第一話
2023.4/7 文章の見直しと、漢数字に直しました。
2022.6/10【第四章1~4話】ルビ等の見直しをしました。
線路の端っこまでやって来て、乙女の左頬を目指して歩き始めて五日が経った。
汽車のホームを離れ、進めば進むほど人気がなくなり、自分の背丈ほどある野の草を掻き分けるように細道を歩き続けた。
「汽車っていうのはさ~、そりゃ早いし便利だけど、貴女の旅なら馬でも連れて歩いた方が良いんじゃないの?」
依頼主がいる森に近づいているからか風の妖精は姿を隠すこともなく、すぐ傍をふよふよと飛んでついて来た。妖精とはおしゃべりだ、なんて聞いたことがあったが、彼も例外ではなかったようで風の妖精は道中ずっと喋っていた。
「依頼主の家に寝泊りしている私の生活には合わないですよ」
「どこの町の入り口にも馬の預かり所があるのだから問題はないでしょう?」
「長く滞在する時もあるのだから、その間ずっと馬小屋に繋いで置くのは窮屈です」
「ああ言えばこう言うんだから」
はあ、やれやれとワザとらしく溜息を吐く妖精に苦笑いが浮かぶ。
「貴女は新しい出会いが怖いんだもんね」
確信を突くような言葉を上手く往なすことが出来ずムッとして横目に妖精を睨んだが、彼は然程気にする素振りはなかった。この妖精は昔から私のことを知っていると言うだけあり、私がどんな反応するか熟知しているようだった。
「それしても、こんな所まで道があるなんて知りませんでした」
線路が途絶えた更に奥に続く道。
こんな所までやって来る人はいないと思っていたのだが、程よく細い道が途切れることもなく続いていた。この道がなければ、今頃迷子になって途方に暮れていたかもしれない。
「森に用事がある賢者でもいるんでしょ。彼らの歩む道が残っているんだよ」
「賢者、ですか」
「会ったことないの?」
「ないですね」
元々賢者とは人々に暮らしの知恵を与える者であり、どこの村や町にも一人はいなくてはならない存在だったのだが、医療や化学の発展が進むにつれてその存在意義を問われるようになり、今となっては名乗る者は随分と減ってしまった。そして遂にそんな力や知恵を持っている者は元々いなかった、と言われるようになったのだ。
御伽噺として語られる賢者とは、精霊と人の間に生まれた子、木から生まれた人、など様々なことをいわれている。
「賢者って本当にいるのですね」
「ほーんと人って呑気なものだよねぇ。どうして貴方達のように自然を切り開くことしか出来ない生き物が僕らの怒りを買わずにいられるか考えたことが無い?」
精霊とはこの世界の秩序を守りし存在であり、空の太陽、夜空の月や星、雨や雪、地底の全てを管理していると言われている。
近年、私達は人類の発展を目指し、山の土をひっくり返し、森を切り開いてきた。
都市開発の為に精霊が棲む森にまで足を踏み込んでしまい、多くの人が罰を与えられたなんて話も聞く。
私達にとっては姿を隠した賢者などの存在よりも、精霊の存在の方がよっぽど現実的だった。
「精霊や妖精なんて御伽噺といって僕らの存在を忘れ、否定する者達の末路は死ぬよりも酷なことだろうね。ま、それは貴女が一番理解していると思うけども」
子供の頃は精霊が棲む森に近づくなと言われて育った。
人と精霊の暮らしには目に見えぬ強固な壁があるのだと。
「そこで人と精霊の間に入ってお互いの意見を擦り合わせているのが賢者さ。精霊は寛大だからね、賢者の話にもちゃんと耳を傾けてくれる」
「でも、精霊は怖い」
己の身に起こっていることを考え、拳を強く握る。
「怖くさせているのは誰? それに本来は精霊自ら手を下すなんてことは滅多にないんだよ」
では何故、精霊を怒らせると怖いだなんて言葉が出て来るようになったのだろうか。
ララフの海の精霊は人々が大切にしてきた海を愛した。あの町の精霊と人々は言葉の通り寄り添っていた。
誰も精霊が怖いだなんて言わなかった。
私はそれが意外で仕方なかったのだ。
「悪い子のお仕置きは僕らのような妖精がするの。精霊は名前を模るように姿を作ったけど、空であり、森であり、この世界なんだ。精霊が去った土地は荒れ、そして滅ぶ」
名前を模る為に姿を作っただなんて、私達とは逆の存在のようだ。
「僕でいえば、風の妖精は森が作る澄んだ空気がなければ生きていけない。ならば、森の木を切る貴方たちは悪い奴らだ。森そのものである精霊を傷つけているのだからね。そこで、交渉をするのが賢者って訳」
「では、町の人の中に賢者と話をまとめている人がいるということ?」
「そうだよ。森ならば木こりが、海ならば漁師が、地底なら考古学者、音を愛する精霊について話すのならばピアニストが。賢者の存在を御伽噺の話だという人が多くなり、自分の役割を他者に明かさずに過ごしている人もいるだろうね」
サワサワと草が葉と葉を重ね、小鳥が妖精のようにお喋りをしながら飛んでいた。
「木こりは木を切るだけが仕事ではないんだよ。そのままでも森は機能するけど、正しく管理された森は更に棲みやすいの。海だって、土の中だってそう。見えるもの、聞こえるもの、香るもの、精霊は全てに干渉する。人に限らず、ミツバチや蝶、鳥や野の動物にも役割がある。これが共存ってもんでしょ。野の動物だって一種が増えれば別の一種が滅ぶことがあるんだ。数を管理できるのが貴方たちの持つ力であり、時として僕らはそれに頼ることがあるんだ。僕らだって出来ない訳じゃないけど、得意不得意ってものがあるでしょ」
幼い頃、大きな台風が去った後に父が木こり仲間と村の近くにある森に行っていたのを思い出す。
村の状態だって酷い有様であるのに、家や畑よりも父たちは森を優先にした。何しに行っているのかと聞けば、折れた枝を適度に拾い、小川の流れを塞ぎ止めていた裂けた木を退かしたり、棲みかがめちゃくちゃになった動物たちの様子を見たりしているのだと言っていた。
家の修理は母や祖母がやり、私たち子どもはその手伝いをした。どうして一番力がある父親は家のことよりも森を優先にするのか疑問に思っていたが、木こりであるが為に必要な仕事をしていたことが今になって分かった。
そうだ。森のうさぎが増えすぎたと父が話していたのを聞いたことがあったか……。沢山のうさぎがいる光景を想像して私は癒されていたが、それが脅威になる生き物もいるのか。
「寒そうだね、そろそろ掛けてあげようか」
そう言って私に向かって妖精が吐息を掛ければ体が僅かに暖かくなる。
肌に当たる風を避けるようにしてくれているらしい。肌に風が当たらなくなるだけで寒さが全然違った。
五日の旅の中で彼の力には随分と助けられていた。
「始めは便利な力だって思ったでしょう?」
「え、は、はい」
「そう、便利なんだ」
複雑そうに声を暗くした妖精に首を傾げる。
「親切にしてやっただけなのに、この力を利用しようとする人がいるんだよ」
「利用だなんて……」
「貴女はそんな考えをしないかもしれないけどね。じゃあどうして魔法使いは人里を離れて生きるのかな。どうして賢者は人々に隠れて暮らすようになったのかな。魔法使いが使う魔法は自然の摂理を逆転した力だ。この世界の仕組みを知り、学び、研究を続けて来た者が手に入れた力なんだよ。賢者も然り。それに費やした時間を、便利だ、と使い勝手が良いように扱われたらたまったものじゃないだろう? それに、便利な力が欲しいのなら誰もが魔法使いや賢者を目指せば良い。でも、目指す者は殆どいない。どうしてだと思う? 答えは簡単さ。自分には出来ない、関係ないと思っているからだ。出来る人がやればいい、やりたい人がやればいい、そういう心理が根底にあるんだよ。それに力を得る為には道なき道を一人で歩かねばいけないのだからね、孤独を嫌う貴方達の習性上、適した職業ではないから仕方ない。しかも苦労して得たその力は自分の為だけに使うことは殆ど出来ないんだ。賢者や魔法使いっていうのは近道を探す者はなれないんだよ」
「……画家ならササっと絵を描けるのだからタダでくれって言われるのと似てる、のかな」
「そうそう、そんな感じだよね。精霊も妖精も、魔法使いも賢者もそーんな愚かな考えをする者はいない。欲に忠実で、そして欲に弱いのは何も持たない者の特徴だ。賢者たちの力は暮らしを豊かにするかもしれないけど、この世界の秩序を守る為に使われる力なんだ」
便利な力だといってみんながみんな悪いことに使おうだなんて、そんなことはないとは思う。しかし、この妖精のような存在がもっと身近になった時に人々の暮らしはどう変化していくのだろうか。
私達は歩んだ歴史に栄光を見出し、立場という上下を作る。そして新たに発見した僅かな変化に畏怖し、それを攻撃し、また栄光を作る。決められた中で生きていれば起こる筈がない争いが起こるのだ。
それは自分が普通であり、自分と違うものが異形なのだと思い込んでいるから。
腕や足、指の数はいつから決められたのか。
自分達が話す言葉がいつから誰もが知る言語だと思い込んだのか。
肌や髪、瞳の色だって、筆の先で僅かに掬った色を足しただけで美醜が決まるものではない。
それなのに、時に人は、人同士で違う部分を突き合う。
それなら、この小さな妖精を受け入れられる者なんてに私たちが暮らす中にはいるのだろうか?
どうして私達は無欲に生き続けられないのだろう。
「今向かっている乙女の左頬にある森にもそうした守り人がいて、賢者はその人たちに話をしに行っているのだろうね」
自分が歩き続けている細い道がそうした人たちの足跡によって出来ただなんて、感慨深いものがあった。
「貴女もいっそのこと賢者になってしまえばいいのに」
「え?」
妖精が楽しげに私の周りを一周した。
「賢者の中には貴女の様な人もいるんだよ」
私は妖精の言葉に酷く狼狽えた。
賢者になれば良いだって? そんなこと……。
「考えたこともなかった」
「そうだろうね、そうだろうよ。貴方はあの人たちを御伽噺だと思っていたのだから。でも子供の頃を思い出してごらん。たかが二百年、三百年ほど前までは僕らはもっと上手に共存していた筈だよ」
妖精が意地悪で言っているのではないと理解しているが、幼少期から私を見て来たと言う割には彼の言い草はあまりにも酷いと思った。
「私は賢者にはなれない」
自信なさげな言葉がポツリと漏れる。
そんな立派な人達と同じことを自分が出来るとは思えない。私は酷くちっぽけだ。
私自身を知る小さな妖精と共に、長く、長く、続く道を只管に歩く。
この先を進んだ場所に私に絵を描いて欲しい人がいる。
そう、私は画家。
ただの画家だ。
「死んだ人間のその後を描く癖に、貴女は自分の終わりを求めているのだものね」
呆れたような物言いはまるで非難しているように聞こえたが、これは私の卑屈さがそう聞こえさせていた。
妖精が私を非難しているのではない。
私が自分自身を非難しているのだ。
少しだけ俯けば容易く前髪の影が目元に下がった。
……やはり妖精とはおしゃべりが過ぎる生き物だったらしい。
「ああ、依頼主って彼のことじゃないかい?」
明るい風景の終わりが見え始める。
道の先には暗くて大きな森の入り口が静かに待ち構えており、下半身が馬の形をした青年が立っていた。
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