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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第十一章 秋のすすき
49/63

第二話

2023.4/30 漢数字と一部文章を修正しました。

2022.12/20 一部修正いたしました



 木枯らしは、無邪気な子供の笑い声を乗せて枯れゆく葉を何処までも運ぼうとした。

 全ての葉が地に落ちて、これから訪れる長い冬の静寂なんて気にもせずに駆け回るのだ。


 少年の中に、妹は存在していた。

 屋敷の裏の川に行ってはぼんやりとしているか、赤い実を投げている。しかし、彼は頭のどこかで真実を知っているのだろう。

 そんな彼を守るためか、心が知らないフリをする。気付かせないように、頭の奥に悲しくて、大切な記憶を押し込んでしまう。


 どうして、こんなにも哀愁に襲われるのか。

 それが分からない日々を過ごすことは如何に辛いことだろうか。

 大切な記憶を必死に忘れないようとする私には、分かってやることができなかった。




 いつもの川が見える場所に行ってみたが少年の姿は見当たらず、それならば部屋に戻って絵を描こうと廊下を歩いていると、とある部屋の扉が開け放たれていた。

 通りすがるついでに中を覗いてみると、部屋の中には奥さまがいた。


「押し花ですか?」


 彼女の目の前のテーブルは生花の束と花を挟む為の道具が置かれていた。


「筆さん。えぇ、そうです」


 声の出所を探す様に視線を動かした奥さまは、廊下に立っている私に気が付くと、花が咲いた様に笑った。


「見学をしても宜しいですか?」

「勿論! ぜひお話し相手になってください」


 奥さまは、雇っている子供に対しても親切に話しかけてくれる。この屋敷の人は町の人々に慕われるだけの理由が培っていた。

 自分の隣に椅子を用意し、私にそこに座るように促す。

 私が素直にその椅子に座れば、やはり彼女は嬉しそうに笑った。


「一緒にやってみますか? 子供用の鋏もありますよ」

「良いのですか?」

「えぇ、えぇ。勿論」


 ニコニコとしている奥さまを見ていると、一緒にいて楽しいと言われているようでこちらまで嬉しい気持ちになる。

 奥さまは戸棚から小さな鋏を持ってくると、それをテーブルに置いた。


 スイートアッサム、コルチカム、ダリア。

 色とりどりの花の束からは瑞々しい香りがした。


 私はダリアを手に取って、可憐に咲くその花の花弁を剥がし始める。


「素敵なお花でしょう?」

「はい。庭師さんが育てているのですか?」

「これは私が育てていたの」


 こんな立派な花を奥さまが……。

 では、あの整備された美しい花壇は庭師だけではなくて、奥さま自身も手を掛けているということか。


「放って置いてやればいいのに、少し間引いてやった方が長持ちするのよね」


 大きな花壇だったから、少し切る。それを何度も繰り返せばこの量の束に訳だ。

 花弁をさかれる花の香りは、外の匂いがした。水辺が近い、乾いた外の。


 シートの上に鮮やかな色の花弁が積もっていった。

 

「……あの子と何か話したりしましたか?」


 ふいに話題が変わり、私は思わず奥さまの方を振り向く。

 しかし、彼女は動かし続けている自身の手元を見ていた。口や目は笑っているように見えるのに、その横顔は酷く悲しげだった。


「少しだけ」


 嘘。

 本当は、少年が新たな秘密基地を見つけてから、以前よりも話をするようになった。でも、それは二人の秘密。彼は、皮肉にも私が与えられたあの部屋をもう一つの逃げ場所として選んだのだ。

 それは小さな一歩と言えるだろう。だから、この秘密は守らねばならないの。ごめんなさい。


「……本当は迷っていたの」

「迷う?」

「えぇ。あの子には、このまま夢を見させていても良いんじゃないか、って」


 それは少年に妹の幻影を見させ続けることを意味していた。

 真実を教えず、真実に気づかせず、そのまま過ごさせるということだ。


「夢はいつか覚めるわ。それを無理に起こさなくても良いんじゃないかと思うの」


 彼の姿はあまりにもボロボロであった。勿論、実際の身なりが、という意味ではない。

 まるで妹が存在して疑わない態度に、周りの人間は多少の異常性を感じているだろう。傷ましい。そう思わずにはいられない程に。


 奥さまが意を唱えるならば、私の絵は何の意味もなくなる。

 彼にとって悪い作用を働かせるのなら、私の絵は誰の為にもならない。ただ、一つの家族を傷つけるだけの絵になってしまうだろう。

 私は、それだけは避けたかった。


「でも、親なんですもの。きっかけを与えなくてはいけないわよね。朝を迎えれば、寝ている子に声を掛けるのと同じ。……分かっているの。でも、今以上にあの子が傷ついてしまう気がして、怖い」


 奥さまは、自分の言葉が私の存在を否定しているようだと気づいている様子で、言葉を選びながらも本心を語る。

 目の下の縁がみるみる赤くなったが、それでも涙を流さなかった。

 息子さんは、私がいるあの部屋に行くようになってから、川に向かうことが減った。なにより、娘の絵を見て涙した奥さまの心は、僅かな綻びを見せようとしているのかもしれない。


 私は、中途半端に花弁を毟ったダリアを眺める。

 この時、無様な姿をした花を見て「なんて酷いことをしているのだろうか」と思ってしまった。


 思わず溜息が漏れた。

 それは花に対してなのか、複雑な人の心に対してなのか分からない。ただ、やるせない気持ちが零れ出てしまった。


「幻影を追うことは、悪いことではありませんよ。光があれば影は必ずできるように、私たちが影を切り離すことはできません。それなら、影を剥がす方法を探すなんて無駄なことをする必要はないのです」


 明るい方を向くとき、人々は空を見上げるのだろうか。

 顔を上げて、前を向く。希望の言葉は、暗がりにはあまり使われない。

 どうして、俯くことは受け入れられないのだろうか。

 目的地を定めたなら、その場所に辿り着くことが大切だ。しかし、その過程さえも光の為になくてはいけないというのだろうか。


「未来や希望を光と例えるなら、影は過去や絶望と呼ぶのでしょうか。光が私たちを照らしてくれたなら、足元に影が伸びる。影はただ傍にいるだけなのに、どうして恐れるのか。怯えるのは影を初めて認識した赤ん坊だけです。光に目が眩んだのなら、影に逃げても良い。影は、いつだって私たちの下にいてくれるのですから、探す必要もない」


 立ち止まること、下を向くことは悪ではない。

 それは長い旅路を歩く為に必要な行動だ。


「そして暗がりで休んだなら、再び光の下に出るのです。影にいることは瞼を閉じて眠るように気持ちが良いことかもしれない。しかし、勇気を出して日向に出なくてはいけません。人は光なく正気を保てませんから。……私たちは、そうやって光と影と付き合っていかねばいけないのです。それは、幻影とて同じことと言えるでしょう」


 この花も、何故枯れる前に切られねばいけないのかと嘆いているのかもしれない。

 どうして花や植物の葉や花、実を間引くのか。それは身勝手に私たちが選んだ主体を立派に育てる為だ。

 大きな花を咲かせ、大きな実をつける為には必要なことなのだ。


 人の手の中にある花とは、そういうもの。

 目指すは、特別に選んだ花が大きく美しく育つこと。その過程では、沢山の小さな蕾を間引こうとも。

 立派に咲いた花を見ることができたのなら、私たちは間引いた蕾を思い出すことはないだろう。

 そして来年も、不要と決めつけた葉や蕾に愛を持って鋏を入れるのだ。


 果たして、少年が見失った悲しい真実は、間引くに値すことなのだろうか。


「旦那さまが、彼が寂しい時も川に行くことを知った、と言っていました」


 旦那さまの名前を出すと、奥さまは驚いてこちらを見た。「そんなことを言っていたの?」と言いたげな顔をして。


 腫れた話。

 口に出すことも耐え難い苦痛。

 旦那さまも、奥さまも、傷は癒えないまま。語るは、傷に触れぬ程度の思い出ばかり。

 互いに何を想っているのか、分からないことが増えているのかもしれない。


「悲しい気持ちを忘れてしまっている筈なのに、どうして彼はその川に行き続けていたのでしょうか? ……大切な人の死にケジメなんて誰も付けられないのですよ。子供だろうが、大人だろうが、年老いていようが。誰もが耐え難い」


 奥さまは、苦しげに眉間に皴を寄せ、静かに頷く。彼をそのままにして良いなんて、本当は思っていない。ただ、不必要な言葉を掛けて、新たな傷を付けることを恐れているだけ。

 親であっても子供の全てを理解してあげられる訳ではない。誰よりも理解してあげられる存在でいたい、そう思って親は子供に寄り添う。

 しかし、”親であれば”、”愛があれば”、なんて簡単に語れる話など存在しない。

 花が人の手など借りずとも種を落とし、新たな花を咲かせられるのと同じで、子供はいつしか自分の力で大人になってゆく。

 老いゆく親の手を、今度は子供が引いてやれるように。


「でもね、奥さま。弔ってやれなかった、そう気づいた時の後悔は、想像を絶するものではないでしょうか」


 涙がこみ上げれば、奥さまは顔を手で覆って泣いてしまうだろう。それでも、彼女は気丈にも涙を流さない。

 母親が子を亡くしたというのに、この人はその傷みを曝け出さずに堪え続けていた。


 瞬きの一瞬に、私の子供の顔が見えた。

 可愛い声で「お母さん」と呼ぶ、もういない子供たちの姿を。

 私は眉を寄せて耐える。泣いてしまわないように。ぎゅう、と。


「私は、お二人の決断を尊重いたします。彼は妹の誕生日の絵を見ても相変わらずですが、それも仕方ありません。私は、彼が心の拠り所に通い続けるのなら、受け入れましょう。そして、自らの足元の影に気づいて欲しいです」

「あくまでも、あの子自身が乗り越えることだと……」

「はい。……とてもじゃないですが、私は彼を絵の中に捕らえ続けることはできません」


 奥さまは、目を閉じて、何度か頷いていた。

 その姿は、無意識に傷を庇い続ける少年の姿に劣らず傷ましかった。


 生きた人を絵の中に捕らえる。

 家族が揃い、笑いあっている。そんな絵。

 絵の中なら、家族は少女を失わずにいられるだろう。

 それは宛ら、覚めぬ夢のよう。

 長く眠り続ける者は日に日に痩せ、脈打つ心臓は次第に弱まるだろう。目を覚まさねば、そのまま時は止まってしまう。

 音の大きな目覚ましを掛けようが、誰かに肩をゆすられようが、目を覚ますことができるのは本人でしかない。

 目を覚ますという選択を、己がしなくてはいけないのだ。

 私の絵とは、目覚まし時計の大きな音や肩を揺らす手でしかない。


 窓の外からトンビの鳴き声が聞こえる。

 鳥は、今日も何かを探して空をクルクルと回りながら飛んでいた。

 この頃の天気は、安定して良かった。

 少しでも心が晴れやかになるというのなら、天気にだって感謝をしよう。

 私のしていることなど、それくらい些細なことであり、無力なことだ。


 幅の狭い川を思い浮かべる。

 秋頃になると、鮮やかに光る赤い実。


 ホーリィ


 暗がりに迷う旅人の足元を照らす、細やかな赤い光。

 少女は、いつだって兄の傍にいる。


「……そうね。ごめんなさい。しんみりしたお話をしてしまって。さ、続きをしましょうか」


 人は、悲しいのにどうして笑ってしまうのだろうね。

 無理に笑った奥さまを見て、私は悲しくなった。


 私のために用意された子供用の鋏に視線を向ける。

 これはきっと、ホーリィさんの物なのだろう。


 少女を思い出すヒントは絵のみならず、そこら中に散りばめられている。

 しかし、彼はそれに気づかない。

 まるで夜空に星なんかないと言いたげに、見ようともしないのだ。


「萎れちゃう前に終らせねば、ですね」


 どうか、少年がその足元の光に気が付きますように。

 私たちは、ただ、そうやって見守ることしかできないでいる。



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