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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第十章 人成らざる者達
43/63

第二話

2023.4/13 文章の見直しと、漢数字に直しました。


『魂を導く者が会うことを勧めてくるとは、珍しいことがあるものだ』


アスターと別れ、貨物列車から馬を下ろしてもらい、一人と一頭は汽車を降りる。

馬車も通らない人気のない道を歩きながら、紫色の星の欠片を耳に当てて、彼が話していた人の成れ果ての話を星を射抜く精霊に伝えれば、予想通り、可笑しそうなトーンで返事が返ってきた。

本当に珍しいことだと思う。別れを見届けることが多いためか、アスターはあまり私たちに出会った人間の話をしない。それなのに、彼にしては楽しそうに人の成れ果ての話をしていたのだから、意外だった。


『それで、ヒイラギはどうするのだ?』

「どうするも何も、もう一度会えるとは限らないし」

『では再び出会えたらどうする』

「……貴方にこんなにも期待をされているんだ。話しかけてみるくらいはしてみるよ」

『嗚呼、それが良い』

「その子にとっては、ってことでしょう?」

『そうだ』


 アスターも星を射抜く精霊も、別に僕の友人関係について心配して言っているわけではない。

 精霊たちがそう考えるには理由がある。その人の成れ果ては今までうまくやってきたのだろうが、異質な者はやがて溢れ出る。そうした者の末路は目に堪えない扱いを受け、最悪、壊れてしまう。それなら、人ではない者の傍で生きる方法を身に着けるのも悪くないだろう、と考えているのだろう。

 妖精や僕らと違って、精霊は優しい。優しい、とは人々が想像するものとは違うが、機能しなくなるほど命が傷むことを良しとしない。しかし、その者はどうして孤独を好み、孤独に耐えられるのだろうか。あの六枚羽の妖精がずっと傍にいたから、孤独ではなかったのだろうか。だとしても、数百年も自分を保てるだろうか。


「その子もアスターと同じく絵を描くのだそうだよ」

『ヒイラギも描いてもらえば良いだろう』


 大して面白くもない冗談に無意識に下唇が突き出る。わざとらしく溜息を吐けば、星の向こうにいる精霊は『ははは!』と愉快そうに笑った。


「冗談じゃない。絵とか写真は大嫌いなんだよ」


 すっかり色が抜けた真っ白な髪の毛と、経年で濁った白っぽい目。都合よくも皮膚の劣化はあまり進まず、繊細であったり、良く使う部品はすっかり古びて痛んでしまった。そんな姿を誰が形として残したがるだろうか。


『生き物に優劣はない。もちろん、外見による醜美もない。お前は生まれた時からずっと美しいよ』


 自分であれば恥ずかしい言葉も、精霊が言えば様になって聞こえた。

 歩幅を合わせて歩いてくれる栗毛の馬の鼻筋を撫でてやる。従順について来てくれる馬の艶やかな毛と穏やかな瞳を視界に入れれば、精霊がどんなに自分を良く評価しようが、複雑な気持ちになった。


「今更、醜美についてとやかく考えることはあまりない。ただ、以前の自分を失くしたように、僕たちはどこまで自分の全てを捨ててしまえるのかと、たまに想像するんだ」

『己を失ったのに、まだ恐れることがあるのか』

「恐れは必要な感情だよ。僕たちは生き続けているだけであって無敵ではない。体の部位を失えば蘇生するわけでもない。貴方たちのように世界の概念でもない。全てを失った時、僕は貴方のような存在になれるわけではない。では、僕はどうなる?人の成れの果てでいることは良い。しかし、全てを失った者にだけはなりたくないんだ。言葉も話さず、手足も目も失い、ご飯も食べられない。寒いも熱いも感じず、それが悲しいとか辛いとかも感じない。ただ、何の意味も持たずに地に転がる者になんて、なりたくない。こうして人と精霊の間に立ち、与えられた役割の中で世界の摂理を守れるというのなら、もう、これ以上手放すものはないのだろう。だから恐れているんだよ。今、この瞬間でも僕は僕を零しているんじゃないかって」


 全てを失った者は水たまりのようだ。

 雨上がりの道にできた水たまりは邪魔で役に立たない。喜ぶとしたら無邪気な幼子くらいなもの。野の獣も、人々も、我々も、いつ、どこにあって、どんな形をしていて、どのくらい深くて、どんな色をした水たまりだったのかなんて覚えていない。もしかすると、認識すらしていないかもしれない。ただ、うっかり足を突っ込んでしまった時に「嗚呼、最悪だ」と考えるかもしれない。僕らはただ在ることがどれほど大切か理解しているつもりだ。しかしただ在り続けるというのも役割があってこその価値だ。その水たまりには何の役割があるのだろうか。目に見えぬ小さな生き物はそこで生まれるのだろうか。それとも、野の獣の飲み皿になるのだろうか。……いや、それすら全うすることは叶わないだろう。道にできたくらいの水たまりの役割なんて、それらすら全うもせずに数日経てば消える。全てを失った者とはそんなものだ。ただ在ることはできても、その存在に価値はない。

 同情ができそうなことではあるが、僕はそれらを可哀そうだと思う気持ちすら湧かない。それらは何もかも失ってしまったのだから、それが成るべくしてなった姿なのだ。


「考えることができなくなれば賢者としていられない。しかし、人らしく在り過ぎれば、それもまた賢者でいることはできない。この状態を保つことは案外大変なんだ」


 精霊は、森や海、空や大地などの均衡を守れば良い。

 乙女が怒り、その根源を根絶やしにしようと空を鳥で埋め尽くすことがないように、変化を求めず、世界の象徴として存在し続ければ良いのだから。


『そう不貞腐れるな。……お前はまだまだ人らしいな』

「それは随分な言い方だね。人らしいのであるなら、もっと人側の気持ちを良く汲んでやれるだろうに」


 人々は進化を続けようとする。今回だって土地を街の発展のために領土を拡大したいという相談を持ち掛けられて、それを該当する森の精霊に相談しに行かなければならない。

 はあ、あの森は寒いんだよなあ。

 いくら不満が浮かんでも、双方の意志を尊重するために交渉を続けていかなければならない。

 そして、交渉してくれる相手は、また会う機会を与えてくれるであろう精霊に過ぎない。

 幾ら不満が浮かんでも、双方の意志は伝えなくてはいけない。音沙汰がなければ人は勝手に森に足を踏み入れるだろう。音沙汰がなければ人々は付け上がり、あっと言う間に森の木々は切られ、緑は失われるだろう。

 精霊が出す答えは既に分かっている。だが、相談を受ければ話を通してやらねばいけないのが僕の仕事だ。断られると分かっていても、どんなに遠くの場所であっても、受け入れられない意思と断られた結果を知らしめなければならない。

 こうやって話を聞けば賢者は中立の立場だと思われるかもしれないが、僕は人々の発展を良く思っていない。人々が作る便利さとは人々の為だけに発展していく。人々が豊かな暮らしを得ることで、世界は一体何を得るというのだろうか。

 人々は一つうまく行けばすぐに付け上がるのだから、厳しい気持ちで話を聞くのは仕方ないんだ。


『己を生きる者は誰かの為に在ろうとする。それは美しい姿であるが、他の者を侵害するのであれば、それは愚かなこと。人々が森や海を得ようとすることは、そこに在る者達を侵害することになるだろう。難しい話だ。厳しい目を持たねばいけない。……誰かの為に何かを得ようとした時、誰かの何かを奪うことにはならないか。人々はなかなか想像できない。だから、お前達の様な存在が必要なのだ。人で在った、人ではない者』


「分かっているよ。別に人々の話を端から跳ね除けている訳じゃない。ちゃんと如何なる者の為になることか、を考えて聞いているよ」


 全く、星を射抜く精霊は口煩いんだから。「なあ」と自分の鼻先に止まろうとしているトンボを見つめている馬に声を掛けるが、こっちを見てもくれなかった。……はあ、こっちはのんびり屋か。


「まあ、同じ人の成れの果てであっても考え方が同じって訳ではないからね。結局、賢者である僕らも一個人だ。アスターが話していた子が今後どのように在りたいのか、悩んでいることがあるのなら話くらい聞いてやっても良い」


 そうすればその子もこの役割を全うすることになって、僕の移動距離も減るかもしれない。それは凄く助かるんだけどなあ。


「そう言えば、あの子の瞳は、この子よりも赤みが強かったなあ」

『この子とは?』

 

 あの日、一瞬だけ目に留めた姿を思い出す。

 艶やかな黒髪に赤茶色の瞳。アスターは産まれ直しだかなんだか言っていたが、あれは人らしい人だった。

 そこら辺にいる人と変わらない、ただの人だった。


「僕の馬だよ」


 数百年生きて自分を見失わずにいられる者だなんて、少し恐ろしいな。




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