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その5

 「ところが親父は平気だった。 美味ければ毒でもあおる性格なんだ。

  蛙の呪いだろうが小便だろうが構うものかと言った。

  お袋はその日から、ここで蛙の手足を切り始めたんだ。 呪いを解くのだと言って」

 「だが‥‥だが生田、今ここにいる蛙はお袋さんじゃなくお前が切ったんじゃないのか」

 良平は震えながら聞いた。 喋ると咽喉の奥が、湿った音で嘔吐感を訴えた。


 「仕方ないじゃないか、お袋が病院で毎日聞くんだ。 今日は何匹救ったのかってね。

  人間だって、体に余分なものが生えていたら、手術で切り取ったりするじゃないか。

  蛙に病院はないから、ここで切ってやってるだけのことだ」

 「それだけだって異常だろ!?」

 良平は叫んだ。 否、叫ぼうとしたが吐き気で力が入らず、小声になった。


 「この臭い、この風呂場の状態を見て自分で異常だと思わないのか?」

 「うちは昔から異常だよ。 だがお前に言われたくないね。

  もともとこんな状態にしたのはお前なんだ、井戸の蓋を外して逃げたお前のせいだ」

 俊幸の言葉に、良平は愕然とした。

 「蓋だって?」

 「そうだ、覚えてないのか? あの井戸には蓋がしてあった。

  それをお前と亜紀ちゃんが、蛙を釣るために外した。

  セメントで出来た丸い不細工な蓋で、ハリガネが取っ手になっていた」


 良平はあえいだ。 確かにそういう形のものを、亜紀子と二人で持ち上げた覚えがあるのだ。

 それがあの蛙釣りの日のことだとは思っていなかった。 そんなおぼろげな記憶だった。

 重すぎてうまく持ち上がらず、力いっぱい転がしてどけた。 どこへ転がって行ったかは、見ていないような気がする。


 「まあいいさ。 僕だって全部がお前の責任だと言う気はない。

  それにこれだって、やってみると案外楽しいもんなんだぜ」

 俊幸はそう言うと、洗面器からカミソリを取り上げた。

 良平の体を押しのけてバスタブに近づき、慣れた手つきで中の蛙を一匹つかみ出した。 裏返すと、後ろ足が3本あった。

 俊幸は3本めの貧弱な足を無造作につまみ上げ、バスタブの上にかざした。

 逆さに吊るされた蛙が手足をばたつかせたが、彼は平然と“患部”にカミソリを当てた。

 「やめろ!」

 思わず眼をつぶって、良平が叫んだ。

 蛙が水に落ちる、ぼしゃんと気の抜けたような音が響いた。

 俊幸の手の中に、奇形の足だけが残された。 彼はそれをカミソリと一緒に、洗面器の中に投げ入れた。


 「最初はね、切り取ってまともになった蛙は、もとの井戸やため池に戻してやっていたんだ。

  でもそうすると、体が弱っているせいか、血の臭いで雑菌が集まるのか、しばらくすると死んじまう。

  その死骸を、オタマジャクシが食うんだ。 いいか、オタマジャクシがだぞ!」

 良平を振り返った俊幸の顔に、初めて表情が生まれていた。 彼は泣こうとしていたのだ。


 「オタマジャクシは蛙を食うんだ。 死んでふやけて膨らんだヤツを、何十匹ものオタマジャクシが輪になって群がってガツガツ食うんだ。子が親を、子供が大人を食うんだぜ。

  そんなことさせて置けないじゃないか、そんなことをさせるために治してやってるんじゃないんだ。

 子供は親を傷つけちゃいけない。 そんなこと、当たり前のことなんだ」

 俊幸は唐突に泣き出した。

 多分何日も風呂に入ってないらしいどす黒い顔の上を、涙がぼろぼろと流れ落ちた。


 「お袋は気付かないんだ。 生きてるものが死んだものを食べるのは当然と思ってるんだ。

  狂うってのは怖いことだ。 あの優しい女が大事なことを見落としている。 

  親を殺したい子供なんて、いてはいけないものなんだ」

 「生田、もうよせ」

 「切り取った蛙はここに置いとくぞ。

  前に警察が来て、僕のうちが臭いから近所から苦情が出てるとか、風呂場の汚物をきちんと処分しろとか言ってったが断った。

  庭に手足や死体を埋めるもんだからそこも臭いらしくってさんざん文句を言ってたが、追い返してやった。

  誰がなんと言ってもやめないぞ。 こいつらを食べ物の乏しいため池に帰したら、たちまちオタマジャクシが罪を犯すんだからな」


 「生田、わかった。もうわかったから落ち着け」

 良平は俊幸の肩に手をかけ、平静を取り戻させようとした。

 「生田、お前は疲れてるんだよ。

  昔からたったひとりで親の不足を埋めようとして、疲れ切ってしまったんだ。

  少しこの家を離れてみるとかしたらどうだ?

  もしも親父さんが許さないんだったら、俺も一緒に話してやるから」


 もちろん、そんなことで解決する問題ではないと良平にもわかっている。 しかし何か解決めいた方向に話を転がさねば、この異様な状態に耐えられそうになかったのだ。

 「な。親父さんに話そう」

 「親父は、最近来ない」

 生田は言った。 その途端、あれほど歪んでいた泣き顔がつるりと剥げ落ちて、表情に乏しい元の顔に戻ってしまった。


 「来ない? 帰らないのか」

 「帰らない」

 「なら問題ないじゃないか。 この家を離れてみろよ」

 「帰らない。 でも何故帰らないんだろう。 いつから親父に会ってないのかな」

 俊幸は首をかしげて考え始めた。

 「おいおい‥‥大丈夫か? 退職金が出た時は帰って来てたって話じゃなかったのか?」

 そう良平が言った途端、甲高い悲鳴が耳を貫いた。

 亜紀子の声だ。


 「この外だ」

 良平は俊幸を押しのけ、風呂場の窓を開いた。

 バスタブに乗り出すのは気味悪かったが、そこが一番亜紀子の悲鳴に近かったのだ。

 そこからは裏庭が見えた。

 亜紀子が座り込んで、まだ悲鳴を上げていた。

 裏庭の土がわずかに盛り上がっており、その盛り土の端っこにスコップが突き刺してあった。

 蛙の死骸が2、3体転がっていた。

 そして、その横に、地面から突き出した何か細いものが。


 人の手の、指先の部分が地面からはみ出ているのだった。

 「人が埋まってるの! お兄ちゃん、ここに誰か埋まってるの!!」

 亜紀子が泣きながら叫んだ。


 良平は俊幸の顔を見たが、相手はもう亜紀子のことも良平のことも見ていなかった。

 彼はまたバスタブの蛙をつかみ上げ、哀れなオタマジャクシを救済しようと努力していた。

 「なんて言ったっけ、生田。 お前さっき、なんて言ったっけ。

  『親父さんに、退職金を取られるのがイヤで、庭に埋めた』と言ったな。

  た、退職金を埋めたんだよな?

  このひどい臭いは、蛙が腐ってるんだよな?

  おい待てよ、お袋さんとふたりで埋めたとか言わなかったか?

  お袋さんとおまえがふたりで退職金を埋めたのか?

  ま、まさかお袋さんとお前がふたりでおやじさんを。

  いや待てよ、おまえがお袋さんと親父さんをふたりとも。

  ど、どれなんだ? なあ、おい!」

 いくら騒いでも、俊幸は返事をしようとはしなかった。


 良平は記憶を繰り返し再生しようとしたが、「耳ザル法市」の頭では正確な文章は記憶から取り出せなかった。

 呆然と思考停止した頭の中に、電話口から聞こえた赤ん坊の泣き声がなぜか蘇って来た。

 ああ、明日は多佳子に会いに行こう。

 生まれた子供を可愛がってやらなきゃならない。

 とにかく何が何でも。 


 バスタブの中で、土蛙が一匹、ぴしゃりと水をはねた。



 (完)





「土蛙」これにて完結しました。

お付き合いくださった方にお礼を申し上げます。

いろいろ実験したくて書いた作品なので、お読みになった方のご感想が頂けたら今後の指針になり助かります。

ありがとうございました。

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