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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第十章 人成らざる者達
44/63

第三話

2023.4/13 文章の見直しと、漢数字に直しました。


 街の端から端まで石畳が敷き詰められ、道を沿うように植えられた街路樹は強い日差しから柔肌を守ってくれた。、公園には噴水があり、いつだって水の音を奏でている。

 この街はよく整備されていた。

 治安も良い。

 しかし、美しさというものには条件があるようだった。


 ――キラキラ。星の煌めきの如く光る髪。

 この街の人々の髪色は、殆どが目が眩むほどの金色。

 幸せを祈るは、優しい光。金は暖かな色、満たされた色である。

 髪の一本を走る電気は流れ星の如く、幸福に満たさる度に毛先に向かって流れる。

 流れ星は、満たされた者を祝福する。


 己を幸福と認めぬ者の輝きは失せ、他者からの関心は薄れゆくばかり。

 悲しむことも、怒ることも、幸福からは程遠い。

 幸せに笑むことこそ美しさだというのなら、この街で生きてゆくことは簡単なこととは言えないだろう。


 ページを捲るように景色が変わるこの大きな街の暮らしは、僕には目紛しく感じた。

 目の端をチカチカと瞬く光から逃れるように、瞼を閉じる。



 この記憶は人であった頃の断片。


 粉々に砕いた記憶の硝子に映るは、遠い遠い砂漠の国の景色。

 黒色、焦げ茶色、赤色の髪を持つ人々が、そこそこ豊かに暮らしていた。

 その土地の者は、朝は朝の、昼は昼の、夜は夜の言葉を話す。

 貴金属の加工に特化したその土地の見どころは、その貴金属を身に纏った踊子たちの儀式。

 僕たちは砂漠に覆われているからこそ、その土地の者は食べ物の恵みや水の恵みに感謝を欠かさなかった。


 遠い、遠い、遥か昔の記憶。それでも、瞼の裏には故郷の風景が焼き付いていた。

 夜空を覆い尽くす虹色のオーロラに、赤い月が隠れた真夜中。

 私は、コッソリと家を抜け出した。

 辿り着いた場所はオアシス。喉が渇いていた僕はその地に湧く水を飲んだ。

 思えば、僕の人生の分岐はあの時に分かれたのだろう。


 ある日、大人たちが戦に向かうため、故郷を出て行った。

 故郷の王国は、精霊と人々の戦いに関与しなかった。しかし、僕の両親はもっと前の戦いで自分の親を亡くしていた。その怒りが、胸の中で燻っていたのかもしれない。きっと、親の仇討ちの様な気持ちになったのだろう。

 そして、両親は幼い僕を残して戦いに行ったきり、家には戻らなかった。


 今日もオーロラが空を覆っている。

 僕は、独りぼっちの寂しさを紛らわせるように、家を抜け出してオアシスを探した。

 不思議なもので、赤い月が浮かぶ夜にオアシスは見つかった。そんな夜の他に、オアシスを見たことはない。


 僕は水辺に座って、穏やかな風に吹かれて小波を立てる水面を見つめた。

 水面は、あの日と同じ虹色のカーテンを映していた。その水を手で掬って口に含み、喉を潤す。

 どうしてか、この水は冷たくて美味しかった。


 赤い月がオーロラを僅かに赤く染め、密集した星が眩しい。

 そんな夜だった。


 キラリ


 弧を描いた流れ星が、小さな星を射抜く。


 強い光は、次々と星を砕いた。

 星が砕かれる度に夜は暗さを取り戻す。

 流れ星とは、星が下に流れていくから流れ星と呼ぶのではなかっただろうか。

 今日の星は、どうして上に向かって流れるのだろう?


 踊子が纏う赤のレースの衣装が揺れるように、赤み掛かった虹色のオーロラがひらり、ひらりと揺れる。

 今宵は、妙である。

 町の人々はすっかり眠りに就いているのか、家の明かりは見えない。

 街灯もない場所だ。月の光によって朧げに浮かぶ程度にしか、町の姿は見えなかった。

 何故、誰も不思議に思わないのか。星が弧を描くように流れ、そして他の星を砕いているというのに。

 赤い月が、いつもより輝いているというのに。どうして。


「その水を飲んではいけない」


 寝静まる町を見て、途端に一人きりで外にいることが怖くなり、家に帰ろうかと迷いだしたころ。頭上から人の声が聞こえた。

 やはりこんな夜だ。自分の他にも、誰かがいたのだ。

 声がした方を振り向くと、巨大な弓を背負った男性が宙に浮いて胡坐を掻いていた。僕は、その姿と唐突さにギョッとして後ずさった。


「ははは! 驚いたのか」


 血の気が引いた。

 きっと、目の前にいるのは精霊か何かだ。

 だって、人は宙を浮かぶなんてことできないんだから。


 精霊と人々の戦いが続く時代。

 僕も例外なく、精霊の類に良い印象など持っている筈がなかった。


「ああ、怖がるな。私は私の仕事をしているだけだから」

「仕事?」

「そうだ」


 その言い方は、まるで近所に住むおじさんのようだった。

 僕は異質な者の言葉に眉を寄せる。

 何を普通に話し掛けているのか。何故、僕の目の前に姿を現したのか。

 その精霊の意図が分からなかった。


「近頃、この辺りの星が増えてきたから、弓で砕いているのだ」

「……どうして星を砕くの? 沢山あった方が綺麗なのに」


 星が沢山あった方が夜道を怖い思いをしながら歩かなくて良い。

 蝋燭の消耗だって抑えられるだろう。

 純粋な疑問だった。


「綺麗、か。しかし、夜は暗くなくてはいけない」

「どうして明るいと駄目なの?」

「今度は駄目な理由か……」


 異質な者は髭のない顎を大きな手で撫でた。


「夜とは暗くなくてはいけない。それはお前たちが朝は朝の言葉を話し、昼には昼の言葉を話し、夜には夜の言葉を話すのと同じこと。夜はな、光を必要とする者が理由(わけ)もなく休める時間で在り、また、光を必要としていない者には鮮やかな景色を見せる時間なんだ。生き物にはな、その生き物にしかできない生き方があるのだ。世界が明るいままであるなら、暗がりに生きる者は、適した目もなしに水中で目を開けるような視界で生きなくてはならない」

「でも、眠れない夜だってあるわ。夜に目が利く動物は明るいからといって、全く見えない訳ではない。それなら空が明るくても良いと思うの」


 屁理屈を捏ねる子供に、精霊はこれは愉快、と言いたげに笑った。

 子供だからできたことだと、今なら思うよ。


「貴様は、一の為に夜を灯せと言うのか。それは、それは、なんと傲慢なことか」

「どういうこと?」

「光を見る者とて、夜に全く目が見えぬ訳でもあるまい。貴様が言っているのは、目が利く者に不便を押し付けようとしているだけにすぎん。朝、昼、夜。それぞれが良く見える時間に生きれば良いだけのこと」


 確かに、そう言われてしまえばそうなのかもしれない。

 しかし夜に目が利く者と光を見る者の数は、どちらが多いというのか。少なくても、人々の殆どは暗がりよりも光ある方が良く見えるだろう。


「良いか? 私たちは一のために在るのではなく、全のために在るのだ。人の子よ、一のために在れるのは貴様たちであり、一のために在るのは私たちではない。だから、貴様の夜更かしのために夜を明るくしておくことはできないのだよ」


 どうやら、恐ろしくも美しい偉大な精霊は、たった一人の子供の願いすら叶えることができないらしい。

 先ほどまで、僕は人間がこの世の大多数であるように思っていた。しかし、実際はどうだろうか。もしかすると、僕らは少数派なのかもしれない。精霊は、異質な者とはどこまでを見透かしているのだろう。


 全が否を唱えれば、一の是は聞き入れてもらえない。だから、僕たちは精霊と戦い続けてきたのかもしれない。僕たちが望むことは、世界にとっては一つのことかもしれないが、精霊が守っている者たちは世界の「全」なのだろう。たとえ僕たちにとってその戦いの理由が「全」であっても、世界にとってはそうではないということだ。


 この時、どうしてか帰って来なかった両親を思い出した。父さんと母さんにとって、戦いの意味は誰のためだったのだろう。きっと、それは自分の心のためだけにあったのだろう。僕を一人残して、参加しなくても良かった戦いに自らの意志で赴いた。もしかすると、戦いに参加することが富を得るためだったのかもしれない。それが家族のためだったとしても、今、僕は一人ぼっちだ。


 こんな気持ちになるくらいなら、理解なんてしない方が良かった。だってそうだろう? その事実がどうしようもなく悲しかったのだから。


 僕は両親の全てにはなれなかったんだ。


「……それで、貴様は水を飲んだのか」


 打ちひしがれながらも、僕は頷く。

 すると、僅かに気を使って話していた精霊は、落胆したように肩を落とし、深い溜息を吐いた。


「この土地の精霊は、暫く姿を見せていないと聞く。ともすれば、どうにかしてやる手立てはなし」


 精霊。

 僕たちの精霊は何処へ行ってしまったのだろうか。

 途端に不安になった僕は、心の中で精霊さまに問い掛けた。


 精霊さま、精霊さま。

 これまで町の人々は精霊様の言い付けを守り、朝には朝の言葉を話し、昼には昼の言葉を、夜には夜の言葉を話していたのです。


 朝、太陽が昇ることを祝いなさい。砂漠は時として夜が明けないのです。

 昼、太陽が真上に来たことを祝いなさい。生き物は己が一日の何処にいるか理解できるでしょう。

 夜、夜が目を覚まさぬように子守唄を歌いなさい。瞼を閉じた生き物は耳が良いのです。優しく囁けば、怖い夜は訪れません。


 祝いなさい。怯えなくて良いのです。

 砂漠を恐れる者は勘違いをしているのです。

 当たり前に与えられるものばかりではない、それを理解することができれば、どんな環境であっても生き物は幸福を得られるのです。


 精霊さま。

 僕らは言いつけを守っていましたよ。

 でもね、一人きりになってから僕は夜が怖かったのです。

 風を使って窓を叩き部屋に訪れる夜のために、子守唄を歌いました。囁く様に、話をしました。でも、僕はずっと寂しくて、怖かったのです。

 良い子になっても、両親は帰って来ません。

 両親にとって、僕は当たり前の存在ではないということなのでしょうか。


「貴様は人成らざる者になった。何百何千と時が過ぎようが、生き続けることになるだろう」


 胡坐を掻いていた精霊は宙に浮かんだまま立ち上がり、ゆっくりとこっちに近づいて来た。

 オアシスの水が歩みに合わせて揺れる。


「共においで。これから貴様は全の為に存在することができる。そしてこれが、私が貴様にしてやれる一だ」


 見上げた精霊の後ろで、金色の星が狂暴なほど輝いていた。

 目を眩ませる程のその光と、赤みを帯びたオーロラ。そして大きな赤い月が爛々と光っていた。

 月の赤い雫が滴るのを見て、空のモノは摩訶不思議だと思った。

 一体、あの雫は何処に落ちてゆくのだろうか。


 精霊は、座り込んでいた僕を刈った羊の毛を優しく持ち上げるように抱き上げる。そして、逞しい腕に抱きかかえ御伽噺を聞かせるように精霊が棲む森の話を始めた。


「私の森は沢山のヒイラギが生えていてね。老樹になると葉の棘は柔らかくなるんだ。若い頃は尖っていて、歳を取れば丸くなる。人の様な植物だろう?」


 楽しげに笑いながら、精霊は話を続ける。

 ジョークを言っているつもりだったのだろう。


「西の空に浮かぶ、小さな赤い星よ。貴様にヒイラギの名をやろう。大丈夫、今日得た痛みは時が経てば和らぐ」


 これまでは、どんなに時が過ぎようが、本来の色を忘れてしまおうが、僕の本来の髪色と瞳の色が赤色であったことは僕の名前が証明してくれた。

 考えすぎかもしれないけど、僕がいつでも僕を思い出せるように、精霊が意図として名前をくれたのかもしれない。

 今は「そうだったらいいなって」思うんだ。


 体温を感じられない腕に抱かれ、離れゆく地上を眺める。

 赤みを帯びた虹色のオアシスの水は、穏やかに揺れていた。


 痛みはね、今日得たものではないんだよ。

 僕の心は痛いって、ずっとずっと長いこと泣いていたんだ。


 柔らかな足取りで空を歩く精霊の体の揺れが実に居心地が良くて、眠ってしまいそうになった。


 今でも覚えているよ。

 時代が名前を変えようと、過去が古びて行こうが、ずっとだ。


 僕は家族の全てになれなかったのに、精霊は僕に一を与えてくれた。

 精霊にとって大切な植物。その名を僕に与えてくれた。

 僕は幸いであった。

 人成らざる者とは何か、この時は理解することができなかったが、精霊と出会わずに腐り、”人でなし”にならずに済んだのだ。


 しかし面白いことに、これから向かう森のヒイラギは春に白い花を咲かせ、冬には黒紫色の実をつける。

 精霊の森にある赤い実を付けるヒイラギと種類が違ったんだ。だから、精霊は僕の髪と瞳の色を西の赤い星と言ったのだろう。

 ヒイラギはヒイラギでも、精霊が統べる森のヒイラギとは異なる。黒紫色の実をつけるヒイラギが全であるならば、その中で赤い実を付けるヒイラギが一ということなのだろう。

 どちらにせよ、僕にとって姿を見せぬ精霊よりも、慈悲深き星を射抜く精霊の方が救いの光となった。


「その赤がヒイラギの花のような白になるまで、傍にいると良い」


 きっと、精霊さまは僕を自分の元に縛り付けようなんて考えはなかったと思う。自由を得たいのなら、森を去っても良かったのだろう。

 だから、僕は森を出た。

 物事を考える自由を得て、そしてその結果、自分の意志で賢者になろうと決めたのだ。


 何故、そんな考えに至ることができたのか。それは考えるまでもなく、答えは明白だった。

 兎に角、あの頃の僕は寂しかった。それだけだったんだよ。


 一緒に行こう。


 その言葉は、両親に言われたかった言葉だったのだろう。

 独り残されるくらいなら、役に立てずともついて行って、共に終わりを迎えたかった。

 僕は寂しかった。今だって、ときどき思い出すよ。僕にも両親がいたんだって。


 だから、とても嬉しかったのだ。

 全の為に存在する精霊が、僕一人に手を差し伸べてくれたこと。それがとても、とても。



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