第二話
2023.4/7 文章の見直しと、漢数字に直しました。
「本当に着いて来るとはな……」
依頼をした三兄弟の実家は長男さんの家から近い場所にあった。
鍵を開けながらこちらをチラチラと見つつ文句を垂れる彼らの父親に苦笑いを浮かべる。
荷物も持って来たんだから、諦めてね。
「お邪魔します」
「靴は端に寄せて置いてくれ」
言われたように靴を揃えて端に置き、彼の後に続いて家の中に入る。
初対面の時に声を荒げながら絵をぶん投げられたから気性が荒い人なんだろうと思っていた。そんな人だから奥さんを亡くした後の家は自分で物を片付けられず、部屋は取っ散らかっているのだろう、と勝手に決めつけていたのだが、通された部屋は意外にも整理整頓されていて、綺麗に掃除されている様子であった。
頑固おやじ。そんな印象があったから意外な一面だった。
「で、貴方は絵を描く為にあの子らに雇われたんだって?」
「はい」
貴方。これも意外。
失礼なことを立て続けに考えているけど、”アンタ”っていうタイプの人思っていたんだけどな。
彼のギャップが続き、段々面白くなってきたが本人は惜しみなく怪訝な顔をしていた。
「勝手なことを……」
「お父様は乗り気じゃないんですね」
否定するように首を横に振り、遂には、ふい、と私に背を向けた彼は少しだけ寂しそうに見えた。
「……死んでから綺麗なもん着せても意味がないだろう」
それはそうかもしれないが、そんなことを言われては私の存在意義がなくなってしまう。と思ったが、余計なことを言って怒られるのは嫌だからその言葉は飲み込むことにした。
なんだかんだ元気がなさそうなその背中に、なんて答えるのが良いのかな、なんて考えながら頭をポリポリと掻く。
チラリとこちらを見た彼は、私が大したことを考えていなさそうだと思ったのか諦めたように溜息を吐いて台所に向かった。その後を控えめについて行けば彼は手を洗っていた。そしてタオルで手を拭きながら「外から帰ったら手洗いうがいはちゃんとしろ。乾燥の時期は風邪を引きやすい。……嫌かもしれないがタオルはこれを使ってくれ」と言って、タオルを掛けた。それに倣って手を洗い、再び彼の後をついてリビングに向かう。
「リンゴの紅茶でいいか」
「え、あ、はい」
すっかり会話も雰囲気もすっかり変わったものだから返答がしどろもどろになってしまった。
「コーヒーもある」
「えっと、リンゴで」
「ソファーに座ってろ」
私は荷物を部屋の隅に置いて言われた通りに手を洗った後、ソファーに座る。彼はこちらに目もくれずにお湯を沸かし始めていた。
ソファーから見える庭は他の家と同様に薔薇が沢山咲いていた。特別、目に入ったのは薔薇のアーチ。ふっくらとした薔薇が見事に咲いていた。薔薇を育てるのは難しいと聞くが、あれも彼が奥様が亡くなった後も手入れしていたのだろうか。
リビングも家に入って来た時の印象通り良く掃除されていた。別に物が少ない訳ではないが、スッキリと整頓されている。
長男さんの反応を見る限り、子供が世話を焼きに来ているようには見えない。一番可能性がある妹さんは隣町に嫁いでいて、中々こちらには来れないだろうし、何より長男さんの奥さんに対する気まずげな態度は、言い方を変えれば気を使っている様子だった。あんな態度を取る人がお嫁さんにお手伝いなんてさせるだろうか。と、なるとだ。どうやら粗暴に見えた彼は生活力がある人らしい。彼はこの家で一人、細々と丁寧な暮らしをしているということだろう。
本当、人は見かけによらないね。
色々と部屋の中を見渡していれば彼の意外が沢山見つかった。やっぱり、一軒家に一人は広く感じるね。それがなんだか寂しく思えた。
ふ、とテーブルの上に置いている本が目に入る。
薔薇の育て方、か。沢山付箋が付いているが、これは奥様の物だろうか。
気になるなあ。テーブルの上に置いているということはさっきまで読んでいたのだろうか。
勝手に見るのは悪いよね。言えば見せてくれるだろうか。
許可もなく勝手に障るような不躾なことはしないようにと思いつつも、気になるその本をジッと見ていれば、コトり、と視線を遮るようにマグカップが置かれた。
なんとなく、見られたくないのかな、と思い、本から視線を外して「ありがとうございます」と言えば、彼は黙って頷き、斜め前に置いている一人用の椅子に座った。
紅茶にはスライスしたリンゴが入っていた。
「いただきます」
「熱いぞ」
「はい」
ふぅーと息を掛けて少し熱を冷まして一口飲む。
ああ、甘酸っぱくて美味しい。私はうんと甘いアップルティーが大好きなんだ。
「美味しいです」
「良かったな」
ぶっきらぼうな言い方だが、会話はしてくれるようで安心した。
彼が飲んでいる物からも甘い香りして、糖分を取ったことだし落ち着いて話をすることが出来るだろうか、と先程の話題に戻すことにした。
「依頼内容、聞きますか」
「……」
はい、の時は黙るのか。分かりにくいようで分かりやすいのかもしれない。
「娘さんはお母様の好きな色であるピンク色のワンピースを、次男さんはお母様が好きだった薔薇に囲まれた、そんな絵を承りました」
「……一番上の子は何も言っていないのか」
「長男さんはピアノの話をしていました。でも、ピアノを描きますかと聞きましたが、家にそんなものはないと下のご兄弟に言われて。結局、描かないことになりましたね」
お父様は渋い顔をして、一口紅茶を飲む。
登場の仕方が騒がしかったからもっと煩い人かと思ったが、やはりさっきは訳があって興奮していただけのようだ。
「一番下の子が生まれたばかりの頃にピアノは売ったんだ」
暴れたことを悪いと思っているのかポソリと家の事情を話し始める。
「お金が必要だったからな」
彼ら曰くお母様は苦労して来たらしいが、二人揃ってこのご夫婦は堅実的だったのかもしれない。
「貴方には悪いが絵は描かなくていい」
口を尖らせ、ギュッと眉間に皴を寄せて何を言うのか。そんな顔をしてまで、どうして拒むのか。
「何故です」
「何故って。必要がないからだ」
食い下がる私の方をやっと見た彼の目の白い部分に細い赤の線が走っていた。
奥様が亡くなったのは去年。一年が経った。
でも、一年が経っても、貴方はそうやって途方に暮れているのではないか。
「お子さん達には必要なのかもしれないですよ」
私は、貴方の様な人の役に立ちたくて絵を描いているのだ。だから、どうか少しでも固く結んでしまった紐を柔らかくしてくれはしないだろうか。
「こういう形になってしまったけど、親孝行がしたいんじゃないですか」
「今更だろう」
「そうかもしれません。でも、いいじゃないですか。今更でも」
結局、子供を引き合いにされると弱いのか黙ってしまった。
してあげたかった、を叶えるのは結局のところ生きている人の自己満足になってしまうだろう。だけど、それでいいじゃないか。
私達が死んだ後、精霊の導きによって魂の繰り返しを願うのと一緒で、信仰ともいえるその願いこそ、生きている人の為にあるのだから。
「兎に角、依頼主からキャンセルを言われない限り、私は此処に居ますので」
出て行く気がないことを伝えれば、彼は心底信じられないといった顔で私を見ていた。
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