ある男の哀れな人生、とある妖精の出自
2023.4/11 段落を直しました。
2022.12/20 〃 記号による表現を修正いたしました。
2022.6/14【第八章 風の妖精-ある男の哀れな人生、とある妖精の出自】ルビなどの見直しをしました。
人と人が争い始めるよりも、もっともっと遠い遥か昔の話。
人々と精霊は土地を求めて戦い続けて来た。
私達は自分達の住む場所を手に入れる為ならばリスの家があろうが気にせず木を切り、繰り返し同じルートの旅路に出る魚を大きな網で捕獲した。
ある時代を迎えた時、多くの発明家が競い合うようにして次々と大便利な道具を開発した。そのおかげで私達は人々の為だけの豊かな生活を手に入れた。
しかし自然の均衡が人の手によって変えられていくのを良く思わない者がいた。
――それが精霊達だ。
木を切られて家を失った野の獣を雨から庇うように、自分達の体質に合った気候の場所に移り泳ぎ子孫を残そうとする魚の回路を開くように、普段は可視化されない精霊は野の者達の為に人々の前に姿を現した。
この時、野の獣も、昆虫も、植物も、魚も、人以外の生き物は精霊側に立って人々に抵抗することになる。
『いつだって人間は嫌われ者だ』
村の誰かが呟いた言葉。
果たしてそれは真実なのだろうか。
家を奪われれば誰だって嫌だろう。
旅路を塞がれれば誰だって嫌だろう。
人々は人以外の者達に理解を得ることもないまま、奪う形で生活を豊かにしてきた。
奪う者は己が奪われる側に立つ想像をしない。
私が暮らす村は精霊との戦いについては沈黙を守っていたかったが、村は村でもとある国に属している村だった為に兵士として招集が掛かった。とある国が精霊と戦う理由は一つだけ、領土を拡大する為だ。
『どんなに私達が今の生活に満足をしていても、大きなものが戦うと決めたのならそれに従うしかない』
『大きなものに従おうが森から生きて帰れる保証はなく、大きなものに従わずにいればこの村はなくなってしまう』
『……流浪の民になるには、何もかも、覚悟さえ足りぬ』
何処へ行っても争いが起こっていることだろう。例え流浪の民になった所で同じように争いに巻き込まれる情景が目に見えていた。
結局、何日も掛けて開いた集会で決まったことは、兵士として戦うことだった。
この戦いに敗北した人間の歴史が後世で愚かだと非難されようが、”今”を生きる為に逃げる選択を放棄し、自ら戦うと選択したのだ。
例え私たちの村が消えようとも、とある国が戦う意向を見せるからと槍を握る意志を持ったのは私たち。悪者を作ってその一つを非難していれば蚊帳の外にいられるなんて、思考の停止も良いところ。
生き抜くためにやったことを後世の人々がなんて言おうが考えるまでもない。戦いから逃げた者に同意しようが、戦い抜いた者を賛辞しようが、それは勝敗という答えを知っている者が我が物顔で正しさを述べているだけに過ぎないのだから。
この頃の争いに男女なんてものはなくて、年寄りと着替えが一人で出来ない子供以外は鉄の服を着て、腰には剣を、背中には自分の背よりも長さがある槍を背負い、村を出た。
手の甲を額に付けて祈ってくれたのは祖父母である。
これは葬儀の際に行う死者の送り出しだ。父と母も同じように祖父母に送り出され、五人で住んでいた家には祖父母だけが残った。
祖父は腰を痛めているというのに、万全に動ける者は誰一人残ってやれなかった。
村の者は同じ部隊に配属され、セコイアが天まで伸びた森に足を踏み入れた。
「こんな奥、来たことなんてないよな……」
この森には大狼がいる為、滅多な理由があったとしても入る者はいなかった。
妖精や野の獣と対峙し、散り散りになった私と幼馴染のカインは既に満身創痍であったが、それでも村に帰るという選択肢はなかった。引く理由など用意をせずに私達はこの森に来たのだ。
「そろそろ冬だっていうのに寒くもない」
精霊の首を討ち取れば、それで終わり。
それだけのことだが、それが難しい。途方もないような気持ちになり、歩きなれない森の中で何度も心が挫けそうになった。
……嗚呼、精霊は何処にいるのだろう。
負傷した左肩を抑えながら、ただただ巨大な木の根っこの隙間を進む。
「早く家に帰ってアリシアのパイが食べたい。……こんな、冷たくて重たい洋服なんて着たくなかった」
「……私だって羊の世話をしていたかったさ」
この時、私とカインは既に戦う意欲なんてなくなっていた。家に帰って、いつも通りの生活に戻りたかった。しかし、そんなことを言っていられる状況でもない。人類は精霊と対峙すると決めたのだ。その決意は確固たるもので、誰か一人の意見が尊重されるような時代ではなかった。
幾ら部隊から逸れたからといって、戦いを放棄して帰っても村に残った者は誰一人喜んではくれないだろう。それが例え自分の祖父母であっても。
――父さんと母さんは無事だろうか。
幼馴染と二人きりになって、肌がヒリヒリする程の殺気に包まれた部隊から逸れて気が抜けていたのだ。
霧深くなって来た辺りから、てっぺんも見えない遥か高い木の上でギャアギャアと鳥が騒いで鳴いていた。
私達は本当に疲れ切っていたんだ。カインがパイを食べたいだなんて言うから、体がベッドのぬくもりを求めた、きっと祖母が帰りを待って用意してくれているだろう夕飯の香りを求めていた。明日は一日だけ休んで、それで、早朝に起きてまた羊の世話をして、……脳が、体がそんな生活を欲していたんだ。
「村に帰ったらお前はステンドグラスの修理もしなきゃだよな」
「こんな所で痛い思いをするよりも何千倍もいいさ」
「それもそうか……」
すっかり忘れていたが、村長に集会場のガラスの修繕を頼まれていたんだったか。
どんな色を選ぼうか迷っていたんだったよな。その色に、どんな意味を込めようか、と。
――そうだ。見送りの際に大泣きしていたあの女の子はどうしているだろうか。彼女の祖父母の元で良い子にしているだろうか。あの子の両親は、兄弟は、無事だろうか。
頭の中をグルグルと巡る思考は家族のこと、村のことばかりであった。
ずっと寝ず、辺りに警戒しながら精霊を探し回っていたが野の獣一匹さえ見当たらない。私達が森に入ってから何も音がしないのだ。まるで森全体が人ひとりの足音にさえ耳を立てている様な静けさだった。
「おい、あれ」
転ばないように足元を見ながら歩いていた私の一歩前にいたカインが歩く速度を緩める。
「どうする」
「何が……」
声を震わせるカインの視線を辿る様に森の奥を見れば、青み掛かった霧の向こうに水辺があり、その中に私達よりも三倍ほど大きな人が身を沈めていた。
間違いない。
アレは、精霊だ。
その姿を視界に捉えた直後、頭上で騒いでいた鳥の声が一層大きくなった。
上を見ようとして顔を上げた時、大きな木の大きな枝が、……いや、木の鳥が目を光らせて降って来た。
「ぎゃあぁぁああ!!!」
友の悲痛な叫び声に振り向くよりも先に、私の左目に目掛けて落ちて来ていた鳥と目が合った。
――勝てる訳がなかったんだ。
鳥の後ろには空を黒く覆い付く程の木の鳥と野の鳥、そして冷たい目で私達を見下ろす妖精がいたのだから。
血肉はすっかり綺麗に大地に還り、骨だけになった動物の肋骨の中に空高く聳え立つセコイアの葉がヒラリと落ちる。
物言わぬ肋骨は大した雨避けにもならない。
そしてまた長い年月が経ったある日の夜、赤い月が様々なモノに血を分け与えた。
燃え損ねた星の器に
目の見えぬヌーの涙に
愚かな肋骨の中に迷い込んだ葉に
一夜限りの夜空のコンサートはいつもより騒がしかった。夜に眠る鳥が落ち着かない様子で羽ばたき、野の獣は月を見上げて遠吠えを上げる。
夜空には赤色のカーテンがはためき、チューブラーベルとグロッケンシュピールは五線譜を誘うように踊りながら星を瞬かせ、月からは赤い雫が零れ落ちた。
月の血を得た愚かな肋骨は昆虫の繭を真似るようにして、セコイアの葉を魂の源にして人の成りをした妖精の赤ん坊の肉体を創り上げた。妖精の赤ん坊は泣くことはない。愚かな肋骨に落ちた葉の妖精も同様にして骨の中でジッと眠り続けた。
森の至る所には新たな生命が落ちていた。
我らが宿敵、精霊とは良くも悪くも平等であった。
己の首を取りに来た人間の成れの果てであっても、宿った命を見捨てはしない。
愚かな肋骨に落ちた葉の赤ん坊も精霊に拾われ、立派な六枚羽になるまで育てられることになる。
精霊曰く、「あの頃は育てる者より生まれた者の方が多くて忙しかった」らしい。又、木の実を拾う人のように指で摘まんで、片手いっぱいに生まれたばかりの者達を拾い上げたのだと。
「仇なすことばかりだが、人も森の者と変わらぬ命」
何度も何度も精霊はその言葉を繰り返した。
かの争いを野の獣や妖精が忘れることが出来ずにいたとしても、繰り返し教えられた言葉だった。
風の妖精は人の残骸から生まれた妖精であるが、自然を尊ぶ思想は魂の源となった一枚の葉が起因した為、自然を支配しようとする人間に対して嫌悪感があった。
「村に残った者も精霊に掬われれば良かったのにな」
殆どの者が帰らなかった村は衰退したに違いない。
自分で服を着ることが出来なかった子供たちは大きくなり、流浪の民にでもなったのだろうか。
村に残ろうが、出ようが、どちらにせよ歩んだ道は険しいものだろう。
愚かな肋骨の繭から生まれたセコイアの葉の妖精。
人の頃、黒色であった髪は風に吹かれる葉が自由であるように白緑色に、アーモンド色だった瞳は新緑が沈む森の水色に変化して行った。
妖精とは生まれた頃は元の姿の記憶を持っているらしいが、長い時間を生きている内にすっかりそれらを忘れ、性別すら分からなくなってしまうのだと。
己が何者か分からなくなった妖精は六枚の羽が抜け落ち、正しく生を貰い受けることになる。
そして、六枚羽がある妖精とは、己が何者なのか認識している者のことである。
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