第一話
2023.4/11 文章の見直しと、漢数字に直しました。
2022.7/27 第九章1~3話 ルビ等の見直しをしました。
誘われるように訪れた先で美しい情景を幾度も思い描いた。
雨が上がった後の水たまりに映る水色の空。
筆を濡らした水彩絵の具を浸けた薄付きをした水。
爽やかに撫でる風に踊る繊細なレース。
美しい情景は頭の中で繰り返し思い出してもその姿は美しいままで、たとえ時間の経過と共にセピア色の思い出になったとしても特別な宝石箱の奥に隠して、いつまでも忘れることも出来ないまま私の心の中に在り続けるのだろう。
「もてなすことも出来ずにごめんなさい」
「何か必要な物があれば俺に言ってください」
体を寄せ合う美男美女は傍から見れば微笑ましいだろう。
しかし大きな鳥籠に入れられた女性とその鳥籠の外から彼女に寄り添うようにして座る男性というのは果たして普通と言えるのだろうか。
愛しげに互いの手を取り合う二人の姿のおかげか異様な空気が少しだけ誤魔化されているようであった。私が感じている感情は背徳感、それとも理解出来そうにもない美しきものへの畏怖か。これまでの経験を思い出そうにも役に立つとは到底思えなかった。
二人が寄り添う絵を二枚描く。
それが今回私が受けた依頼。
女性は頭部も耳も顔の際までも柔らかな羽に覆い尽くされていて、その間から見える顔立ちは酷く美しいのだと暗い部屋にいても良く分かる。
そして腕は狭い檻に留まるように縮こまった大きな羽と融合されていた。
「もしかして驚かせてしまったのかしら」
川のせせらぎに耳を傾けるような透明で優しい声。
一方の男性が私に向けた視界は控えめで警戒が含んでいた。光と影。二人の姿は対比的であった。
「ひとつ質問をしても宜しいでしょうか」
「どうぞ」
柔らかそうな羽がその先端を尊げに白く輝かせている。
どの角度で見ても煌めいていて描く準備をするのも忘れて美しい姿に呆けてしまいそうになった。
「貴女は天使と呼ばれる人なのでしょうか。昔読んだ本に出てきたのです。鳥の羽が生えた美しい人。天に使える神聖な人がいるって」
私の言葉に二人は分かりやすく目を丸め互いに見つめ合い、小さく笑いあった。
その一つ一つの行動が美しく見えた。
思わず甘い溜息が出てしまう程に神聖な彼女。そう。昔読んだ本に描かれた天使という人々も絹を纏い、穏やかな笑みを浮かべていてとても美しかった。
「私は人間ですよ。鳥型の、人間です」
鳥型の人間。生物名を聞いて物語の中にいた彼女が漸く現実的に見えた。
……そうか、彼女も人間なのか。
リゥランと同じ。私と同じ、人間。
幻想的な存在はまるで目の前の光景をおとぎ話の中に迷い込んだと錯覚させるものだった。
目の前の彼女は私が良く知る天使の姿にそっくりで、馬型の青年に出会った時も同じように神聖な気持ちになったものだ。
「私の様な者に会うのは初めてかしら」
目を細める彼女に萎んだはずの緊張が膨らみはじめる。私はそれを拭うように首をゆるりと横に振った。
これからその姿を描くというのに画家がモデルの表情を曇らせてはいけない。
「いいえ。以前、馬型の青年に会ったことがありまして……」
「まあ、馬型の。彼らはよっぽどのことがないと猿型の前に姿を現さないと思っていたのだけど」
「彼もそう言っていました。魚型の方から私の存在を耳にしたそうで、依頼を受けたのです」
「そう。なら、貴女に依頼をして良かったわ。ね」
「あぁ」
滑らかに話す女性の言葉を愛しげに聞いている男性がうっとりしたように肯定した。
彼の瞳はこの世の全てこそが彼女であると言いたげに蕩けている。
「お二人は恋人なのですか」
「そうよ」
暗くした部屋に蝋燭に火が灯り、美しさの中に不気味な気配を感じる。
恋人なのに何故一方が鳥籠に入っているのか。
頭の中をずっと支配している好奇心を振り払うように小さく首を振る。浮かんだ疑念は私が踏み込んではいけない領域だと思ったから。
彼女達がどのような存在で在っても私のお客さんには変わらない。私は私が出来ることをやるだけ。ありのまま描いて欲しいと言うのならば、二人の姿をそのまま描くのみ。
「部屋は暗すぎない? 描きにくくないかしら」
「問題ありません」
夢から覚めるようにもう一度頭を振って余計な思考を振り払い、漸く私は彼女達を描く準備を進める。
先程から殆どの会話をしてくれているのは女性の方。男性の視線はいつまでも女性に向けられ、そして時折辛そうな表情が浮かべていた。
そのままの姿で描いて欲しい、か。
「楽にしていてくださいね」
「はい」
男性の表情が気になったが生きている人の要望を聞いて描くだけなら、これまでとは違って心の奥底を暴こうとしなくても良い。
彼女達はただ、自分達の絵を描ける画家を探していただけに過ぎないのだから。
鉛筆を持ち、キャンパスに向き合う。白いキャンバスはゆらりゆらりと揺れる蝋燭の灯りに照らされて夕方に見える凪のようだった。
ザッザッザと鉛筆を擦る音と聞こえない位の声で囁き合う二人の声が聞こえるだけの暗い部屋。その空間の中で一際時計の針が進む音が大きく聞こえた。
天使のように美しい鳥型の女性に劣らない程これまた美しい男性。
二人の姿は何処か危うく感じた。
バランスを見る為に彼らに向けたデッサンスケール。小さな枠に収まる二人は既に絵画のようであり、やはり現実的では無かった。
まるで何処か二人しか行けない場所に行こうとしている様な脆さがこの部屋には充満していた。
異質な光景にあてられて不安がった私に気が付いたのかベルトループに付けた鈴がリン、と控えめに鳴った。
その音にハッとして鉛筆を指に挟んだ手で鈴に触れる。風の妖精が安心させてくれたのだろう。ありがとうの意味を込めて私は鈴をひとつ撫でる。
ハッピーエンドを迎える物語だけが意を唱えるだろうが、愛し合う者が辿り着く場所がどのような場所であろうが当人たちは幸福なのだろう。どんなに他者が悲しもうが、してやれることの少なさといったらないだろう。
白銀の羽を体中に纏った女性を白と例えるなら対比して男性は黒。癖毛の黒髪を一つにまとめ、長い睫毛が目元に影を作っていた。彼自身が彼女の為に作られた影そのものようであった。
二人は白と黒の、まるで交わってはいけない存在同士のように見えた。禁断の恋とでも言えばロマンチックに聞こえるだろうか。しかし、この二人の影はあまりにも朧げであった。
そう、先程から頭をよぎっている言葉。
まるで二人で心中でもしようかと考えているようだと、私は嫌な気配を感じていた。
「貴女、辛そうに絵を描くのね」
二人の危うさに心がザワザワしていたからか、それが顔に出てしまっていたのかもしれない。
まるで私の緊張を解く様に穏やかに彼女が声を掛けてくれた。
「鳥って三歩あるくと忘れてしまうと言われている言葉はご存じ?」
「えっと、ニワトリの話でしょうか」
「ニワトリ限定なの?」
「私はそうなのかと思っていました」
「ふふ、そう。でも、そうね。そうよ。流石に三歩では忘れないけどね」
男性が「フィーナ」と女性を窘めるように呼ぶ。彼女を示す音ですら美しい。
「いいのよ。この人、ただの猿型じゃなさそうだし」
リゥランも話すまでもなく私の異質さに気が付いていたが、彼女もまた私の意違和感が見えているのかもしれない。
夕方のオレンジ色に染まる紫色に小さく飛沫を上げて大きな尾ひれが消える。
私が異質な者だから彼女は絵の依頼をしたのだろうが、それもまた誰かから聞いた風の噂だったのだろうか。
あぁ、私の人生こそおとぎ話みたいだね……。
「私ね、飛び立つことにしたの。この人の元を離れて」
唐突な言葉に何度か瞬きをして彼女を見つめる。
これは二人の別れの話なのだろうか? 男性は彼女の話に口を挟まず、ただ静かに座っていた。
あんなにも愛しそうに寄り添っているのに彼女の言葉に納得できているんだろうか。
「この人を愛してるのに。私ね、私達は、空にいるべき存在だから。だから仕方ないのよ」
片方の重なり合う二人の手の上にフィーナさんがもう片方の手を重ね、男性の手を優しく撫でる。励ます様に、宥めるように、慈しむように彼の手を撫でていた。
「鳥型は忘れっぽい性格をしているの。朝ご飯だってすぐ忘れちゃう。でもそれはそれで良いのよ。お腹が痛くないのだからきっと美味しい物を食べたはず、そう思えば困ることは何もないんだもの」
お腹が痛くないから変なものは食べていないだろうと思えるのは凄い。
「でもね、この人は違う。私はね、この人を忘れたくないの。絶対に忘れたくないから、だから貴女に私達の姿を描いて欲しいと頼んだのよ」
歌うように話していた彼女の声が初めて揺らいだ。
その声と優しく微笑む表情が矛盾していて、その姿に胸が締め付けられた。
それでは、その絵を見て恋人を想い続けるのは男性だけなのでは無いのでしょうか。……なんてことは言えなかった。
彼女はそれすらも理解しているような顔をして、希望を捨てず、愛を解放することも出来ないまま自由さえも手に入れたいと願ってしまったのか。
「狂いなく、私たちを描いて? ね」
彼女の言葉はあまりにも残酷で、私は返す言葉を見つけることが出来なかった。
出来る限り応えるようにして僅かに口角を上げて頷けば彼女は安堵した様子で両手を自身の胸に置いた。
紙を擦れば黒が滑る。蝋燭の灯りに照らされる黒鉛はどんな暗闇よりも優しい黒色をしているだろう。
この時を刻もう。彼女達の過ごした時間が、そしてその先を過ごす時間が優しいものであるように。
私が絵を描き終えれば二人には別れが訪れる。
なんて、あんまりな仕事を受けてしまったのだろうか。
溜息を吐きたいのをグッと堪えて眉間に皴を寄せればフィーナさんは私の心情を見透かすように少しだけ困ったように笑った。
どのように二人が出会ったのか、どのようにして二人が過ごしていたのか、今回、私は多くを彼女達に聞くことを躊躇した。
生者の心を汲み取り思い描くことはどんなことよりも難しいものだ。
ただただ、私は聞こえない位の声で囁き続ける二人の声と鉛筆の先を擦る音と、大きすぎる時計の針の音が聞こえる暗い部屋で手を動かし続ける。
二人の姿は美しい天使を捕らえてしまった人間の姿にも見えるし、自らを逃がさないように自らを管理させている天使にも見えた。
結局のところ、フィーナさんが人間なのだと言われても私には彼女の姿は神聖的であり、非現実的であった。
二人が心の底から愛し合っていることは見て分かりきっているのに、それでも羽を持った鳥は空を愛してしまうのだろうか。この家を、己が愛した男性を。その美しい羽を休める木の枝にも出来ないのだろうか。
清らかで情緒が激しき大空。この先この愛しい家を出れば青い孤独が広がっているだろう。
長い時間を一人ぼっちで過ごすことになってしまうかもしれない。暖炉の炎が灯る暖かい家と違いその身や羽は雨に打たれるかもしれない。そして濡れた羽が重くて、飛ぶことがままならず地に落ち、土に汚れ、最悪息絶えてしまうかもしれない。
それでも、彼女は飛び立ちたいのだろうか。
嗚呼、ああ。
私はそれを聞くことは出来ない。
私はただの画家。
他者の決意にも、希望にも、人生の岐路を変えるようなことは聞くまい。
無遠慮に踏み込む者の所業とは、花壇の花を踏み荒らすと同等だろう。
蝋燭の火の揺らめきが鉛筆の筆跡をキラキラと輝かせていた。
絵は素直だ。知識や技巧を得た描く者達の思いに答えてくれる。画家の気持ちさえも映し出す絵の世界の方がよっぽど単純だ。
忘れてしまう者は楽かもしれない。私は残されることの辛さを良く理解出来る。
しかし、声を震わせた彼女はどうだろうか? 彼女は忘れることを実は恐れているのかもしれない。愛しい人を忘れることへの恐怖がない生き物には見えなかった。
それでも彼女は空を飛びたいのだろう。
鳥は空飛ぶために羽を持った。
柔らかな羽は白銀に輝き、太陽や月の光を纏い広大な世界を羽ばたく。
僅かな光しかない暗い部屋では太陽がどの位置にあるのかすら分からない。
時間はおまけ程度に壁に張り付いている時計の針が教えてくれた。
此処はなんて穏やかな空間だろうか? 私はこの異質ともいえる場所が、彼女の旅路を想えば想う程に酷く優しい場所のように思えた。
下描きを終えて筆を握る。
描くことを知らぬ者が見たら適当に見える様な手さばきでキャンバスの全体を塗っていく。
二人はこのような暗がりの中にいるよりも白い部屋にいる方がしっくりくる気がした。それもただの真っ白では無い。僅かな黄色、水色、青に近い緑色、ピンク。色々な感情が混ざり合うような柔らかな白のマーブル。何色も混ざり合う白は彼女の白銀の羽が良く映えるだろう。
彼女はその羽根で飛び立つのだろうか。
檻の中で窮屈そうにしまわれた羽を広げ、風にその身を委ね、嬉しそうに青い世界に飛び立ってしまうというのだろうか。
彼を一人、この家に残して。
「泣いているの?」
囁き合っていた声が私に向いた気がして顔を上げる。集中していた意識が浮上してゆく。
「私達を憐れんでくれるの?」
温かい涙が頬滑り顎を伝って落ちる。
暖かな夢は酷く残酷であった。頬を撫でるようにして涙は自身を離れていった。
首を横に振り、鼻を啜りながら目元を袖で拭えば男性が「目元が赤くなってしまうよ」と言った。
二人の声は何処までも優しい。それは生に対して枯渇した私の心の底に張る水面に鈍く落ちて、沈んだ。
「私には到底お二人の心を理解など出来ません。ですから憐みでは無いのです」
「では何故、貴女は泣いているの?」
「どんな形であれ、別れそのものが悲しいのです」
フィーナさんは首を傾げ、男性の目元にはより一層影が落ちた。
愛し合う二人だが抱く愛の捉え方は真逆なのだろう。
「……私は老いて死ぬことは出来ても、死んでしまった体から赤ん坊として産まれ直してしまう体質になってしまいました」
「まあ、それは呪いか何か?」
フィーナさんは華奢な手を口の前に添えて驚いたように瞳を見開いた。
「どうでしょう。……私には一つ心当たりがあります」
私は、もう、この事実から目を背けない。私は一人では無い。不安を押し込むように優しく鈴を握る。今は、彼が傍にいてくれる。それに私には他にも友人がいるのだ。
独りなんかじゃない。肩を組んだ孤独は私を抱擁することを止めた。
愛しい人と共に在れることがどれほど尊いことか、どうか知って欲しい。
それを少しでも感じて欲しい。もし、私の話を聞いて彼女の横に座る悲しげな男性に少しでも気を向けてあげられるというのなら、自分自身が鍵を掛けたパンドラの箱を開けてしまおうか。
「幼い頃、入ってはいけないと言われていた森に行き、その先で辿り着いた洞窟に入りました」
何十年、何百年経とうが忘れられない故郷の守での出来事。
「その洞窟の壁には銀色の蛹が敷き詰められていて、奥にはこれまた銀細工のように美しい花がありました。それで、その花には青い果実が実っていたのです」
「その果実を食べたのね?」
フィーナさんの口調は何処までも優しくて、ベッドに入って母が絵本を読んでくれている様な安心感があった。
しかし一瞬浮かべた表情は”なんてことを”と言っているようで、そんな彼女に向かって私はゆっくりと頷き「はい」とだけ答えた。
森で見た摩訶不思議で美しい物は見つめてはいけない、口にしてはいけない。リゥランはそう言っていた。
きっと彼女も似た様な教えを知っているのだろう。
「その果実を食べてから何度も生まれ変わっているというのですか」
「ダン」
「フィン、僕らは別れなくても良いかもしれないんだよ」
「駄目よ」
暗い顔をしていた男性が檻の中に手を伸ばしフィーナさんの肩を掴む。まるで希望を見つけたような、そんな顔をして。
フィーナさんは首を横に振り、先程まで重なっていた手を使って自身の肩を掴むダンさんの手を握る。その手のか弱さといったら……。
「私の羽は空のもので、私の命はこの世界に還すもの。そして貴方の命は地上のもの。貴方は爪先から踵までしっかりと地に足をつけ、何処までも歩き続け、そして限界を迎え、土に還らなければいけないわ。いい? ダン、異質な者になっては駄目なのよ」
命はこの世界に還すもの、か。
私はその異なりから外れてしまった。
私は一人だけゴールした後にスタート位置に戻ってしまう。
私は彼女の言葉に同意するように、ゆっくりと深く頷く。
「……フィーナ」
「ああ、あぁ、ごめんなさい。違うのよ、貴女を否定したい訳じゃないの」
「分かっていますよ」
ばつの悪そうな顔をしたダンさんと慌てて口を押えて落ち込んだ様子になるフィーナさんに私も首を横に振って見せる。
元々私が話し始めたのだ。二人が居心地悪そうにすることはない。
「私は幾度も人と人の強い繋がりを見て来ました。それはこの体質のおかげでもあるのですよ」
「……そう」
憂うばかりでは無いのだ。
ゆっくりと瞬きをすれば妹想いの優しい青年が瞼の裏に浮かんで消えた。
私は出会った彼らが心に在ることが嬉しい。
「……大切な人達は先に死に、置いて行かれるばかりの人生でした。だから、私はダンさんを置いて行こうとする貴女を理解することが出来ない。何故なのでしょうか? なぜ、貴女は飛び立たねばならないのですか?」
彼女は表情を歪めて私から視線を反らしたあと、再び私を見つめた。その強い意志を宿る瞳を見て残念な気持ちになった。
「私は空の為に在るからよ」
私は彼女の意志は揺らがないのだと悟った。
この世界は ”そうでなくてはならない”ことばかり。彼女の主張もまた、そうでなくてはならないなのだろう。
それなら、もう私からは何も言うまい。
決まりとた、理とか、この世はそればっかり。
私が自分を受け入れはじめようとしているのと同じで、彼女の生き様もまた納得を得ずともせざるを得ないことらしい。
「では、私の絵が貴方達にとって寄り添えるものであるようにしなくてはいけません。悲しい顔の絵画は、それはそれは悲哀なものですよ。……死ねないことは不幸なままですが、私のこれまでの人生は幸せでありましたから」
何度も死にたいと思った。
いいや、違う。今世で時を刻むのが最後であって欲しいと何度も願った。安らかに旅立ち、魂を家族の待つ場所に導いて欲しいと祈った。本当の死は私にとって優しいものだったのだ。
しかし様々な人に出会うと、その思いが少しだけ変化を始めた。
死ぬことがままならないなら、明るい道を歩める生き方を知りたい。きっと、私の心はそう願っていると思うの。
残りの生を空と共に在ろうとするフィーナさんも、愛する人が愛すべき場所で生きられるように堪えるダンさんの決断も、どちらも一等輝かしい光のようであった。
私のように二人に次があれば惜しむことはないだろう。
今世は共に最期を迎えようと言って、来世はこの家を出て一緒に旅に出ようと笑いあっていたかもしれない。
しかし一度きりの命だから二人はこんなにも互いを惜しんでいるのだ。
その愛は悲しくて、酷く美しい。
「泣かないで。泣かないで頂戴」
溢れる涙を頬を撫で拭うように美しい鳥は優しい歌声を奏でる。
「朝は朝の言葉を」
ああ、優しさの傍にはいつだって誰かの歌声が聴こえた。
星の煌めきが銀を奏でるように、いつだって暗がりのある場所では誰かが歌っていたのだ。
「夜は夜の言葉を話して」
暗がりの歌は慰めるように寄り添ってくれた。
心挫けてはいけないと背中を擦って。
「私達は月と太陽に導かれ、共に沈む」
絵の中であれば彼女たちを隔てる檻はいらない。
私の持つ筆が導かれる道筋を辿るように、絵の中に生き続ける彼女達を美しく描こう。
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