表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第九章 美しき鳥の歌
40/63

第二話

2023.4/11 文章の見直しと、漢数字に直しました。

2022.12/20 一部修正いたしました。



 朝には朝の言葉を、昼には昼の言葉を、そして夜には夜の言葉を話さなくてはいけない。


 砂漠の向こうに在るといわれている国では言語を三つも分けて話すらしい。

 一つの国の中で言葉を分ける意味を考えようとも納得出来る答えを導くことは出来なかった。


 それは地位を区別するためか。

 いいや、その国は王様だろうが三つの言語を話す。


 外からの敵がやって来た時に備えるためか。

 いいや、戦いがやってくるその前から言語は三つに分かれていた。


 では何故その国の者は朝には朝の、昼には昼の、夜には夜の言葉を話すのか。


 それは、”そういうものだから”。


 熱を持った月が凍てつく砂漠を見守っていた。

 太陽の踊り子は季節を祝福し、技巧が認められた装飾師は何度も銅を打ち、農家や料理人は季節と天気と共に国の者の体を作った。


 人々の願いや祈りは羊飼いの針子が妃にその声を届けた。


 その国の在り方は”そういうこと”、”そういうもの”を体現していた。

 人々もまた、決められた役割の中で生きてゆくことが幸せだと疑わない。


 決めつけられることが不幸なのか。

 選択を得られることが幸福なのか。


 私はその答えを見つけることが出来ないでいる。



 

 完成した絵を見て二人は同じ顔をしてほぉと息を吐いた。

 その様子が可愛らしくて私はコッソリ笑ってしまった。


「凄いわ。私、自分を描いて貰うなんて初めてだからとっても嬉しい」

「うん。凄く素敵だ」


 絵に顔を近づけては離し、絵を指し互いの絵を見比べ二人は楽しげに笑いあっていた。

 こんなに幸せそうなのに、離れ離れにならなくてはいけないものなのか。


「私、この絵を見ていればダンをずっと覚えていられる気がする」

「本当?」

「ええ、ええ。そうよ、もし名前を忘れても、ああ、名前は後で裏にでも書きましょう。ダン、私は貴方を忘れないと思うわ。貴方を想う気持ちだけは忘れない。この家への行き方を忘れてしまっても、永久に」

「うん、うん」

「迷ってしまった時はこの家に辿り着いてしまう気がするのよ、わたし」


 羽ばたきを止めることは叶わず、フィーナさんが彼を忘れてしまうことは決定的らしいがそれで暗闇を浮かべたダンさんの瞳に希望の光が射したように見えた。

 

 私の絵が彼の希望になってくれたら良いなと思っているから都合良くそう見えただけなのかもしれないが……。


「本当にまるで息をしているみたいだわぁ……」


 絵を(かか)げてフィーナさんはポツリと呟く。嬉しそうに、楽しそうに声は弾んでいる。


「お二人は、人が人を忘れる時、どこから忘れると思いますか」


 私はいつの日かあの青年に投げた問いを、今度は二人に投げかける。

 突飛なことを言う私を絵を持ったまま二人は顔をあげてこちらを見る。


「顔かしら……」

「ぬくもりかな」


 もしかしたら二人の中に正解があるのかもしれない。

 でも、案外姿やぬくもりとは小さな欠片として残っている気が私はする。

 

「声、だと思いませんか」


 フィーナさんは「声……、なのかしら」と呟き、自分の唇を指の先でなぞった。


「次は目の色、手、ぬくもり。どんどん思い出せなくなる」


 私の母や父、兄弟の顔、夫の顔、子供の顔には(もや)が掛かっている。

 私の名前を呼ぶように口が動いているのに聞こえない。それはまるで水の中に沈んでしまっているような視界と音だった。


 ……そう、私は既に自分の力だけでは家族の顔も思い出せやしない。

 薄情なものでしょう?

  

 服の内ポケットに入れている手帳を服の上からそっと触れる。

 やはり忘れていく側も耐えがたく、酷く寂しいものだと思うんだ。結局、どちらの方が辛いかなんて他者が真意を図ることは出来ない。


「それなのに向ける愛は変わらず、寧ろ大きくなる厄介なもの」


 唯一わたしが覚えていたこととは、触れていた温もりの優しさだけ。

 ただ沈んでいる筈の私の肌は、心は、家族の温もりを忘れないでいてくれた。それは、そう思いたい私の錯覚なのかもしれないけど、そうであって欲しいと願わずにはいられない。


「愛とは残された者からすれば大切だけど厄介なものなんですよ」


 ねえ、フィーナさん。

 もしも、もしもダンさんが貴女の羽を()いでまで貴女をこの家に留まらせたら、そうしたら彼のことを嫌いになってしまうのかな。

 私はね、そんなことはないと思うの。

 酷い裏切りだと悲しくなるかもしれないけど、貴女はきっと結局は仕方ない人ねって笑う人だと思う。

 貴女は空に帰れなったのなら、それはそれで今在れる生き方を受け入れる。貴女にとっての空とはそんなものだから。でも、選択が出来るのであれば貴女は空と共にいようとする。鳥型の本能がそうさせるのだろうか。”たかだかのもの”になり得てしまう。

 でも、ダンさんはきっと違う。

 私は彼と同じ猿型だから分かるよ。痛いほど分かってしまう気がするの。

 きっと貴女を手放した彼はね、夜は眠ることが出来ず、太陽が(のぼ)り漸く安心して眠りに就けるようになる。でも小鳥の(さえず)りを聞けば貴女が戻って来たかと直ぐに飛び起きて窓を開けて。彼は私の描いた絵を抱きしめながら、一日の殆どを空を見上げて過ごすことになるでしょうね。

 貴女が自然に在ろうとすることで、貴女の愛する人はきっと自身の影の中で生きることになる。眠れない夜を土に還るその瞬間まで、そうした生活を続けるんだよ。


 それは私が得た永遠と似た苦しみでしょうね。

 だけど、どんなに訴えかけても、貴女は大切にしていた小鳥を手放すことの難しさをきっと理解が出来ない。貴女は留める側の人になることはないだろうから。


 だから、ダンさんが諦めるしかなかった。


「……君が話す青い実が本当にあるのなら、俺はフィーナと共に分け合って生きていきたいよ」

「ダン」

「俺はこの世の摂理(せつり)に外れてしまっても君がいるのなら、君と生きていられるのなら、それだけあれば良いんだよ」


 彼女は彼の愛の深さを知り得ることは出来るだろうか。

 悲鳴を上げている彼の心を正しく理解してあげられるだろうか。


「駄目よ、ダン」


 川のせせらぎのように耳触りの良い優しい声が残酷に彼の精一杯を否定する。

 優しげな川はあまりにも冷たくて触れた指先を凍えさせた。


 どうしたって愛は彼らを祝福してはくれないのだろうか。

 これまでの時間だって偽りなく幸せなものであり、これからだって(こす)れることもないだろうに。共に歩むことが叶わない愛する人の幸せを願うことは、どんなに苦しいことなのだろうか。


「……そうか。駄目か」


 彼らの愛は交わることはない。

 愛の向く方向は同じなのに、生きる道は交わってくれなかった。

 幻想的な彼女達は動物に近く、私達からは遠かった。こんなにも近くにいるのに、それなのにだ。

 彼女は彼の悲しさや寂しさを受け止めない。暗がりに立ち尽くす彼を振り向きもせず置いて行こうとしている。


 無邪気を浮かべる笑顔が私に向く。


 「ねえ、もしかすると私が飛んでる時に貴女を見かけるかもしれないわね。その時は、ごめんなさい。もしかすると貴女のことを覚えていないかもしれないけど。でも、手を振ってくれたら、きっと私は手を振り返すわ」


 美しい人はまるで歌うように彼のいない未来を話す。


「良いのです。元々、私達は交わらない存在でしたから。貴女は本来あるべき姿に戻るだけですもの」


 暗い顔をして視線を下げてしまうのは私とダンさんだけ。

 猿型の私達が欲深いのか。愛を鎖で繋いでいようなんて檻に入れてしまってしまうだなんて元々この世の摂理を外れていたのか。


 それとも手放すことも愛だというのだろうか。


 嗚呼、なんて顔をしているのだろうか。

 この時まで二人は対比するような表情をしていた。


 そっか、彼女にとっては手放すことも愛なのだろうね。


 世界に蔓延(はびこ)る皮肉にどうしようもない気持ちになって拳を握り締める。納得が出来なくても、納得したフリをしなくてはいけないことが沢山ありすぎるんだ。……そればかりだと私たちは簡単に絶望してしまうよ。


「愛は不滅よ。例え私がダンを忘れても、今、この瞬間に私がダンを愛している事実は変えようがないもの。筆が描いてくれた絵は私がダンを正しく認識して正しく彼を愛していた証明。記憶が砕けてしまっても、愛は、愛だけは確かにあるわ。これからも。緑の星に還っても」


 彼女は残酷なまでに優しく微笑む。

 羽ばたくことが使命であり、自身の存在意義なのだと(うた)う。

 仕方ないことなのよと言い付けて愛する者を置いて行こうとする。


 人と天使の恋は実らないとは、なんて本に書いていたのだったか。

 どんな物語でも彼と彼女の愛は引き裂かれてしまう。それが悲しい。


「それにね、これはダンへの当てつけよ」

「え?」


 睫毛(まつげ)の一本一本ですら繊細な彼女が初めて声を水面に浮かべた。


「貴方を失う恐怖が私にはないとでもお思いで?」


 目の前の美しき鳥は恋人を独りきりにして飛び立つ。

 彼女を引き留める為の手持ちのカードは私達には持ち合わせていやしない。


 当てつけだと言った彼女の言葉を彼はどう思ったのかは分からない。しかし、私にはその言葉が精一杯に彼女が彼に掛けた呪いのように思えた。


 悔いていないと思わないで。


 これから彼女を失った彼は白き羽を見ては彼女を思い出し、空を眺めては恋人を思い出すのだろう。

 

 

 そうか。そうだよね。

 容姿のみが違うだけで、彼女も、私達も、同じ人間なんだ。


 私たちは己の力ではどうしようもないことに怯えて、悲しむ生き物だ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ