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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第四章 乙女の左頬と森の番人
24/63

第四話

2023.4/7 文章の見直しと、漢数字に直しました。

2022.12/20 記号による表現を修正いたしました。



 月が沈み、太陽が昇る頃には私達は眠りに就いていた。

 起きがけの喉は夜通し喋り続けた為にカラカラに乾燥し、朝一に飲んだ水は喉を充分に潤す代わりにしては些か冷たすぎるように感じた。

 太陽が目の高さになっただろう時間の森は、花嫁のベールを纏っているように僅かに霧掛かっていた。そのレースの色を例えるならば、アクア・ティントの色だろうか。

 この景色を描くならば、私は点描を用いるだろう。



 馬型の青年は森を出た世界に夢を見て、風の妖精は人と妖精の関係に変化を求めなかった。

 では私は未来にどんな夢を見て、今何を望むだろうか。

 私の望み。それは、誰もが必ず辿り着く命の終点。静かな終わりだけであった。


「それはあまりにも夢がないよ」

「もう一つくらい夢があってもいいかもしれませんね」


 色々と考えて絞り出した私の夢を聞いた二人は微妙な反応を見せた。別に明るい内容だけが夢ではないと思うのだけど……。思わず尖る唇に気が付いて子供っぽい顔をしてしまった、と口の位置を戻す。リゥランからはキャンバスが壁になってその表情は見えなかったのだろうけど、風の妖精は横目に私を見て、ふん、と鼻を鳴らしたものだから結局ムッとした顔に戻してしまった。


「その夢が一番だとして、では二番目の夢はないのですか?」


 分かっている。別にリゥランと風の妖精は私の夢を否定している訳ではない。ただ、私の願いは他者にとっては悲しいものに聞こえるのだろう。

 キャンバスの中に降り落ちる空の光から視線は画面をはみ出て、顔を上げるとぽっかり空いた場所には青空が見えた。空を描くことは難しい。僅かにでも時間が進めば色を変え、浮かんでいる雲を描こうとしても常に動いているし、雲同士がくっつくことがあれば、離れてしまうことがある。それを描こうとしているのだから、絵の中の空は動いていないのに、動きがある様に見える。ただ、それは見たものと違うと言われるかもしれない。しかし、あの日、あの場所で見た空だと描き手が言えば、その空はある場所でありある時に見た空になるのだ。


「二番目の夢か……」


 絵はそろそろ終盤を迎えようとしていた。木漏れ日の中に(たたず)む馬型の青年。その絵に光を付け足していく。光にはオレンジ、黄色、白、たまに紫や青を。キャンバスの中で様々な色が重なりあって、絵の中の景色には輝きが生まれた。


「また、この三人で焚火を囲んでマシュマロを食べたいなあ」


 食べている物は甘いのに、会話の内容はどちらかというと塩辛くて至極真面目なものだったけど、彼らと語らった時間はとても楽しかった。

 私は長い時間を生きることによって、夢を語るには色々なものを見すぎてしまったのかもしれない。しかしとリゥランに出会い、未だ自分が知り得ない世界の隅々を想像して年甲斐もなく興奮した。

 私の夢なんて、ちっぽけな夢だと思うかもしれない。では果たせる自信がないものをちっぽけだと誰が決めつけられるというのだろうか。


「そんなものは夢とは言わない」


 絞り出した二番目の夢にさえ風の妖精は手厳しい反応を見せた。

 空から妖精に視線を戻せば、彼は宙を浮いたまま胡坐(あぐら)を掻いて、更には偉そうに腕を組んでいた。その内容では納得できない、と言いたげだ。

 

 夢でもない、か。


「まあまあ、急には思い浮かびませんよ」

「だって、また一緒に食べよう、そう言ってまた会う約束をすれば良いだけの話だろう?」


 風の妖精の言葉に私達は思わず目を丸める。

 だって、また会えるなんて思っていなかったから。再びこの三人が揃うことなんてないのかもしれないと思っていたのだ。リゥランの驚いた様子を見るに彼も同じことを思っていたのかもしれない。

 この先、私達が再び会うことなんてないのだと。

 しかしどうだろう、約束をして、それを果たせば良いだけなのだと風の妖精は簡単に言ってのけた。そうだ。こんな約束、難しいものでもなんでもない。それなのに私は不可能だと勝手に決めつけていた。


「うん」


 すとんと胸に入って来た風の妖精の言葉に、私は頷く。

 また一緒にマシュマロ焼こうね。なんて、子供ですらすんなり出て来る言葉だろう。笑ってしまうでしょう? 私はそんなことすら思いつけないのだ。


「また一緒に食べましょう。……マシュマロ」


 私は自分がすっかり臆病になっていたことを思い出した。そうだ。私は約束をすることが怖い。いつ約束したことだったのか忘れて、もうこの世にいない人の元を訪れてしまうのではないかと、そう思うと簡単には約束をすることが出来なくなってしまったのだ。


 一際大きな風が私達の間を通り、木々の葉が激しく揺れた。その葉と葉の隙間に、一瞬だけ懐かしい景色が見えた。

 赤い実が川を流れていき、枝を離れたイチジクの葉が庭師を困らせるように舞う中、掴みどころがなくて多少素っ気ない態度を装っていた(・・・・・)私の元に何度も何度も訪れた少年の姿が見えた。


 ――約束は、彼だけで終わりと思っていたんだけどなあ。


「二番目の夢はその約束を果たすことにします」

「あのねぇ、それじゃあ意味がないだろう?」


 相変わらず私の言葉に不服そうな顔をする風の妖精に首を横に振って、彼の言葉を今度は私が否定する。


「いいえ。意味はありますよ。私にとっては意味があるのです」


 約束をして、その約束を果たす。

 それは簡単なことだけど、難しいことでもあった。

 約束を果たすと決意することだけでも、私にとっては大きな一歩のようなのだった。


「なんだか、私たち、友人みたいですね」


 気恥ずかしさから口がもにょ、と変に歪んでしまうのを誤魔化す様に米神を筆の後ろの先で掻く。


 友達、か。自分が言った言葉を心の中で反復してみる。

 私にはテオ達がいればいいと思っていたのだけど、この心の変化はどうしたものかな。良いことなのか、悪いことなのか、今の私には知り得ないことだ。


 悲しいことに、これはきっと再び友人の死を見送る時に答えが出るのだろう。


「その絵が完成したら私は貴女のお客さんではなくなりますね」

「え? えっと、そうなのでしょうか」


 依頼を終えた後もお客さんはお客さんのままだ。だって、次の依頼を貰うかもしれない。名を背負い働く者とは普段からそう思って振る舞いに気を付けるものでしょう?

 首を捻る私を気にもせずにリゥランは言葉を続ける。


「その絵が完成して私が報酬をお渡ししたら、改めて私たちは友人になりましょう」


 キャンバスに描かれた光の傾きが、空の太陽が移動したことによって実際に見える景色と違えた。


「私と友達だなんて、それは、どうなのでしょうか」

「どう、とは?」

「だって、私の様な奇異な者がこんなに友達を持てるだなんて、考えもしなかったから」


 私は自分の存在という自信のなさから思わず俯く。

 本当に、今世はどうしたのだろうか。

 意図して作らないでいた友人が二人も出来ようとしていた。しかも、リゥランは私の身に起こっていることを知った上で友人になろうと言ってくれている。

 それがあまりにも嬉しかったのか、不意打ちをくらうように頬に熱が帯びた。


「……こんなの、贅沢だ」


 みるみると溜まっていった涙が俯いたことによって頬を伝わずに地面に落ちた。原っぱの草を一滴の雫が濡らすのを見届けた後、もう一度瞬きをすると今度は瞼にくっつく。

 流れる涙を誤魔化すのを諦めて、目を閉じて見えたのは”あの日”に馬車の中から眺めた外の景色だった。

 息子さんの元を離れた後、馬車の中で揺られながら彼と再び会う約束をしたこと、そして友人でいてくれると言ってくれたことを噛みしめて、あの時も開け放たれた窓から入り込む風に当てられながら涙が溢れた。嬉しかったのだ。身に余るような喜びに心がサワサワと風に吹かれる原っぱの如く揺れ動いた。

 

 私はただただ生き死にを繰り返す人生に期待をすることを止めて、長い時間を何者にもなれないままに流浪の旅に出た。その時間ではただの画家でいることしか出来ず、自分の本当の名前すら奥底に仕舞いこんでいたというのに。

 込み上がる喜びと期待を感じて久しぶりに感じた”私”という存在に安堵したのだ。


「感動している所悪いけど、僕だって友達だろう?」


 妖精の言葉に顔を上げれば今度こそ涙が頬を伝った。私の涙を見て風の妖精は一瞬顔を(ひそ)める。


「僕はそう思っているんだけど」


 口を尖らせ、僅かに不安げな風の妖精はちらり、とこちらの様子を伺った。妖精の友達、か。なんだか、御伽噺のような話だ。


「うん。……友達ですね」


 頬を伝った涙を手の甲で力強く擦って拭う。

 友人も家族も、どうして持つことが怖かったか。その理由を忘れてなんかいないよ。



 結局、大切な人を失うのは私だからだ。




 絵は遂に完成した。

 キャンバスを手に持って絵を眺める青年を正面から見つめる。

 とうとう完成しちゃったなあ。


 絵の完成が私達のお別れだ。


 彼の為に描いた絵は精密なものというよりも木漏れ日の光の粒子が森と彼を(かたど)っているような、そんな絵だった。筆を撫でつけて描くのではなく、細かく、細かく、優しくキャンバスをタッチして描き上げた。

 絵の色合いは、陽の暖かさを表現するように暖色を下地にして、乗せていく色は青々しく透ける草花のような表現したつもりだ。


「貴女にはこの森と私はこうして見えているのですね」


 絵を撫でようとしたリゥランの手は絵の表面に触れる間近で戸惑い、結局キャンバスの形をなぞる様に(くう)を撫でた。

 彼はこの先もそうして触れるのを躊躇(とまど)うように大切にしてくれるのだろう。


「なんだか自分が立派に見えます」


 眺めていた絵から視線を上げて、彼は照れた様に笑った。

 初めて会った昨日は、彼の様な神聖な人とどんな話をすれば良いのか、なんて不安に思っていた。しかし彼は町で見かけるような普通の好青年のようで、彼と猿型の青年は何処にも違いなんてないように思えた。

 リゥランがこの森を出て暮らすことが難しい理由は、ただ見た目が違うだけであって、もし彼の足が四足ではなくて二足であったなら、風の妖精が彼に教え込んだような恐ろしいことは起こらず、私は独り立ちをする為に家を出る息子を想う親のような心配しかしなかったのだろうか。 彼の身に悲しいことや、痛いことが起きるかもしれない、といった心配ではなくて、自分が守ってやれる範囲を出た後に、ただ健やかに自分の人生を歩む為に頑張るんだよ、と背中を押す様なそんな、思いだけ。


「私にはそう見えるんです」


 貴方にとっては、それは残念なことの一つなのかもしれない。

 何故なら、その絵は私と彼は違うのだと知らしめているようなものだから。この森の外に夢を見るリゥランにとっては複雑なことを言っている筈だ。


「……ご心配なくても、私はこの森からは出ませんよ」


 気まずくなって彼が持つキャンバスの縁を見つめていれば、柔らかく、空気に溶かす様に彼は呟いた。

 視線を彼に向ければ、今度は困ったような顔で笑っていた。


「妻子もいるし孫もいるのですから。父親が家族の元を離れて遊び歩くなんてことはしません」

「お孫、さん?」


 見た目はどうしたって二十歳以下の青年であるのに、子供だけではなくて孫までいるのか。

 驚く私にリゥランは可笑しそうに笑った。出会った当初より、随分と表情が変わるようになったなあ。


「言ったでしょう? 私達は短命なのです。貴方達とは流れる時間の速さが違うのです」

「そっか……。孫とは、手放しに可愛いですよね」

「貴女にもお孫さんがいるのでしたね」

「えぇ。……そう、家族が」


 リゥランが持つキャンバスの平らな表面が、彼が動く度に光を反射させてキラキラと(またた)いた。まるで、風に揺れる葉が、ゆらり、ゆらりと陽の光を()いでいるようだった。


「しかし森を出ずとも森の外の人と話すのは良いかもしれませんね。今度、村に訪れる賢者に話でも聞いてみようかな」

「賢者とはあまりそういった話はしないのですか?」

「そうですね。大体は森と精霊の様子を一方的に向こうが聞いていくだけで。……森を出ないのですから、森の外に興味を持っている者は殆どいませんし。それに、子供に外の話を聞かせて私のように夢を抱いてしまっては大変ですから。たった一人の特異は、森全体を世の中に知らしめることになりかねませんからね。大人しかいない所で聞かないとね」

「貴方達の組織の在り方は酷く閉鎖的で子供に掛ける圧力は凄まじいように感じるけど、起こり得る災厄を遠ざける為には良い判断だ」

「個よりも、大衆を取った結果ですね。それに、これは我々だけの問題ではなくて、この森全体の問題でもあります。私達は森と精霊を守護する為にいるのですから、仕方ありません」


 自由は、得るまでの過程が壮絶である。新たな希望を得る為には、その過程の中で双方に犠牲が出ることだろう。自由を求める方にも、求められる方にも、譲歩(じょうほ)しなくてはいけない場面が必ず出て来る。それをせずに己の主張を押し通そうとした時に、争いは起きる。結局、そうなれば得た自由も守った現状にも優しさなんてものはない。それはただ相手から奪い、勝ち取っただけのものでしかないのだと私は思う。

 だから、多くを求めず、他者をありのままに受け入れることは大切なのだが、これは途方もなく難しいことだ。人は野の花のようにただ風に吹かれるだけの生活も、ただ雨に打たれるだけの生活も、しおれて枯れてしまう程に太陽の光に晒され続ける生活も、突然誰かに踏まれたり、むしり取られたりする生活を続けることは出来ないだろう。

 私たちは雨(ざら)しに合えば寒さを凌げる温かな家を建てるだろう。暑さが厳しければ井戸の水を引いて甘い砂糖のジュースを作るだろう。

 そして突然誰かに酷い目に合わされたなら報復を考えるかもしれない。それは自身が望んだことではなくても、周りの者の怒りがそうさせるかもしれない。負の感情は容易く起こり得ることだった。

 

 リゥラン達の変化を求めない生活とは、想像するよりも遥かに難しいことなのだ。


「この絵はずっと、ずっと大切にします」


 ぎゅ、とキャンバスを握る手に力が籠ったのを見て、私は笑って頷く。


「ありがとう」

「お礼を言うのは私の方ですよ」

「嬉しいんです。本当に、言葉では表現が出来ない程に、その絵が大切にされることが嬉しい」


 切なく締め付けられる胸を堪えると、頬に熱が込み上げた。


「こんな言い方をすると貴方を利用しているように思われるかもしれないけど」


 言っても良いだろうか。

 此処まで言ってしまっているのだ、やっぱりなし、は駄目か。

 少しだけ震える拳を握り締めて、私は勇気を出す。


「貴方と、風の妖精との約束を守ることによって私は大きなものを得られると思うのです。だから……。だから、必ず、約束を果たしに来ます」


 彼らとの約束は、私の為の約束だ。なにそれ、と思ってくれてもいい。だって、本当のことなんだから。

 リゥランは分かっている、と言うように頷き、前足を屈して、右掌の人差し指が丁度彼の左の鎖骨に当たる様に手を当てて、目を伏せて僅かに顔を伏せた。


「約束しましょう。約束が果たされることを、私はこの森で待っています。そして、貴女の為に願いましょう」


 優しい風が原っぱの草を撫で、僅かな太陽の光が彼を縁取る様に照らした。

 それはまるで世に残る美しき絵画のようであった。


「貴女の生末が、どうか静かな終わりでありますように」


 緊張から握りしめていた拳を、ゆっくりと開く。

 私の陰気な夢を聞いて、風の妖精と一緒になって「他に夢はないのか」と言っていたのに。私の考えを少しでも尊重してくれる人がいるとは、これまでなら考えることも出来なかった。

 彼のその優しい祈りが、私の中で明るいエネルギーになるのを感じた。


「ありがとう。リゥランさん、貴方に出会えて良かった。……お仕事を頂いて来たのに、私の方が大きなものを得てしまいました」


 彼らの所作を真似るように、右手を左鎖骨にあてて、淑女(しゅくじょ)のご挨拶を真似るように膝を軽く曲げ、僅かに頭を垂れる。


「ほんとうに、ありがとう」




 リゥランに送られて森の外に出ると目が眩むほどの太陽の光が目を焼こうとした。それを思わず掌で塞ぎ、明かりから顔を隠す様に森を振り返る。


「さようなら、私の友人」


 大きく手を振る彼を向いたまま、数歩後ろ歩きをして、遠ざかる彼の姿に向かって手を徐々に大きく振り返した。


「さようなら、私のお友達!」

「またねー」


 隣に浮いている風の妖精も小さな腕を上げて彼に大きな声を出して別れを告げる。

 私、本当、彼に会えて良かった。風の精霊が私の前に姿を表そうと決断して、彼からの手紙を渡してくれて、心の底から良かったと思った。

 生き方は一つではないのだと知ることが出来たのは、私の心の中で大きな財産となって、いつまでも残るだろう。


「絵を描いてあげるのってそんなに嬉しいものなんだね」


 小石に踵を引っ掛けたのを合図に体を翻し、来た道を進む。

 さあ、私が暮らす世界に戻ろう。


「そうだね。なんていうのかな」


 長くて、細い道を二人で進む。


(たと)えるなら、大切に育てていたサボテンの花が咲いた時の喜びに似ているのかな」

「……分かるような気がするけど、花が咲いた喜びと描いた絵が喜ばれる気持ちが一緒、ねえ」


 微妙に納得がいかない様子の風の妖精を横目に私は青が広がる空を見上げてゆっくり深呼吸をする。


「サボテンの花を咲かせたことがある人じゃないと分からないよ」


 勿論、絵を描く喜びを知っている者の中にも手塩に掛けた花が咲く喜びを知らぬ者がいるのだろう。

 私は絵を描き、完成する喜びを花が咲く時の喜びと似ていると感じているだけで、この世にはもっと沢山の喜びの例え様があるのでしょうね。


「あ、人がやって来るよ」


 他に例えようがあるかな、と考えていれば風の妖精が小さな人差し指を差して声を上げる。目を細めて道の先を見つめると、確かにこちらに向かってくる何かが見えた。

 その何かは、先程まで見ていた黒曜に似た色をした馬で、その上にフードを深く被った人が乗っていた。私達は細い道から逸れて道を(ゆず)れば、あっと言う間にこちらにやって来たその人は、馬の速度を落とす事もなく目の前を駆け抜けていった。


「危ないなあ」


 風のように走り抜けたその人の後ろ姿を風の妖精は不満げに見つめる。

 危ない。確かにその通りだ。しかし、それ以外のことで気が取られていて曖昧(あいまい)な返事も出来なかった。


 横切るあの一瞬で、あの人は私を認識しようとしているみたいであった。すれ違った時、僅かに見えた白銀の二つ目が確かに私を見下ろしていたのだ。それは、何故此処に人がいるのだ、と言いたげなものだったと思う。一瞬のことだったから、私が感じたことが正しいのかは分からないけど、私は人の視線に人一番敏感なもので、あの視線には見覚えがあった。


「今のが賢者だろうね」


 道の上に戻り、妖精の言葉に驚いて後ろを振り向いたが先程の姿は既に見えなくなっていた。


 長いこと生きていれば、いつか賢者と呼ばれる人ともお話が出来る時がくるのだろうか。



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