第一話
2023.4/11 文章の見直しと、漢数字に直しました。
2022.6/13【第七章1~3話】ルビ等の見直しをしました。
風に舞った砂埃が目に入り、目頭を指の先で搔けばザリっと感覚がした。鼻の中にも細かな砂が入り指で摘んで弾く。
これは思った以上に凄い。依頼主の元へ行く前に目薬を買って行こうかな。
黄色い砂と、白で統一された建物とオレンジ色に統一された日除けの布が帆のように張られている美しい村にやって来た。
この村は魔術、ではなく、占星術が栄えており織物には美しい星や月が描かれていた。
目薬、目薬……。辺りを見渡しながら歩いていると黄色い薔薇が描かれた看板がぶら下がっているお店を見つけた。
いやあ、しかしどの建物も似せて造っているからお店を探すのも大変だなあ。
扉が開け放たれたお店の中に入りキョロキョロと店内を見渡す。大きな荷物が目立つのか店主と思わしき人が目一杯広げていた新聞を少し下げて大きな目を私に向けていた。
あまり店内を彷徨って怪しまれるのも嫌だしあの人に聞いてしまおう。
目を合わせたまま店主に近づけば私が話しかけるだろうと察知してその人も読みかけの新聞を閉じて話を聞く体勢になった。
「すみません、沁みない目薬ってありますか?」
「それならこれが良い」
店主は直ぐに目薬を持って来てくれたが、私に渡すことなく持ったまま私を見つめていた。どうしたのかと首を傾げてみれば私が持っている荷物を眺めた。
「貴方、画家かい?」
「はい。依頼を受けてこの村にやってきました」
「それならそうと早く言ってくれ」
漸く見つけた目薬を低めのカウンターに置くと値段を教えて貰ったので、そのお代を渡し小袋に入れてくれようとしているのを断ってそのまま目薬を受取る。早く言ってくれとは一体?
「依頼の手紙を書いたのは俺だよ。なんだ、知らず此処に入ったのか」
「え」
「砂漠の花が目印だと書いたと思うが」
「あ、はい。書いていましたけど……」
黄色い薔薇が砂漠の花だなんて初めて知った。花言葉や何かの意味が込められているのだろうか。
「依頼主は部屋の奥にいるから案内するよ」
「貴方が依頼主では無いのですか?」
「俺は代筆しただけだよ」
代筆って、もしかして依頼主は何か手紙を書けない理由でもあるのか。
店主は座っていた椅子から立ち上がって店の奥の暖簾を潜り、親切に私が通る為にそのまま上げたまま待ってくれていた。お店の物に荷物を引っ掛けないようにして店の奥に進み、上げてくれている暖簾を潜れば店主は部屋の奥に入って行った。
「部屋は此処を好きに使ってくれ。ジョーカーならそこにいるから仕事内容は直接そいつに聞いてくれ。それと机の上に鈴が置いてあるから傍にいる者の入れ物に使いなさい」
「え?」
店主は、伝えることは伝えたぞ、と言いたげに「それじゃあな、俺は店にいるから何かあれば声を掛けてくれ」と言って店の方に戻って行った。
「僕のことが見えていたのか」
町に入る前に風の妖精は「傍にいるから」と言っていつも通り姿を隠していたのだが、同じことを考えていた風の妖精の呟きが誰もいない場所から聞こえた。彼の言葉に対して、分からない、と意思表示をするように首を横に振る。
それと依頼を受けた時から思っていたのだが、ジョーカーだなんて変わった名前だ。別にその名前に悪い意味がある訳では無いが……。一体何者が部屋にいるのだろうか。
なんだか此処が本当に依頼元の家なのか不安になって来た。
酷く騙されていたとしても、悪戯、で済めば良いのだが。なんて、そんなことを悶々と考えていても何も進展しない。依頼主が目の前の部屋にいるというなら待たせるのも悪い。
真ん丸の形をした真鍮のドアノブを回して部屋に入ると細やかにスパイシーな植物の香りがした。
換気でもしてくれていたのか僅かに開けられていた窓から細い風が入り、赤ん坊の眠りを守る揺り籠のようにシンプルなレースカーテンを揺らしていた。
美しくも繊細な刺繍が施されているベッドカバーを眺めながら窓の近くに置かれている素朴な机の横に荷物を下ろし、ひとつ机を撫でてみる。辺りを見渡して見ても誰もいない。
「砂漠の花、なんてよく分かったなァ」
呆然と突っ立っていると何人もの声が混ざり合ったような声が私と姿を隠している風の妖精しかいない部屋から聞こえた。そんなに広くない部屋に誰かが隠れていそうなスペースなど無かった。
「机の上にいるよ」
不思議な声が誘う場所、もとい机の上を確認する。星の装飾が美しい分厚い本とテーブルランプ、メモ帳とペン、そしてトランプのジョーカーが一枚置いてあった。
ジョーカーと言うのは、まさかこれのことを言っている訳では無いよね。
目を凝らして見つめるも先ほど聞こえた声は止み、カードに描かれたジョーカーは動かない。……気のせいだったのだろうか。
カードを手に取ってマジマジと見つめる。
「バァ!」
「う、わ!!」
「いーい反応!」
片足立ちをしてお道化るように笑った顔をこちら向けていたジョーカーの顔が一瞬にしてドアップなり、突然の出来事に私は思わずカードが落としてしまった。
「おいおい、依頼主を床に落とすなんてどーなっているんだイ?」
え……? 依頼主?
恐る恐る裏返しになって床に落ちているカードを拾い、絵が描かれている面をひっくり返して見るとカードの中のジョーカーは楽しげに動き回っていた。
さっきまでは何の変哲もないただのカードだったのに。
ジョーカーはジョーカーでも、まさかトランプのジョーカー本人からの依頼だとは誰も考えないだろう。
「生きた絵を描いていると聞いたが、絵の中の者が実際に動くところを見るのは初めてかナ?」
その動作は正しく”人間”のもので、絵の中の者はまるで生きているようだった。今度は驚いてカードを落とすようなことはなかったがあまりの出来ごとに言葉が上手く出せず、肯定の意志を見せる為に何度も頷く。
ジョーカーは私の様子を可笑しげに笑っていたが笑うのを止めて、疲れた様に溜息を吐いた後、その場に胡坐を掻いた。
「まあ、貴女もベッドに座って。長旅で疲れたでショウ? 傍にいる者もリラックスしてヨ。あぁ、目薬を差すならドウゾ」
手の中に納まるジョーカーに言われるがままに私はベッドに腰かけ、風の妖精はパっと姿を現した。
この町に来る途中、アスターのことについて話したいことが沢山あったのだが、彼はそのことについては固く口を閉ざしていた。結局、私たちの口数は随分と減り、二人旅の道中は乙女の左頬の時とは状況が変わって気まずいものになってしまった。
「私の依頼は、新しい住処と私を描いて欲しいのサ」
風の妖精の登場について特に興味を示さずジョーカーは依頼内容を話し始める。
互いの存在に驚きはないのか。うーん、……そういうものだろうか。
結局使用の許可を貰った目薬だったが、まずはジョーカーの話を聞こうとポケットに突っ込んだ。
「新しい住処ですか?」
風の妖精も特にジョーカーに言いたいこともないようで私達の傍から少し離れて机の周りを飛んで、次第に落ち着いたのか羽を休めるように机の上に腰を下ろした。
「そう。この姿も気に入っているのだけド、まあ君が思い描くジョーカーを新しいカードに描いて欲しいのさ。見ての通り私のカードはもうボロボロだろう? カードが駄目になってしまえば私も死んでしまうのヨ。その前に新しい住処を得なければいけないのさ」
「今までもそうして来たのですか?」
「そうだよ。この村ではそう珍しいことではないよ。物には魂が宿ると聞いたことはない? 私の場合、宿ったのがトランプのジョーカーだったというだけさ」
それで、此処までの話は理解出来たかい? と両手の平を見せてお道化るように首を傾げるジョーカーに状況を飲み込めないにしろ依頼内容は理解出来たから「はい」と返事をする。私のその反応を見てジョーカーも満足げに頷いた。
「真新しいトランプは主人が用意してくれているよ。机の小さな引き出しをあけてごらん」
言われるがままにジョーカーが指した引き出しを開けるとピカピカの真っ白なトランプカードが何枚か出て来た。
「描く範囲は君の手よりも狭いし直ぐに描き終えちゃうかもしれないね」
果たして、ジョーカーも妖精の類なのだろうか?
スリ、と一番上にある真新しいカードを指の先で撫でてみる。なんの変哲もないトランプカードだ。
「それとそこの貴方は机の上に置いている鈴を使うといいよ。訳があって人間と一緒にいるんでショウ? 此処の町なら物が喋ることは別段不思議ではないからね。……しかし、その”ナリ”は目立つ」
使うと良いよと選択肢を与えているようだが、最後の言葉は聊か沈んでいた。
「分かった」
店主に言われた時には既に机の上を見渡して見つけていたのか風の妖精はジョーカーに言われた通り、チリンと音を立てて飴玉サイズの鈴の中にまるで吸い寄せられる様に入っていった。
あの鈴はなくさないようにベルトループに付けておこうか。
「依頼内容は理解しました。……丁寧に描きますね」
風の妖精の身の置き場を見届けた後にもう一度カードの中のジョーカーに視線を戻せばトランプの中の人物は機嫌よくクルクルと回っていた。
「ウン。また何十年と過ごす姿だ、頼むよ」
「承知致しました」
「とは言え、此処に来てからご飯は食べたかい? 折角ならこの村を少し散歩しながらご飯でも食べてきたら良い。お勧めの店なら主人に聞いてみると良い」
私を気遣うジョーカーに「それじゃあ、お言葉に甘えて」と言って自身のリュックの中から小さなカバンを取り出し、風の妖精が入った鈴をベルトループにつける。
ジョーカーのトランプが風に飛ばされないように薔薇の形をした小物をその上に置けば、「ドーモ」と声が聞こえた。
「いいかい? 鞄は必ず体の前に来るように掛けて。よそ者に悪さする者がいるかもしれない」
「分かりました」
「鈴の中の者も気を付けてネ。精霊の類は珍しくは無いが、貴方だって此処ではよそ者に違い無い」
ジョーカーの忠告に、分かった、と返事をするように鈴がチリンと鳴った。
多分そのまま喋ることも可能なのだろうが、そうやって返事をすることにした訳か。
よそ者、ね。
此処の村の人たちは私と同じ黒の髪色にアーモンド色の瞳をしていた。私達の種類の違いを見分けるなら、私よりも鼻が尖っていて、砂漠で太陽にあたり健康的に日焼けしている肌の色くらいかもしれない。
私も暫く此処で過ごせばあまり見分けがつかなくなりそうだ。
「では、少し出掛けて来ます」
「いってらっしゃい」
ジョーカーに腹事情を気遣われるとは、なんだか不思議な気持ちになりながら部屋を出る。
夢の様な出来事にぼんやりとしながら店内に出れば部屋を案内してくれた店主がこちらに目を向けた。
「驚いたか?」
「ええまあ。喋るトランプを見たのは初めてなので」
「この村には喋る物が沢山ある。いちいち驚いていたら疲れちまうよ」
ハハッと笑った店主は機嫌良さそうに話を続ける。
「どっかでご飯食べて来るのか?」
「はい」
「それならこの店を出てすぐ右に曲がって少し進んだ所にある虹の雫って店がお勧めだ。看板はまあ、名前の通り虹から水滴が落ちている絵が描かれている。そこのパンも上手いんだが、俺は豆スープが好きで良く行くんだ」
「へえ! ではそこに行ってみます」
「ああ。それと、あまり細い道には行くなよ」
「はい」
細い道は治安が悪い訳ね。
まあ、豊かな街だろうが常に暗がりになっている場所というのは存在する。
この町全体を治安が悪いと決めつけるには浅はかだろう。
店主にお勧めのお店を教えて貰い、店を出て言われた通りの道を歩く。
虹の雫、か。素敵な名前。
依頼元の店の砂漠の花も素敵だなと思っていたのだ。
部屋を出る時にベルトの穴に取り付けた鈴が急かす様に一回だけチリンと鳴った。
腰の辺りで揺れる小さな鈴をやんわりと掌に収めた後、名残を惜しむように手を離す。気まずくなっても私の傍を離れないということは、いつだって彼とはアスターについて話すことが出来るということだ。感情的になって彼を責め立てるなんてことはしたくないし、今はジョーカーの依頼に向き合い仕事に専念するとしよう。
風の妖精が鈴の中で制御でもしているのか、不思議なことに私が幾ら動いても鈴の玉は転がらない。
それにしても、流石砂漠といった所か。日照りが強い。上からの熱も、煉瓦が敷かれた道からの漂ってくる熱も熱かった。
大した距離も歩いていないのに既に汗だくだ。
「……あれか」
店主が教えてくれた通りに直ぐに右に曲がって、目を凝らして道の先を見て見れば、少し離れた所に虹から雫が落ちている絵が描かれた看板を見つける。
扉が開けっぱなしのお店に入れば焼きたてのパン特有の甘い香りと、何かを煮込んでいるような美味しそうな香りをした空気があっという間に鼻から空腹を訴える胃に到達した。
感想、評価、ブックマークを頂けましたら幸いです。