交差させて笑う奥様を見て、その仕草は癖なのかな、と私はつられてクスリと笑ってしまった。一緒にいて居心地が良い人だと思った。


「支度をして来ますので少々お待ちください」

「急いでいないからゆっくりなさって」


 そうは言われても待たせるのは悪い。階段を駆け上がり、部屋の(すみ)に置いている鞄を開けて化粧ポーチを取り出す。

 手鏡を見つめながら、顔の上に軽く肌色を重ね、瞼のフチを小指の腹を使って明るい色をなぞる。そしてリップを塗り、呆然とする思いでリップが付いた手をゆっくりと下ろした。

 ずっと代わり映えの無い顔。何度繰り返しても、見た目は変わらない。

 

 なんて残酷な姿だろうか。


「……誰かと買い物に出かけるのって、久々かも」


 カチっとリップの蓋を締め、鏡に向かってニコりと笑う。

 

 心の暗がりと手を繋ぐな、と気を引き締める。

 笑窪(えくぼ)作り、頬を上にあげて仕上がりをチェックして準備は終わり。小ぶりな鞄を肩に掛けて急いで階段を降りる。

 

「お待たせ致しました」

「あら、なんだか気を使わせてしまったわね」


 急いだつもりではあるが、多少なりと待たせてしまっただろうに奥様はニコニコと笑っていた。


「待たせていると分かっていたのですが、奥様との買い物が楽しみで、少しですがお洒落をしてみました」


 ちょい、とスカートを摘まんで見せればやはり奥様はニコリと笑って頷いた。それは日頃から子供の話を良く聞いてあげている母親のする仕草の様なものに見えた。


「とても可愛らしいわ」

「ありがとうございます」


 「では、行きましょうか」と玄関を出れば、窓から見ていた青い影が心地よく目の奥を癒してくれた。


「奥様」


 鍵を閉めず歩き出す奥様に「鍵を」と言えば、奥様は「あ」と声を上げて照れくさそうにこちらに戻って来た。奥様は「女の1人暮らしは気をつけろ、と言われているのに」と照れたように笑った。


「これで大丈夫ね」


 ガチャガチャとドアノブを回して、今度こそ鍵が掛かっているのを確認して、彼女は私を振り向いて頷いた。

 こんなにも優しくて愛らしい人なのだ。気に掛けている人は沢山いるのだろう。



 賑やかな町の中心に行く道のりは急な下り坂になっており、足がもつれでもしたら一番下まで転がり落ちてしまいそうだ。

 私はあまり運動神経が良くない。転げ落ちれば悲惨な姿になるのは目に見えていた。

 しっかりと足の裏を付けて歩こう、と肩に掛けた鞄の紐を両手で握った。




 町のメインストリートに辿り着くと車や自転車が忙しそうにタイヤを回していた。青い坂道とは打って代わり、町の中心街は太陽の陽が良く当たる場所だった。


「食材は後で買うとして、貴女は何か欲しいものはあるかしら」


 近くで人々の賑やかな声が聞こえる位に賑わっていた。


「私は特にありません」


 2つのパンパンに膨らんだ鞄を思い出して心の中で首を振る。あの鞄には、あれ以上に物が入りそうもない。


「何かお仕事に必要な物とか」


 私の顔を覗き込み伺う奥様に笑顔を向ける。


「仕事で必要な物は自分で揃えますから、気になさらないで」


 再度改めて断れば「そうね、しつこくしちゃったわ」と奥様は困ったように眉を下げて笑った。

 少し言い方が素っ気なかっただろうか。


「あ、これ。綺麗でしょう? この町の名産なのよ」


 自分の振る舞いについて、今しがた考え直していると奥様が珊瑚や貝を使った工芸品を扱っている店の前で立ち止まった。

 私も隣に並んで外に面している商品棚を眺める。


「これは、珊瑚ですか」

「そう。ララフの珊瑚。海の花と言われているのよ」


 お店の中を覗けば、至る所に紫色の大きなインテリアから小さなアクセサリーまでが置いていた。


「綺麗ですね」

「そうでしょう? フフ」


 奥様が得意げに笑ってコホンと小さく咳ばらいをしたものだから、私は彼女を振り返る。


「ララフ、ララフ、海から呼ぶわ愛しい人。風よ届けてあの坂の上まで」


 奥様がそっと子守唄を歌うように口ずさんだ音楽を私は知らない。有名な曲なのかな。


「この町出身の歌手が故郷を想って作った曲なのよ。ララフはこの町の海に呼びかける時の言葉……、この町の海の愛称みたいなものと言うのかしら」


 海から呼ぶわ愛しい人、か。

 あまり上手に歌えないのだけど、と奥様は照れた様に笑って首を傾げた。やっぱり指の先を交差させて。


「その曲のタイトルは何て言うのですか?」

「いとしき紫の町、よ」


 ああ、海も町も紫色になるから。


「この町の海には精霊が棲んでいて、私達はその方から海の恩恵を頂いているの。この歌には、精霊が私達を愛してくれているように、私達も精霊をずっと愛しますって意味が込められているんですって」


 私は、キラリと光る小ぶりの紫色の珊瑚のペンダントを見つめる。

 汽車の窓から見えた海に溶ける紫色は珊瑚の色だったのか。

 この世の神秘は精霊の恩恵を受けていると考えられている。この町の海が美しいのも、私達人間にとっては、”その精霊が棲んでいるから”なのだろう。


「そうだ。今日はおやつにアップルパイでも作ろうかしら」


 指の先を交差させて、花が綻ぶように笑う奥様は愛らしい少女のようだった。


「リーリア……」


 奥様はご機嫌だった表情からハッとして、小さく息を吸い込い、声を潜める。


「娘が大好きだったの。アップルパイ……」


 奥様は一人娘を失くしても気丈に振る舞い、他者を思いやれる優しい人だ。


「ぜひ貴女にも食べて欲しいわ」


 ひやりと、指の先が冷えるのを感じた。

 青い影も、潮の香りも。

 海は陸の上に住む者にも、その存在を知らしめ続けている。

 

 奥様は私と出会ってからずっと、寂しさを隠す為に笑顔を絶やさずに過ごそうとしているように見えた。

 私はこの人の悲しみに小指の先だけでも寄り添えるような、そんな絵が描きたい。


「……ぜひ」


 夜遅くに泣いている奥様は、大切な人がいないこの世界で、いつまで一人で生きなくてはいけないのだろうと、絶望しているのだろうか。


「リーリアってね」


 ぽつりと、聞き逃してしまいそうな声で奥様が言葉を零す。私はか細いその声を聞き逃さない様に彼女の口を見つめる。


「リナリアが訛って出来た言葉でね、この町の珊瑚の愛称なの。その花の姿が珊瑚に似ているでしょう? 海のリナリアから、リーリアに呼称が変わっていったんですって。……リーリアの珊瑚には、永久にという意味があってね。私達はこの珊瑚に繁栄を願うの」


 初めて奥様から聞くことが出来た娘さんの話は、浜辺の砂を掬うようなもので、指と指の間をすり抜ける砂を再び掬うことが難しいのと同じで、これ以上、会話を拾い上げて不躾にあれこれを聞くことは出来そうになかった。

 奥様の視線を辿れば、それはそれは小さな紫色のペンダントがあった。



 リナリア。

 ああ、そうか。この町の海をラベンダー畑のようだと思っていたが、違ったみたいだ。

 リナリア、リナリア。

 紫色の美しい、花の名前。


 リーリア。

 ララフの美しき紫色の珊瑚。



 綺麗なその名前を心の中で復唱する。

 人の雑多な音の向こうから、僅かに波の音が聞こえる。


 娘さんは、ずっと傍にいるんだね。


 奥様は気持ちを切り替えるように張り切った様子になり「それなら急いで買い物をして帰りましょう。下ごしらえをしないと!」と腕捲りをした。

 彼女の明るい声に深く沈んで行こうとする意識が浮上する。


 アップルパイか。

 私もよく作ったものだ。

 シンシンと雪が降る窓を背に、暖炉で温められた部屋で食べるアップルパイは美味しかったなあ。なんて、私の記憶は古ぼけたリンゴのように歯ごたえもなく食道を通って落ちていった。




 あれよあれよの内に買い物は終わり、沢山食材を買ったものだから布の袋は腕が引っ張られるくらいの重さになってしまった。奥様には比較的に軽い物を持って貰い、私は両手に1つずつ袋を持つ。

 買い過ぎた、のかもしれない。

 ズシリと重たい荷物を持ったまま二人して家までの坂道を見上げる。

 横に立つ奥様を見るとアチャーとした顔を浮かべていた。


「何してるんだ?」

「あら! タケさん。思い切って買い物しちゃってね、ちょっと失敗したなあって思っていたの」

「随分と買い込んだんだなあ」


 坂を目の前に立ち尽くしていた私達に声を掛けたのは”タケさん”と呼ばれた大柄の男性だった。

 彼は奥様と荷物、そして私を交互に見て苦笑いを浮かべる。


「丁度お前さんの家に行こうとしていたんだ。どれ、貸せ」


 私のウエストくらいありそうな腕を持つタケさんは奥様の袋を、そして私の袋を持ってくれた。

 ち、力持ちだなあ。


「ありがとうタケさん。そうだ、アップルパイを作るんだけど食べていかない? 今から作るから、少し時間が掛かるけど」

「ああ、ご馳走になるかな」


 ゆっくりと歩き始める2人の半歩後ろをついて行く。

 タケさんに声を掛けて貰えなかったら、2人でヒイヒイと息を切らしながらこの坂を登ることになり、もしかすると途中でバテていたかもしれない。


「うちに来るのは久々よねえ」

「そうだな」


 奥様とタケさんはとても仲の良い友人のようだ。

 2人の半歩後ろを歩いて様子を見る。


 チラリと一瞬だけ横目で私を見たタケさんの目は、疑いが含んでいた。




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