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エピソード3 『 - アルミラージの角 - 』

湯煙が立ち込める浴室。

ゆらゆらと、浴槽の水面が揺れる。

浴槽、壁、床の全てがレンガ積みで造られており、その表面は湿気でジワリッと濡れている。

ガラス窓は白く曇っていた。

その向こうは夜の闇が広がり、雨音だけが聴こえる。

浴室の床に膝を着きながら、両手両足の袖と裾を捲り上げたレイブックが訊ねた。

「ロリア。いい加減、ご自分で洗われてはいかがですか?」

「アナタが洗ってくれなきゃ、私はどうやって背中を洗えばいいのよ?」

不満そうに裸のロリアが答えた。

彼女はレイブックに背中を向けて座っており、その背中をレイブックが洗っている。

白い髪は石鹸で泡立っており、身体中がその雫で濡れていた。

「ロリアはただ面倒くさがり屋なだけなのでは?」

「かもね。」

素っ気なく返すロリア。

レイブックの手で泡立ったタオルが、小さな背中で上下する。

すると頭の泡で前が見えないのか、ロリアは手探りで何かを捜している。

「レイブック、お湯~。」

「はいはい。」

レイブックは浴槽のお湯を桶ですくい上げると、ロリアの頭上から湯水を流した。

頭の泡はお湯と共に流れ落ち、浴室に白い湯気がまた立ち昇る。

少女は目を閉じながら首を左右に振り、濡れた子犬のように頭の水滴を辺りに散らした。

すぐレイブックが白いバスタオルを彼女に被せ、頭から順に濡れた体を丁寧に拭ってゆく。

レイブックは言う。

「テストの採点でお風呂に入るのが遅れましたね。着替えたら湯冷めする前にベッドに入って下さい。人間の身体は冷めやすいので。」

二人が浴室から出て脱衣所に出ると、レイブックはロリアの白い髪を櫛で整え、テキパキと下着を着せていく。

「はい、ロリア。バンザーイ。」

「んっ……。」

両手を上げるロリアの上から、黒いアカデミックドレスをスッと、彼は着せた。

深夜の宿舎。

暗い廊下には生徒達の姿は無い。

窓の外には相変わらず暗闇が広がっていた。

小雨が窓に当たり、静かな雨音だけが廊下に鳴り響く。

「声は抑えてくださいロリア。寮にいる生徒達が起きるかもしれませんので。」

「こんな遅くに私をお風呂に入れるからでしょ?私は明日でも良かったのに。」

不機嫌そうに呟くロリア。

少女の前方には彼女を先導するように白い竜人が歩いていた。

彼はランプを片手に廊下の闇を払いながら進む。

「私はこの学園の管理人ですよ?教員である君を管理するのも私の勤めです。よって君には毎日、必ずお風呂には入って頂きます。」

「相変わらず頭が硬いのね。」

皮肉っぽくロリアが言う。するとその時だった。

レイブックが急に廊下の途中で足を止める。

彼はふと、外の暗闇を見下ろすように濡れた窓を見つめていた。

その後ろでロリアが不思議そうに訊ねる。

「どうしたのよ、レイブック?」

「校門の前に何かいますね。」

その言葉に、ロリアは眼を凝らして窓の向こうを見つめる。

だが夜の闇で彼女には何も見えない。

レイブックは言う。

「獣………ではなく魔物のようですね。怪我を負って地面に倒れています。ロリア、私が安全を確認して参りますので、君はここで待っていて下さい。」

だがレイブックが言い終わる前に、「ガラララッ!」と、ロリアが窓を開けた。

「待ってください、ロリア!」

彼の静止を無視し、ロリアは窓を乗り越えて校庭へと跳び出す。

走る脚が雨を跳ね上げ、泥水で服が汚れていく。

だが構わず彼女は小雨の中を駆け抜け、校門の前で立ち止まる。

鉄柵の校門前には一匹の兎が倒れていた。

ただの兎ではない。

身体は普通の兎より一回り大きく、額からは長い一本の角が生えていた。

雨に打たれながら、ピンクの毛皮の所々が赤く染まっている。

下の水溜まりが赤く滲み、それを見たロリアが慌てて校門を開けてその兎に駆け寄る。

彼女は兎を抱きかかえると、その懐に耳を当てた。

「レイブック!まだ息があるわ、今すぐ手当てしましょう!」

いつの間にか、ロリアの真後ろにはレイブックが立っていた。

レイブックは無表情でロリアの抱きしめる魔物を見つめ、呟く。

「一角兎の魔物………アルミラージですか。」

安全と判断したのか、レイブックは背中裏で鋭く伸ばした右手の爪を静かに縮め、白手袋をはめ直した。

そして血と泥に塗れたアルミラージを抱きしめるロリアを見つめ、呆れた様子で彼は言った。

「やれやれ。湯上がりなのにまたこんなに濡れてしまって……。」

ロリアからアルミラージを受け取ると、レイブックは着ていた黒いベストを脱ぎ、それをアルミラージに被せた。

そして二人は夜の校舎に向かって、雨の中を走りだした。




その部屋は殺風景だった。

室内の中央には机と椅子だけが置かれ、他には暖炉しかない。

暖炉では薪が燃え、その炎だけが部屋の中を照らしていた。

炎の灯りが影となって床で踊る。暗闇の外からは雨音がまだ聴こえていた。

ふとテーブルの上で、毛布に包まれた何かがゴソゴソと動き出す。

すると毛布の中からアルミラージの頭がヒョコッと出る。

「ここは……?」

耳を小刻みに動かし、部屋の中を見回すアルミラージ。

「私の部屋ですよ。」

声の方に振り向くと窓際の横で、レイブックが本を読みながら立っていた。

「打撲が四カ所に、刺傷が二カ所ありましたが既に手当ては済んでいますよ。無事に目が覚めて何よりです。」

アルミラージが毛布の中を確かめると、身体には綺麗に包帯が巻かれていた。

「たっ、助けてくれて……ありがとうございます。」

オドオドしながら深々と頭を下げるアルミラージに対し、レイブックは首を左右に振る。

「感謝なら彼女の方に。私はただ頼まれただけです。」

そう言って、レイブックが暖炉の方を指差す。

暖炉の前には毛布にくるまり、横になって寝転がるロリアの姿があった。

「スゥ…スゥ…」

静かな寝息を立てて眠るロリアの姿を見て、アルミラージは不思議そうに訊ねた。

「彼女?あれは何かのメスなのですか?」

「おや、人間を見るのは初めてですか?」

「人間…………そうですか、あれが人間なのですね。」

感慨深そうにロリアを見つめるアルミラージ。

「ん………ふぁあ~。」

すると欠伸混じりに目を擦りながら、ロリアが上半身を起こす。

彼女はアルミラージが起きている事に気付き、ホッとした顔で微笑む。

「良かった。目が覚めたのね。起きても平気なの?」

「はい……おかげで助かりました。本当にありがとうございます。」

アルミラージは床に降りてロリアの傍に近寄ると、何度も頭を下げる。

その度に額から生える鋭い角が、ロリアの眼の前でブンッブンッと、上下した。

「あっ、うん……お礼はいいから、もう少し離れてくれない?」

苦笑いでロリアが言うと、アルミラージが慌てて二歩下がった。

「あっ、ゴメンなさい!」

まだ緊張しているのか、アルミラージの顔は強張っていた。

ロリアは白い髪を軽く手で整えると、傍に置いておいた角帽を被り直し、改めてアルミラージに向き直る。

「私はロリア。この学園で人間を教えている先生よ。彼は管理人のレイブック。」

ロリアの傍らで「どうも。」と言いながら彼は軽く手首を返して挨拶をした。

「私はアルミラージのピオって言います。」

そう言って、軽く頭を下げるピオ。

するとロリアは真剣な表情で訊ねる。

「それでピオ。そんなに傷ついて何があったの?」

その質問にピオは酷く暗い顔を浮かべた。

彼女は暖炉で揺らめく炎を遠い眼で見つめ、少し間を置いた後、重い口を開いた。

「これはオーガの追手に負わされた傷です。」

「オーガに?」

「はい。私はオーガの村から逃げてきた者です。私達アルミラージのメスの角はオーガにとって希少価値がとても高いので……彼らは私達の角を装飾品として扱い、身につけたり家に飾ったりしているのです。まるで宝石のように……。」

ピオは自分の額から伸びる角を憂鬱そうな眼で見つめ、続ける。

「だから彼らは私達を捕まえ繁殖させた後、角が伸びるまで育てるのです。そして最後には角を切り取られ、殺されてしまうの……私達アルミラージは角を失った瞬間、そのまま絶命してしまうので……。」

そしてピオの黒い瞳から一粒の涙が零れる。

「私は運良く、隙を突いて逃げてこられたのですが、他のアルミラージ達はまだあの死に怯えた毎日を………。」

ピオは何かを思い出したのか語る口を止め、恐怖で身を震わせた。

するとロリアは歩み寄り、ピオが落ち着くまで彼女の背中をゆっくり擦る。

「怖かったね、もう大丈夫だから。」

「うぁあっ……あぁ……っ。」

悪夢を見て泣く少女をなだめる母親のように、ロリアは両手で優しくピオを包む。

暖炉で燃える薪がパチパチッと火の粉を飛ばし、部屋にはしばらくの沈黙が流れた。

「これから行く当てはあるの?」

ロリアの言葉にピオは顔を上げると、彼女は頭を左右に振る。

「住み家だった森はオーガに焼き払われました。父もその時に殺され、母はその翌日にオーガの里で角だけの姿になっていました。今はもう、何を信じて生きていけばいいのか……。」

か細い声でそう呟き、暗い顔のままピオは俯く。

するとロリアは彼女の頭を撫でながら、優しく微笑む。

「じゃあアナタ、しばらくこの学園で暮らしてみない?ここならアナタを傷付ける者は誰もいないわ。それに授業で色々と学べば、いつかアナタのやりたい事が見つかるかもしれないわよ?」

アルミラージは目を見開き、嬉しそうに耳を震わす。

「いいのですか…?」

「勿論。問題ないわよね、レイブック?」

ロリアの視線を受け、レイブックは顎に手を当てた。

「君が言うなら私は構いませんよ。制服を縫うのに二日ほど頂ければね。」

「決まりね。今日から私の事はロリア先生って読んでね?」

そう言って、得意気にロリアが微笑む。

そんな彼女にピオは笑顔を浮かべ、改めて深々と頭を下げる。

「はい。これからよろしくお願いします、ロリア先生。」

気付けば、外の雨音は消えていた。

窓からは薄明かりが注ぎ、雲の隙間から朝の光が差し込んでいた。







魔物達の朝は早かった。


太陽が完全に顔を出した頃、学生寮の廊下には次々と起床した魔物達が現れる。

自室から出てきた豹頭の魔物が白い制服姿で背伸びをしており、その前を宙に舞うインプがゴブリンを追っかけてじゃれ合っている。

「あら、ロリア先生。おはようございます。」

鋭いサソリの尾を持ち、蝙蝠のような翼を背中から生やしたライオンが挨拶をしてくる。

マンティコアだった。

挨拶を済ますと、マンティコアは窓から空へと飛び立ち、廊下の先でロリアが手を振ってそれを見送る。

隣にいたピオは呆気にとられながら言う。

「あの魔物は、何処へ…?」

「朝の運動よ。学園の空を何度か旋回したら戻って来るわ。」

「本当に色んな魔物がいるんですね……。」

そして彼女達は廊下を進み、ピオは前を歩くロリアに兎跳びで付いて行く。

魔物とすれ違う度にロリアは朝の挨拶を交わし、ピオはその様子をキョロキョロと後ろから覗く。

その顔は不安と好奇心が混ざったような様子だった。

しばらく学生寮の廊下を進み、ロリアはとある部屋の前で足を止めた。

二度ノックをすると、「どうぞ。」と中から返事が返って来る。

ロリアが扉を開けるとそこは二段ベッドの置かれた、やや小さめの部屋だった。

奥の窓際には机があり、爬虫類の皮膚を帯びた人型の蜥蜴が制服姿で本を読んでいた。

彼は本を閉じるとロリア達に向き直り頭を下げる。

「おはようございます、ロリア先生。」

「おはよう、紹介するわねピオ。今日からアナタのルームメイトになるリザードマンのゲイルよ。」

ゲイルはピオ達に歩み寄ると、ロリアの後ろに隠れる長い角を見つけ、彼は小さく笑った。

「フフッ、君が新入生のアルミラージかい?話は色々と聞いているよ。心から君を歓迎する。」

だがピオは一向にロリアの後ろから出ようとせず、困った顔でロリアは笑った。

「怖がらなくていいのよ?ゲイルはアナタを傷付けないから。」

だが、ピオは怪訝な目でベッドの方を見ながら言った。

「………ベッドに剣があるわ。」

二段ベッドの脇には鞘に納められた剣が掛けられていた。

リザードマンはそれを手に取り、苦笑しながら言う。

「これはただの作品です。僕は人間の刀工技術を学ぶため、ここに来たのです。」

「えっ?でもここは人間の武器を学ぶのは禁止されているんじゃ……?」

ピオが不思議そうに訊ねると、ロリアは答えた。

「銃や爆弾はともかく、刀工技術は色々と生活に応用が利くの。包丁や草鎌を造るとかにもね。」

「ええ。それで僕は特別に許可を頂いているんだ。それにこの学園で剣はあまり武器として認知されてないんだよ?校内には鋭利な爪を持った魔物や、鋭い角を持った魔物が大勢いるからね。」

そう言いながらゲイルは鋭い爪先でピオの長い角先をトンットンッと突っつき、悪戯っぽく笑う。

するとゲイルは、ロリアの後ろに隠れて見えなかったピオの包帯に気付いた。

「ロリア先生、これは彼女がオーガの村から逃げてきた時に負った傷ですか?」

やや顔を曇らせながらロリアが頷くと、ゲイルは「そうですか…。」と、一言呟く。

そして彼は床に片膝を着き、アルミラージの前に持っていた剣を床に置く。

「今まで辛かったね。でも心配しなくていい。僕は絶対に君を傷付けたりしないから。」

「……………。」

ゲイルは真っ直ぐな瞳でピオを見つめ、優しく語りかける。

ピオは少し黙って彼の眼を見つめた後、ロリアの後ろから一歩前に出る。

そして彼女は緊張した様子で、二段ベッドの方を見ながら言う。

「……私が下でいい?上のベッドだと私が脚を滑らせた時、アナタを串刺しにしちゃうから。」

ピオの言葉に、ロリアとゲイルから笑顔がこぼれた。

「あははっ、わかったよ。それじゃあルームメイトとして、これからよろしく頼むよ。」

そう言ってゲイルは身を屈ませ、ピオに手を差し伸べる。

ピオも彼に小さな手を伸ばす。

ピンク色をした小さな兎の手を、ゴツゴツとした爬虫類の手が優しく握り返した。



それからのピオの学園生活は充実したものだった。


ロリアの授業にも制服姿で真摯に取り組み、自室に戻った後もゲイルにペンの握り方を教えてもらう日々。やがて授業でも長い角の先にチョークを巻き付け、黒板の問題が解けるようになり、クラスメイト達から称賛されるようになった。

勉学以外では、彼女は食堂でレイブックの手伝いをするようになった。

厨房では白いエプロン姿のレイブックがピオの角に一匹、一匹、魚を串刺しにしていき、それを両手に持った串魚と一緒に窯の火で炙るのが彼女の日課となっていた。

その焼き魚は人気で、食堂で獲りあいになるのを見るのがピオの楽しみだった。

朝になればインプと一緒に廊下でゴブリンを追っかけて、夜になれば自室でまたリザードマンとペンを握る練習をする……。

そのどれもがピオを笑顔にさせる日常だった。

夕暮れに染まる放課後。

雲々が仄かな赤色に染まり、東の空には一番星が見える。

夕日が校舎の窓を赤く輝かせる。

校庭では、ボールを投げて遊ぶミノタウロスとケンタウロスの影が地面に伸びてゆく。

そんな光景を校舎裏の高い丘から見つめる二匹の魔物。

「どう?学園の生活には慣れたかい?」

ゲイルが丘の芝生に座り込み、横のピオに訊ねた。

その質問に笑いながらピオは頭を左右に振る。

「よくわからない。毎日が新しい事の連続でいっぱいだもの。」

「慣れたさ。だって、もう誰も怖くないだろう?」

ゲイルは穏やかな顔で笑い、彼女の背中をポンポンと叩いた。

沈みゆく夕日を遠い眼で見つめながらピオは言う。

「ここのみんなは優しいから。私を一つの命として扱ってくれる。オーガは私の角だけしか見ていなかったから……。」

するとゲイルが首飾りのような物を懐から取り出し、彼女の首にそっとかける。

飾りの先には丸い銀色の石が飾られていた。

「えっ、コレは…?」

「剣を作る鉱石を捜しに行った時、綺麗な石を見つけてね。学園に持ち帰って研磨してみたんだ。

もしかしたら君に似合うと思ってね。」

「…………。」

首飾りの石が夕日の光で赤光りを放ち、ピオはそれに見惚れる。

「ここの一員になれた記念にね、これは僕からのプレゼントさ。」

ゲイルはピオに笑いかけながら、彼女の顔を横から覗き込む。

するとピオの顔を見て、ゲイルの笑顔が消えた。

そこにあった彼女の顔はとても辛く、そして何より悲しみに溢れていたからだ。

ピオは肩を震わせながら、貰った首飾りを強く、強く両手で握り締めていた。

「どうしたんだ、急にそんな顔をして……?」

心配そうにゲイルが訊ねると、ピオはそっと語り出す。

「違う……違うのゲイル。プレゼントとか初めてだから私、凄く嬉しくて………。」

「じゃあ、なんでそんな顔をするんだい?」

彼の言葉に少しの間を置き、ピオは答えた。

「この学園にいると私、とても幸せな気持ちなの…。充実した毎日でいつも楽しいわ。でも心のどこかでふと思うの。『私だけ、本当に幸せになっていいのか?』って。私の仲間は今もオーガに捕まり、角の収穫日まで殺されるのをただ待つだけ。それを想うと仲間達に申し訳なくて……。」

話を黙って聞いていたゲイルも暗く表情を落とす。

そして彼はピオの肩に、そっと手を置いた。

「気持ちはわかったよ。だがどうしようもないだろう?オーガ達から君の仲間を助ける事はできない。なら仲間の分まで君は幸せになるべきだ。」

ピオは返事をしなかった。

彼女は胸元の首飾りを見つめ、そして何か思い立ったように顔を上げる。

何かを決心した強い瞳で、ピオはゲイルの方を見た。

「ねぇ、一つ御願いがあるの。私の角を刀のように研ぐ事って出来る?」

それを聴いたゲイルは顔を曇らせ、とても困惑した様子でピオに訊ねた。

「君はその角を研いで………どうする気なんだ?」

「………。」

西の夕日は完全に沈み、そして夕闇が夜の学園を静かに覆った----------。




朝霧が学園を包み、視界が白一色に染まる。

空は曇り、太陽の光は無い。

学園の個人教員室ではロリアが机に座り、独りで窓の景色を眺めていた。

その顔はどこか憂鬱そうで元気は無い。

すると部屋の扉から、コンッコンッとノックが鳴り響いた。

ロリアは手櫛で軽く白髪を整えると机に置いていた角帽を被り、「どうぞ。」と言う。

扉が開くとレイブックが部屋の中へと入り、ロリアの前に立って残念そうな口調で話す。

「ダメですね。どの生徒に訊ねてもこの三日間、ピオとゲイルの二匹を見た者はいません。」

そしてレイブックは顎に手を当て、呟いた。

「敷地内をいくら捜しても見つかりませんし考えられるとすれば、もう二匹とも学園の外に出たとしか考えられません。君の許可なく外に出るのは禁止になっているのですが。」

「でも理由がわからないわ。私達に無断で学園の外に出るなんて……。」

心配気な口調でロリアがそう言った時だった。

部屋の扉からまたノック音が鳴り響く。

ロリアが頷くと、レイブックは扉を開ける。

「あらあら、管理人さんにロリア先生、おはようございます。」

扉の前にいたのは、マンティコアだった。

挨拶をしながら、彼女はロリア達に向かって軽く会釈をする。

「どうしたの?アナタがこんな朝早くに訪ねてくるなんて。」

「実は先ほど、朝の運動で学園の空を飛んでいましたら山の麓から一台、馬車が登って来るのが見えたので、お知らせしとこうかと思いましたの。」

「馬車?」

「はい。霧が出始めてきた時だったので、よくは見えなかったのですが御者席にリザードマンが乗っていた気がしましたわ。」

その言葉にロリアはレイブックと目を合わせ、彼女は勢い良く立ち上がる。

「ありがとう!アナタは学生寮に戻ってなさい、レイブックは私と一緒に校門前に来て!」

「了解しました。」

無表情でレイブックは返事をし、マンティコアをその場に残して、部屋から飛び出すロリア。

彼女はレイブックと共に廊下を進み、二人はそのまま校舎の外へと出た。

校庭の中を通り抜けると、そこには両開き式の鉄柵で出来た校門があった。

傷ついたピオと初めて出会った場所。

あの時の事を思い出しながらロリアは静かに校門の扉を開いた。

少女と白い竜人が校門の外に出ると周囲には濃い霧が立ちこみ、何も見えない。

だが霧の向こうから何か音が近づいて来る。

それは馬の蹄の音だった。

そして朝霧の中から、二頭の馬に引かれた馬車が姿を現す。

馬車の荷台は白い布屋根が付いており、先頭の御者席にはリザードマンが一匹座っている。

ゲイルだった。

彼は腰に剣を携え、肩から灰色のマントを羽織っていた。

馬車はロリア達の前に止まり、ゲイルは馬車から降りて口を開いた。

「しばらくぶりですね、ロリア先生。」

どこか沈んだ表情で挨拶をするゲイル。

「まずは無断で学園外に出てしまい申し訳ありませんでした。先生に話せばきっと止められると思ったので。」

それに対し、ロリアは真剣な表情で訊ねた。

「これはどういう事なのか説明してくれるのかしら?」

「勿論です。その前にまず、一緒に荷車の中を見てもらえますか?」

「荷車の中を…?」

ゲイルに言われるまま、ロリア達は馬車の後ろへと回る。

そしてゲイルは白い布で覆われた荷台から一匹の魔物を取り出し、それを地面にそっと降ろす。

それを見て、ロリアは驚いた。

荷台から降ろされたのは、頭に頭巾を被せられたピンク色の兎だった。

その頭部からは頭巾を突き破るように一本の角が生えている。

「これって……まさかアルミラージなの?」

荷台の中をロリアが覗くと同じように頭巾を被せられたアルミラージが大勢詰め込まれている。

ロリアは再びゲイルを見つめ、険しい表情で訊ねる。

「ゲイル。これはどういう事なの…?」

「オーガと取引してきたのです………ピオと一緒に。」

「ピオと?」

「ええ。彼女の角と引き換えに捕まっていたアルミラージ五十匹を全て助け出して来たんです。」

その一言にロリアは言葉を失う。

角を牛ったアルミラージは生きていけない。

しばらく荷馬車の中を眺めた後、ゲイルは暗く、そして淡々とした口調で語り出す。

「ピオが望んだんですよ……。彼女は言っていました。この学園に来て、とても幸せだったと。先生に救われ、色んな事を学んで毎日が楽しかったと…。でもピオは自分だけ幸せになんてなれない。どうしても捕まっている仲間達を助けてあげたいと……彼女はそう言ったんです。」

すると傍にいたレイブックが冷静な口調で訊ねた。

「ですが、これだけのアルミラージを簡単にオーガ達が渡すとは思えません。ピオ一匹に対し、五十匹はおかしくないですか?」

その言葉にゲイルは懐から銀色に輝く首飾りをとり出した。

「これは僕がピオにあげた鉱石の首飾りです。元々なんの光沢も無い鉱石だったのですが、研いでみれば岩のように角張っていた表面は消え、日光で宝石のように輝くんです。」

「それでその鉱石が………何なの?」

ロリアがそう訊ねると、その首飾りを悲しそうな眼で見つめながらゲイルは言った。

「ピオのアイディアなんです……。刀を研ぐ技術を使って彼女の角を研磨すれば、通常の角よりはるかに立派で、光沢の出る角を作れるんじゃないかって。まさか人間の刀工技術があんな風に応用できるとは思いませんでしたよ。」

まるで自嘲するような口調でゲイルは呟く。

「オーガ達もみんな驚いていましたよ。あんな美しい角は見た事が無いって…。僕がピオの角を五十匹分の価値にしたんです。おかげで彼女の仲間達は全て助け出す事ができましたよ。」

そう言い終えると、ゲイルは最後にとても悲しそうに微笑む。

ロリアはその姿を悲し気に見つめながら口を開いた。

「アナタは彼女を止めなかったの?」

「止めましたよ…。でもピオは最後まで考えを変えなかった。それに……。」

「それに?」

「彼女の選択は生き方として、とても美しいと………そう思ってしまったんです。だから僕は、ピオに協力しました。」

ゲイルは銀色に光る手元の鉱石を見つめながら、寂しげに呟く。

その様子を見ていたロリアも、切なそうな眼で彼を見つめただ一言、

「そう…。」とだけ言葉を零した。

するとロリアは馬車に近づき、荷台の中からアルミラージを一匹抱き上げ、下へ降ろす。

そしてロリアは振り向き、先生らしく生徒を注意するように言う。

「何やってんのよ。こんな所にいつまでも詰め込んでいたら、この子達が可哀そうじゃない。

アナタ達も手伝ってよ。」

レイブックはゲイルの肩に手をポンッと置き一言、

「だ、そうです。」と言って、アルミラージを降ろすのを手伝い始める。

しばらくその光景を見つめた後、ゲイルは苦笑し静かに、

「はい、先生…。」と言って、作業に加わった。




一通り、馬車からアルミラージを降ろし終えたロリア達。

辺りには地面を埋め尽くすほどのアルミラージの群れで溢れていた。

「荷台にはもう残っていないわね。じゃあ頭に被せられた頭巾を取ってあげましょうか。」

ロリアの言葉にレイブックとゲイルは頷き、被せられた頭巾を総出で外してゆく。

次々と頭巾が頭から外され、顔を出していくアルミラージ達。

そして全ての拘束具が解かれると、ロリアは優しく、諭すように群れに話しかけた。

「さぁ、これでもうアナタ達は自由よ。」

アルミラージ達は周囲を確認するように、キョロキョロと辺りを見回す。

そして自由になった歓声を上げる事も無く、急にロリア達を怪訝な目で見つめだした。

そんな態度にロリアが

「どうしたの?」

と、不思議そうに訊ねた。

すると先頭にいたアルミラージは突然、ヒュッ!と鋭い角を振り回し、ロリアの袖を切り裂いた。

「⁉」

「ロリアッ!」

驚いたようにロリアは後退り、レイブックは彼女を守るように前に出た。

切りつけた先頭のアルミラージは鬼の形相を浮かべ、ロリア達を睨みつける。

「なんて事してくれたのよ!余計な事しやがってえぇ!」

アルミラージの怒号が飛び、ロリア達は何を言われているのか、一瞬わからなかった。

今度は別のアルミラージが語尾を荒げながら叫ぶ。

「私達はあれで幸せだったのよ!ご飯にも困らないし、綺麗な寝床だって用意されていたのっ!働かずに生きていけたのに、なに解放してくれてんのよ!」

次々に不満を爆発させていくアルミラージ達。

「最悪だわ!」とか、「何様なのよ!」だの、言いたい放題の文句を並べる。

その一言、一言にロリアは困惑した。

「待ってよ!オーガの所にいたらアナタ達、いつか殺されていたのよ?」

するとアルミラージ達は火に油が注がれたように逆上する。

「バカじゃないの?私達が野生で暮らしたら、また他の魔物に狙われちゃうじゃない!」

「そうよそうよっ!いつ死ぬかもわからない人生よりオーガ様に養われていた方が、ずっと安心だったわ!」

彼女達の言葉にロリアの顔は凍り付く。

レイブックは顔色一つ変えず彼女達を見つめ、ゲイルは俯き、押し黙っていた。

ロリアは絞り出すような声で言う。

「でもピオはアナタ達のために命を捨てたのよ…?地獄から救おうと、あの子は必死で……。」

「地獄ですって?むしろ天国だったわよ!自分が苦しいからって私達も同じだと思っちゃたのかしら…?こっちはとんだ迷惑よ!助けてくれなんて誰も頼んでないのにっ!」

先頭にいたアルミラージが反論し、それに続くように周りの群れから罵声と怒声が飛び交う。

「そうよ、そうよ!」「自分勝手にも程があるわよ!」

怒号の飛び交う中、ふとレイブックはロリアに目を向ける。

彼女は呆然と何かをあきらめたように俯き、酷くやり切れない表情を浮かべていた。

悔しそうに自分の服を握り締め、その手は小さく震えていた。

すると先頭にいたアルミラージが群れに振り返り、声を張り上げる。

「もういいわ!皆でオーガ様の所へ戻りましょうよ!私達から頼めば、もう一度飼育してもらえるかもしれなぁっ…------。」


その言葉を言い終える前に、先頭にいたアルミラージの頭が宙を舞う。

角の生えた頭がクルクルと舞い、全員がその放物線を見つめる。

頭は朝霧の中へと消え、「コロンッコロン。」と何処かで転げ落ちる音が聞こえた。

後には首の無いアルミラージと、その後ろで剣を握って立つリザードマンの姿があった。

怒りに満ちた鋭い眼光でアルミラージ達を見据えるゲイル。

「きゃああああああああああああっ!」

次の瞬間、アルミラージの群れは叫び声を上げ、蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出す。

それを逃がすまいと咆哮を上げながら、ゲイルは握った剣を両手で振り上げる。

その刃が、逃げるアルミラージ達の背中に向け振り下ろされようとした瞬間だった。

「ゲイルッ!」

その声にリザードマンは剣を止める。

そしてゲイルは後ろを振り向き、ロリアを睨みつける。

「止めないでください先生。僕は今………奴らを斬らなきゃ気が済まない。あんな奴らのためにピオが死んだなんてぇ…!」

それは憎悪と怒りが入り混じったような口調だった。

息を荒げながら牙を剥き出しにし、その顔は獣染みている。

ロリアはゲイルの後ろで佇み、ただ悲しそうに彼の背中へ言葉を投げかける。

「止めはしないわ。正直、私も腹が立ったから……………でも一つだけ聴いて。彼女達はピオが守った命よ。その命を奪ったら、あの子が何のために死んだのかわからなくなる……。」

ゲイルは静かにロリアの言葉に耳を傾けていた。

「ゲイル。アナタはその剣で……彼女の優しさを無為にするの?」

するとゲイルは振り上げた剣を降ろし、足元に転がった首の無い兎を静かに見つめた。

アルミラージの群れは朝霧の中へと逃げ去り、校門の前に三人だけが取り残されていた。

ゲイルは霧の向こうを恨めしそうに見つめながら言う。

「あんな奴らのために命を捨てなきゃ………彼女はここで幸せになれたんだ…。」

ロリアは何も言わず、慰めるように彼の背中をそっと撫でた。

しばらく黙って佇んだ後、ゲイルは懐から一枚の折り畳まれた紙を取り出し、ロリアに渡す。

「コレは…?」

「ピオの手紙です。一緒に学園から抜け出そうとした時、彼女が先生宛てに書いたモノです。」

ロリアはゆっくり紙を広げると、そこには乱れた文字でこう書かれていた。


『 ぁりがとぅ、せんせぃ。 』


思わず口に手を当てるロリア。

ゲイルはその文字を見て、小さく苦笑いする。

「知っていましたか先生、やっとピオも………ペンを握れるようになっていたんですよ?」

するとゲイルはロリアに背を向け、静かに歩き出す。

「何処へ行くの?」

「取引したのは僕なので…………彼女達の命は僕のモノです。」

ゲイルは振り返らずにそう答えると、剣を握ったまま朝霧の中へと消えていった。

ロリアは寂しそうにゲイルの後ろ姿を見送ると、傍に倒れた首の無い亡骸に目を向ける。

ピンク色の毛皮は赤く染まり、地面には小さな血だまりが出来ていた。

レイブックは訊ねた。

「ロリア、自分の命を捧げたアルミラージの行動は正しかったのでしょうか?」

「……レイブックはどう思うの?」

「人間の倫理観を排除すれば正しかったかと。五十匹と一匹なら、数の多い方を優先すべきです。」

「……アナタらしいわね。」

暗く落ちた表情のまま、ロリアが力無く笑う。

朝霧は徐々に晴れていき、空から太陽の日差しが薄く差し込む。

ロリアはアカデミックドレスの上着を脱ぐと、首の無いアルミラージに掛けた。

そして彼女は、その上にそっと手を置いて言った。

「何が正しいとか私にはわからないけど………少なくとも、一方では地獄に見え、もう一方では天国に見えた。ただそれだけの話よ。」

「なるほど、主観の行き違いですね。」

白い竜人が納得した様に頷くと、ロリアは服に包めた亡骸を両手で抱きかかえ、立ち上がる。

校門の扉をレイブックが開き、学園の中へとロリアは歩いてゆく。

最後に地面の血だまりを見つめながら、レイブックは静かにその扉を閉じた。




暖かな陽気の昼下がり。

窓の外から生徒達の遊ぶ笑い声が聞こえてくる。

学園の個人教員室ではロリアが机に座り、ピオの手紙を沈んだ表情で眺めていた。

そこへ部屋の扉からコンッコンッと、ノック音が鳴る。

少女は「どうぞ」と呟くと、白い竜人が部屋の中に入ってくる。

「ロリア、先ほど訪ねてきたお客様をお連れしました。」

レイブックの後ろから二匹の大柄な魔物が低い扉を潜るように、室内へ入ってくる。

オーガだった。

肌は赤黒で全身筋肉質、頭から角を二本ずつ生やし、腰回りに黒い絹を巻いている。

巨躯な図体が歩く度に、ドスンッ、ドスンッと床が軋む。

オーガ達は机に座るロリアの前に立つと、ニヤッと笑う。

「ほう、これが噂の人間か。」

ロリアは不快そうにオーガを見つめると、彼等は高笑いした。

「なぁに、捕って喰いはしねぇって。今日は仕事だ。」

「それでご用件は何かしら?」

すると、オーガは真顔で質問する。

「この学園にゲイルって名前のリザードマンはいるか?」

「……今はいないわ。三日前から帰ってこないの。」

素っ気なく返すロリアに、オーガは続ける。

「そうか。実は少し前に、オレ達の里にそいつがやって来てな……。奴はとても美しい角を持つアルミラージを連れていたんだ。そしてオレ達は奴と取引して、この角を手に入れた。」

すると傍らにいたもう一匹のオーガが、手元の鞄から布に包められた何かを取り出す。

そして、それをロリアの座る机の上に置き、布を解く。



------------それはまるで宝石のような一本の角だった。



その表面は滑らかな艶を帯び、無駄の無い曲線美を描いている。

鋭く尖った先端が窓から差し込む太陽の光で、ダイヤのように鈍い輝きを放つ。

ロリアは一瞬両目を見開き、驚いた表情でその角を見つめた。

「どうだ素晴らしい角だろう先生!リザードマンはこの角の造り方を教えちゃくれなかったが、奴はその方法をこの学園で学んだと言っていた。そこで相談なんだが先生……オレ達にこの角の造り方を教えちゃくれねぇか?もし教えてくれたらオレ達の造るこの角をアンタにも半分分けて………。」

「お断りよ。」

言い終わる前に彼女が答えた。

オーガ達は面食らったような顔を浮かべ、理解不能とばかりにロリアに詰め寄る。

「おいおい先生!こんな素晴らしい物を造れる技術があるっていうのに使わねぇなんて、アンタ宝の持ち腐れだぜ!この宝石のような角が見えねぇのかよ?」

するとロリアは机に置かれた角を見つめ、悲しそうに呟いた。


「だったら主観の違いね。私には、魔物の亡骸にしか見えないわ。」

                                - アルミラージの角 -終


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