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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第九章 美しき鳥の歌
41/63

第三話

2023.4/11 文章の見直しと漢数字に直しました。



 本日は実に快晴。

 森を抜けると眩い程の青が目に飛び込んできた。


 此処も随分と人里から離れている場所だったなあ。


 リゥラン達がそうしていた様に、フィーナさんとダンさんは見世物になるのを拒むように、森の道なき道を進んだ場所に住んでいた。

 人の目に触れない場所で暮らそうとすると、世界は随分と窮屈(きゅうくつ)に見える。


「此処まで来れば大丈夫です」


 大きなリュックを背負い直して一歩後ろを歩いていたダンさんを振りむく。

 彼の表情は日中でさえあまり陽が届かない森の暗がりのように、その顔に暗い影を落としていた。


「俺は貴女が描いた絵の様な顔をしていたでしょうか」


 森の入り口は木々が太陽の光を遮断(しゃだん)している為に辺りは薄暗く、森の外まで送ってくれたダンさんは野の獣が葉や木々から顔を覗かせて侵入者を見張るような顔をしてこちらを見ていた。

 フィーナさんの前では我慢していたのかもしれないが、もしかすると彼は二人の家を誰かに知られることが嫌だったのかもしれない。


「頼まれない限り生きている人は見たままのその通りに描いています」


 彼は何処か納得いかないような顔をしていた。

 何か気に入らない所があったのだろうか。

 例え彼の心中が晴れやかでは無かったとしても、フィーナさんと寄り添っている時のダンさんは幸せそうな顔をしていた。例え、私のいらぬ決めつけが寄り添う彼らの姿を無意識に美化したり誇張(こちょう)していたとしても、私自身は見た光景しか描いていないつもりだ。


「俺は彼女を愛しています」

「はい。充分に分かっています」


 少し俯いただけで彼の目元はすっかり影に隠れてしまった。森を出て陽の下にいる私と、森の木々の葉が陽を遮る中にいる彼では立っている場所の明るさがこんなにも違っていた。


「でも、それ以上に憎い」


 地の人と呼ぶにふさわしく、彼は森の守り人のような人だった。寡黙(かもく)思慮深(しりょぶか)い。彼と彼女は木とその枝に停まる鳥のような関係のようで、そんな彼が躊躇(とまど)いがちに絞り出した言葉の重みは計り知れなかった。

 悲しい言葉に私もつられて顔を(しか)める。


 そりゃ、そうだろうな。

 無意識に握りしめていたリュックの紐から力が抜けるように手を離す。


 何故、愛し合っているのに自分を残して飛び立つのか。どうして留まって欲しいという気持ちを()んでくれないのか。

 

 ……彼女は本当に自分を愛してくれているのだろうか?


 私が彼だったら、彼女にそんな気持ちをぶちまけていたかもしれない。でも、きっとダンさんは彼女を言葉の鎖で留める事はしたくないのだろう。


「それでも貴方の愛は本物なのでしょう。私は見た通りの姿を描きましたから」


 きっと彼が思い描く自身の姿は愛を語るような表情をしていなかっただろう。真実を描いたつもりでも、納得がいかなそうな彼の表情を見て私の問いかけは苦くてザラザラとした感情が飲み込めず、いつまで経っても舌の上で転がっていた。

 念を押す様に絵について話すが、やはり彼は複雑な顔をしていた。自分がどんな顔をして彼女を見つめているのか、それさえも不安だったのかもしれない。


「これまで何度も人生を繰り返して幾つもの人の愛情を見て来ました。不自由の中でも愛は健気に生き続けるのでしょうが、それは残酷なことであります。ダンさん。貴方はそれをよく理解しているからこそフィーナさんの羽は美しいままのなのでは無いでしょうか」


 青い実の話は彼にとって耐えがたく、残酷な話だったかもしれない。

 彼に無責任な希望を与えてこんな顔をさせているのは紛れもなく私だった。


「分かっています。……一つの命は一度の人生で終わらせるべきです」


 俯いていた顔を彼が僅かに上げれば瞳が透けてぼんやりと光る。

 分かっているがそれに納得が出来るかと言われたら出来ない、と言いたげな顔だ。

 

 私がそれを察していることも分かっているのか、ダンさんはそのまま口を閉じた。


 フィーナさんの自由を尊重することが彼女の幸せなのだと、そう納得することさえ怖いのだろう。納得して認めてしまえば自分は彼女に向ける愛を手放すことを肯定しているように思えるから。


「愛しい人を忘れてしまうことも耐えがたい苦しみですよ」


 先程フィーナさんが漏らした言葉を思い出す。


 彼だけが恐ろしいなんてことはない。

 彼だけが離れがたいなんて、そんなことはない。

 

 彼女を一番に知っている彼がフィーナさんのあの言葉の意味を理解出来ない筈がない。


 ダンさんはいよいよ辛そうに顔を歪め、片手で顔を覆い隠した。


「貴方は空が憎いのではないですか」


 巡り巡った唯一無二の恋人を憎まずにいられる言葉があるのなら、私は無責任な言葉を彼に贈ろう。

 どうか愛し合う二人が別れるその時まで、二人の愛が優しいものでありますように。


 空はただ在るだけだが、貴方達にとっての空とは愛しき人を奪う青。

 

 空と海。瞳の中にも青色は存在し、大地に花を咲かせる青色の花もある。

 私たちは青色に寄り添われ、抱かれながら生き続ける。


 己の目を奪おうが、一度知った色は脳裏に焼き付いて離れてはくれないだろう。


「そうですね……。俺はフィンを奪う空が憎い。何処までも広くて、何処までも自由な世界が憎いです」


 顔を覆っていた手の指の間から滑り落ちた涙が顎を伝い、雨上がりに草を伝って土をしんみりと濡らす様に薄暗い森に落ちた。


「だったら存分に空を憎んでやりましょう」


 自身の目元からもボロ、と一つの涙が零れた。

 

 ああ、ごめんなさい。私が泣くことなんてないのに、二人の行く末があまりにも悲しすぎて……。

 無許可に零れた涙を乱暴に手の甲で拭う。


「馬鹿野郎って。晴々としやがって、と悪態の一つを言っても良いでしょう。愛されるばかりが空の存在なのではない、と」


 私がクシャリと豪快に鼻背に皴を寄せて笑えば、ダンさんは顔を上げ、小さく深呼吸をするように肩を下げた後、可笑しそうに小さく噴き出した。


「えぇ、えぇ。……それくらい、言ってやりましょうかね」


 風でも吹けば良いものを。この時、森は静かであった。


「…………さて、彼女から貴方を独占しているのは如何(いかが)なものかと思いますし、そろそろ行きます」


 ベストタイミングを見つけられず、下手くそに別れを切り出す。彼もそれは同じだったようで、ゆっくり頷いた。

 

 私たちはこれ以上話すことがなかった。


 彼にとって私は羨望の存在だっただろう。

 希望の星だったかもしれない。


 しかし彼は青い実を探すことはしない。

 これは断言できる。だって、彼女はきっと直ぐに飛び立ってしまうから、今から探しに行っても彼女を引き留めるには間に合わない。

 彼女が飛び立ってしまえば青い果実は必要なくなる。彼にとってフィーナさんがいてこそ青い実の価値があるというもの。彼女が飛び立てば、もう家に帰ってこないことを知っているから、永遠の時を得てあの家に一人でいるなんて望んでいやしないだろう。


「どうか、お元気で」

「貴女も。せめて、良い旅路でありますように」


 私を羨ましく思えど、私の人生を想えば同情が湧いたのだろう。私に掛けられる精一杯の言葉なんてそれ位になるだろう。


 ありがとうの意味を込めてゆっくりと頷き、私は彼に背中を向けて歩き出す。


 ――リリン


 まるで私を励ます様に腰に付けている鈴が鳴る。

 どうして私を気遣うのか。可笑しくてその鈴を指の腹で撫でる。


 大丈夫。尽きぬ命というものは羨まれることなのだと充分に理解しているから。

 気が知れる貴方がそうやって気に掛けてくれるだけで今の私は救われているよ。


 少し歩いた所で見上げた空で一羽の白い鳥がお喋りをしながら森の方向に飛んで行った。


 さようなら。


 どうか貴方達の行く先は穏やかな終わりでありますように。

 なんて、人に願われてばかりのこの祈りを初めて誰かの為に願った。


「これは随分と複雑な気持ちにさせられるね」


 二人との出会いは私にとって非常に大きな変化をもたらした。

 それは少しずつ得ていた生きることへの疑念、雨の訪れを予言する太陽の縁を彩る虹の輪のようなぼやけたものではない。

 

 私の願いは誰かに願わせるような望みではないのだ。


 乙女の左頬にいる、自由を求めた馬型の青年に。

 カードの中の不自由なジョーカーに。

 大地に、西の空に、そんなことを願わせてはいけないような、悲しい願いだったのだ。

 

 それなら私はどう在るべきなのだろうか。

 このまま在り続けるのならば、どうしていいきたいのだろうか。



次回から第十章です。

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