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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第八章 風の妖精
35/63

手紙が繋いだ縁 第一話

2023.4/11 文章の見直しと、漢数字に直しました。

2022.12/20 記号による表現を修正いたしました。

2022.7/4第八章2-3 ルビ等の見直しをしました。



 妖精となって随分と時間が経った頃、一人の人間の男が森の奥までやって来た。

 男は私達の姿を視界に入れると興奮した様子で手に持った虫取り網に力を入れた。なるほど、アレで妖精を捕まえようとしているのか。それで、網で捉えた後に腰に付けているナイフで羽を切り落とそうって訳だ。

 あまりの浅はかな考えに私が溜息を吐くのと、一緒にいたカインが横切ったのは同じタイミングだった。


「ぐっ…」


 その刹那、男は胸を押さえて苦しそうに地面に膝を付く。

 肺が限界まで膨らんで、痛くて、苦しくて仕方ないのだろう。


 私は男の呼吸を支配した友の後ろ姿を黙って見つめる。


「本当に懲りない奴らだな!」


 怒りに声を震わせる友の声は聞くに堪えず、思わず眉間に力が入った。


 彼は人間に恋人を殺されてしまった。

 なんでも、人間が言うには妖精は万病に効く薬になるらしい(・・・・・)。細かく砕いて、羽根の先も残さず飲み干せばどんな病気でも治るのだと。

 カインは優しい。しかし、誰よりも人嫌いの妖精になってしまった。


 この男は、森に一人で来たことが愚かだった。

 そんな玩具みたいな道具だけ持って来たことが愚かだった。


 この森に足を踏み入れたことが、愚かだった。


 優しい友が怒りを(あら)わにして何者かに手酷くしている姿を見るのはいつまで経っても慣れない。

 きっと彼も同じことを思っていることがあるのだろうが。

 だって、結局私は彼を止めようとは微塵も思いやしないのだ。それは彼がしていることの肯定を示していた。


 ……ただ、私の怒りという感情はどうやら少し欠落してしまっているように思えた。彼のように瞬発的に体が動くはないのだ。


「どうした」


 膝さえ付いていられなくなった男が(みじ)めたらしく仰向けになり(うめ)く。


 そんな苦しむ男をカインはそれ以上痛めつける訳でも無く呆然とした様子で見下ろしていた。

 どうしたのかと、彼の隣に並んで戸惑う彼の視線を辿れば、倒れた時に胸元に付けていたロケットペンダントの小さな扉が開いていた。


「……嫁さんと子供かな」


 ポツリと呟いたカインの言葉に私は頷くことも出来ず、ロケットの中で笑っている女性と赤ん坊の写真を見つめる。

 

 人間は私達妖精が万病に効くと思っている。望む結果を得られないことに必死になって、その手を汚すことに躊躇(ちゅうちょ)しなくなってしまうなんて、人はこの世界で一番可哀そうで愚かな生き物だ。


「見逃すのか?」


 例えばこの写真の母子が倒れている人間の妻と子供であったところで、私達がこの男を見逃す理由になるのだろうか。私たちの羽を慈悲も無く奪おうとした相手を。

 

 はらり、はらりと葉が舞う中、友は一瞬苦しそうに目を閉じ、小さく深呼吸をした後にゆっくりと後ろに下がるようにして男から距離を取った。


 それが、お前が導き出した答えか。

 結局のところ、相手を傷つけようが傷つけまいが胸は痛んだ。選択をするということは無傷ではいられないらしい。

 

「かはっ……!」


 友のその判断はいつか後悔に変わることはないのだろうか。

 大きく震える手で喉を抑えて必死に呼吸を整える男を見下ろす。


「こいつがアリシアを殺した訳じゃない」


 久しく聞いた彼の恋人の名前に、私はやっぱり、と全く腑に落ちない気持ちになる。

 

 精霊を討ち取る為に始めてこの森にやって来たとき、彼女も私達と同じ部隊にいた。部隊をはぐれた私達は森の者に(ついば)まれ、最終的に血肉は大地に還り、そして新たに妖精として産まれ直した。

 友人のカインも人であった頃の記憶を失っていなかったから、もしかすると、アリシアも妖精になっているかもしれない、と必死に探したのだ。

 その彼女は妖精狩りに遭い、完全に体を乙女に還してしまった。


「もう、やられ、やりかえすは、疲れた」


 後ろに下がったカインを振り向けば今にも泣きだしそうな顔をして男を見つめた後、それ以上の言葉を発することなくふらりと体を翻して森の奥に帰って行った。


 彼はこの男を見逃すと判断した。では、私はどうしようか……。

 森の為に、他の妖精の為に、此処でこの男を仕留めてしまった方が良いのでは無いだろうか。だってこの先、逃したことを後悔しない、なんて絶対はあるのだろうか。


 私の不穏な考えを知ってか知らずか、男は朦朧(もうろう)としながらも大切そうにロケットを握り締める。


「……私達はお前達の病気を治す力はない」


 友はこの男個人に恨みはないと答えを出した。

 それは、私にも言えることだろう。

 命を背負うことは大きな責任が伴うことになる。どうも今の私にはその覚悟が足りない。


「この意味が分かったなら、もう家にお帰り」


 乱れる息は結局整えることが出来ないのか、肩を大きく上下しながら私を見上げる男は言われたことの意味をじっくりと咀嚼(そしゃく)したのか、状況を理解すると奥歯を噛みしめる様に顔を歪め、拳に力を入れてよろける様にして立ち上がり、彼もまた森の外に向かって歩き始めた。


「救いようがないな。……彼も、私達も、いつまでも報われない」




 あの男を見逃してから友の動向が可笑しくなった。

 基本、私達は夜を好んで活動しているのだが、どうも昼間に何処かに行っているようだった。


 太陽が真上にある時刻、友の元を訪ねてみればやはり彼の姿は無かった。

 今まさに何処かへ行っている様だ。


 そよそよと吹く小さな風の中に混じっている虫よりも細い光の糸は妖精が飛んだ形跡を指し示す。

 見知った色の糸を辿れば森の外に続いていた。


「……人間の家か」


 か細い糸を追いかけて辿り着いたのは一軒の家だった。

 家の中から声が聞こえてきて、私は身を隠す様にしてコッソリ窓から中を覗く。


「あの時の男と、……カイン?」


 人間の家の中には一人の男と、妖精がいて、普通に話をしているようだった。

 男は筆が進まないのかペンを持ったまま机に向き合っている。


 何の話をしているかは、聞こえないか……。


 耳を澄ましても彼らの会話の内容までは聞こえなかった。

 カインが宙に浮かんで胡坐(あぐら)を掻きながら、男に少々説教じみた仕草で話しかけている。


 何か書き物をさせているのだろうか?


 結局、家の扉をノックせずに、私は一人で森に戻った。



「今日、あの家に来ていただろ」


 その日の夜。

 一人で月見をしていれば静かに飛んでやって来たカインが自ら、私が今日に見たことを話題に出した。


「……あそこで何をやっていたんだ?」


 私が彼の風を辿ったように、彼も私があの家に来ていたことを風の細い糸を見て気が付いたのだろう。彼の問いかけに肯定とも取れる返答を返せばカインは分かりやすく溜息を吐いて隣に座った。


「手紙を書かせていた」

「手紙?」

「あぁ。……奥さんと子供、亡くしていたんだと。あの森に来た時、既にさ」


 人間が作った話によれば、私達を食べれば病気が治るらしい。


 例えば、熱に(うな)される人に冷たい風を送ることができるかもしれない。それは小さなことだろうが、苦しみを僅かに軽くしてやることは出来るのかもしれない。しかしそれは妖精じゃなくても出来ることで、特別なことをしてやる力なんて私たちは持っていない。


 そもそも死んでしまっている人間を復活させるような話ではなかった筈だ。


 それで、カインがあの家に行く理由とあの男の悲劇は何の関係があるというのだろうか。


「少し気が触れているんだと思うよ。余程のショックだったんだろう。あの人さ、兄弟も親も、親戚もみんな遠い所に住んでいて、頼れる家族が近くにいないんだって」

「歩き続ければ、いずれ誰かの元に辿り着くだろ」

「……奥さんと子供はあの家の裏に墓を建てて、この大地に還したから、だから、あの家からは離れたくないんだと」


 それとカインが彼の家に通うことの関連性が分からない。

 何故、友があの男を理解してやらねばならないのかと、理解が出来なかった。


 私が僅かに首を傾げたのをカインは見逃さなかった。

 彼は苦笑いをして頬を掻く仕草を見せる。


「大地は何処までも続いているじゃないか。行き付くところは皆同じ、眠りし乙女の頭部だ。体を失っても臆することはない」


 友は私の返答に「ハハ!」と笑った。


 何が可笑しい。可笑しいことをしているのはお前なんだぞ。

 彼の反応が面白くなくて腕を組む。


「兎も角だ、あの男は家からは離れられないと言うんだよ。……ラバル、寂しさはこの世界にあるどの毒よりも猛毒だ。あの男は、あのままでは病に掛かり一人寂しく死んでしまうだろう。だからな、あの家を離れることが出来ないというのなら、せめて親や兄弟に手紙を書けと言ったんだ。家族に己が生きていることを隠すな、と。手紙なら私が届けてやるって、無理やり書かせていたんだよ」


 この頃、私達は未だ人としての考えが心の中で光っていた。

 人間なんて、と嫌悪する一方で愚かな人間の言動を理解出来てしまうのだ。


 どうせ生まれ変わるなら、全てを手放してしまえれば良かったのに。月のお示しは残酷だ。


「他者に大切な人の死を伝えることは、恐ろしいけどな」

「……あぁ」


 誰かに告げた言葉が何よりも鋭い槍となって己の心を突き刺すことがある。

 例えば、(とどこお)りなく葬儀を終えることを出来ても、心の中では大切な人の死を信じることが出来ないままである、とか。自分の言葉で、誰かが大切な人を亡くしたことの実感を得ることは耐えがたい。


「心の故郷っていうのは離れがたくて、この世から消える最期に帰りたくなるような場所のことをいうんだろうな。そして、あの男が最期に帰りたい場所というのは、あの小さな家なのだろう」


 それなら、カイン。

 お前にとっての故郷とは何処にあるんだ?

 私達が守りたかったあの小さな村か? それとも、恋人が眠るこの森だろうか?


 未だ私たちは六枚羽の妖精のまま。

 人の心もセコイアの葉の心も一つの器を取り合っている。


「……お前にとってはこの森が故郷なんだろうか」


 月灯りにぼんやりと光る自身の手の甲を伸ばして眺める。

 カインの大切な者はこの森に眠っている。

 それならば、六枚の羽を得ても、風の名を得たとしても、このままお前はこの森を遠く離れる理由なんて見つけることが出来ないままなのだろうか。


「そうだな。……此処が俺の帰る場所だ」


 彼の帰る場所があることを喜べば良いのか、鍵を失くした足枷を付けられたことを(あわ)れめば良いのか、一方に正解を背負わせるには難しい話だった。


「ラバル、お前は? お前の帰る場所はこの森か?」


 横目で見た友は少し困ったように眉を下げていた。全く、私とお前の仲だろう。聞きにくいなんて思うなよ。

 気を使う様な顔をしているカインから視線を反らして、重たそうな銀色の月を見上げる。


「どうなんだろうな。……私は、未だ故郷を忘れることが出来ないよ」



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