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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第八章 風の妖精
36/63

手紙が繋いだ縁 第二話

2023.4/11 文章の見直しと、漢数字に直しました。

2022.12/20 記号による表現を修正いたしました。



 人間の寿命は短く、男は共に看取られながら永い眠りに就いた。


「残念だ」

 

 男が年老いる頃には、彼を友と呼んでいたカインは自身が零した言葉通りの表情をしていた。

 残念、か。別にあの男は誰よりも早くに死んだ訳ではない。ただ、カインは人の寿命の短さそのものに落胆しているのだろう。


「最期を迎えるまで、変わらず世話を焼きに家を訪ねる友人がいたんだ。あの男も嬉しかったさ」

「彼と私の間柄はお前が思っているよりは淡白だった。私のことはそんなに気にしていなかっただろうよ」


 木の枝に胡坐(あぐら)を掻いている友人は自分の発した言葉によって更に気を落とした。

 そんな顔をする位なら自分を(ないがし)ろにするようなことを言わなければ良いのに。


「私は妖精になった時にお前も一緒だったことが嬉しかった。家族を失い落ち込んでいっただろうあの男もきっと似た様な気持ちだった筈だ。……お前の優しさはちゃんと形となって、彼に届いていたはずだ」


 男の家がある方を真っ直ぐ見ていたカインは振り返り切らないまま、横目で見るように顔を少しだけこちらに向け、静かに溜息(ためいき)をついた。


 言葉は刺繍や編み物のよう丁寧に紡がねばいけない。昔、祖母がそう言っていた。

 糸を引く力が強すぎても弱すぎてもダメなのだと。綺麗に並ぶ糸の流れから()れた一本をそのままにして完成をさせてしまれば、結局その一本が気になって、頑張って作った物の価値を自分自身が落としてしまう。自分が、まあいいや、と納得していても他者がその一本を見逃すとは限らない。編み物だって、一つ間違えて針を刺したまま進めば、横幅が狭くなり、不格好になってしまう。だから間違わないように、丁寧に、そして解けないようにしっかりと針作業はしなくてはいけない。

 祖母の言葉は何にでも当てはまった。料理をする時も、大工仕事をする時も、植物を育てる時も、そして人と話す時も、まあいいか、と投げやりにしてはいけない。投げやりにしたモノは壊れたり、枯れたり、離れて行ってしまうから。


 カインは少し不器用だ。しかし、例えば貰ったマフラーの網目が合わずに不格好だった物でも、一生懸命に作ってくれた物は柔らかな温かさを提供してくれるだろう。彼は何に対しても、誰に対しても、根気があって、真っすぐで、そして優しい。眠りに就いた男がカインに説得をされて手紙を書いたように、男が最期まで彼を友人と呼んでいたように、カインから一生懸命に紡がれる言葉の力とは大きいものだったに違いない。


 (しば)し沈黙を貫いたカインが落ち着かないように両手の指の先を押し合いながら、ゆっくりと口を開く。


「ちぐはぐな心がもう一度、人の為に在りたいと主張するんだ」


 人と精霊が争わなくなって、もう随分と時が経った。

 森に(あだ)なす人間を良く思わない一枚の葉の心は、少しだけ角が丸くなっているように感じる。しかし、だからといって人の心が身の置き場所を確保出来ていると言うわけでは無いのだが。


「彼の家族が郵便屋をしているそうでね、私はその手伝いをしたいと思っている」


 カインはいつだって突拍子もないことを言う。

 彼の驚きはどれも周りの人を喜ばせるものばかりだったが、この時の彼の言葉は喜びとは随分とかけ離れている気がした。


「それは無謀(むぼう)なんじゃないか」

「無謀だろうな」

「上手くいくか分からない」


 言葉では足りない気がして首を横に振って彼の考えを否定する。

 これまでだって、人間と妖精の交流が上手くいった話なんて聞いたことがない。


「種から野菜を作ろうとした時、誰も始めから上手に出来るとは思っていないさ。毎日、土や芽を出した茎や葉の様子を伺いながら無事に美味しい野菜が育つように、共に頑張るんだよ」


 丁寧に扱おうとしても、一方がその気がなければ対等な関係は築かれない。

 共存する為に力を貸してやっても、一方がそれを当たり前だと思い込めば、やはり対等な関係は築けない。

 心とは、針仕事や土仕事とは違う。努力が報われないことがあるのだ。


「もう、お前しかいないんだ。……自分が人に留まっていられる理由がさ、ラバル、私にはお前しかないんだよ」

「そんなこと、私だって同じだ」


 これは正当な執着だ。

 私達は私達以外を失くしてしまった。人々の中で私達は知る者はこの世界にはいないだろう。セコイアの葉の魂を未だ窮屈(きゅうくつ)にさせているのは、人の心であり、私はその心を今も、この先も大切に抱えていたい。

 家族を失い、恋人を失い、帰る場所さえ失った私達は、未だに人の頃の名前を忘れることが出来ず、この執着はちっぽけな意地の様なものなのだろう。


「もし、お前に何かあったら私は報復をしなくてはいけないんだぞ」


 珍しく声が震えた。

 幼子が親を引き留めようと袖を引っ張るような言葉しか出てこなかった。


 (ようや)く振り向いたカインは困っている様子だったが、それでも昔と変わらない顔をして笑っていた。


「お前がそんなことを言うのは珍しいなあ」

「これでもお前とは親しいと思っているからな」

「それはそれは、本当に、光栄なことだ」


 誤魔化すな、少し向きになって言い返そうとしたが私の言葉の意味をちゃんと受け取ってくれたのか、彼はゆっくりと深呼吸をするように小さく息を漏らした。


「言っただろう。やられ、やりかえすのは疲れたって」

「……それはお前が、だろう」

「ラバル」


 人里に行くなんて無謀だ。

 漸く人々と精霊の戦いがなくなったというのに。


 色々なことを(まく)し立ててやりたい気持ちがあったが、友人の酷く落ち着いた声に口を閉じる。


「私は人が好きだよ」


 彼の言葉に寄り添うように森の木々の葉が音を立てて波打つ。

 すっかり自分の色を失った彼の白緑色の髪の毛が、白露(はくろ)の輝きを(まと)って悪戯げな風に吹かれた。


 なんだ、森の木々や葉は彼の背中を押すと言うのか。

 この場に私の味方をする者がいないと気づいて落胆する。

 森は変化を求めず、ではないのか。なあ、すっかり仲間になった彼の新たな門出も祝おうと言うのか。


「上手いことやれて軌道(きどう)に乗ったらお前も来いよ」


 彼は不器用だ。

 私を説得させる程の言葉を用意もせずに無鉄砲に話を投げかけ、そして伸ばされた彼の手を私が最後には掴むと疑わないのだ。


 妖精の癖に自分達を殺しに来た人間を見逃し、更には世話まで焼いて。お人好しと呼ぶには少し違うかもしれないが、彼を言い表すにはそれしか思いつかなかった。


「馬鹿だな」

「え?」


 まさか馬鹿呼ばわりされるとは思っていなかったのかカインが間抜けな顔をして私を見つめる。

 そんな彼が可笑しくて私は笑いを堪えるように視線を男の家の方向に向けた。


「私には夢がない。それに人で在る為には、もう、お前と昔話をするしか手段が思い付かないんだよ。人への執着を留めておく為には、お前みたいに新たな夢を持つか、お前と一緒に行くしかない」

「でも、お前、そんな。それは……」


 危ないんだぞ。

 きっとそう言おうとしたのだろう。

 馬鹿呼ばわりしといてなんだが、カインだって本物の馬鹿ではない。私が安易に言っているとは思っていないだろう。


「……私も一緒に行ってやるさ」




 男の甥が営んでいる郵便屋は小さな町にあった。

 男の甥は私達の存在を特別視しなかったが、妖精としての申し出に若干の難色を示した。(いく)らカインと面識があったとしても、妖精と仕事を共にするなんて前代未聞の話だ。受け入れるには勇気が必要だっただろう。

 しかし仕事を始めてみれば、これまでよりも比べられないほど早く、随分と遠くにいる人々にも手紙を出せるようになったことは非常に役に立ち、少しずつ私達の存在は町の人々に受け入れられていった。

 勿論、気味悪がる者、憎む者もいたが、カインも私もそれは承知の上であった。何せ、この頃の年寄りは人々と精霊の戦いを身近で聞いていた子らであったから、妖精を受け入れられない者が多かった。

 

 それでも、私とカインは人の中で働き続けた。

 この時、久々に口に含んだシュガーの美味しさたるものも異常であった。


「少し遠いが、ラバルにはこれを頼めるだろうか」

「距離は関係ないよ」


 人である為に友人に着いて来たが、私の心は完全な妖精になりたがっていた。

 言動もあるがまま、感じるがままに随分と”無邪気に”なろうとしていた。人で在ろうとする理性が、その価値を疑い始めているのだ。


 ”私”と言っていた一人称は、この頃になると”僕”に変わろうとしていた。まるで子供のように話そうとする自分を戒める日々。

 そろそろ、私は完全な妖精になろうとしているのだろうか。

 人としての思考を失い始めて不安がる心をセコイアの葉の魂は、何を不安に思うことがある、と笑う。身を任せてしまえば悩まなくても良いのに、と。葉は時期が訪れたなら生い茂り、日々風に吹かれ、そしてまた時期が訪れたならば枝と別れて地に落ち、そして大地に還るだけなのだ。そうして大地の養分となって再び木の為に在ることが出来る。ただ、その繰り返しだとセコイアの葉は私に言い聞かせた。


 そんな毎日を過ごして、とうとう運命という時計の長針と短針が12を指す時がきた。

 男の甥に頼まれた手紙を持って風の気道に乗る。

 少し太い糸のような風の気道に乗ってしまえば移動なんてあっと言う間に出来てしまう。くるくると回転する体を上手に風に乗せ、目的に近づいた所で軌道から外れる。人の姿よりも身軽になった体はとても便利だった。


「森の反対側か」


 やって来たのはカインと私が産まれたセコイアの木が聳える森、の反対側だ。


「ここは相変わらず雪に(おお)われているんだな」


 緑が多い茂る森の真ん中を抜けて、視界は白銀色に変わる。

 手紙の受け取り主はこの森の奥にある村か。


「……うん?」


 どうしてか緊張した様に心臓が早まるが、理由を探す意味はない、とそれに気づかないフリをして目的地に向かって飛んでいれば、葉を落とした木の隙間から二足歩行の小さき者が必死に走っているのを見つけた。


 子供が一人でこんな森の奥に来たのか?


 まさか、人減らしではなかろうね。

 嫌な気がしてその小さき者の様子を伺おうと低い位置まで下りる。


 何度も靴を雪に取られながら、一生懸命に走るは人間の少女。

 例え人減らしだったとしても親の愛情は突き放す瞬間も、突き放した後も尽きないものだっただろうか。十分な防寒着を着ているのを見ると人減らしではなさそうか、と首を(ひね)る。では、何故この子供はこんな森の奥に居るのか。使いを出す用事もなかろうに。


 少女は自分の後ろに着いて来る妖精には気が付かない。ただただ必死に森の出入り口を目指していた。


「……この子は」


 (ようや)く森を抜けた私の視界に現れたのは、良く見覚えのある景色であった。


 静かな景色に似合わずバクバクと暴れる心臓を抑える為に片手で胸の辺りの服を握り締める。

 心臓は正しかった。緊張する訳をちゃんと理解していたのだ。


 どうして思い出せなかったのか。やはり、人としての記憶はもう、あまり残っていないのだろうか。

 突きつけられたその事実に、分かりやすく指の先が凍えた。


 此処は私達が息絶えた森の反対側。

 どうして住み慣れた環境から攻めさせてはくれないのかと疑問に思っていた。

 雪に覆われた土地で戦うことは難しいが、だからこそ慣れた者が配置されるべきだった。私達が守りたいものはこの場所の近くにあったのに。

 


 私達は冬の民。

 冬の寒さを凌ぐ為に羊を飼い、その毛を刈って暖かな衣類を作った。

 村の真ん中にはステンドグラスが飾られた集会場があり、そのステンドグラスは私が取り付けたのだ。昔、技術を持った人が村に訪れたことがあって、その人から技術を学んだのだ。それは穏やかで、平凡な村を鮮やかな光で癒したかったから。

 そして、その人から受け継いだ技術を同じように誰かに継承したかった。


 それが、私の夢だった。

 いつまでもあの優しい色とりどりの光が、村の人々を癒し、村を訪れる人を歓迎してくれると、信じてやまなかったのだ。


 そんな大切な夢を、どうして忘れることが出来たのだろうか。


 森の出入り口で動けなくなった私を置いて、少女は雪に覆われた道なき道に苦戦しつつも確実に前に進む。

 きっと彼女は自分の暖かな家に向かっているのだろう。


「……嗚呼、あぁ。…………そんな」


 溢れる涙を拭うことも出来ず、ただただ、私が自分を失いそうになる程の年月を繰り返した後も、変わらない姿のままあり続けている村の姿を見ていた。


 村はもうなくなってしまったと思っていた。

 だから、何処へでもいける羽を手に入れても、森の反対側に来ることが出来なかった。何もなくなった土地を見ることが、怖かったのだ。

 

 しかし年寄りと幼子しか残らなかった村は消滅することもなく存在し続けてくれていた。

 どうして、私は村に残った者達を信じることが出来なかったのだろう……。



 季節は冬。

 雪に覆われたその地域は酷く静かであった。

 誰かが外を歩けば、雪を踏みしめる音が辺りに聞こえるだろう。


 一年の殆どが冬である村では、太陽は昇るのが遅く、沈むのが早い。

 少女を追っていた時は夕方だった筈。どれくらいそこにいたのかは分からないが、気づいた時には辺りはすっかり暗くなろうとしていた。


 自身に風を纏うことを忘れた私の体はセコイアの葉が悲鳴をあげるように凍える。


「シズリ」


 手紙の受け取り主の名前を無意識に呟く。


 選択の余地は与えられず、帰ることは叶わないだろうと祖父母に別れを伝えて離れた我が故郷。

 この手紙の受け取り主も、その家族も、私達と同じ黒髪で、アーモンド色をしているのだろうか。


「……私達が守りたかった村の、子供」


 森から村に続いていた小さな足跡は降り止まない雪にすっかり隠されてしまった。相変わらず、此処は寒くて、美しい場所であった。


 雪は何者の足跡も残さない。

 それは、人であろうが、獣であろうが、妖精であろうが、皆同じこと。

 雪だけは私を何者にも留めない。それが、どれ程嬉しいことか。


「寒いなぁ……」


 雪が溶けて濡れるほど自身の体温は温かくはないだろうが、届けなくてはならない手紙だけを風で纏い雪から守り、自身は今はまだ、忘れていた懐かしい寒さを感じていたくて特別な事はせずに手を擦り合わる。



 数多の命を産む赤色の月が、煙突からモクモクと上がる煙を僅かなピンク色に縁取っていた。



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