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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第八章 風の妖精
37/63

手紙が繋いだ縁 第三話

2023.4/11 文章の見直しと、漢数字に直しました。

2022.12/20 記号による表現を修正いたしました。



 貴女は僕の出自を聞いたらどんな顔をするだろうか。

 別の生き物だと思っていた妖精が元は貴女と同じ人間だったと知って、恐れるだろうか、気味悪がるだろうか、それとも絶望してしまうのだろうか。

 僕らの生き方とは、まるで貴女の産まれ直しを見ている様だとは思わないだろうか。


 しかしね、違うのだよ。僕はセコイアの葉と人の心が折り合いも付けることも出来ずに一つの(いれもの)を取り合っているが、貴女は貴女だけの心のままに在れるんだ。それがどれほど羨ましいことなのか、シズリ、貴女は分かってくれやしないのだろうね。


 リリィン、と音を立ててジョーカーから貰った鈴から出れば、シズリは汽車に乗りこんで予約を取っていた個室の部屋で窓際の椅子に座って(わず)かに(うつむ)いていた。

 僕が鈴から出て来てもシズリは口を開かない。

 分かっているさ。どうして僕が”導く者”について知っているのかを聞きたいんだよね? 普段は落ち着いている貴女が取り乱す程に恐れを抱いた、あの精霊の話を僕から切り出して欲しいのだろう。

 察して欲しいなんて顔をして、まるで子供の振る舞いみたいじゃないか。


「汽車で会った彼はなんて名乗っていたんだい?」


 ゆっくりと深呼吸をしながら窓の(ふち)に腰を下ろす。

 僕の言葉に反応するように複雑な顔をこちらに向けたシズリの顔には通り過ぎゆく木々や葉の影と、その間を通って部屋の中に届く太陽の光がまだら模様を作っていた。


「アスターと名乗っていたよ」


 思い出すことも嫌なのか彼女は眉間に皴を寄せる。


 シズリ、勘違いをしてはいけないよ。彼は貴女が思っているような存在じゃない。彼とどんな話をしたのかは知らないが、精霊とは意味を持たずに悪意を持って存在することはない。例え何者かの命を奪う時には必ず意味があるんだ。


「彼は魂を導く精霊だよ」

「魂、を?」

「そう。僕は面識はないがどういった存在か分かる。彼の周りには、いや、貴女が乗ったあの汽車には、汽車が見えなくなる程の救いを求める魂が集まって来ていた。それは、彼がどういった存在なのかを示すには十分な情報だった」


 ああ、そんなに怖がらないで。

 死とは誰にでも等しく、たった一度だけ与えられるものだろう?

 サァ、と顔色を青白くさせた彼女をみて、もっと良い言い方はないか考える。


「まず、何故精霊が汽車に乗っているのか、移動しているかについて。彼はね、自由なんだよ。森や海の中で生き続ける精霊とは違う。この意味は分かる?」


 ゆるりと首を横に振る彼女に今度は僕が眉間を寄せる。少しは頭を(ひね)って考えてごらんよ。森や海の精霊は何処かへ行くことがあるかい?

 まあいい。今回は特別に教えてあげよう。


「彼は魂を導く精霊、言わば死を(つかさど)る精霊なんだ。……死を恐れる者は死に追われるが、本来の死とはどこまでも自由なんだよ。死は選べる、死は場所を選べる。思い描いてごらん。自由とは選択出来ることであり、そして囚われないことなのではないのかい? 自分の死に(ざま)も、死に場所を決めるも自由なんだよ。シズリ、彼は人々にその自由を与え、そして魂が彷徨(さまよ)い、野ざらしにならないように還るべき場所を示してくれるんだ」

「でも、あの人は子供を(さら)って、それで……」

「彼が殺しているんじゃないかって、そう考えているのかい?」


 コクン、と頷くシズリはすっかり意気消沈している様子。可哀そうに。一人で行かせた汽車の中は、彼女にとって恐ろしい時間だっただろう。


 魂を導く精霊については僕だってあまり良く分かっていない。何ていったって話したこともないのだから。ただ、そういった役割を持った存在というのは彼以外にいるもので、彼らの与えられた役割は殆ど変わらない。赤い月の日以外であれば、導く者は何処にいても向かいに来てくれる。


「精霊は子供が好きだから、殺すなんてことはしていないと僕は思うよ」

「でもっ」


 僕の言葉に納得がいかない、とシズリが僅かに体を乗り出し力強くこちらを射抜く様に見つめる。

 通り過ぎゆく光が彼女の眼球を照らした時、懐かしいアーモンド色が赤色の星の瞬きを連想させるようにキラキラと輝いていた。

 その燃える光の輝きから目を反らしてしまいたいのに、彼女の瞳の色が無条件に愛しくて目が離せない。その瞳は、人の頃を忘れさせようとする未だ一つの器を取り合うセコイアの葉の魂を苛つかせてくれるのだ。


「私だって子供の頃の過ちによって、こんな、こんな目にあってるんだよ。……精霊が子供好きなら、どうして、こんな仕返しを受けないといけないと言うの?」


 悲痛に目を細める彼女は泣かなかった。酷く悲しげで、消えてしまいそうな声が、堪えるようなその姿に心臓がズキリと痛む。

 貴女の目の前に姿を現して、なんでも話をするようになって、僕の心は何度も何度も痛んだ。


 シズリ、貴女の傍は苦しいね。

 悲しい物語を読み終えたような、ぽっかりと心に穴が空くような悲しみが座り込む僕らを無理やり立ち上がらせるんだ。


「……彼は、絶対に命を奪わない」

「え?」


 彼女の小指程度のサイズになってしまった自身のあまりの小さな(こぶし)に力を入れる。

 貴女は僕の言葉に傷つくだろうね。貴女が妹を亡くした少年に言ったように、僕は貴女を傷つける者になる。


「貴女の悲劇は極めて稀。正しく森のみぞ知る境地。それは貴女が無断で果実を食べたことに由来する他に理由はないだろう。……謂わば、言いつけを守らなかった子供を懲らしめる為の術。この事は、そういうものであり、そういうことなんだと思うしかない」

「……そんな」


 声を震わせる彼女をこれ以上は見ていられない。でも、視線を反らすことも叶わない。僕らは目を反らそうが、悲しみの姿を見ずにいられる術を知らない。


「どんなに他の原因を探したところで、思い当たらないだろう?」

 

 ほら。そうやって、貴女は酷く悲しそうな顔をするんだ。そんなつもりはないのに傷つけることを言ってしまう。貴女にとってはあまりに残酷な仕打ちだろうけど、僕達にとってはなんてことはない。貴女が孤独に苦しもうが、それは誰にも理解されない。……そう思って、諦めて、詮索を止めてしまえば良い。

 手放しに受け入れてしまった方が楽になれる筈なんだ。だって、産まれ直しなんて、他に聞いたことがないのだ。


「だって、そんなの……、果実を食べただけなのに、あんまりだよ」


 遂に大粒の涙を零して、手で顔を覆ってしまった彼女を見つめる。

 可哀そうな人の子。人としか生きられないのに、その生き方は人の在り方とは遠ざかってしまった。


 まるで僕らの故郷を思い出すようだ。

 雲一つない晴れた日であっても体が温まることはなかった。僕らは必死に日向に出ようとしても、燦々(さんさん)たる太陽が温めるのは僕達なんかじゃないんだ。


「シズリ」


 彼女の名前を丁寧に、大切に呼ぶ。

 

 貴女の名前を聞いていると何処かの木の枝から雪の塊が落ちてドサリと音を立てるんだ。

 その音を聞いているとね、嗚呼、今日は温かいのかと思うんだよ。雪解けの音を聞いて、僕達は聴覚を辿り温かさを得ることが出来る。


 僕は友人のように、上手に優しさを伝えることが出来ない。沢山ある言葉の中から最善を選ぼうとしてしまうから、彼のように他者と真っ直ぐに向き合い、素直に思ったことを口に出すことが出来ない。今、それが酷く不甲斐ないよ。


 シズリは名前を呼んでも顔を上げてくれない。


「シズリ、……シズリ」


 嗚呼、もう、こっちまで泣きたくなってくる。

 世界とはいつだって残酷さ。

 僕だって、人のまま終わる覚悟であの森に足を踏み入れたんだ。こんなことになるなんて想像もしていなかった。貴女と出会えたことは幸福だったけど、それはこんな体になってしまったから。

 シズリ、貴女は違うのだろうか。貴女にとって、僕は僕が貴女に感じているような存在にはなれないのだろうか。


 頼むよ、顔を上げてこっちを向いておくれ。

 故郷を思い出させるそのアーモンド色の瞳で僕を見ておくれ。


「村の集会場にあるステンドグラスは、残っているだろうか」

「ステンド、グラス……?」


 言葉を返してくれたことに安堵する。どうか、僕を突き放さないで。


 その手を取って(はげ)ましてやりたいが、僕の手はあまりにも小さすぎる。せいぜい涙に濡れる貴女の睫毛(まつげ)を撫でることしか出来ないのだ。

 僕らの赤茶色を作るのは難しい。美しい木や木の実の色なんだ。

 ねえ、シズリ。どんなに寒くても、陽はステンドグラスを上手に照らすように傾いてくれるだろうか。


「アレは僕の力作なんだ」

「え?」


 下手くそに笑って見せるが、どうもうまく出来た気がしなくて徐々に口角は下がった。自分のことであるが、今の顔は”らしく”無かった……。

 予想もしていなかった僕の言葉に、思わずといった様子で顔を上げたシズリの真ん丸の瞳からは未だはらり、はらりと涙が零れている。その涙が痛々しいのに、彼女のアーモンド色に僕はやはり安堵(あんど)してしまう。

 母さんも父さんも、爺ちゃんも婆ちゃんも同じ色をしていた。村長も、転んだあの女の子も、みんな、みんな、どうしてか同じ色をしていた。

 

 僕らだけの美しい色だ。


「……村のことはよく知っているよ。貴女に手紙を届けるようになるもっと前から、ずっと、前から」


 涙を拭わないまま首を傾げる彼女はまるで幼子の様で笑いそうになるが、結局零れたのは溜息に似た空気だった。

 他の者の心には寄り添えるのに、僕の言いたいことは全く分からないのかい? それは、寂しいね。


「ねえ、シズリ。精霊や妖精とはね、赤い月の一滴から命を与えられることで生まれるんだよ。僕は人の肋骨(あばら)に落ちた一枚のセコイアの葉がその一滴から命を得て生まれたんだ。生まれたばかりの時はさ、もっと人の心があったよ。だって、命を得たのはセコイアの葉だけではなかったのだから。……ねえ、どうかな。もう、分かるかなぁ」


 無様に声が震えた。怖いよ。貴女に僕という存在を知らしめることが、心の底から恐ろしい。

 今更、僕を気味悪がる貴女を想像すると、もう、人としての心なんて持っていられなくなりそうだ。


「……僕はさ、僕は、元は人間なんだよ」


 シズリは想像通りに目を見開いて驚いた後、僕を(あわ)れむように顔を悲痛に歪めた。

 

 貴女なら僕の苦しみを理解出来るはずだ。

 だって、だってそうだろう? 僕らは産まれ直すことはないが、僕は死に損ないなのだから。


「もうさ、分かるだろ? ねえ。そう、そうだよ。その森に落ちていた人の肋骨(あばらぼね)は、元々僕のものだったんだ」


 貴女はアスターと名乗った精霊のことを聞きたかったのだろうけど、"彼とはそういった存在なのだろう”としか知り得ない情報をこれ以上話すことはない。不確かな情報しかないのに、実りのある話が出来るとは考えられない。では、他に何か話すことはあっただろうか?

 

 これは良い機会だった。いつ言えるだろうかと考えていたのだから。

 シズリ。僕はいい加減、自分とは何か、貴女に知らしめてやりたいよ。


「僕はさ、貴女の村で生まれ育った、ただの人間だったんだよ」


 最近、友人のカインは僕以上に”妖精らしく”なってきた。それがどれ程羨ましくて恐ろしいことか。シズリなら分かってくれるよね? 何者であるか自覚して生きたいと願うこの気持ちを、貴女は分かってくれるだろう? 何もかもを手放して、何者にもならずに生きたい気持ちも、貴女は分かってくれる筈だ。


「信じてくれるだろうか。貴女だけは、”私”を信じてくれるだろうか?」


 私だって泣いてしまいたいよ。しかしね、泣いても現状は何も変わりやしない。私は自分が泣くことに意味があるとは思えないんだ。でも、泣き虫な貴女を見ていると、どうしてか自分の涙を見ているような気がした。不思議な話だろう?

 人で在る為、友人に執着していたのに今は君の様な”子供”に執着しなくてはいけなくなってしまった。これが可笑しな話じゃないといってもね、とんだ笑い話だよ。


 君みたいな、君みたいな子供に(すが)っていなきゃいけないだなんて。

 なんだよ、それ。


「私はグレイノノルよりも、もっともっと前の時代を生きていた古い人間なんだよ。君よりも、うんとアンティークなのさ」


 信じられないと言いたげに口を尖らせる彼女の反応に、つい苦笑いが浮かぶ。

 他者からすれば、私達の存在は大きな価値があるだろう。今後の発展の為に聞きたいこと、試したいことがこの体には沢山秘めているのだろう。それは、とても恐ろしいことだよね。

 君は凄いよ。本当に凄い。ボロ雑巾のように小さな路地裏に転がっていた頃もあったのに、ただの絵描きの生き方に感動をして、今に至るまで腐らずに人の為に在ろうとした。そし、自分自身も己を見失わずに人らしく生きようとしているんだ。同郷の者のその生き様を見て、どれほど私が誇らしく思っているか。……君は知らないだろう。


「……貴方は、精霊の戦いに行ったご先祖さまなの?」

「そうなるね」


 青白く悲哀に満ちていたシズリの顔は健康的な色を取り戻し、頬の血色が僅かに良くなった。少し興奮している様だ。


「小さい頃からずっと聞いていたよ。お話にあったの。村を守ってくれた人たちの勇敢なお話。ずっとずっと、村に受け継がれているお話よ。ステンドグラスは建物を建て直す時に一度外されたけど、枠を()めて大切に室内に飾っていた。私達は、あの光に家族の健康や幸せを願うの」


 じんわり、と顔の中央に熱が溜まる。嗚呼、そんなことになっているなんて……。

 

 そうさ。硝子の色には願いを込めたんだ。

 家族の幸せを、友の幸せを、村の幸せを。みんなが永久に幸せであるように、祈りを込めて作ったんだ。


「……村長に新しいのを頼まれていたのに約束を果たせなかったから、気になっていたんだ。そう……、力作だったからね。シズリも見たのなら、それなら、良かったよ」


 もう、自身の失われてしまった彼女の瞳の色を羨ましげに覗き込む。

 涼やかな色をした今の色も"尖っていて"気に入っているが、やっぱり持って生まれた自分の瞳の色が一番しっくり来る。


「ごめんね。君が知りたかったことを充分に教えてあげられていないのに、こんな話の逸らし方をしてしまって。アスターについては会ったことがないし憶測でしか話せない。でも、精霊や妖精とはどういった存在なのか話すなら今だと思ったんだ。零れた魂が新たに命を得た存在、それが私達なんだって」


 シズリの涙は止み、頬には乾いた涙の痕が鈍く光っていた。


「貴方は人の頃が懐かしいの?」

「懐かしい、か。……あぁ、そうなるのだろうね。人の心は捨てるにはあまりにも勿体ない。しかし人の心を持ったまま長く在り続けるというのは、これまた耐えがたい。結局、私は一方に天平を傾けることが出来ないまま、ずぅっとチグハグに生きて来た」

「それは……」


 どうだろう、シズリ。

 今、君が私に言おうとしている言葉はジョーカーが君に言った言葉そのものなんじゃないかい?

 気まずい顔をしなくても良い。結局、何者かを見失わないように必死に生きている者の生き様はその一言に尽きるんだと思うよ。


 言うか言わないか迷って口ごもるシズリに対して、今度こそ呆れたような溜息が漏れた。

 仕方ない。君が苦しげに言い(よど)むのならば自分で言うことにしようか。他者にこの言葉を使うことは少々勇気がいるだろうから。


「まったく、情けない人生だろう?」


 理性なんて手放せば楽になれるだろうに、苦しみながらも人として生きたいと留まるこの執着とは、なんとも滑稽なんだろうか。

 しかし嫌なことばかりでもなかったんだ。

 友が繋いだ手紙が君と私を(めぐ)り合わせてくれた。

 そのおかげで私が在りたいと願う姿を今日に至るまで留めさせてくれたのだから。


「しかし、君といる今だけは、そんな風には言えやしない。言えやしないよ」


 12を指した時計の針。

 君は長針で私は短針。

 死ねないと言っても、君はちゃんと歳を取り、時代の流れに沿って生きている。

 ほら、長針の方が進むのが早いだろう? だから、君は長針。

 メンテナンスは欠かすことなく錆び知らず、鍵を巻くことをサボろうなんて考える者もいない。


 私たちは止まり方を忘れた時計の一部だ。



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