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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第五章 悪い人
27/63

第二話

2023.4/7 文章の見直しと、漢数字に直しました。



 次の目的地に先に行っていると言った風の妖精は、今頃どこを飛んでいるのだろうか。


 ……飛ぶ、か。

 妖精は本当に空を飛んで移動をいるのだろうか……? あまりにも彼が素早く配達を終わらせてしまうものだから、瞬間移動でもしているんじゃないのかなんて考えが浮かぶ。超次元的なことが出来る訳ではないと言っていたから、瞬間移動ではないことは間違いないのだろうけど。

 森があり、木がある。ではないと風の妖精は生きていけないと彼は言っていた。では彼らの親というのは木々のことを指すのだろうか?

 ふわふわとした小鳥の一枚の羽を背中に背負っているから鳥のようだなとその存在を捉えていたが彼らは植物に近い存在なのかもしれない。


 世界の隅まで充満している酸素。

 私達が住む此処は季節の星。太陽との距離を絶妙に保つこの星は沢山のものを産むのに適していた。

 私は世界の仕組みについては学がないのだが、昔、子供に読み聞かせていた絵本にこの星の仕組みについて描かれていたのだ。

 確か、風は気圧が高い所か低い所に押し出されて吹くのだと書いていた。子供たちは絵の真似をして手を勢いよく下げて小さな風を感じ感動をしていたが、私は手を仰いだのだから風が生まれるのは当たり前だろう、なんて夢もない様なことを考えていた。しかしある日、強風を体で受け止めた時に、漸く、なるほどなあ、と感心することが出来た。

 きっと専門書の隅から隅まで読めばこの世界の仕組みをもっと理解が出来るのだろう。もっと私が自然について知識が豊富であれば、風の妖精の移動が何故あんなにも早いのか分かったのかもしれない。


 しかし結局、一冊でも専門書を買って読んでみるだけでも少しの知識を得られるだろうに、彼と合流した時にでも聞けば分かるか、なんて思っているのだからつくづく私は探究心が乏しい。


 ぼんやりと流れる窓の外の景色を眺める。


 何故、風は吹くのか。

 私が小さい頃は気圧の仕組みだとか、太陽とこの星の関係はあまり解明されていなかったと思う。……大きな研究機関がある大きな国では既に解明されていたのかもしれないけど。

 私が子供の頃は、風は乙女の息吹と教えられていたものだ。


 チカリ、と窓の外で一瞬何かが光を反射し、目に直撃した。その眩しさに目を細める。


 そういえば風の妖精には名前があるのだろうか。

 これも合流した時に忘れず聞こう。

 もしも「妖精は妖精さ」って言われたら、仮の名前でも付けようよ、と言ってみようかな。私達は友人なのだ。愛称を呼んでも構わないだろう。

しかし、まあ、彼は少し気難しい所があるから嫌がるかもしれない。

 その時は仕方ない、しつこくせずに諦めよう。


「あれ、もしかして待っていてくれたのかい?」


 席を外していた男が帰って来た。

 昼下がりに相席になって知り合った人だ。男の名前はアスターという。

 それはあだ名のようなものらしく、私も彼に名乗っていないことから特別可笑しいと思うこともなかった。

 夕飯を共にしようと約束をしたので、それを果たして一緒に食堂車両の席に座り、それぞれメニューを頼み、話をして待っていたのだ。

 そう過ごしていれば彼宛の電話を受取ったスタッフが私達の席にやって来た。相手の名前を聞くと、彼は「少し失礼するね」と言って席を立った為、私は風の妖精のことをぼんやりと考えていた訳である。


「先に食べていて良かったのに」

「料理が来てからそんなに時間は経っていないですから」


 料理が冷めるほど待っていた訳ではないというのは本当のことだ。気にしないで欲しいからそう伝えたのだが、それでもアスターは少しだけ申し訳なさそうな顔をして「ありがとう」と言った。


「そういえば、名前は花のアスターですか?」


 気を取り直そう、と彼が席を立つ前の会話を思い出しその続きを話す。会話は「名乗り忘れていたね」と彼が名前を教えてくれた所で止まっていた。


「そう。アスターの花畑で眠る少女を見て、そう名乗ろうと決めたんだ」


 ワインが入ったグラスを揺らし、アスターは目を細めて揺れる赤い水面を見つめる。当時の情景を思い出しているような顔だった。


「本名で活動していない画家は珍しいですね」

「では、貴方は本名で活動されているのですかな」


 視線が合った瞬間、ギクリと心臓がぎこちなく軋んだ。揺らしていた手を止めてゆっくりとこちらに視線を向ける彼の瞳は限界までに真っ黒で、まるで黒珊瑚のようだ。虹彩を覗き込もうにも眼球の表面の黒さは透き通るもなく、ぽっかりと夜の海底を映す様な暗闇。そんな瞳に見つめられて思わず狼狽(うろた)える。

 気さくな筈なのに、どうしてか彼を怖く感じるのだ。


「私も仮の名前で活動しています」

「なんて言うんだい?」


 至って普通の会話のテンポであるのに、ハンバーグを切る為に握っている掌がジットリと汗をかいた。


「筆、と名乗っています」

「何か由来があるのかい?」


 お喋りな人で済ませれば良いのだろうが、時に彼の質問攻めは息が詰まるようだった。


「私に絵を教えてくれた人の筆が誰かの為に絵を描いている時にまるで魔法の杖のように見えたのです。それで、私も誰かの為に絵を描けるようになりたいと思って」


 それで、とまた同じ言葉を続けようと思ったが無理やり言葉を切った。庭の薔薇が美しい家に住む主人に話をした時とはまるで違う。どうしてか”何故、この人にそんなことを教えねばいけないのだろうか”と思ったのだ。

 アスターはゆっくりと瞬きをして、漸くワイングラスに口を付けた。


「貴方は他者にどんな見返りを求めるだろうか」


 音もなくテーブルの上にグラスが置かれ、そのワイングラスの底の縁の半円を彼は指先で撫でた。


「心のままに喜ばれ、感謝されること?」


 アスターが自分のステーキを切り始めたのを見て、私も会話に気を取られて無傷のハンバーグにフォークを刺し、一口サイズにナイフで切ってそのままフォークに刺さった柔らかな肉を口に入れる、ソースの甘酸っぱさと肉本来の甘い香りが鼻を抜けた。

 

 美味しい。続けてブロッコリーを食べれば、馴染みのある味付けに頬が緩む。

 口の中の物を噛んで飲み込めば、妙に緊張していた心が警戒を僅かに解いた。僅かに出来た息継ぎ(・・・)のおかげで落ち着いたのかもしれない。


「そうですね。私が受ける依頼は少々特殊でして……。助けを求めている方が多いですから、そんな人々の助けになりたいと思っています」


 助けを求めている。

 まるで誰かを救っているようなその言い方は傲慢(ごうまん)だったかもしれない。

 私はただ、暗闇で(うずくま)る誰かの小さな灯りになれたらと思っている。出口を塞がれた洞窟の中に小さな隙間から入りこんでくるような、そんな光に。 


「君は実に純粋なんだね」


 私の解答は鼻で笑われると思っていた。真っ暗な洞窟ではか細い光は生命線にだってなるのだ。小さな光になりたいなんて、それもまた傲慢ではないだろうか。

 私はそう思うのに、彼は穏やかな顔をして肯定をするように頷いた。


「その純粋を言い訳にして湧き出る衝動は善悪のどちらにもなり得るものですけどね」

「純粋に善悪をつけるって言うのかい? それはどうして」


 再びハンバーグにフォークを突きさし、小さなナイフでいとも簡単に一口サイズに切り分けたが、口に入れずにただ見つめた。


「慰めとはその場しのぎにするものではないと分かっているのに、それでも、私はその瞬間にでも悲しんでいる人を救いたがるんです。誰かを励ます為に描いた絵が、時間の経過によって誰かを傷つける絵になるかもしれないのに」

「要するに、善意で描いた絵が最終的に依頼主を苦しめることになれば、それは悪意のものになる、と言いたい訳か」

「そうです。私がどんなに善意を主張しようが意味はありません。例え、何年も掛けて描いた絵を破かれようが、その絵が誰かを傷つけるものに変化したのなら、私は誰も責めたりはしません。それがその絵の運命だっただけ、それがその絵の辿った終わりだった……。そう納得することが出来るんです」


 私は誰かの為になれる絵を描きたいとそう思って絵を学んだ。技術を乞うたのだ。そしてそれを使って誰かの大切な人や思い出を題材にして対価を得て絵を描いている。それはオリジナルでもなんでもなく、その人の大切な思い出に過ぎない。だから、時間を経て絵を見るのが苦しくなり、衝動的に火を放とうが、私自身のプライドが傷つくことはないのだ。


「もし、私が普通の絵描きであったのなら、描いた絵があんまりな扱いを受けた時は憤慨(ふんがい)でもしたでしょうがね」


 これまで描いた絵とは、心の奥底で僅かに開いた隙間から入りこむ風が寒いのだと、だから温かな思い出でその隙間を埋めてくれと頼まれて描いた絵に過ぎず、私自身が名を()せたい訳でも、私や誰かの見栄を満たしたい訳でもない。

 

 夜のリビングで涙を隠す様にテーブルに置いた腕に顔を埋めて眠る人に、ソっと毛布を掛けてやるような、そんな絵を描きたい。その毛布は眠っていた人が起きた時に冷たい床に落ちてしまうかもしれない。そして拾われることもなく長い時間が過ぎ、気づいた時には埃に汚れていて、洗うのが面倒だと捨てられてしまうかもしれない。それでも私はあの時に毛布を掛けてやらなければ良かったなんて、きっと思わないだろう。

 その人が体を冷やすことなく朝を迎えられたというのなら、それだけで十分。

 しかし、それだけで十分、と思っていることもなんだか偉そうだと思うのだから、少しの自己満足も期待も持たずに誰かの為になりたいと思うことは難しい。


「絵を贈るというのは難しいことだね。僕は自分の為に描いていることが多いから、もし、蔑ろにされてしまえば怒ってしまうだろうな」


 ナイフを揺すり、ステーキを切り離したがそれにフォークは刺さらなかった。動きを止めた彼の手を辿ってその顔を見れば、蔑ろにされた自分の絵の姿を想像しているのか視線は(くう)を見つめていた。


「それが普通だと思います」

「……普通ね」


 彷徨(さまよ)わせていた視線を私に向けアスターは困ったように眉を下げた。

 窓の外で何かの光が反射して、一瞬煌めいた彼の瞳がどうしてか寂しそうに見えた。

 真っ黒だと思ったその瞳に流れた光は、街の灯りに邪魔されて殆ど星が見えない空に一筋描かれた流れ星の様であった。


「どうしてか、美しい花や空を描いても満たされない時があるんだ」


 切り分けたハンバーグを口に運ぼうとした時、彼がポツリと呟いた。


「目は満足していただろうに、心は別段感動している様子がない。貴方もそういう時ってあるかい?」


 今度はこちらの様子を伺うように小さく首を傾げながら視線を向けた。視線が合う瞬間にハンバーグを口に入れてしまったものだから急いで噛んで飲み込む。


「うぅん。ただ、自分の為に空や花、美しい景色を描こうとは久しく考えていないかもしれません。……それって、感動をしていないからなのでしょうか」

「どうなのだろうね。……ただ、僕ら(・・)はこの世の景色を飽きるほど見すぎてしまったのだろうね」


 ふぅ、と憂うように溜息を吐く彼を凝視する。この世の景色を見飽きるとは、それは一体どんな意図があって出た言葉なのだろうか。

 見飽きるといったって、彼と私はそんなに歳を取っている訳ではない。


「戦続きの時代は終わり、時は随分と過ぎた。戦いが終わり、火に焼かれて消えてしまったと思っていた花は健気にも再び返り咲き、雲の鳥が去った空は戦を知らない頃と全く変わらない青さを取り戻した」


 彼の、いや、彼の親ですら戦があった時代なんて知らないだろう。しかし彼の話し方は、大昔の戦を知る者の話し方とよく似ていた。

 話の流れが見えなくなり、私は不信感を隠さずに眉を顰める。


「まるで、その時代を知っているかのような口ぶりですね」


 人参のグラッセを刺してアスターに視線を向ければ、彼は目を細めて口角を僅かに上げた。


「さあ、それはどうかな」

「貴方……」

「そうだったのなら、僕は人間じゃないってことになるね」


 彼への違和感が確信になろうとした時、意味ありげに細められていた目がパっと開き、緊張の糸が張りつめた空気を和らげる。

 しかし、例え冗談っぽく言った所でどうしてか彼が誤魔化したように聞こえた。


「掛け合わせによって花の種類は新たに増え続けているけれど、他者が余計に摘み取らなければ、昔からある花は姿を変えることもなく、今も存在し続け、古い文献に空は青いと書いている。大昔から変わらない景色はある筈だ」


 ごもっともらしいことを言ってアスターはステーキを食べ進める。

 誤魔化された、のだろうか。先程の彼は戦があった頃を知っているような口ぶりだった。

 甘さと酸っぱさが絶妙らしいステーキのソースを褒め始める彼の話を聞きながら、会話に集中して緩やかにしていた手を動かす。



 遥か昔にこの世から戦は完全に消えた。

 いや、消えたなんて言い方は間違えているのかもしれない。


 戦は消されたのだ。

 

 どこもかしこも戦ばかりしていた時代。

 遂に乙女が怒ったのだ。

 乙女とは、大地であり、空であり、海である。即ち、私達が生きるこの世界そのものを指す。


 乙女が怒るのは当たり前であった。

 戦が起きれば、それに備える為に森が無遠慮に切り開かれ、無常にも燃やされた。

 森が焼かれ、野の生き物が死に、妖精が死に、精霊も死んだ。

 海は、海に還らないゴミが海底に沈み、魚が死に、珊瑚が死に、妖精が死に、また精霊が死んだ。

 何度も奪い、奪われを繰り返しても人々は戦いを止めなかった。何処へ行っても満たされない人々が溢れて、次第に笑い声が消え、押し殺して泣く声が増えた。


 私達は、その時代を灰色の花(グレイノノル)と呼んだ。

 グレイノノルとは咲いたままの姿で炭化した花のことだ。

 薄暗く、悲しい時代が長きに渡りあったのだ。

 そして、乙女が嫌気を差して戦を望む者の存在を”無かったこと”した。乙女からすれば頭や顔の上で飽きもせずに争われているのだから、いい迷惑だっただろう。


 戦を望む者がいれば、大地に大きな口が開きその者を飲み込んだ。

 戦を(けしか)けようとする国があれば、何処までも長い川は蛇の姿に変わり、その国の全て飲み込んだ。


 グレイノノルの時代は、こうして”何もない場所”が沢山()()()()


 酷い時代だった。

 弱き者は怯え、戦をしたい傲慢(ごうまん)な者は乙女の介入を声高に抗議した。

 ある国の王は、この世は強者が生き残るのだと、拳を上げて天に向かって怒りを露わした。

 そんな民の幸せも願えない愚かな者と、空に喚く王に反発もせずに黙り込んだ民も、全て、雲で出来た鳥の群生に余すところなく(ついば)まれ、国は滅びた。

 私の故郷も戦は直ぐ近くまでやって来ていたが、森を守り、精霊との約束を守る為に、村の大人たちは村が戦に巻き込まれないように辛抱強くいようとしていた。何処からか聞こえて来る悲鳴に耳を塞ぎ、揺れる大地に足元を掬われないように、生まれ育った土地にただ在り続けようとした。


 妖精や精霊が在るがままを求めるように、乙女もそれを望んでいたのかもしれない。それなのに私達は猿型同士だけのみならず、至る者達を巻き込んでは暴れまわった。

 何年、何十年、何百年とそうしたことが繰り返されて、私達が乙女について理解出来たことというのが、乙女に言葉は通じない、乙女は我々の地位の上下なんて興味がない、乙女は乙女が望むままに在り続ける。これだけであった。

 獣も、魚も、妖精も、精霊も、棲処を汚されていた筈なのに、猿型に報復しようとした者は現れず、沈黙を貫いた。あの者達は人々の傲慢な振る舞いが乙女を怒らせると知っていたのだろうか。

 もしかすると”報復をしない”ということを選択出来る妖精の考え方の根源がここにあるのかもしれない。


 傲慢な者を討つことも争いであり、既に、人々は何が乙女の怒りを買うことになるのか分からなくなっていた。

 ただただ静かに暮らしたい人々は、もう、誰も戦をしようなんて言いだしませんように、そう願うしか出来なかった。


 しかし、乙女の怒りはある時を境にすっかり収まる。

 ある日、小さな国の王様が色々な国や都市の代表に便りを出した。どんなに遠くにある国であろうが、どんなに小さな国であろうが漏れることなく、手紙が届いたのだ。

 『小さな王様からの手紙』という絵本もあって、子供から大人まで、その手紙の内容は世界中の誰もが知っていることだろう。

 私も何度も読んだからよく思い出せる。



 ------------------


 親愛なる友人達よ、自分の部屋の窓を少し開けてみて欲しい。

 部屋に入ってくる風から煙の臭いがするようになったのはいつからだっただろうか。

 鳥の(さえず)りが聞こえなくなったのはいつだっただろうか。


 眠たいと母親に甘えた様に泣く赤子の泣き声はいつから聞こえなくなってしまったのだろうか。貴方は、子供が健やかに過ごせているかどうか気にしなくなってはいないだろうか。

 子供は三時のおやつをとても楽しみにしているね。ケーキというのは、どこの国の子供でもご馳走なんじゃないだろうか。

 いや、ケーキにこだわる必要はなかったね。

 まさか、貴方の国では誕生日にご馳走を食べられない子供がいるなんて言わないだろう? 子供の好物を作ってあげることが出来ない母親がいるなんてことも、ないよね。


 夕方になったら家々から美味しそうな香りは漂ってくるだろうか。ビーフシチューの香りがすると、私は少し羨ましい気持ちになるよ。そして我が家の今日の夕飯を楽しみにして待つんだ。

 家の外で父親の帰りを持っている子供の姿はあるだろうか。子供を肩に乗せた父親はいるかい? 父親の仕事で使っている帽子を被せて貰って嬉しそうにしている子は? 扉を開いて、「ただいま」と「おかえり」の言葉は聞こえて来るだろうか。キスをする両親を横目に子供はどうしてか「おなかすいた」って急かすんだよね。

 それで、まさか、殆どの男性がケガを負い、ある者は家族の元に帰れない、なんてそんなことにはなっていないよね。


 貴方の国には夫婦揃って買い出しに出掛けている姿はあるだろうか。好奇心旺盛な下の子の手を握って可愛らしく歩いている兄弟の姿は?

 もしかすると、外を見渡しても走り回っている子供がいないなんてことはないだろうね。

 近頃、私は自分の子供の頃に得た経験や見た景色を思い出しては、眩しく思うことが増えたよ。これが郷愁(きょうしゅう)ってものなんだろうね。


 花屋にはちゃんと季節の花が仕入れられているだろうか。貴方の部屋にはどんな花が飾られているのかな。

 残念ながら、私の部屋の花瓶には長いこと何も入っていない。

 デートの前に、恋人に贈る花を選んでいる男性はいるかい? 心を躍らせスカートを(ひるがえ)してショーウィンドウの前でこっそり一回転している女性はいるだろうか。


 毎年、収穫祭はやっているだろうか。搾りたての果物のジュースは美味しいよね。

 ジュースも美味しいが、私は妻が作ってくれるパイが大好物でね、ポテトパイも、ブルーベリーパイもどれもが美味しいんだよ。

 もし、こちらに遊びに来ることがあったら、ぜひご馳走させて欲しい。私は釣りや狩りをするから、大きなご馳走を捕まえて来よう。


 親愛なる友よ。

 空には我々を見張る様にして飛んでいる大きな雲の鳥がいて、すっかりその景色に見慣れてしまってはいないかい?

 空の広さはどのくらいだったか思い出せる者はどれくらいいるのだろうか。もしかすると、貴方達の子供や孫は空の広さを知らないかもしれないね。


 我々は、子供に辛い思いをさせる為に戦をするのだろうか。

 我々は、いつから隣国の人々の暮らしを想像することが出来なくなってしまったのだろうか。

 我々は、どうしてあれもこれも欲しがっているのだろうか。

 貴方達は、何が欲しいのだろうか。


 私は、子供も大人も誕生日にはケーキを食べて、嬉しいことがあれば花を買って、それを誰かにあげたり部屋に飾ったりしたい。

 お祭りの時は皆で伝統の踊りを踊って、全てのことに感謝をするんだ。ありがとうってね。

 窓を開ければ季節の香りがして、近くでは小鳥が飛ぶ練習をしているんだ。そして、その鳥が翌年に帰って来ることを楽しみにして待つ。


 友よ、私の望みはちっぽけだろうか?

 今ではそのちっぽけなものすら得ることが出来なくなった。

 私はその有触れた幸せが恋しいよ。


 毎日違う青を見上げて、夜には星の瞬きを見たいのに、雲の鳥が邪魔で見えない。

 緩やかに流れていた川は地を這って何処へ行ってしまったのだろうか。


 友よ、貴方の部屋の窓からは何が見えるだろうか。

 どんな臭いがして、どんな音が聞こえるのだろうか。

 貴方達の愛した景色はその窓から見えるのだろうか。


 私の小さな国の名前を知らないかもしれない、親愛なる友人達よ。

 私は国の強さを誇示(こじ)したい訳でもなく、隣国の資源を羨んでいる訳ではありません。

 どうか貴方達が私の国を訪れた時は、我が国の豊かさに癒されて欲しい。

 髪や胸を飾る為の花を贈らせて欲しい。

 そして、貴方達の国の話を聞かせてください。


 もし、資源が足りず苦しい思いをしているのなら教えて欲しい。

 奪い合うのではなく、私は助け合いたいのです。


 私の願いは綺麗ごとでしょうか。

 しかし、時代がこのままグレイノノルから変わることが出来なければ、私達は全滅することになるでしょう。皆、等しく、なかったことになるのです。

 多くの無関係なものを道連れに、”何もない場所”だけが()()()()

 これ以上、乙女に何も奪われない為には、私達も奪ってはいけない。

 小さな野ネズミの家の一つでさえ、です。


 私達が生き続ける為に、どうか、共に美しかった世界を取り戻しましょう。



 貴方の一番の友より


 ------------------



 この手紙をきっかけに戦を口にする者達は気が付く。このままでは人々は全滅してしまう、と。

 死なない為にするには戦をしなければ良い、誰からも奪わなければ、我々も乙女から何も奪われることはないのだと、(ようや)く答えに辿り着いた。


 こうしてグレイノノルの時代は終わり、乙女も静かな眠りに就いた。

 時間を掛けて、私達は美しい景色を取り戻したのだ。


 抵抗しなければ侵攻される。小さな国の王様もそう思って過ごしていたと思うのだ。しかし、彼は至る国の王様に”友”と書いて手紙を出した。本当の友人に宛てるような手紙を、だ。

 破り捨てた者もいたかもしれない。彼に対して臆病者と笑った者もいたかもしれない。小さな国の王様が書いた手紙の内容はこれまで当たり前だったことを書き、そして綺麗ごとのような言葉を並べたに過ぎないだろう。無意味に思える戦いも、誰かにとっては意味があるのだ。たとえそれがたった一人の意味さえも持たないものだったとしても、その一人が戦う理由を見つけたならば、無意味は意味を持つのだろう。

 しかし、皆が皆、乙女には誰も逆らえないことを知っていた。そして手紙を読み、改めて自覚をすることになった。誰の誕生日も祝えず、誰にも祝われない誕生日はあと何回、訪れるのだろうかと。


 引っ込みどころ作ったのは、この小さな国の王様だったことは間違いないだろう。

 風の妖精の”報復をしない選択”も、小さな国の王様が呼びかけた”奪われない為には奪わない”、というのはどちらも難しい。しかし、私はこの二つの話を知った時、それらは出来ないことではないのだと知った。

 しかし同時に、不可能な話なのだとも思った。


 ……そうとはいえ、再びこの世界が花を咲かせるために種を蒔いたのは、彼らの様な考え方が出来る者達のお陰であるに違いないのだろうが。


 だから他者の言葉には耳を傾け、善悪を見極める為の知識を自ずと身に付けねばいけない。

 その為には己とは何か、他者とは何か、世界とは何かと考えることを止めてはいけないのだ。



 メインを食べ終え、ヨーグルトを口に入れれば、上に掛かっていたブルーベリーのソースが思った以上に酸っぱかった。

 頼んだ料理の量が意外と多くて、膨れた胃を労わる様に撫でてみる。


「(消化してしまった物の返し方なんて、分からないまま)」


 ヨーグルトが入っていた容器を眺めれば、ブルーベリーがジャムになると青色ではなくなることに気が付く。

 奪われたくなければ奪うな、か。


 私は、あの森の大切なものを奪ってしまったのだろう。




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