スキル
「確かに、この世界の純粋な魔力とは違うものを感じます。この方は異世界転生者でしょう」
村長と共に宿屋を訪ねると、聖女然とした女性は少し私の額に触れ目を閉じた後、静かにそう告げた。
「貴方の固有スキルは?」
「スキル……? えっと確か、何かIT系の資格は持っていたと思うのですが…」
「アイティーケー? 資格ではなくスキルです」
誰もいない宿屋のエントランスで面接されている気分だ。
「記憶がほとんどなく……得意分野までは覚えていないのです」
聖女は村長に向かい、
「ここまで記憶がない方は珍しいですね。赤子に転生してすぐの場合や、女性では10代半ばまでが多いのですが……。何しろ未だに判明していないことが多くて」
と言った後、私の手を両手で握った。
「落ち着いて聞いてくださいね。これは仮説ですが、恐らく貴方は、こことは違う世界から来た方。記憶がないのは、前の世界で、強く頭を打って……亡くなり、この世界に、転生したのだと思います」
私一度死んだの? それで死後の世界ではなく異世界? なんで?
疑問ばかりだったけれど、自分が死んだと聞いても、記憶がないせいか冷静でいられた。
「ソフィリアー?」
若い女性の呼ぶ声がして、聖女は振り返った。階段から紫色のローブを纏った女性が降りてきた。
「ユラル、いいところに。レットは?」
「部屋にいるわよ」
ユラルと呼ばれた女性は私と村長をちらりと見て「どうしたの?」と聖女ソフィリアに尋ねた。ソフィリアは口を開きかけたが、宿の主人が玄関から入ってきて、口を閉ざした。
「村長。明朝、ご自宅に伺ってもよろしいですか?」
「はい、はい。お待ちしております、聖女様」
早朝、村長宅は静かな空気に包まれていた。村長と孫娘のユッテ、向かいには聖女ソフィリアと、長い杖を持ったユラル、それから初めて会うレットと言う男性。レットは静かというより元気がなく見えた。
「では改めて、ミオさんの今後についてですが」
ソフィリアが口を開く。
「昨夜、勇者達と話し合った結果、私達の旅に同行していただくのがよいかと。異世界転生者は本来、城や教会で保護される身ですが、近くにはそれがない。隊商の方々と共に隣街まで行き、無事に王都まで辿りつければいいのですが険しい道程です。それよりも私達と一緒に来ていただいた方が安全だと思います」
村長とユッテは息を飲んだ。
「勿論、魔王城まで行こうという訳ではありません。国境近くにあるユベ=アラロ大神殿までです。あそこは前線でありながら北方地域において最も安全と言えるでしょう」
納得する素振りを見せる村長達の様子に、私は理解できないもののそれが今の最善なのだと知る。――って、魔王城!?
「あの、話の腰を折って申し訳ないのですが、魔王城とおっしゃいましたか?」
「はい。私達は魔王討伐のために魔王城を目指して旅をしています」
目も口もぽかんと開く。そういえばさっき勇者って言ってた。それってまるで、最近は忙しくてする気もなくなってたあれみたいじゃ……。ノイズがかった映像が頭を過る。
シルポダを発ち、隊商の人達と来た道を、今度は勇者達と進む。道中、聖女ソフィリアは、この世界のことを沢山教えてくれた。食事や生活のことから、地理や国同士の関係、魔法のこと、そして勇者と魔王のこと。
声をひそめて、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの……。レットさん、ずっと黙っていらっしゃいますけど……私が同行するのがご迷惑というわけでは……」
「ああ……ごめんなさい。貴方のせいではないのです。気にしないでください。――さあ、そろそろ日暮れです。野営の準備をしましょうか」
その晩の食事時、勇者レットがずっと元気がなかった理由が判明した。焚き火の上のスープを囲んだ皆の輪から抜けたレットは、辺りを見回って来ると言って行ってしまった。気をつけてと返事をしたソフィリアは、レットが消えた暗闇に溜息を吐いた。
「彼は西の出身なのですが、どうも食事が口に合わないようで、ここのところ、あまり食べていないのですよ」
帽子を脱いだユラルが、さらに盛大な溜息で空を仰ぐ。
「そのせいか、あいつ最近ミス多いわよね。命取りだっての。ミオさん、不味くてもちゃんと食べてね。大神殿までは、まだまだあるんだから」
2人の食前の祈りを真似て手を組む。スプーンを口に入れて、思わず動きが止まる。予想通り薄かった。しかも先程レットが狩ってくれた肉の獣臭さが際立っている。横目で隣を見ると、2 人とも黙って口を動かしていた。
昨日は土臭いスープもカレーになって美味しく食べられたけど、さすがに意図的に味を変えるのは失礼だよね。とは思うものの、スプーンが進まない。不味くても食べてと念を押されたけど。ああ! 不味い肉でもカレーにすれば美味しいのに!!
――ボトッ
「きゃっ!」
「え、なに?」
……入っちゃった。
スープが裾に跳ねてしまったソフィリアと、恐る恐る鍋を覗き込むユラルに申し訳ない気持ちになる。
「ごめんなさい……私の魔法らしいのです」
2人が揃ってこちらを見る。
「食事の時にカレールーが出てくるんです。カレールーというのは故郷の調味料というか、スープの素です。……勝手に入れてしまって申し訳ないのですが、よろしければ食べてみてください」
鍋の中をグルグルかき混ぜると、いい匂いが食欲をそそる。味見をしてみると、濃すぎず辛すぎず、獣の臭さも隠せていた。
その時、草の上を走る音。血相を変えて現れたのはレットだ。尋常ではない様子に、ソフィリアもユミルも即座に杖を取る。しかしレットは何も言わず、こちらを呆然と眺める。
「レット、どうしたの?」
ユラルが尋ねると、レットは我に返ったように瞬きをした。そして私を見つめる。
「これ……あんたが作ったのか?」
カレーになってしまったスープのことを言っていることは明白だ。緊張しながらも頷く。
じっと見つめていたレットは、荷物から椀を出して焚き火の前に行き、カレーをよそった。皆が見守る中、短く祈りを捧げたレットは、カレーを口に入れて、うつむいた。
しんと静まる夜の森。誰も動かず喋らない。謎の空気の中、どうしたらいいのか。先程固まってしまった私と同様、レットの口にはカレーが合わなかったのかも。勇気を出して謝ろう。口を開いた時、私が言葉を発するより早く、ぽつんと温かい空気が広がった。
「……うまい」
レットは呟いた後は黙々と、ただカッカッと音を鳴らして椀の中身を食べきっていった。
「私も」
ユラルは一息吐いて杖を置くとカレーをよそう。一口食べると目をパチクリさせた。
「初めて食べる味! すごくリッチで美味しいわ」
よかった。受け入れて喜んでもらえてホッとする。ソフィリアはどうかと見れば、何か考えている顔でレットを見つめていた。
「ソフィリア食べないの? 食べちゃうわよ?」
「いただきますっ」
そして空になった鍋にユラルが杖を小さく振ると、どこからか水が湧いた。
「これ洗って結界張ってくるわね」
「ありがとうございます」
ユラルが闇の向こうに消える。レットが機を伺っていたように口を開いた。
「内密に聞きたいことがある。あんた……もしかしてニホン人か?」
「はい、そうですけど……」
答えて気付いた。私が前世生きていた場所、日本。
「やっぱりな。あれは日本のカレーの味だ」
「あなたも……?」
「ああ、俺がそうだって知ってるのはソフィリアだけなんだ」
ソフィリアを見ると、神妙な表情で頷いた
「転生者は稀な能力を持っていることが大半で、良くも悪くも歴史に名を残すことが多く、羨望の眼差しを向けられることもあれば迫害の対象になることもあるのです。なので大半の転生者は前世のことも優れた能力も隠して暮らしていると考えられています」
「おい」
レットが静かに合図をする。ユラルが帰ってきたのだろう。
「私にできるのはカレールーを出すだけで……」
「転送や創製はとても珍しいですよ。魔法の原理はユラルが詳しいのですが」
「ん? 何の話ー?」
「おかえりなさい、ユラル。洗い物と結界、ありがとうございます。ミオさんの魔法の話を聞いていたのですが」
「さっきの美味しかったわよね」
「ええ。あれは創製でしょうか?」
「んー。ミオさん、もう1回見せてもらえる?」
出そうと思って出したことはないけど、できるかな。
その後、うーんうーんと唸りながら挑戦してみたけれど、結局何も起こらなかった。
数日後、私達は無事に次の村に着いた。勇者一行はまず村長に挨拶に行くのが決まりのようだ。
「ミオ! こっち来てみろ!」
随分元気になったレットが興奮気味に呼ぶ。あれから毎日カレースープを食べて、体力も落ち着いてきたらしい。
連れられた先では農民達が収穫に汗を流していた。――これ、まさか――
「見ろよ、米だ!」
「うそ……」
信じられない気持ちが、じわじわと喜びに変わる。
「嘘じゃねえよ、さっき村長にも確認した! 売ってくれるってさ!」
ずっと欲しかった。カレーだけじゃなくて、ご飯が欲しかったの。
感極まってレットを見上げると、キラキラした瞳の笑顔。嬉しい! 興奮のまま思わず抱き合う。一瞬でハッと我に返り、顔を見られないように離れた。
「ごめん、……私ユラルに魔法教えてもらう約束してるんだった」
「おう。じゃあ俺は鍛冶屋行ってくるわ」
ザワつく心。ユラルに会う前に落ち着かせよう。この焦燥感のような罪悪感のような気持ちはなんだろう。