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【完結】絵の中の人々  作者: 遥々岬
第四章 乙女の左頬と森の番人
22/63

第二話

2023.4/7 文章の見直しと、漢数字に直しました。

2022.12/20 記号による表現を修正いたしました。



 乙女の左頬に位置する森は緑青色をした大きな怪物の様に大きかった。


「足は疲れていませんか?」


 私の一歩前を歩く青年が気遣うようにこちらを振り向く。


「問題はありません」


 青年は頷いて見せれば前を向き直し、歩みを進めた。

 こっそりと後ろから彼を観察する。細かいウェーブが掛かった黒髪と、まるで金色に光っているような日焼け肌。私のふくらはぎ程ある腕は(たくま)しく、そして下半身は黒曜(こくよう)の馬の姿そのものだった。

 その姿を見て、小さい頃に読んだ遠い国の神話を思い出した。その神話にケンタウロスという生き物が出て来るのだが、彼の姿はそれそのものであった。


「貴方は神話に出て来るケンタウロスと同じ種族なのでしょうか」

「けんたうろす?」


 目を丸めて首を傾げる青年の反応を見ると、ケンタウロスという言葉自体を知らないようだ。


「私達は貴女と同じ人間ですよ。人族、馬型。そういう貴女は人族猿型でしょう?」

「猿型、ですか? 初めて聞きました」

「ああ、この呼び方は馴染みがないのですね」


 猿とは、あの猿のことだろうか。

 思い浮かべるのは四人の精霊が司る青き土地にある東の国にいる生き物。温泉が湧く場所に棲んでいる、人に近い獣。


「猿型、馬型、鳥型、そして魚型。面白いことに皆、同じ”上半身”をしているのですよね」

「そう、なんですね」


 森に足を踏み入れた時に鳥が異質な侵入を森の者に知らせるようにギャアギャアと騒ぎながら飛んでいた。


「あ、私達は人を背中に乗せて歩いたりはしませんからね。貴方達でいうおんぶと同じだと思ってください」


 キリっとした顔から冗談をいうように笑う青年に思わず苦笑いが零れる。


「こう見えて私は馬型の中ではもうお爺ちゃんのようなものでしてね、最近は腰を労わっているのです。馬型は短命なもので」


 私がロクに彼らのことを知っていないと気づいたから、あれやこれやと自分の生態について教えてくれるのを私は一つ一つ相槌を打って答える。


「(そうか、私達は同じ”人間”なのか)」


 同じ人間、それだけで僅かに緊張が解けるようだった。



 

 案内をされて辿り着いた場所は開けた所で、太陽の光が木々の隙間をすり抜けてスポットライトのようにポツンと真ん中にある切株に光を降り注いでいた。

 森が静かに呼吸をするように草木が波打つ。

 原っぱに紛れた白や黄色の小さな花が揺れ、目の端で小動物がこちらを(うかが)うように走っては隠れるのを繰り返していた。


「この場所は村の手前になります。その、依頼をしておいて失礼なことをしているのは百も承知なのですが、私達の中には猿型を敬遠している者がいまして……」

「私は問題ないですが、絵の具がそこら辺についてしまうのは問題ないですか? なるべく私も気をつけますが」


 全く人の手が付いていない場所を万が一にでも人工的な物で汚すようなことになるかもしれないと思うと酷く躊躇させられた。


「油の臭いが苦手な者もいますが、いずれ雨が洗い流してくれると思うので問題はありません。それよりも、貴女の鞄から臭う死臭の方が気になります」


 死臭? 青年の意外な言葉に眉を(しか)める。私は死んだモノを連れて歩いてなどいないが……。


 あ、もしかして。


(にかわ)という材料の臭いかもしれませんね」

「ニカワ?」

「動物の皮を煮て作った画材です」


 大きなカバンを原っぱの上に置く。少しだけ屈した体制でチラリと青年の足元を見て、気まずさを感じて頬を掻く。

 どう説明すべきか。……いや、どうも何も、製法を説明すれば伝わるのだろうが。


「私は主に鹿や兎を使った物を使用しています。その、よく食べる肉なので」

「余すことなく使っているのですね」

「えぇ、まあ。……そうですね」


 嗚呼、気分を害されたらどうしよう。


「ふ……、そんなに気まずそうにしないでください」


 小さく噴き出す彼の様子に目を丸め、ゆっくりと彼を見上げる。


「私達は鹿や兎と同じ獣ではありませんよ」

「あ、いや、そうですよね」


 しまった。さっき彼らも人間なのだと教えられたというのに失礼な態度をしてしまった。

 非礼を謝ろうとしたが彼の方が先に口を開いた。


「私の名前はリゥラン。この度はこんな遠い場所へ来ていただき、感謝します」


 胸を張って私を真っ直ぐと見据える青年に背筋が伸びる。

 先程の、私の失礼な態度を気にもしていないような態度には感服する。

 寛容な人だ。


「こちらこそ、宜しくお願いします。……私のことは”筆”と呼んでください」

「分かりました。では、筆。宜しくお願いします」


 気高く聡明(そうめい)そうな青年の態度に先程薄れていた緊張が再び顔を出す。こんなに緊張するのは何十年ぶりになるだろうか。


「それではその切り株の近くでポージングをお願いします」

「ぽーじんぐ?」

「えっと、描いて欲しい姿で立ったり、座ったりしてください」

「分かりました」


 リゥランは理解した、と言わんばかりに大きく頷いて切株の近くに立ち、私は使い慣れた鞄から作業に必要な画材道具を取り出す。小花が咲く野原にイーゼルを立てて、真っ白なキャンバスをそれに乗せて、鉛筆と筆を取り出した。

 既にお気づきかもしれないが、風の妖精は傍にいない。私が絵を描いている内に手紙の配達に行くと言って飛んで行ってしまったのだ。

 彼はどのくらいで帰って来られるのだろうか。


 ……彼、と言っているが本当の性別は未だに分からないのだけどね。今度、話す機会があれば聞いてみようかな。


「疲れたら言ってくださいね。休みながら作業を進めましょう」

「お気遣いありがとうございます」


 今回受けた依頼は、この馬型の青年を描くこと。

 生きた人が描いて欲しいポーズをして立っているのだ。なんてことはない。これまで描いてきた絵よりも作業はしやすいだろう。


 美しい森の風景をどの比率で画面に取り入れようかリゥランとキャンバスを交互に見てバランスの計算をしながら、親指と人差し指で唇を捏ね繰り回し、摘まんで、離す。

 折角だ。彼が大きく見えるように描こう。

 そうと決まれば鉛筆で線を引くことは簡単なもので、葉と葉が重なる音の中にシャッシャッシャと鉛筆がキャンバスを滑る音が混ざる。


「そう言えば、誰から私のことを聞いたのですか?」


 手紙を受け取ってから疑問だったことを口に出す。


「ハルムの町の魚型から聞きました」

「ハルム……、ですか」


 彼の言葉に思わず手を止める。

 ハルムの町とは、あの紅碧(べにみどり)色の珊瑚が美しい人魚の棲む町の名前だ。アップルパイを焼くのが上手な母親が住んでいる、紫色の町だ。


「海に向かって人魚さんって呼びかけたことがあったのですが、応える者はいませんでしたよ」

「魚型は私達以上に警戒心が強いですから。あの人達は気難しいのです」


 あの町に住む人魚とは二通りを指す。

 町を気に入るあまり足を捨てて鱗を得た精霊。もう一つは死んだ町の人の魂。

 

 人魚は気難しいのか。

 会える日が訪れるのは分からないが覚えておこう。


「もし、また会う機会があれば、紹介をしてくださりありがとうございます、とお伝えください」

「分かりました。会えたら、ですけど」


 もしもだ。

 もしも、娘さんの魂が体を得て広い海を泳ぎまわり、こうして私に貴重なご縁を結んでくれたというのなら、こんなにもありがたいことはない。


「人魚って、本当にいるんですね」


 夢のような話を聞いて惚けそうになる気持ちを(ふる)い立たせ、手を動かす。


「いますよ。この世界には沢山の命があるのです」


 彼の言葉に胸が熱くなったのか、(わず)かに頬に熱を感じた。

 そうか。この世界には、まだまだ私が知らないことが沢山あって、出会ったことがない命があるのか。


「私も一つ聞きたいことがあります」


 畏まったような言い方が気になってコミュニケーションが取りやすいようにキャンバスから顔を覗かせて彼を見つめる。


「貴女は人間なのですか?」


 私を真っ直ぐ見据える彼の目には緊張が(にじ)んでいた。それは異質な者を見る目と同じように見えて、私は落胆し力が抜けるように肩はすっかり下がってしまった。


「あ、その……。私達は寿命の色が見えるのです。赤ん坊には赤ん坊の色が、年寄りには年寄りの色が。体を包み込むように、光が滲んで見えるのです」

「私の色は何色に見えますか?」

「筆の色は……、無色透明。色が見えません」


 彼の目が僅かに疑心を含んだのを目の当たりにして、今度こそはっきりと寂しい気持ちになった。

 私達にとっては御伽噺に出て来るような存在である彼にも、私は受け入れられないのか。

 手に持ったままだった鉛筆をキャンバスに置いて彼と話をする体制を取る。とてもではないが、これは作業をしながら話せる内容ではないだろう。


「貴方は銀色の蝶のサナギに埋め尽くされた洞窟を知りませんか」


 リゥランは首を横に振る。


「私は一年の殆どが雪に覆われた小さな村で生まれ育ちました。村の近くには広くて大きな森があって、その森にある湖には精霊が棲んでいると教えられていました。小さい頃から大人達には森に近づくなと言われていたのに、暇を持て余した幼い私は一人でその森に入ったのです」


 白銀の道なき道を進んだ。冬の空気は酷く静かで、尖っていた。


「湖には精霊はいませんでした。子供の好奇心は収まることはなく、道なき白き道を進み辿り着いたのが、森の奥にあると聞かされていた洞窟でした」


 木々の隙間に目を()らせば、雪で霞む景色の中に家の中で焚いている暖炉の熱が、煙突を通ってモクモクと水蒸気となって天を昇り、雲と繋がっていた。

 私の故郷は見栄えする物もない静かな村だった。

 ただ、ある人はそんな白銀の景色を美しいというのかもしれないが。


「サナギは歩く道すらない程に洞窟の至る場所に張り付いていました。サナギは呼吸している素振りはなく、全て死んでいるようでした。そして、その道なき道を歩み、辿り着いた場所に銀色の花が咲いていたのです」


 (もろ)いゴムを踏むような感触は今でも思い出せる。今ならサナギの数に鳥肌を立てて急いで来た道を戻ったことだろう。

 それは子供だったから出来た行いだったと思う。


「その花には青い果実が実っていました。まるで金粉でも掛かったような美しい実が」

「まさか」


 未だ当時の光景を鮮明に思い出すことが出来る。

 記憶の中の子供が小さな手で()ぎ取り、それを口に含もうとする手を止めたくなる。


 わなわなと顔を青ざめる彼に私は頷いて見せる。


「私は、その実を食べたのです」


 その果実はサイズも、味も鬼灯の実に似ていて、とても美味しかった。甘い香りと味の奥にほんのりと酸味があっただろうか。

 手袋の中に隠している指の先が凍って取れてしまいそうなほど寒いのに、その果実は凍ることもなく、瑞々しく柔らかかった。


摩訶(まか)不思議で美しいものは見てはいけません、触れてはいけません。私達は幼い頃からそう教わってきました」


 青年は(わず)かに語尾を震わせ、やはり首を横に振って私の話に拒絶を見せた。

 私は、それは正しい教えだ、ともう一度頷く。


「それを食べたからかは分かりませんが、私は三回、老衰で死んでいます。年老いて、枯れて、冷たく硬くなった体を内側から裂いて赤ん坊の姿でもう一度産まれ直してしまうのです」

「それはもう、その実が原因としか」

「考えられないですよね」

「三回も死んだなんて……」


 この話は、家族と私に絵を教えてくれたテオとその家族しか知らない。家族は目の当たりにした不気味な現象を受け入れてくれた。

 そして他人であるテオとその奥さんはこんな信じられない話を信じ、そして私の死を目の辺りにしても気味悪がることなく娘として育ててくれたのだ。

 画家としての私の今があるのは、紛れもなく家族とあの二人がいてくれたから。


「一度目の死を迎えて、私は一番上の娘に育てられました。娘の子供はもう大きくなって傍を離れたというのに随分と苦労を掛けてしまった。……娘は、私よりも先に老いて死にました。二度目の死は孫が見届けてくれました。そして、二回目の産まれ直しをした私を孫も育ててくれたのです」


 この腕に抱いた子に育てられる気持ちなんて分からないだろう。情けなくって仕方ない、この気持ちなんて。


「でも、小さな村に住んでいましたからね。一寸の狂いもなく同じ姿で産まれ直す私のことなんて直ぐに勘ぐられ、周知されてしまうし、そうすれば家族にも肩身の狭い思いをさせるかもしれない。もしかすると気味悪がれて家族諸共危ない目に合わせてしまうかもしれない。そう思ったから、私はある程度成長したあと家族の元を離れました」


 今だって思い出せる。

 焦げ茶色の木で出来た三角屋根の家。

 旦那と、子供が三人いて、犬と猫が三匹ずついた。絨毯は金縁の赤い色。カーテンレースは外の寒さを室内に入れないように分厚い。ソファーは深緑色で、その上には私や子供達が作ったクッションが沢山置いていた。

 外の仕事を終えた旦那の体が暖まる様に毎日スープを作った。夕飯時の家は少し甘たるい香りがしていたものだった。

 美しい薔薇のアーチが庭にある家の主人は言っていた。息子と奥さんが弾くピアノの音は幸せの音そのものだったって。

 私にとっての幸せとは温かなご飯を作って子供たちと一緒に旦那の帰りを待つ、あの家の香りだった。

 

 私は、その家を手放すことでしか守ることが出来なくなってしまったのだ。


「村を出たことがない私は上手に世の中を渡り歩くことも出来ず、辿り着いた町の小さな路地に(うずくま)っていました。盗みをする勇気も出せず、ゴミを漁り、野に実るものを食べて毎日を(しの)いでいたのです。……もう少し綺麗な身なりをしていればお手伝いとして仕事を得られたかもしれませんが、インクで汚れたクシャクシャの紙のように、あの頃の私はただ地面に転がっていたのです」


 ふと、自分の手を見つめる。

 爪が伸び、その爪の中や指紋の奥までもが土で汚れ、ガリガリに細くなった手が、大分マシになった今の手と重なった。あのひもじい思いは一生忘れることが出来ないだろう。


「それを親切な少年に救われて、こうしてマシな生活を送れるようになった訳なんですが。……そっか、そんな変な洞窟なんて知りませんよね」


 残念がる胸に込み上げる感情を抑え込むように鉛筆を掴んでシャッ! と線を引く。

 勢いに任せてシャッ、シャッ、シャッ、と線を引けば、少しずつモノクロの森と青年が浮かび上がり始める。

 何処にいけば、誰に聞けば、あのおぞましい光景を知り得るというのだろうか。


 キャンバスと交互に見たリゥランは言葉が見つからないのか口を開けたり閉じたりしていた。


 妹を亡くした少年に「人は何処から人を忘れていくか」と聞いたことがあった。その時、私は一般的な話をした。忘れていることを思い出すことは辛いと分かっていて、彼の中に閉じ込めた妹を引っ張りだそうとしたのだ。

 そうすることが、私が雇われた意味だったから。だからその少年と沢山の話をしたのだ。

 私自身、もう、旦那と子供達の声を自力では思い出せないというのに、無責任にも私は彼の心を開こうとした。

 服の内側に作ったポケットに入っている手帳を服の上から触る。せめて外見だけも忘れないように、忘れたくない人々の絵を描いた。描いて、描いて、沢山ページを埋めた。写真では色褪(いろあせ)せてしまうから、私には絵が最適だった。

 この絵があれば、頭の中でぼやけている記憶の映像にその姿を当てはめることが出来るのだ。それは偽りの姿なのかもしれないが、思い出す術は私の中には、もう、残されていない。


 私の家は焦げ茶色の三角屋根の家。

 金縁の赤い絨毯、深緑のソファー。

 ソファーの上に置いている手作りの刺繍のクッションの絵柄は何だったか。

 棚の上には何が飾られていただろうか。

 (かす)む視界が憎たらしい。


 独りぼっちにならない為には、忘れる前に絵を描くことでしか思い出を守ることが出来なかった。


 下書きを終えて、パレットに絵具を出せば森に似つかわしくない臭いが鼻を突いた。

 薄められすぎた黄色がキャンバスを滑り降りていくのを追って筆の先で色を伸ばす。


「死ねる人が羨ましく思えるのです」


 すっかり言葉を失ってしまった青年に、私は話を続ける。


「その度にまるで人の死を喜んでいるみたいで、自分が嫌になりました」


 私という存在は、サナギの中で変態に失敗したドロドロの未完成したものが人の皮を被って生きているようだ。

 太陽も、海面の光も、小さな星も、美しいもの全てが、私の醜さを暴こうとしていると思う日が何度もあった。月の光が眩しくて、顔を覆ってばかりの夜を何度も乗り越えた。

 

 美しいものは人間の中に紛れようとする私を逃がしはしない。


「私にとってちゃんとした死はどんなに手を伸ばしても手に入れることが出来ないものになってしまった。だからか、大切な人を亡くす痛みを知っているのに、浅ましい考えをしてしまう時があるのです。理解出来るのに、他者を羨み、自分を責める。日々はその繰り返し」


 黄色を塗り終え、パレットの上で黄色に赤色を足してオレンジを作る。

 陽の色は黄色みが強い。


「……こんなこと、誰かに話せる内容ではないですね」

「頼れる人は他にいないのですか」

「怖いんです」


 キャンバスに塗った黄色の上からオレンジ色を塗っていく。


「猿型は些細な違いを見つけては美醜(びしゅう)を決めようとします。美醜とは即ち己とは違った形に付けられるのです。そして、髪色や瞳の色、言語、産まれた順番、性別。その僅かな違いで上下が作られ、酷い時は大きな争いが生れる」


 何百年の時が経って、この世界には戦争というものがなくなった。しかし、人との差別は身近な所に潜んでいた。

 家族間や友人同士にも、そうなれば他人との小さな争いは何処にでも生まれるもので、争いなき世界は広くも狭かった。


「猿型同士ですらそうなのですから、異質な者が正体を隠さず過ごせるとは思いません。私は排除される存在なのです」


 だから家族の元を離れた。

 生まれ育った村を離れた。

 私という痕跡を残さないように、生きてきた。


「でも、私はただの無力な画家です。何の力も持たない小さな存在なのです。……どうか、気味悪がらないでください」


 どうか、どうか。

 ちっぽけでしかない私を怖がらないで欲しい。

 

 キャンバスに顔を隠す様に俯く。下げた視線の先の足元には小花が愛らしく揺れていた。

 どうして私はこの花のように、ただ在るだけの存在にはなれないのか。ただ小さく咲いて、風に揺られ、そして赤錆(あかさび)(まと)うように枯れて風に舞っていく。

 そんな存在に、どうしてなれないのだろうか。


「気味悪いだなんて、そんなことは思っていません……!」


 青年の大きな声に驚いて小さく肩が跳ねる。キャンバスから顔を覗かせればズンズンと彼がこちらに近づいて来て、両手で私の手を掬い取った。


「あ」


 握っていた筆の先が彼の黄金の腕にべったりとくっつく。


「私たちは立つのに使っている足の本数が違うだけでしょう」

「へ?」

「あぁ、あと、服を着ているか着ていないか。あと、尻尾があるかないか」


 何倍も分厚くて大きな彼の手は、蛍の光を柔らかく捉えるように私の手を握っていた。

 見上げるように見た彼の色素の薄い茶色が、まるで金色に光っていて、それが綺麗で、嗚呼目が離せない。


「私達だって鼻が大きいだとか、目の色がどーだとか、仲間内でからかう奴がいます。猿型だからとか関係ありません。生き物は助け合い、そして競いあって生きているのです。野に生きる獣だって、海に生きる魚だって、空に生きる鳥だって、みんなそうして生きています」


 彼の瞳の丸みに沿って星が命燃え尽きるように力強く流れる。


「それに、その体質のおかげで、貴女は寂しがる誰かの気持ちに寄り添える術を知った」

「り、リゥランさん」

「誰かの為になる絵が描けるように、沢山練習したのでしょう?」


 彼の黒曜が森の緑を反射して縁取っていた。その姿は、人というより精霊や妖精のように神秘的な存在だった。

 地面に根を張る木のように、強風に負けず枝にしがみ付いている葉のように、彼は力強かった。


「練習、しました。たくさん」


 ボロリ、と大粒の涙が零れてしまった。

 これは絵を描いていて揺れる心に泣かされるのではなくて、これは彼の言葉が私の心に刺さったから、涙は耐えることも出来ずに零れた。

 

 なんてことだ。己の心を見透かされ、それで泣けるなんて。私は自分に恥じて、それを隠す様に力が抜けた様に笑って見せる。

 

 森は、獣が身震いするように、ザァァ、と木の枝を震わせた。


「そうでしょう? 貴女が自分で言ったじゃないですか。ただの画家だと。そうです。貴女は、ただの画家で、ただの人間です」


 種族も育った環境も、考え方も違うさっき会ったばかりの人をどうしてこんなにも力強く励ましてくれるのだろうか。

 彼はどうしてこんなにも真っ直ぐなのだろうか。

 

 それは森の番人と呼ばれる存在だからだろうか。……それとも、彼だからなのだろうか。


「貴女だって私が持っていないものを持っているのですよ」


 ふと、この森に訪れた時に彼は、自分はもうお爺ちゃんのようなものなのだ、と話していたのを思い出す。

 私は生き死にを繰り返すこの長い人生に辛さばかり見出していたが、彼は短命という定めにある自身の人生に思うことがあるのかもしれない。

 短き人生だから、真っ直ぐに生きようとしているのかもしれない。


 この時、外部との接触を避けている馬型の彼が、どうして私に依頼をしたのか分かった気がした。



 この青年はもっと世界を知りたいのだ。




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