第三話
2023.4/7 文章の見直しと、漢数字に直しました。
「こっちの部屋の掃除は終わりましたよ」
「そろそろ昼を食べるか」
「はい」
玄関からリビングに続く廊下の掃除を終えたことを伝えると、リビングの床を箒で掃いていたカロルさんはゴミを塵取りで拾ってごみ箱に捨てた。
依頼主の父親である彼の名前はカロル。お父様、と呼んでいると「お前の父親じゃないから名前で呼べ」と言われてしまった。
始めこそ「他人に家中を歩かれて物でも取られたら困る」と言っていたが、最近は「だらけるなら手伝え」と言われるようにまでなった。
ご飯まで作ってくれて、夜以外は別々に食べていたのに三食を一緒に食べるようにもなった。彼のご飯は美味しい。
彼は、第一印象を思い出すと首を傾げてしまう程に”出来た人”であった。
手を洗って台所に行くと私の分のご飯も用意されていて、それを持ってテーブルに運ぶ。続いてカロルさんも自分の分を運び、向かい合わない位置にあるダイニングチェアーに座り、左の手を鎖骨の上に置いて目を閉じる。これがこの地方の「いただきます」のスタイルだそうで、私もそれに倣う。この動作は「ありがとう」や「ごめんなさい」、そして祈る時にするらしい。心からの表現は全てこうするのだろう。
今日のお昼ご飯は、ふかふかのパンにクリームチーズとサーモン、葉野菜を沢山挟んだサンドイッチとオニオンスープ。なんと、このパンを作ったのも彼だ。パン作りは奥さんが亡くなってから趣味で作るようになったと言っていた。
がぶりと大きく齧り付けば口の端にクリームチーズが付いてしまい、それを親指の腹で拭って舐める。
彼は呆れた顔を見せはしたもののお行儀の悪い私を怒ることはなかった。
「君はご飯を作らないのか?」
他人行儀な”貴方”から”君”に呼び方も変わった。少しだけだろうが、私という存在に慣れてくれたのだと思う。
「作りますよ。最近はあまりないですが、野宿することがありますし」
「男だからといって無防備な生活はするんじゃないぞ。そんな細身じゃ抵抗をしても返り討ちにあうだろうからな」
どうやら彼も私が女だと気づいていないようだった。まあ、女だと気づかれていたら泊めてくれていないだろうな。決めつけが酷いが。
「気を付けます」
カロルさんは私の返答に頷き、同じように大きな口でパンに齧り付いた。納得してくれたようだ。
スープを一口飲めば鼻を通って幸福が膨らむ。クリームチーズの香りがオニオンの香りを更に際立たせた。
ああ、美味しい。
ポツリ、ポツリと会話をしながらお昼を食べ終え、私が洗い物を済ませるとカロルさんは郵便屋さんに用事があるといって出掛けて行った。
絵を描きたいが、どうもピンと来るものがない。
絵が描けないのなら他にすることもない為、庭に出て見事に咲いている薔薇を見て回る。勿論、庭に出て良いかは聞いて、了承を得ている。
四季咲きの薔薇が育つ植木鉢に囲まれるようにして立っているのは蔓が絡む薔薇のアーチ。こんなに見事に咲いている姿を見られたのは、此処に来るタイミングが良かった。
薔薇の周りには白い蝶が躍る様に舞っていた。
舞っていた蝶の一匹が花弁にとまったのを見つめ、お行儀よく揃えられた翅に手が伸びる。
この頼りない翅に触れて、そして私はどうするのだろうか。
「殺してはいけないよ」
小さく囁くような声が聞こえて、ピタリと手の動きが止まる。
辺りを見渡しても誰もいない。気のせいだろうか。
庭は太陽が昇る前に水を与えられた葉と花弁が僅かにキラキラと輝いているだけである。
「ここだよ。聞こえているんでしょう?」
少し近づいた声を辿って、先程蝶がとまっていた薔薇の花に顔の向きを戻すと、そこには組んだ足の上で頬杖を付く”妖精”が座っていた。
首の周りにふわふわのマフラーが巻かれるように羽が生えている妖精には見覚えがあった。
「……あなた、風の妖精?」
「そうだよ。まったく、随分な態度だね。いつも手紙を運んでやっているというのに」
郵便屋さんにいる所しか見たことがなかったから、こうして別の場所で会うとは思わなかった。しかも話し掛けてくるなんて。驚きのあまり一歩後ずさってしまったが、その反応をこの妖精は随分な態度、と言っているのだろう。
「僕は貴女の専属の配達員なの」
「専属とか、あるんですね」
「まあね」
風の妖精は憂うように瞼を伏せ、座っている薔薇の花弁を撫でる。
「貴女が産まれてから、ずっと手紙を運んでやっているんだよ」
私が、産まれてからずっとって……。
ざわりと、心が騒ぐ。
「貴女が”産まれ直し”を繰り返す間もずっと、ね」
花弁を撫でていた手を止めて、ゆっくりとこちらを見上げる妖精は私の戸惑いを見透かしたような目をしていた。
どうしてこの妖精が今になって話しかける気になったのかは分からない。しかし、”私”という存在を間違えることもなく、分かっていることは確かだった。
「随分と実りのない生活をしているようだけど、朗報だよ」
囁くような声量に一歩退いた分、近づく。
「この家の仕事が終わったら乙女の左頬に行くんだ」
「乙女の左頬って……」
「そう。乙女の番人が棲む森だよ」
乙女。
この世界はまるで横たわる人の頭部の形をしているといわれている。そして、その横顔は眠る乙女のようなのだそうだ。
乙女は左頬を下にして横たわっており、乙女の左頬と呼ばれるその地方は、乙女の鼻が影を作り、ほとんどの日が暗いといわれていた。そんな場所に私達人間は寄り付かなかった。
その代わりというのは可笑しいが、人の上半身、そして馬の下半身を持った種族がその森に棲んでいるのだと聞く。
乙女の番人は人が寄り付かない場所にいるらしいのだが、人族馬型に部類されるその種を見た者は殆どおらず、私自身も御伽噺や伝説のお話だと思っていた。
「どうしてそこに行かなければいけないの?」
この街は乙女の顔でいうところ、右の目頭の近くにあるのだ。左頬に行くには随分と距離がある。
「番人からの依頼さ。はい、手紙」
パっと宙に現れた手紙の束を慌ててキャッチする。……もう少しで落とすところだった。
「人の手紙を見るような不躾な人はあまりいないと思うけど、一応今回は直接渡そうと思ってね」
「あ、ありがとう」
「お礼はいつも通りでいいよ。ああ、そうだ。お礼の品は郵便屋に持って行かなくていいからね」
どうして? と首を傾げれば妖精は頬杖を付いていた手を反対の手に変えて少しそっぽを向く。
「他の種族から手紙を受け取る様になっちゃったんだ。これからは郵便屋が近くにない地域に行くことになるかもしれないからね。僕は貴女について行かないといけなくなったんだよ」
妖精は不機嫌そうに続ける。
「あーあ、郵便屋にいれば暖かい部屋にふかふかのベッドがあって快適に暮らせるけど、貴女の生活を考えると夜はハンカチやティッシュの布団にでも寝ないといけなくなるのかな」
グチグチと文句を言っている妖精には悪いが、頭が追い付かない。どうして乙女の番人から依頼なんてやってきたのか。
風の噂というのは、どうやって巡って行くのだろうか。
「貴方、産まれ直しについて知っているらしいけど、それなら治し方を知りませんか?」
小言を言っていた妖精はピタリと口を閉じて、頬杖を付いていた頭を持ち上げ、私を見上げる。無表情なその顔が少しだけ怖い。
「教えてあげられるならとっくに教えてあげたさ」
「知っているの?」
それならお願い、どうか産まれ直しを治す方法を教えてくれないか。そう思わず詰め寄ろうとしたが、小さな掌をこちらに向けて制された。
「悪いけど、これに関して僕らは干渉できないから。妖精や精霊にも派閥ってもんがあるんだ。精霊なら兎も角、たかが六枚羽の妖精が関わっても良い話じゃないの」
彼の背中にはそれは、それは薄い羽が6枚生えている。妖精の間ではその羽が地位の象徴か何かなのだろうか。
「え? ……うーん。まあ、それくらいなら」
風の妖精が薔薇を振り返り誰かに相槌を打つようにひとり言を話し出す。
どうにかして産まれ直しについて教えてくれないかとお願いをしたかったが、あまり身勝手な振る舞いをすると怒らせてしまうかもしれないし、大人しく妖精の動向を見守る。
妖精だの、精霊だの、本当に奇怪な生き物だ。
「貴女、薔薇の妖精は見えていないのでしょう?」
「えっと、そこにいるのですか?」
「いるよ。ああ、見えないのね。いいよ、分かった」
腕を組んでうんうんと頷く妖精を見つめる。そこに薔薇の妖精がいるのか。
話を終えた様子になるともう一度こちらを見上げた。
「薔薇の妖精は花弁が開くときに生まれるんだ。そして、花が枯れると共に死に、魂は土に沈む根に還る。やがて蕾がつく頃に形づくられ、花が咲く時に再び妖精として生まれる」
産まれ直し。
私がそう呼んでいるだけだったのだが、命の繰り返しは本当にあるらしい。
「これが貴女も知っている”産まれ直し”だよ。同じ命が産まれ、死に、また産まれるを繰り返す」
この時、どうして私の目は薔薇の妖精を見ることが出来ないのか、どうして私の耳は妖精の声を聞くことが出来ないのか自分を責めたくなった。
二百年近く、私が追い求めてきた真実が直ぐそこあるかもしれないというのに。
「え? うんうん。あ~、まあそれが君の良いところさ。勿論そっちにいる君も」
風の妖精は私が見えない妖精と何やら盛り上がっている様子だった。
「一年に何度も会えるのは嬉しいし、一年に一度や二度しか会えなくても、会えることが嬉しいよ」
妖精の相槌を聞くに、四季咲きの薔薇と一季咲き、二季咲きの薔薇に話しかけている様子の妖精は何処か軟派に見えた。郵便屋にいる時はどちらかといえば態度が悪いのに。
産まれ直しについてと妖精の態度について、言いたいことはあったが、こちらが下手くそに責めてしまえば風の妖精は姿を見せてくれなくなるかもしれない。
妖精は、私について行かなければいけなくなった、と言っていた。それならば、と焦る気持ちを抑えて出掛かっていた畳み掛けそうになる言葉を飲み込む。
きっと、また話す機会が訪れるだろう。
「筆」
妖精が私の仮の名を呼ぶ。そう呼ばれたいんでしょう? と言いたげに。私の本当の名前を知っている癖に、実にわざとらしい呼び方だ。
「人の根は母親と離れたあと、徐々に枯れゆくものでね」
植物の根のように栄養を得る為のもの。
母親と繋がっていた物で、枯れるもの。
へその緒のことか……?
「しかし、枯れようが根は根だ。産まれ直しの殆どは根がないと出来ないんだよ」
へその緒のことを言っているのなら、そんなものはとうの昔に捨てたし、あったとしても既に枯れている筈だ。
「それなら何故、私は何度も、何度も生まれ直してしまうの?」
何度も、何度も、二百年近く、何度もだ。
「それを教えてあげることが出来ない話なんだよ」
妖精はやれやれ、と首を横に振る。
妖精が意地悪で言っているのではないことは充分に分かったが、私はどうしても諦めきれなかった。
無意識に食いしばった奥歯がガリと音を立てる。
「僕だってもどかしいよ。それに貴女にはいい加減安らかな眠りを与えてあげたいさ。でも、六枚羽の妖精がするには、あまりにも出過ぎた真似なんだ」
「でも……!」
どうしたって諦めることが出来ない。この、逃れられない苦しみから救われる方法を知っている相手が目の前にいるというのに、どうして諦められるというのか。
私はこの長きに亙る因縁を断ち切りたい。
「お願いよ、教えて」
どうしても教えてくれない妖精に痺れを切らして手を伸ばしたが、私の手は薔薇の花弁を揺らしただけで妖精に触れることは出来なかった。
「薔薇を見ていたのか」
普通の大きさの声が後ろから聞こえ、振り返ると郵便屋さんから帰って来ていたらしいカロルさんが立っていた。
彼は眩しげに眉間に皴を寄せて、瞼に手の屋根を作って空を見上げた。
「今日は台風が来るらしいな」
その言葉を辿る様に空を見れば、早い流れに乗って雲が流れ、密集し始めていた。
不意打ちを食らう様な彼の登場に驚いたが、今は天気の話なんてしていられない。
カロルさんに大した返事をせずに、もう一度妖精の方を振り向く。
「あ……」
妖精を問い詰めてしまいたい程、もっと聞きたいことがあったというのに。
そこには薔薇の花が咲いているだけだった。
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