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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第十章 人成らざる者達
42/63

第一話

2023.4/13 文章の見直しと、漢数字に直しました。

2022.12/20 一部修正いたしました。


 一羽の鳥が、そこそこの大きさの魚を咥えて飛んでいた。だが、うっかりその魚を落としてしまう。鳥は空高く飛んでいたため、魚をどの辺りに落としたのか分からないまま通り過ぎてしまった。そして魚は、そのまま腐ってしまう。

 腐敗した魚の下には、不運にも花の種が埋まっていた。花は酷い悪臭を放つ魚を掻き分けながら、なんとか茎を伸ばして蕾をつけた。しかし、その花弁は大きく咲き誇ることもないまま、やがて枯れてしまう。そして腐りきった魚は骨だけとなり、枯れた花の根っこが土に潜るだけのその場所を、駆けてきた一頭の馬が踏みつけていった。

 魚も花も、惨めに死に絶えた。そして、馬はそれに気づくことなく土埃を巻き上げながら駆け去っていった。

 しかし、その土埃に紛れた風が、腐臭を掻き消すように命の息吹となる。不運な魚と花が死んだその場所から、生まれたのが僕だった。


 なんて穢れた出生なんだろう。そう思っていた僕に、森の精霊はこう言った。「貴方は美しき死の精霊、魂を導く者。数多の死にゆく者の寂しい声を聞き、寄り添い、死を見送る者なのですよ」と。

 精霊は慰めの言葉など口にしない。ただ事実を告げるだけだ。それでも、森の精霊がそう言うのならば、そうなのだろうと僕は納得した。


 その言葉が、僕と死を繋ぐ始まりだった。


 生まれて間もない頃、僕は初めて死を怖がる声を聞いた。それは、それは幼い少女の声だった。

 酷く怯え、寂しげなその声が、どこか遠くから聞こえてきた。

 僕はその声に導かれるように歩き始めた。



 出会った少女は不治の病に伏せており、僕が少女の元に辿り着いた時にはもう目が開かれることはない状態だった。

 僕はその頃はまだ存在が不十分で幼い姿をしていたから、その少女の親に僕は彼女の友人であると伝えて、よく知りもしない少女が死んでしまうその日まで手を握ったり頭を撫でたりして声を掛け続けた。


 そして、少女は僕と出会ってから大した時間を過ごすこともなく死んでしまった。

 少女が完全に死に、体から熱が失われ、冷たくなるのを見ていると少女の体から蛍のようにか細くも美しい緑色の光が出てきた。

 その光は少女の両親の周りを暫く漂い、別れの挨拶を済ませたのか僕の元にやって来た。

 少女がこちらに来ることはどうしてか想像ができていて、まるでそうすることが正しいと分かっているように、僕は鳥の宿り木を作る様に人差し指を差しだした。そうすると、僅かに指の先に触れた光は迷うことなく天に向かって消えた。

 なんてことはしていない。ただ、僕が手を差し伸べるだけで魂が還るべき場所に向かうのだと、その仕組みに気づいたのがその瞬間であった。


 はじめの少女を見送った後も、寂しげな声は絶え間なく聞こえてきた。

 僕は空っぽになった彼女の体を見届けることもなく、次の目的地へと歩き出す。

 その旅路の中で、寂しい、悲しいという感情を初めて理解した。自分とは関係のない、ちゃんと出会った相手ですらない彼らに、どうしてそんな感情を抱くのか――不思議に思ったけれど、僕の心は、どうやらそういう者たちに共感するようにできているらしい。


 死を恐れる声が、休む間もなく僕に届く。

 誰かと話している時も、昼寝をしようとする時も、ご飯を食べている時も。その声を煩わしいと感じたことは一度もなかった。

 心の中で「大丈夫、大丈夫。僕が間に合えば、手を握って歌を歌ってあげるからね」と励ましながら、寂しげな声のもとへ急ぐ。僕の声が彼らに届くことはないだろうが、それでも悲しむ人を放っておくなんてできない。


 移動するたび、目立たず人々に紛れるには、人間としての名前が必要だった。

 色々と考えているうちに、今も鼻先に微かに残る花の香りを思い出す。その時、自然と選んだ名前が「アスター」だった。

 瞳の色すら知らない少女が眠る傍らに飾られていた花。その名前を借りたのだ。


 僕が生まれるきっかけとなった魚と馬は、どうにも苦手だ。

 魚よりはステーキの方が好きだし、長旅のために馬に乗ることはあっても、速く走らせることはできなかった。

 それにドライフラワーも好きじゃない。見ると悲しくなるから。こればかりは仕方がない。僕を生んだ存在ではあるけれど、望んだ生まれ方ではなかったのだから。


 そうして、寂しい声の元へ向かい、知人のふりをして最期を見届ける――そんな生き方を続けて、随分と時が流れた。

 時代は移り変わり、名前も変わり、汽車というものが生まれた。これが僕にとっては最高だった。汽車を開発した人たちは本当に偉大だ。

 ああ、つい話が逸れてしまったね。


 兎も角、僕の存在がそうさせるのか、見知らぬ僕が突然看取りの場に現れても、誰も怪しむことはなかった。

 家族や友人しかいない特別な空間に、なぜか混ざり込む僕。それでも誰も疑問に思わない。

 自分のことながら、知らない人間が看取りの場にいるのは怖いことだと思うけれど――それは仕方がない。僕の存在が、そうさせてしまうのだから。



 ある少女は、まだ話す力を残していた。そして、僕に一つの願いを口にした。「ここから連れ出してほしい」と。

 誰かが僕に願いを託すなんて初めてのことで、何でも叶えてあげたくなる気持ちが湧いた。

 だから、僕はその少女を連れ出した。

 それが――人攫いの最初の犯行だった。




 汽車の窓から差し込む柔らかな日差しが、車内に淡い光を落とす。外の景色は青空と明るい田園が広がり、穏やかな風が揺れをもたらしている。車内にはさほど人はおらず、どこか静かな空気が漂っている。


「人攫いなんぞ随分と地に落ちたものだな。嗚呼、貴様は始めから地よりも下にあったか。全く、星を射抜く精霊とは違ってなんと見っともない精霊か」


 汽車の中、遥か昔に旅路で知り合った顔見知りの賢者が嫌味を言った。


「うるさいなあ。君も賢者なら汽車に乗らず馬に乗って移動をしたらどうなんだい?」

「そんな設定はいらないんだよ。君も他の賢者と同じで頭が固いな」

「設定って言うんじゃないよ」


 わざわざ僕の向かいに座ってネチネチと嫌味を言っているのは、賢者のヒイラギ。

 ヒイラギが自分について話す時、しばしば「精霊に育てられた人の子だ」と言う。簡単に言うと、精霊と人々との戦いの中で、両親を亡くした孤児だというのだが、彼の過去には謎めいたところも多い。特に「星を射抜く精霊」という表現は、何か特別な存在を示唆しているようだ。ヒイラギによれば、その精霊が彼の育ての親であり、命を救ったのだという。


()はね、貴様を案じているのさ」


 そう言いながら、ヒイラギの声には、どこか浮かれた響きがあった。

 その軽い言葉の裏には、相変わらず何かを隠すような気配が漂っている。


 それにしても、ヒイラギが「僕」と自称するのは、少々意外だった。

 元々は女性だったらしいが、なぜ「僕」を選ぶのか。その理由を知っている者は少ない。

 ヒイラギ自身は、こう説明する。「僕」は「しもべ」とも読める。精霊の僕であることが、彼自身の存在意義だと。

 どうやら、性別というものにこだわりはとうの昔になくなったらしい。

 その理屈には、何となく納得してしまうところがある。


「君に案じられるなんてねぇ」

「数えきれないほどの人の死を見送って、心が壊れてしまいやしないかって心配しているんだよ」


 長生きのために、真っ白になった髪の毛が窓の隙間から入り込む風に靡いていた。


「精霊には生まれながらに役割がある。増えすぎた星のせいで夜が明るくならないように、星の数を管理している君の主人と同じでね。君が僕を案じるのであれば、僕は星を砕く君の主人を案じなくてはいけない」

「まあ、それもそうか」


 人の死を見送る者と、星を砕く者。己の役割を果たした時、双方の心は実に寂しいものだろう。


「……精霊とは、この世で最も世界に縛られているのかもしれないね」


 自分の主人を思い出しているのか、賢者はフンと小生意気に鼻を鳴らした。

 賢者は良い。簡単なことで死んでしまわないから。時間に限りがないから。

 己が何者だったのか見失っても、結局は人らしい。


「そういえば、乙女の左頬に向かう途中で猿型と妖精が共に居るのを見掛けたぞ」

「へえ、珍しいね」

「嗚呼。僕には分からないが、アレは人の成れの果てだったんじゃないかな」


 人の成れの果て。どうも最近、そのような存在に出会った気がするな。


「髪や瞳の色はなんだった?」

「あの時ばかりは馬に乗っていたからなあ。……黒髪に、焦げ茶色の目だったんじゃないかな」

「しっかり見ているじゃないか」

「そりゃあ、()()()をする素振りがないか見ておかないといけないだろう。これでも僕は賢者なのだから」


 ははぁ、黒髪に焦げ茶色の目ね。

 朝、綺麗に剃っているために引っ掛かりがない顎を人差し指と親指で撫でる。

 何度も生まれ直している人の子と興奮する彼女を引き留めた六枚羽の小さき妖精。あの子達に違いない。


「あの子は悪さをしないよ」

「なんだ、知り合いか?」

「そんなところ。嫌われているだろうけどね」

「僕と話が合いそうだな」


 人が残念そうにその人物から嫌われていると話しているのに、良い顔で笑うんじゃないよ。本当に、性格が悪いんだから。

「あの子はあの子のままだからね。割り切るにはまだまだ時間を要するだろう」

「最近の生まれの子なのか」

「いいや、多分君と差異もないと思うがね」

「……へぇ」


 この頃になると、賢者の数は随分と減った。

 ヒイラギは久々の同士の生まれを喜んだのだろうが、あの子は未だ迷子のまま。

 誰よりも人らしく、誰よりも()()()美しき心の持ち主。

 そのせいで今日(こんにち)に至るまで悩み苦しんでいると本人は考えもしないだろうなあ。


「随分とドMだな」


 ドMって……。全く、変な言葉を覚えて、よく考えもせずに使って。仕方のない子だな。

 ……まあ、間違いではないのだろうけどね。


「しかし、どうして髪が黒いんだ。そんな昔の生まれなら僕のように髪は真っ白になる筈だろう。白髪染めでもやってるのか? 女の子だったみたいだし、そう言うものか」


 自分だって元は女の子だっただろうに、ヒイラギはすっかり何者でもなくなってしまっていた。

 此処まで己を手放すことができれば、あの子も悩まずにいられただろうに。


「あの子は長生きではないからね。人として決められた時間の中で生きて、そして死ぬ。産まれ直しって奴だよ。だから生成される体は君と違ってピカピカの新品って訳だ」

「髪と目は白いが肌はピチピチだよ」


 そういうことを言い始めると、もう若者ではなくなってしまうんだよ。

 そもそも、肌に至っては皮膚と呼べるものではないだろう。

 まあ、これを言うと煩いから追及はしないけど。


「もし会うことがあったら友達になりなよ」

「えぇ、無理だろう。急いでいたとはいえ、あの子達の直ぐ脇を駆け抜けていっちゃったからね。怖がらせてしまったかもしれない。それに見下ろしたのを睨んでたって思われたかも……。だってまさか、あんな所に猿型がいるとは思わなかったから仕方ないんだけどさ」


 ブツブツと”友達になれっこない”理由を呟くヒイラギの様子は――満更でもない。その一言に尽きた。

 素直じゃないなあ。


「君も元は女の子。女子会となるものができるじゃないの」

「じょし、かい」


 どんどん険しい表情になっていたヒイラギだったが、目を丸めた。

 カフェでお茶をしながら"キャッキャウフフ"と色々な話をする、これを女子会と言うのだろう?

 これはこれは、もう一押しかな?

 星を射抜く精霊もそうだが、ヒイラギは新しいことが好きだ。精霊と賢者なのに。


「話が合うだろうか」


 深刻そうな顔をして顎を擦るヒイラギに、嗚呼、と心の中で落胆した声を漏らす。

 それはどうかな。こんな性格だからな……。


「長生きしている者同士、それなりに合うんじゃない?」


 二人が楽しそうに話をしている光景が思い浮かばない。しかし、私は適当に背中を押した。

 生真面目で繊細な人らしい筆。

 軟派に見えて何者でもなくなったヒイラギ。

 賢者とは人と精霊の中間に立つ者だが、妖精の次に残酷で恐ろしい存在といえるだろう。

 精霊はこの世界を統べる者であり、世界そのものである。自然に仇名すのは人ばかりで、過ちは繰り返される。


 ヒイラギが己を精霊の使用物と考えるのと同じように、賢者とはどちらかと言うと精霊側の人間なのだ。


「まあ、また出会えたとしてだ。もし友人になれたなら、貴様の誤解を少しは解いてやろう」

「それはありがたいけど、どういう風の吹き回しだい?」


 ヒイラギの白い髪は雲のように柔らかく、風に吹かれる。経年により混濁した白っぽい目は楽しそうに弧を描いていた。


()()()()()()であっても、貴様はこの世界にいなくてはいけない。貴様が生まれたことで、これまでの迷える魂は正しい場所に還ることができるようになった。その者が人の成れの果てというのならば、その誤解を解いてやるのも良いと考えたまでだ」


 友人は「決して女子会をしてみたいとか、そんなことではないぞ」とふんぞり返る。

 だから、僕は人攫いの精霊って異名はないって。

 そう呼ぶのは君と星を射抜く精霊くらいだよ。


 僕は体を出た魂にしか道を示せないから、どうしたってあの子の心を救ってやることは叶わない。勿論、同等であっても他の精霊が彼女に与えた悪戯の解き方を教えてやることもできない。

 悪戯も、呪いも、他者が関与するものではないのだ。

 ヒイラギとて、それは分かっているだろうに。しかし、会話とは、すればするほど実りあるもので、終わりなき者との話はあの子にとっても為になる。

 あの子は半分こっち側の人間だ。見放してしまうのは勿体ない。


 あの時、テンションが上がってしまったとは言え、随分とあの子を煽ってしまったからね。

 生きている者に指針を教えてやることは難しい。僕にとっては専門外だ。


「心配をするな。性格が合わないのなら女子会を諦める。しかし貴様も分かっていると思うが、仇名す者も時として必要だぞ」


 白く濁ったヒイラギの目は何処まで先を見ているのだろうか。

 結局、僕と一賢者の考えだって交わることはない。

 寂しげな声に誘われるばかりの僕と、精霊や人々の為に常に何かを思案している者の考え方など同じである筈がないのだ。


 ――ヒイラギ。

 その葉には棘があり、時として小さな野の生き物や幼子を傷つけてしまうだろう。



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