エピローグ 『 - 深夜の寝室 - 』
焼けつけるような熱い日差し。
夏の太陽が空で燃えるような輝きを放つ。
学園校舎の白い外観が日光でより白く染まり、学園周囲の石畳の上には陽炎が揺らめく。
屋根にはケルベロスが日向ぼっこをしており、校庭の井戸ではマーマンが気持ちよさそうに行水をしていた。
外には風も無く、花壇の一角には向日葵が太陽の光を一身に受けていた。
「………熱いわ。」
「ならいい加減、そのアカデミックドレスを脱いでは如何ですか?」
頬から汗を流しながら、校庭の石畳を歩くロリア。
彼女の横で表情一つ変えず、レイブックが暑い日差しを涼し気に見上げた。
「この暑さでは人間の身体だと、さぞお辛いでしょう?」
「何度も言わせないで。これは先生として威厳を示す服なの。校内にいる間は絶対に脱がないわ。」
ムキになった顔でロリアは言い、彼女の白い髪先からポタポタと汗が流れ落ちる。
その様子を見て、呆れ顔で深い溜息をつくレイブック。
「人間は意地になるとタチが悪いですね。あまり利の無い事に固執して、頭を固くしてしまう。」
「ええっ~……レイブックに頭が固いって言われる日が来るなんて……。」
ショックを受けたような顔で、彼女はげんなりと項垂れた。
「ロリア。脱水症になられても困るので、校舎に戻ったらすぐ服を脱いで下さい。」
「嫌よ。生徒は学生服で、先生はコレを着るのがここの校則なの!」
即答でロリアは拒否し、目元を片手で覆うレイブック。
「ならせめて夏場は生徒達に学生服を脱ぐ自由を与えてはいかがでしょうか?イエティなんて今朝、ヘロヘロになって食堂に来ていましたよ?」
「うっ……。」
「旧時代では教育者が日中に生徒を無理矢理立たせ、日射病になり命の危険にさらした事例もあるそうです。つまらない意地のせいで生徒から死傷者が出たらどうします?」
「………………とりあえず生徒達には夏場だけ学生服を脱ぐ自由を与えるわ。」
「賢明なご判断です。」
そんなやり取りを交わしながら、二人は校舎の中へと歩いて行く。
しばらくすると鐘楼塔の鐘が鳴り響き、校庭で行水をしていたマーマンが慌てて制服を着て、 校舎へと走り出した。
蒼白い満月だった。
漂う雲は一つも無い。
満点の星空の中、ひと際大きく月が輝く。
正面玄関前のグランドには遊び終わったボールが転がり、爽やかな夜風がそれを揺らす。
東の校庭には一面花壇が広がり、無数の花々が咲き誇っていた。
それを見つめながら、肩を抱き寄せ合うワーウルフと、コボルト。
校庭の丘では、ゴーレムの墓の上で、ゴブリンとインプがじゃれ合っていた。
それぞれの夜を生徒達が過ごす中、学園の一角にランプの灯りで揺らめく一つの窓があった。
その部屋は決して広くはなかった。
だからと言って狭くもない。
窓際には青白い月灯りが差し込む。
部屋の壁には本棚と、綺麗なシーツが被せられたベッドが置かれていた。
部屋の主は奥の机でランプを置き、その灯りを光源に何かの本を書き写していた。
ふと、部屋の扉から「コンッコンッ。」と、二度のノックが鳴った。
「まだおきているのですかロリア?」
扉が開くと片手に火の灯ったランプを携えたレイブックが入って来た。
机にはロリアが座っていた。
フリルの可愛いパジャマ姿で、服の色も日中とは真逆の白色だった。
ロリアは返事をせず、黙々と羽ペンを白い本の上で走らせた。
レイブックは静かにロリアへ歩み寄り、机にかじりつく彼女の後ろから顔を覗き込む。
「夜遅くまで、何をしているのですか?」
見ると机の上にも数冊の書物が開いた状態で並べられ、それをロリアは象形文字にして別の本に写していた。
「ああ、生徒達にも読めるよう人間の本を翻訳しているのですか。」
「わかったら邪魔しないでくれる?」
相手も見ずに素っ気なくロリアは言うと、淡々と筆を動かし、白紙のページが綺麗な象形文字で埋められていく。
その光景を眺めながら、レイブックは言う。
「この学園を建てた時の事を覚えていますか、ロリア?君は最初、好奇心で魔物達に会いたいと言いましたね。だから私はこの学校を建て、君はその間に勉強をした。そして君は先生として、‘人間’を教える事で魔物達に会える……ただそれだけのために始めました。でもどうですか?人間の知識を与えた結果、良い結末で終わった者もいれば、悲しい結末を迎えた者もいます。私は人間ではないのでわからないのですがロリア、君はどう感じていますか?」
「…………。」
ロリアはそこで走らせていた羽ペンを止めた。
白い竜人の質問に少女はしばらく黙った後、おもむろに机の引き出しを開く。
そこには一冊の古びた本が納められていた。
淵の所々が擦り切れたとても年季の入った図鑑だった。
色褪せた表紙には辛うじて、グリフォンやミノタウロスなどの絵が描かれているのがわかる。
とても大事そうにロリアはその本を手に取り、表紙を指先でそっと撫でた。
「この本を覚えてる?レイブックがまだ人間だった頃、アナタがコレを私にくれたの。」
「………いえ、全く。」
その返事にロリアは寂しそうに微笑んだ後、愛しそうに図鑑を眺める。
「確かにレイブックの言う通り、辛い事や悲しい事もあったわ。死ぬ事を夢見たゴーレムには、最期まで私は他の夢を見つけてあげる事は出来なかった。仲間のために死んだアルミラージには卒業までずっとここにいてほしかった……。」
そう語る少女の背中を白い竜人は静かに見つめた。
「それでも私はね、大好きな魔物達と会って、好奇心を満たしていく内に気付いたの。ああ……これがやりたかったんだなって。」
「……これとは?」
「アナタが昔、私を初めて檻の外に連れ出してくれた時、アカデミックドレスを着た女の子達とすれ違ったの。楽しそうに笑って学校に行く彼女達の姿を見て私はとても羨ましかった…………でも今はね、私も彼女達のように生徒達と笑い合って日々を過ごせている気がするの。嬉しいや悲しいも、いっぱい皆から貰って、今はとても生きてる感じがするの。」
そしてロリアはレイブックの青い眼を真っ直ぐな瞳で見つめた。
「だから私はこれからもこの学園で先生を続けていくわ。いくら傷ついたって大丈夫よ。だって私は不死身だもん。」
ロリアはニパッと少女らしい笑顔を浮かべ、レイブックに右手を差し伸べた。
「これからもよろしくね、レイブック!はい、握手っ!」
その握手に応えるように、レイブックも右手をロリアへと伸ばす。
「こちらこそ……ロリア。」
すると、白い竜人は少女の手を握らず、彼女の両脇を両手でヒョイッ!と持ち上げた。
「それはさておき、就寝時間です。ベッドに参りましょうか、ロリア。」
彼女は途端に不満気な表情で、両頬をプクーっと膨らます。
「むぅ~!寝る前に少しくらい本を読もうと思ったのにぃ~!」
「ダメです。夜更かしすると明日の授業に響きますので。」
レイブックはロリアを両手で持ち上げたまま、部屋の隅に置かれたベッドに寝かしつける。
そして彼女にシーツと毛布を被せると、部屋の扉を開けて彼は振り向いて言った。
「部屋のランプは明日まで私が預かっておきますので。」
「………レイブックの意地悪。」
悔しそうな顔を枕に埋めながら、ロリアが呟く。
「ではおやすみなさい、ロリア。」
「おやすみ、レイブック。」
部屋の扉が静かに閉じ、廊下の足音は何処かへと去っていく。
暗闇と静けさに包まれる室内。
ロリアは毛布の中から亀のように頭を出し、うつ伏せになって、そっと古びた図鑑を取り出す。
そして月明りを頼りに、1ページ目をまためくり始めた―――。
『 - ロリアの人間教科書 - 』終