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エピソード2 『 - 死にたがりのゴーレム - 』

黄緑の森が広がっていた。

焼けつくような日差しが空から降り注ぐ。

苔の生えた岩、そして入り乱れた樹木の根が地面に這っている。

無数の枝木が空を遮り、緑の天井だけが一帯を覆う。

そこから落ちる木漏れ日によって、森の木々が黒と白に彩われる。

鳥の羽ばたく音と、河のせせらぎが周囲から聴こえる。

森の地面には一本筋で流れる小川があり、二つの頭を持ったトカゲが流水を舌で舐めとっていた。

そこにパキッと、誰かが枝木を踏みつけ、その音にトカゲが素早く木陰へと逃げ込む。

「ダメ……もう動けない~…。」

木陰でロリアが疲れた様子で弱音を吐いた。

すると彼女の背後で、涼しい顔をしたレイブックが声をかけた。

「ロリア、夏にその服装での外出は如何なものかと…。」

真夏の昼下がりにも関わらず、ロリアは黒いアカデミックドレス姿のままだった。

レイブックは背負っていた大きなリュックを置き、ドレスをとり出しながら言った。

「今からでも、持ってきた夏服に着替えられますか?」

「嫌よ。自室以外はこの服って決めているの。だって私は皆の先生なんだから。」

「どんな意地ですか、それ。」

呆れ顔を浮かべながら、レイブックはリュックからタオルを取り出し、少女の首に伝う汗を拭う。

「とにかく熱中症になられても困りますので、一度ここで休憩しましょう。」

「そうね…。」

レイブックは水筒を取り出しコップに水を注ぐと、それをロリアに手渡す。

森の木陰には、苔の生えている平らな大岩があった。

ロリアはその上に腰を掛け、貰った水をゴクゴクと飲み干す。

少し元気が戻った様子で彼女は「ありがとう。」と言い、小さく微笑みながらコップを返す。

一息つくと、ロリアは思い出したかのように、残念そうな顔を浮かべた。

「今回はハズレだったわね。」

「仕方ありませんよ。街のほとんどが壊滅状態だったのですから。あそこまで瓦礫の山になっていては、西の街の探索はもう無理ですね。」

「そうね。授業で使えそうな新しい資料は一つも無かったし、また違う街を見つけて、‘人間’の資料探しをしましょう。」

「ですね。」

そう言いながらレイブックは荷物から団扇を取り出し、今度はそれでロリアを扇ぎ始めた。

汗で濡れた雪色の髪が、団扇の風に小さくなびく。

「あ~…こんな暑い中、また歩きたくないなぁ~…。」

「そこまでお嫌なら、学園まで私がおんぶしてあげましょうか?」

その申し出にニパァと、急に笑顔を見せるロリア。

「いいの?荷物は全部レイブックが背負っているのに。」

「構いませんよ。これぐらい私にはあってないような重さなので……ただ学園の指導者が赤子のようにおんぶされて帰ってきたら、生徒達はどう思うのでしょうか?」

「うっ…。」

ロリアはやや呻き、少し黙った後に彼女は残念そうに言う。

「……やっぱり歩くわ。」

「良い心がけです。」

感心した様子でレイブックが頷く。

そんなやり取りの中、それは突然起こった。

ロリアの座っていた大岩が突如、ゴゴゴゴッと地鳴りをあげ、彼女を乗せたまま地面から上へと盛り上がってゆく。

「ロリアッ!」

レイブックが大声をあげる。

盛り上がった大岩が傍の樹木に衝突し、音をたてて倒木する。

軽い土煙が宙を舞い、レイブックは眼前に立ちはだかる黒い影を見上げた。

起き上がったその岩は人の形をしていた。

全身の所々が角張っており、表面は岩肌でゴツゴツとしている。

指先からつま先まで全体が太く、成人男性3人分くらいの身長はあった。

日差しを全身に受け、逆光で顔は見えない。

体勢を崩したロリアが座り込んだ場所は岩男の右肩だった。

岩男は低い唸り声をあげると、肩に乗ったロリアの胴体を大きな手で掴み上げる。

「きゃあっ!」

叫ぶロリアの声に反応するようにレイブックの両目が紅く染まる。

それと同時に、彼の両手の手袋は弾け飛び、中から爆発的に伸びた鋭い爪が露になる。

レイブックは地面を抉るほどの跳躍で、一瞬にして岩男へと飛び掛かった。

彼は両手で、ロリアを掴んでいた岩男の腕に掌底を打ち込み、その爪を突き立てる。

が、パキィッ!と渇いた音が辺りに鳴り響く。

岩の腕には一切傷は付かず、レイブックの爪がバラバラに弾け飛んだ。

その衝撃で宙に投げ出されたレイブックは一回転し、まるで獣のように四つん這いになって地面に着地する。

敵意を込めた紅い瞳で岩男を睨み、次の攻撃を繰り出そうとした時だった。

「待って、レイブック!」

ロリアの声にピクッと、踏み出そうとした脚を止める。

彼女の胴体と同じ太さの五本指が、お人形を置くようにそっとロリアを地面へと降り立たせる。

「ごめんなさい。驚かす気はなかったんだ。」

それは洞窟の奥から喋っているような籠った声だった。

声色は若く、青年くらいの印象。

ロリアを地面に戻した後、岩男は猫背で立ったままジッと彼女を見つめていた。

岩男の顔は平らな一枚岩で出来ており、目元には横長の真っ暗な穴が開いている。

その穴には緑に輝く二つの眼光があった。

困惑した顔で、ロリアは呆然とその目を眺める。

敵意が無い様子にレイブックも攻撃態勢を解き、同時に瞳は紅色から青色へと戻った。

「アナタは魔物なの?」

ロリアが訊ねると、岩男は首を左右に振った。

「ボクにもわからない…。」

「わからないって、自分が誰なのかもわからないの?」

「うん。ボクが最初に目を覚ましたのは瓦礫だらけの街だったんだ。それ以前の事は全然覚えてなくて……。」

岩男は自分でも困り果てたような口ぶりだった。

ロリアは後ろに振り返り、説明を求めるようにレイブックと眼を合わす。

それを察したレイブックが口を開いた。

「おそらくゴーレムだと思います。私も実物を見るのは初めてですが。」

「ボクがゴーレム…?」

右手で自分を指さすゴーレム。

そんな彼を見つめながら、困惑した顔するロリア。

「記憶喪失のゴーレムなんて初めて聞いたわ………アナタは何故、こんな所にいるの?」

「ボクは目的地に向かう途中、ここで休憩していたんだ。すると君がボクの上に乗ってきたから、慌てて起き上がったんだよ。」

その言葉に少女と白い竜人は、とても迷惑そうな目でゴーレムを睨んだ。

「ならまず、起き上がる時に声をかけてほしかったわ。」

「全くもって同感です。」

二人の反応に、申し訳なさそうな声で「ごめんね。」とゴーレムは謝罪した。

軽く溜息を吐くとロリアは両腕を組み、ゴーレムを見上げながら訊ねた。

「それでアナタの目的地って何処なの?」

ゴーレムは答える。

「この近くに‘人間’を学べる学校があるって聴いたんだ。君達知らないかい?」

ロリアとレイブックは再び互いの目を見合わせると、ロリアは自分を指差した。

「私がその学校で先生をしている人間よ。 最初に見て気付かなかったの?」

「人間?君が人間なの……?初めて見るから、わからなかったよ。」

ゴーレムは身を乗り出し、関心を示すようにロリアの顔を覗き込む。

「本当に何も知らないようですね。」

ロリアの後ろからレイブックが小声で囁いた。

一度咳払いをした後、ロリアはゴーレムの眼を見据え、改めて挨拶をした。

「初めまして、私はロリア。後ろの彼は学園管理者のレイブックよ。アナタは入学希望者なの?もしそうなら学園で一体、‘人間’の何を学びたいのかしら?」

するとゴーレムは空を眺め、どこか明るい声でこう答えた。

「ボクはね、人間の自殺を学びたいんだ。」


その返答にロリアは怪訝な表情を浮かべる。

「アナタは死にたいの?」

そうロリアが訊ねると、ゴーレムは静かに頷く。

「ボクは色んな高い崖から落ちてみたけど傷一つ付かなかった。他にも深い水の中に落ちたり、火だるまになってみたりしたけど、全然死ねなかった。そんな時に通りすがりの魔物から学園の噂を教えてもらったんだ。人間の自殺手段を色々学べば、今度こそボクも死ねるかもしれない。そう思ったのさ。」

まるで子供が将来の夢を語るように、希望染みた口調でゴーレムは話す。

しかし、その言葉を聞きながら、ロリアの表情が曇っていった。

「待って。何でアナタはそこまでして死にたがるの?」

するとゴーレムは不思議そうに首を傾ける。

「ボクは生きる目的が無いと生きていけません。だからとりあえず死ぬのを目的にして生きようと思ったんだけど……皆は違うの?」

するとロリアは一変して「プッ」と吹き出し、そのまま「あははははっ!」と笑いだす。

そんな彼女を見て、レイブックも首を傾ける。

「ロリア?」

「いいわ。特別にアナタの入学を許可してあげる。人間の自殺方法もちゃんと教えてあげるわ。ただし、学園では人間と同じ生活をしてもらうわよ?」

どこか上機嫌に笑うロリアの後ろで、レイブックは訊ねた。

「よろしいのですか?そのような約束をして。」

「いいの、もう決めた事なんだから!」

そう言い切ると、ロリアは微笑みながらゴーレムに小さな手を差し伸ばす。

「これからは私をロリア先生と呼びなさい。いいわね?」

「うん、よろしくお願いします。ロリア先生。」

ゴーレムは右手の人差し指を前に出し、ロリアはその先端に手を着いて握手した。

彼女はニパッと笑い、そのままレイブックの方へ振り向く。

「そういう事だから、レイブックもよろしくね。」

ゴーレムも彼に軽く頭を下げると、レイブックは右手で頭を抱えた。

「やれやれ。間違いなく制服の生地が足りませんね……。」




暖かな太陽だった。

その光は学園の窓に反射して白く輝く。

校舎の外観は白く古びたレンガ造りの建物で、まるで洋館のようだった。

ガラスを透きぬけた日光は屋内を照らし、そんな窓が廊下の奥まで続いている。

「……で、人はここに至り、その……。」

とある教室からロリアの声が聞こえてくる。

「つまり人間の価値観は宗教や民族によって大きく違い、一概に言えるものではありません。私自身の考え方も人間のごく一部の考え方なので、ロリア先生の考え=人間という捉え方は、間違っていると思ってください。」

ロリアの持つチョークが、黒板に象形文字のような文章を並べる。

教室には二十席以上の机が並び、それらの席には多種多様の魔物達が白い制服を着て、座っている。

頬杖を突くグリフォン、羽ペンを器用に指の上で回すオーク。ノートの紙を食べながら授業を 受ける山羊頭のバフォメット。

彼らはそれぞれ紙の上で筆を動かし、黒板に向かうロリアの背中を見つめていた。

ロリアは黒い教科書を片手に、生徒達の方へ振り返った。

「ですが私の主観で良ければ、一人の人間として色々答えてもいいでしょう。教科書を読んで、人間の『ここが変だなぁ~。』って思う方はいますか?」

彼女の一声に、バババッと、全ての席から手が上がる。

ロリアは生徒達を見回し、一匹を見据えて指を差した。

「じゃあアナタ。」

その声に教室後方に座っていた魔物が立ちあがる。

ベアーマンという人型の大熊だった。

彼は着ている制服の襟をクイクイッと引っ張りながら、偉そうに質問する。

「なんで人間は服を着るんだ?こんなモン、邪魔なだけな気がするんだが……。」

白い髪を軽くかき上げながら、ロリアは答えた。

「人間が服を着る理由は様々です。一つは防寒。外気の温度によって着る服を変え、体温調節します。そういう意味では立派な毛皮に覆われたアナタには確かに不要かもしれないわね。」

するとベアーマンは「フン。」と、自慢げに笑みを浮かべた。

ロリアは続ける。

「他にも権力や立場を示すため、役職や規律に応じて人間は服を着ます。皆さんの制服もここの学生としての証であり、私の服も先生としての威厳を示すために着ています。」

ロリアは両腕を広げ、自分の服を見せながら言う。

「他にもコンプレックスを隠すためや、服によっては性的興奮を高める作用もあるそうです…。私は実物を見た事はないですが………他にも理由は沢山あります。大きな理由はこんな所ですが他に質問のある方は?」

バババッと、当然のように全生徒がまた手を上げた。

ロリアが教室を見回しながら次の生徒を選んでいると、ふと教室が昼間なのに暗くなる。

ふとロリアは教室の窓に目を向け、「あ。」と声をあげた。

校庭の外には窓越しで、ゴーレムが四つん這いになって教室の中を覗き込んでいた。

巨躯な図体が日光を遮り、教室半分は彼の影に覆われる。

その存在感に生徒全員の顔が引きつる中、ロリアは平然とゴーレムに声をかけた。

「アナタも何か質問したい事があるの?」

ゴーレムは外で小さく頷き、ロリアが窓を開ける。

そして彼は元気よく、ロリアに質問した。

「先生、なんで人間は自殺するの?」

「…………。」

ゴーレムの言葉に一瞬、教室に沈黙が流れる。

そして次第に生徒達はざわつき始め、そのどれもが不満気な口調だった。

「人間にそんな愚か者がいるのか?」「祖霊に対する侮辱だ!」「なぜ闘って死なない?」

「儀式や生贄でもなく、ただ死ぬだと?」「飢えた家族に自分の肉を与えるためでは?」

生徒達の言葉が飛び交う中、ロリアは複雑そうな顔でゴーレムを見つめていた。

「どうなのかな、先生?」

首を傾け、ゴーレムは彼女の返事を待っていた。

そのゴーレムの問いかけにクラスのざわつきは止まり、教室中がロリアに注目する。

彼女はゴーレムの眼を見据え、優しく諭すように言った。

「私は一度も死にたいと思った事がないから、彼らの気持ちはわからない。でも人間の書物には多くの自殺文献が残っているわ。それらから推察して、ここで説明もできる。でも……。」

「でも?」

まるで絵本の続きをせがむ子供のように、ゴーレムは次の言葉を待っていた。

だがロリアはそれ以上の事は答えられず、口籠る。

カラーン、コローン…!

学園の屋根上に見える鐘楼塔から鐘が鳴り響いた。

教室の全員が窓に目をやり、鐘楼塔の下にはロープを引いて鐘を鳴らすレイブックの姿が見えた。

「おっ昼飯だ!食堂に行こうぜ!」「今日はリスと魚にするか。」「コウモリの血はあるかなぁ。」

鐘の音と共に生徒達は笑顔で立ち上がり、廊下へと出ていく。

教室にはロリアだけが立ち尽くし、そんな彼女を外でジッとゴーレムが見つめた。

「今日の授業はこれでおしまいよ。この続きはまた今度ね。」

「…………先生?」

ロリアは寂しげな背中をゴーレムに向け、廊下へと去っていく。

誰もいなくなった教室。

窓際の外では独り、巨像だけがポツンとそこに取り残された。




そこは直滑降の崖だった。

遠くの山裏には太陽が隠れ始め、山の輪郭を赤く輝かせる。

高い山々が周囲を囲み、その上空を夕日色に染まった雲々が流れていた。

岩肌だけが剥き出しとなった崖、その表面を這うように鳥の影が走る。

コンドルだった。崖に沿うようにして飛行し、優雅に空を旋回する。

すると突如、コンドルの頭上から大きな黒い影が落ちてくる。

それは崖の途中でドガシャンッ!と音をたてて止まり、驚いたコンドルが逃げるように空へ飛び去っていった。

「あ~……この方法でも死ねないかぁ~。」

どこか楽観的な、それでいて残念そうな声でゴーレムが呟いた。

彼の首周りには太い鎖が巻き付けられ、崖の途中で宙吊り状態となっていた。

鎖は崖の上まで伸びており、その先の崖淵からレイブックが顔を出し訊ねる。

「引き上げましょうか?」

「自分の力で登れるから大丈夫です、管理人さん。」

崖の上は雑木林になっており、崖際で片膝を着きながらレイブックが下を見下ろしていた。

その後ろにはロリアが両腕を組みながら立っていた。

「彼はどう?」

「とても元気そうです。」

「でしょうね。仮にこの鎖が切れてもピンピンしていると思うわ。」

後ろに生えた大木に目をやるロリア。

大木には何重にも鎖が巻き付けられ、そこから伸びた鎖はそのまま崖下のゴーレムへと続いていた。

ロリアはしゃがみ込み、地を這った鎖を指で撫でながら言う。

「レイブック、彼の事について何かわかった?」

「いえ。学園の書物はどれを見てもゴーレムについての詳しい記述はありませんでした。彼が何処で、どうして生まれたのかも推測が立ちません。」

ロリアは、「そう。」とだけ呟き、立ち上がる。

崖際で夕日の赤い光に包まれる二人、雪のように白いロリアの髪がピンクに染まっていた。

するとレイブックは静かに質問を切り出す。

「さて、そろそろ教えて頂いてもよろしいですか?」

「教えるって何を?」

「君の真意です。正直、君が彼の自殺に協力しているようには見えません。人間の自害くらいの手段でゴーレムが死なないのは君もわかっているはず。そもそも何故、彼を生徒として迎え入れたのです?」

その質問にロリアは少し黙った後、沈む太陽に語りかけるように口を開く。

「知ってる?今年のゴブリンは人間の建築技術を学びに来ているの。」

レイブックが怪訝な表情を浮かべ、ロリアは続ける。

「去年学生寮に住んでみて人間の住まいが気に入ったみたい。ハーピィは自分の羽で作った羽毛布団の作り方を知りたいそうなの。自分が死んだ後も、ずっと子供達を温められるようにだって。ベアーマンなんて海洋学よ?鮭の産卵周期を学んで、より安定的に家族を養いたいんだって。」

微笑みながら、彼女は嬉しそうに生徒達の夢を語る。

「あの学園には様々な種族が集まり、それぞれ色んな夢を抱いてやって来るわ。だからここで、ゴーレムも色んな価値観と出会えれば、きっと別の夢に出会えるかもしれない。そう思ったの。でなきゃ……。」

「でなきゃ?」

「悲しいじゃない、死ぬために生きているなんて。」

最後の一言を言い終えた時、ロリアの笑顔は消え、寂しげな表情を見せた。

レイブックは顎に手を添え、納得したように頷く。

「なるほど、別の生きる目的を彼に見つけてほしかったのですね。」

「そういう事。人間の自殺は約束通り教えなきゃいけないけどね。」

そう言って、困り顔で笑うロリア。

すると「ドスンッ!」と音が聴こえ、二人は崖淵の方に眼を向ける。

崖淵には下から登ってきたゴーレムが鎖を握り締めながら、地面に上半身を乗り出していた。

首に巻き付いていた鎖を自分で引っ張り上げ、やっと崖の上に到着した様子だった。

「ロリア先生、管理人さん、ただいま。」

ゴーレムはそう言って、崖の上に足を掛ける。

が…バキバキバキッ!と地面に亀裂が走り、それを見ていた二人が同時に「あ。」と声を漏らす。

ゴーレムの体重に耐えられなくなった崖淵は崩れ落ち、「うわあああぁ~…」と声をあげながら、再び彼は崖の底へと落ちてゆく。

地面を這っていた太い鎖がピーン!と宙で張り上がり、それを巻き付けていた大木が大きく軋む。

その様子を見ていた二人は顔を見合わせ、苦笑いした。

「ロリア、今度は私が引き上げますね。」

「ええ。是非お願いするわ、レイブック……。」





それからのゴーレムの学園生活は充実したものだった。


昼は教室の窓越しでロリアの授業を受け、放課後はレイブックも加わり、人間の自殺方法を毎日一つずつ試す日々…………。

授業の無い日はレイブックの手伝いをするようにもなった。

校庭内に大岩があればゴーレムに持ち上げて撤去してもらったり、庭園の畑を作る時には巨大な掌がシャベルとなって、素手で土を耕してくれたりもした。

おかげでレイブックの作業時間は大幅に減り、その空いた時間にゴーレムの身体をブラシで洗うのがレイブックの日課となった。

最初はゴーレムに驚いていた生徒達も、徐々に彼に懐き始めていた。

休校日の校庭には、ゴブリンやインプなど小型モンスターが彼の上に群がり、ジャングルジムで遊ぶ子供達のようにはしゃぐ。

その後、彼の感電自殺を手伝おうとサンダークラーケンが漂う水槽に皆でゴーレムを突き落とす。だが電気風呂に浸かるノリでゴーレムが寛ぎだし、それを見て皆は笑った。

また別の日にはオークやグリフォン、ベアーマンなどの大柄な魔物達が彼に勝負を挑み、全員が動けなくなるまでゴーレムと相撲をした。

その後、彼の服毒自殺を手伝おうとメデューサの猛毒唾液をバケツ一杯に皆で溜めた。

が、飲もうとしたゴーレムに口は無く、彼は顔面からバケツを被り、また皆で大笑いした。

そんな光景を校舎の窓から、微笑ましく眺めるのがロリアの日課となっていた。

そんな何気ない日々が繰り返され、その夜は訪れた--------------。




夜の空。

青と黒が所々で混じり合い、その色彩の中で無数の星達が輝いていた。

上は何処を見ても、星空の海が広がる。

ほのかな月明りが暗い校舎の外観を照らし出す。

夜風が校庭の草花を優しく撫で、何処からか鈴虫の鳴き声が聞こえる。

空の中心には満月が輝いていた。

ふと、それを掴むように誰かが手を伸ばす。

とても太く、ゴツゴツとした腕が月へと伸びていく。

だが当然、その手が満月に届く事はなかった。

それでも伸びた掌は何度も月を掴み取ろうと、宙で開閉を繰り返す。

ゴーレムは校庭の丘の上で体育座りしたまま右手を上へ、上へと、また伸ばしてみる。

「フフッ、それじゃあ届かないわよ?」

声に反応し、ゴーレムが振り返る。

そこには可笑しそうに笑いながら、校庭の草むらを歩いて来るロリアがいた。

彼女は昼と変わらず、アカデミックドレス姿のまま丘を登り、ゴーレムの横に立った。

座ったままのゴーレムでも、横に立つロリアの身長の倍以上はあった。

空に伸ばした手を引っ込めると、ゴーレムは言った。

「知っています。これでもう五千九百三十一回も試しましたから。でもボクはこの作業が何故か好きなんです。」

ロリアは横で静かに笑う。

「なんだか今日は眠れなくてね。それで窓を覗いたらアナタが見えたの。邪魔したかしら?」

「そんな事ないです。基本的に夜は暇なので。」

そう言って彼はまた月を見上げ、少し間を置いた後こう続ける。

「今日も死ねませんでした。先生。」

「マッドスカンクの毒ガスでも死ねないとなると、呼吸器系からのアプローチは無理かもね。」

まぁゴーレムが呼吸なんてするワケ無いのだけれど……。

と、心の中で呟きながら悪戯をした少女のように舌を出すロリア。

彼女は一度咳払いをした後、ゴーレムに訊ねた。

「ここの生活には慣れた??」

「はい先生。ここに来て色んな事を知りました。先生や管理人さん、それにクラスの皆の事も。」

すると彼は自分の掌を広げ、その岩肌をジッと見つめだす。

「みんな生きるって目的のためにここで学んでいたのですね。ボクとは正反対だ……。ボクには正直、必死になって生きようとする皆の気持ちがよくわかりません。死のうと考えるボクって、変なんでしょうか?」

「他の生徒なんて関係ないわ。大事なのはアナタが何をしたいかよ。」

ロリアは微笑みながら、小さな手でゴーレムの身体を擦る。

それにゴーレムが「えへへっ♪」と嬉しそうな声をあげた。

「そう言ってもらえると嬉しいです。実は最近、ここの生活が楽しいんです先生。毎日、色んな自殺を試して失敗するけど確実に目的に近づいている気がします。だからボク、明日も頑張って死んでみようと思います。」

生き生きとした声でゴーレムが語り、その隣でどこか切なそうな目で俯くロリア。

「ねぇ、ロリア先生!もし死ぬことが出来たらボクってどうなっちゃうのかな?」

無邪気な子供の様に質問するゴーレムに、ロリアは言い淀んだ。

そんな彼女を見て、不思議そうに首を傾けるゴーレム。

「ロリア先生?」

「………そうね、どうなっちゃうんだろうね。実は私もよくわからないの。死については人間の宗教だけでも様々な捉え方があるわ。一括りに説明はできないけど……。」

そう言ってロリアは星を見上げる。

「でもそうね………多分、眠りについた時が一番死に近い状態かなって私は思うの。」

「眠るの?」

彼女の言葉を促すようにゴーレムが訊ねる。

「そう。みんな眠りにつくと自我が無くなっちゃうの。私が私じゃなくなっていくようなそんな感覚……。だから時々、眠るのが怖くなっちゃう時があるの。結局最後は眠っちゃうんだけどね。」

綺麗な星空へ、自分の想いを並べていくように淡々とロリアは語る。

「だから先生は今日も眠れないの?」

「あははっ。そうかもしれないわね。」

「でもボク、一度も眠った事が無いから正直よくわかんないや。」

ゴーレムはそう答えながら首を傾けた。

しばらく二人はずっと夜空を見上げ、そんな彼等を包みこむように月の灯りが空から降り注ぐ。

丘に浮かぶ満月には小さな少女と、大きな岩男のシルエットが映し出される。

そしてゴーレムは小さな声で、そっと呟いた。

「もしそうならボクもいつか眠ってみたいなぁ…。」

空を見つめる二つの眼は、夜空の星のように緑色に輝いていた。

「ここにいましたか、ロリア。」

突然、背後から白手袋がロリアの両脇をヒョイッ!と、持ち上げ彼女は宙に浮かぶ。

「レッ、レイブック…。」

いつの間にかレイブックが彼女の背後へと立ち、ロリアを赤ん坊の様に持ち上げていた。

「こんな夜更けに何をしているのですか?もう就寝時間は過ぎていますよ?」

レイブックに背を向けた状態で抱えられ、ロリアはバツの悪そうな顔で笑う。

「あははっ……だってホラ?彼が余りにも寂しそうだったから少し話そうと思って……。」

「ゴーレムのせいにしない………めっ!です。」

半分、本気のトーンでレイブックが叱り、彼女はシュンとしおらしくなる。

座ったまま、上半身だけを振り向かせ、二人のやりとりを見つめるゴーレム。

「こんばんは、管理人さん。先生はもう連れていっちゃうの?」

「ええ、彼女は明日も授業がありますので。」

「そっか。それじゃあ、また明日だね。」

寂しげな声色でゴーレムが呟く。

ふと持ち上げられていたロリアは「あ。」と、声をあげる。

眼の前にはゴーレムの目元が間近で見え、横長の暗い穴には緑の眼が二つ浮かんでいた。

そのさらに奥。両目の間には、何か小さな文字が彫られている。

ロリアはゴーレムの目元に近づこうと、宙で両足を可愛くばたつかせる。

「ねぇ、レイブック!そのままもっと高く持ち上げて!」

「はい……こうでしょうか?」

真顔で興奮気味にロリアが頼む。レイブックは言われるがまま、彼女をさらに高く持ち上げる。

ロリアはゴーレムの目元に手を伸ばし、横長の穴に顔を覗き込んだ。

不思議そうな声で、ゴーレムが訊ねる。

「先生、どうしたの?」

「待って、ちょっと動かないでね。」

穴の内部は、全て頑丈な岩で構成されていた。そして二つの眼球の間の岩肌を見ると、そこには

‘emeth,という文字が小さく彫られていた。

「何でこんな所に文字が……。」

訝し気な顔でロリアは呟き、彼女は右腕を伸ばして、その文字を指でなぞる。

その瞬間、彼女の左右に輝いていた緑の眼が光を失った。

ゴーレムは「あれ?」と声を漏らし、彼の視界が果てしない暗闇へと染まっていく。

「えっ……ロリア先生…?管理人さん…?」

何も見えない世界。

自分の身体も見えず、音も無い。

名前を呼んでも誰も応えてはくれない。

すると闇の奥に小さな光が見える。それは何かの映像だった。

眩しい映像は徐々に近づいて来る。

やがて、視界の全てが映像で埋め尽くされ、その光景一色と化す。

映像には白衣を着た一人の男性が映し出されていた。

顔は見えない。

だがとても若そうな青年だ。

彼は洋館が建ち並ぶ豊かな市街地を通り、ある建物へと歩いてゆく。

そこはとても高い塔だった。黒くそびえ建つ風格のある巨塔。

男は厳重そうな門の前で、銃を持った兵士に手帳を見せている。

門が開き、彼は塔の中へ入って行くと同じ白衣の男達が一つの巨像の前で群がっている。

それはゴーレムの身体だった。

白衣の男はゴーレムに近づき、その身体に触れながら嬉しそうに口を開く。


『なんて素晴らしいんだ……。 君はボクの夢、そのものだ。』




「あああああああああああああああああああああああああああああっ!」

夜の静けさを打ち消すように、その絶叫が校庭に響き渡る。

突然、ゴーレムは両手で頭の左右を押さえ、身体を激しく仰け反りだす。

それはまるで、生きたまま脳を抉りだされているかのような苦しみ様だった。

「きゃあ!」

反動で空宙に放り出されるロリア。

そこへレイブックが一足飛びで高くジャンプする。

そしてロリアを空中でキャッチし、そのまま一回転して着地した。

「お怪我は?」

レイブックは、そっとロリアを地面に降ろした。

「ええ、私は大丈夫。それより彼が……。」

絶叫はもう聞こえなかった。

代わりにドゴオォォォッ!と、地響きを鳴らせてゴーレムが地面に倒れる。

倒れたゴーレムの元へと急いで駆け寄り、ロリアは心配気に訊ねた。

「だっ、大丈夫?」

「…………あっ、ロリア先生。」

ゴーレムが、か細い声で返事をする。

その両目は緑の光を取り戻し、彼は自力で起き上がり、その場で座り込む。

「先生……なんか眼の中に色んな映像がなだれ込んできて頭が割れそうでした……。今までで、一番苦しかったです。」

「映像?もしかしてアナタの失った記憶なのかしら?」

ロリアが心配そうにゴーレムを見つめていると、後ろにいたレイブックが訊ねた。

「それでどんな映像だったのですか?」

「街が見えたんです……そこにとても高い塔があって……中にボクがいました。」

ゴーレムは記憶を辿るように左手で自分の額を覆う。

ロリアは真剣な表情で、そっと呟いた。

「街の高い塔……もしかして、あそこかもしれないわね。」

「ロリア、心当たりがあるのですか?」

「ええ……。人間の資料捜しで以前、滅びた街を探索したのを覚えてる?そこの瓦礫の一つに、かなり巨大だった塔の倒壊跡を見つけたの。彼が見たのは、その塔の映像かもしれないわ。」

レイブックは顎に手を添え、「なるほど、あそこですか。」と頷いた。

そこでゴーレムはロリアに身体を向け、両膝と両手の拳を地面につける。

「お願いです、ロリア先生!どうかボクをそこに案内してくれませんか?もしかしたらそこに、ボクを殺す方法があるかもしれないんです!」

必死に、そして切なげな声でゴーレムが懇願する。

ロリアは透き通った青い瞳でゴーレムの眼を見つめる。そして、思い立ったように彼女は後ろへ振り返り、レイブックと向き合った。

「生徒達が起きたら、今日は休校だって伝えてあげて。」

「よろしいのですか?」

ロリアはその返事に応えず、黙ったままレイブックと見つめ合う。

彼女の真剣な眼つきをしばらく見つめ、レイブックは静かに背を向けた。

「わかりました。では明日の昼までに出発できるように準備します。では明日に備えてロリアも早く休んでください。」

そう言い終えると、レイブックは学園の方へと足早に去っていった。

白い髪をかき上げながら、ロリアはゴーレムに手を差し伸べて言った。

「アナタが知りたいのなら私はそれを教えるだけよ。行きましょう。」

その道には木漏れ日が降り注いでいた。

全く舗装されていない森の下り坂が延々と続く道。

雲は無く、頭上には樹木の葉が森の天井を作っていた。

「帰りも、この方法で戻りましょうよ?」

ロリアが機嫌良さ気な声で言う。

彼女は小動物のようにゴーレムの右肩に乗り、どこか楽しそうだった。

岩の脚が彼女の代わりに歩を進め、森に鈍い地響きを鳴らす。

「生徒を乗り物扱いするのは、感心しませんね。」

そう言いながら、後ろ姿で軽く溜息を吐くレイブック。

彼はゴーレムの前を歩き、使い古した大型リュックを背負って歩いていた。

「大丈夫です、管理人さん。ボクは先生の力になれて嬉しいから。」

ゴーレムの言葉にロリアはとても嬉しそうな顔で「うん、うん!」と、何度も頷く。

そして、わざとらしく残念そうな顔で「それに比べて……」と付け加え、前方の白い竜人を見る。

「レイブックにも、こんな健気で可愛い所があったら良かったのになぁ~。」

「私には不必要かと。」

振り返らず真顔でレイブックが応え、さらに続ける。

「それより森を抜けると、目的地が見えてくると思います。ここはもう街の近くなので。」

「何か映像の手がかりが見つかるといいわね。」

ロリアはそう言いながら、ゴーレムの横顔を撫でる。

だがそれに反応せず、彼はやたら周囲をキョロキョロと見回した。

「ねぇ、どうしたの?」

「ボク、ここ初めてじゃない気がする。なんだか凄く懐かしい……。」

「えっ?それって……。」

不可解そうにロリアはゴーレムを見つめる。

するとレイブックが立ち止まり、上を見上げている。

つられて、ロリアも上に目をやると空はいつのまにか灰色の雲が覆っていた。

厚い雲に遮られて太陽の光が徐々に消えてゆく。

「一雨降りそうですし、少し急ぎましょうか。」

ロリアはそれに頷き、彼等は暗く沈み始めた森の奥へと、さらに進んでいった。






その光景は酷い色だった。

灰色の空と、黒色に染まった大地。

そこは見渡す限り、瓦礫の海が地平線まで続いていた。

溶けた車の数々、黒焦げになった家々。

その中を突き進むロリア達。

空からは雨が降り注ぎ、焼け焦げた地面に黒い水溜まりがいくつも出来ていた。

ゴーレムは肩に乗ったロリアの上に片手をかざし、彼女の傘となる。

その前を歩くレイブックが折り畳み傘を差して、目的地へと先導した。

瓦礫の山で足場が少ない中、その上を軽快な足取りでレイブックは飛び越えていく。

一方、足場の少なさなど関係なく、瓦礫をプレスのように踏みつけていくゴーレム。

「先生、そこら辺の地面にゴロゴロ転がっている白いのは人間の骨ですか?」

ゴーレムの質問に、ロリアは瓦礫の山々を眺めながら表情も無く頷いた。

ふと、その中にあるプロペラの付いた戦闘機の残骸に目を止め、彼女は呟いた。

「人間達が自分で招いた結末よ………最期まで戦ったみたいだけど、結局は皆死んだようね。」

「そっか。皆ちゃんと死ねたんだね。」

明るげな声でゴーレムが呟き、そんな彼を思い詰めた表情でロリアは見つめた。

「お二方、着きましたよ。」

レイブックがそう言って立ち止まり、眼の前を指差す。

そこには一際瓦礫が積み重なった巨大な黒い丘がそびえ立っていた。

瓦礫の丘は横長一線に盛り上り、倒れた塔に沿って山を作り上げていた。

雨に打たれながら、その丘を黙って見上げるゴーレム。

彼の身体に触れながら、レイブックが慰めるように言う。

「これが君の見た塔なのではないでしょうか?とは言っても、ここまで激しく崩れていては手がかりを捜すのは難しいと思いますね。」

ロリアも残骸の丘を見て、残念そうにゴーレムを見つめる。

しばらくゴーレムは丘を見上げ、沈黙する。

そして、彼は何かを思い出すように頭を両手で抱え始めた。

「先生、思い出したよ………ここだ!ここなんだよ!ボクが最初に目を覚ました場所は!」

興奮したように緑の両目を光らせ、ゴーレムは肩のロリアに訴えかけた。

「えっ……思い出したって、何を…?」

するとゴーレムはそれに答えぬまま、いきなり瓦礫の丘の裏へと走り出す。

「きゃっ!どうしたの?」

肩に乗ったロリアが驚いて声を上げ、ゴーレムの顔にしがみつく。

「本当に思い出したんだよ先生!今から証拠を見せてあげるから……!」

「見せるって何を…?」

ゴーレムはある瓦礫の上でピタッと足を止めると、その剛腕で足元の瓦礫を一発殴りつける。

雨水がしぶきをあげ、粉砕音と共にその瓦礫が砕け散り、彼はその残骸を放り投げた。

「あった!見つけたよ、ロリア先生!」

宝物を見つけたようにはしゃぎだすゴーレム。

彼は足元を指差し、ロリアの表情が一変する。

「地下通路ね…。」

地面に開いた大きな穴の中には、真っ暗な階段が下へと続いていた。

「なんでわかったの?」

「言ったでしょ?思い出したって。」

ロリアはゴーレムから降り、傍にいたレイブックは背中の荷物から古びたランタンを取り出す。

彼はそれに火を灯し、先に階段を一段降りてから後ろを振り向く。

「私が先頭を行きますので、お二方はついて来てください。」

緊張した顔つきでロリアが頷くと、レイブックは歩を進めた。

地下へ降りていく灯りは下へと消えていき、地上には雨音だけが瓦礫の海に響き渡っていた。




闇が何処までも続いていた。

長い間、地下に溜まった淀んだ空気は重く、埃っぽい。

地上の雨水が壁の割れ目から流れ落ちる音が聞こえる。

ロリア達の足音が籠った音で地下通路に反響する。

先頭のレイブックが一歩先の闇を照らし、その後にロリア、ゴーレムと続く。

ランタンの周りには宙を漂う埃が映り、床には小さな鼠が辺りを行き交う。

「意外と広い通路ね。」

レイブックの後ろを歩くロリアが、強張った顔で呟いた。

「そうですね先生。でも、もう少し天井は高めに作ってほしかったです。」

ロリアの後ろで、四つん這いになって進むゴーレムが不満気に言った。

通路は一本道のまま奥へと続いており、しばらく進み続けた先でレイブックが足を止めた。

「お二方、ここが終点のようです。」

レイブックはそう言って、持っているランタンを上に掲げた。

通路の先には、半分開いた鋼鉄製の両開き式扉があった。

レイブックは扉の半分を手で押し広げ、先に扉の中へと入り中を確認する。

「……大丈夫そうですね、入っても問題ありません。」

白い竜人のその言葉に続いて、少女と岩男が扉の中へと入っていった。

真っ暗な室内に一歩入ると、足音の反響から広々とした部屋だとわかる。

とても厚く頑丈そうな扉に触れ、ロリアは眉をひそめた。

「こんな扉作るなんて、なんの部屋だったのかしら?」

「研究室でしょうね。おそらくはコレを作っていたのでしょう。」

疑問に答えるようにレイブックがランタンで壁を照らす。

室内には、大小様々の岩石で出来た手足がいくつも並んで飾られていた。

驚くロリアの隣にゴーレムが立ち、自分の腕をかざしながら壁の手足と見比べる。

「ボクのと、似ているね。」

レイブックが顎に手を当てながら深く頷く。

「ええ、どうやら君はここで生まれたようですね。」

「きゃああっ!」

ドサッ!という音と共に、ロリアは暗闇の中で倒れる。

レイブックとゴーレムが瞬時に声の方へと振り向く。

「ロリア先生?」

「大丈夫ですか、ロリア?」

ランタンで照らすと、床の上で痛そうにロリアが四つん這いになっていた。

「大丈夫。床に何かの線が沢山あって……それに引っかかったみたい。」

そう言ってロリアは立ち上がり、床に敷かれた無数の導線を腹立たしそうに掴み上げる。

「もぉう~!何の線なのよ、コレ?」

彼女の疑問に答えるように、レイブックは足元に伸びる導線の先をランタンで照らし出す。

「うぅっ…!」

導線の先を見て、ロリアは思わず口元に手を当てる。

床には人間の白骨化した遺体が倒れていた。

遺体は白衣を着ており、傍には彼の座っていたであろう椅子が一緒に倒れていた。

レイブックは顔色一つ変えず遺体に近づき、興味深くそれを見つめた。

「ここの研究者でしょうね。しかし何故、こんな部屋で息絶えたのでしょうか?」

「レイブック、ちょっとコレを見てよ。」

ロリアが指差す先にレイブックがランタンを向けると、遺体のすぐ傍に一台の機械が倒れていた。

「映写機ですね。」

するとロリアは映写機を立て直し、近くに落ちていた円盤状フィルムを拾い上げた。

彼女はその上に溜まった埃を息でフゥーっと吹きかけて払い、フィルムに書かれた文字を読んだ。

「実験記録って書いてあるわね。バッテリー式だから電力が残っていたら、まだ動かせるかも。」

急に真剣な顔で映写機を弄り出し、再びフィルムを設置するロリア。

「先生、それは何?」

ゴーレムの質問に、ロリアは得意気に笑いながら答えた。

「これはね、過去の映像を映し出す人間の道具なの。レイブック、ここのレバーを回してみて。」

映写機には手動式の回転レバーが付いており、レイブックが「こうですか?」と言いながらそのレバーを時計回りに回転させた。

すると映写機にはめられたフィルムがカタカタカタッと、回転を始め光が壁に投影される。

埃や黒線混じりでセピア色の映像が流れ始め、そこには白衣の青年が椅子に座っていた。

整った短髪で、眼鏡をかけた細身、年は二十代ほどで、清潔感のある雰囲気だった。

「この人です!ボクが見た白い服の人!」

ゴーレムは、映像を見てはしゃぎだす。

映像の背景から、撮影したのはこの部屋のようだった。

映像の博士は岩石の腕を椅子の横に置き、彼はカメラ目線で嬉しそうに言う。

『実験開始から、二十一日目……ゴーレムの腕がやっと完成しました!コレでまた夢に向かって一歩、前進した気がします。』

すると博士は、横に置いた大きな腕を愛おしそうに撫でた。

『この研究が成功すれば人類の夢、不死身の身体が完成する…。それを作るのが小さい時からのボクの夢だった。この研究にきっとボクは生涯を捧げるだろう。ああ、完成する日が楽しみだな。』

妊婦のお腹を撫でる父親のように、その顔は幸せに満ちていた。

すると酒を持った他の研究員が笑顔で博士の肩に腕を絡め、彼らは楽し気に画面外へと出ていく。

「どうやら、この博士がアナタの生みの親のようね。」

「………。」

映像は破損しているのか、記録が断片的に途切れた状態で次の映像が流れる。

『研究開始から二百五十九日目。正直に言うと少し…参っている。』

椅子に座った博士は酷く疲れた様子だった。

整っていた髪は乱れ、身体は椅子に項垂れるようにして座っている。

『ゴーレムの身体が動かない。全身が完成したのに何故だ?もう夢が叶う寸前なのに……。』

自分の両手を見つめ自問自答するように呟く博士。彼は少し黙った後、口を開く。

『研究員達も頑張っている。ここのリーダーとしてボクが皆を引っ張らないと……。久しぶりに今日は家に帰ろう。子供達にも最近、会ってない……。』

博士がそう呟くと、映像がまた途切れる。しばらく映像は乱れ続け、次の映像が流れだした。

『研究開始から四百三十一日目………もう何もかも終わりだ。』

映像に写った部屋は酷い有様だった。本棚や机が床に倒れ、研究資料が床に散乱している。

その中央で博士は俯きながら椅子に座っていた。

髪はボサボサに伸び、清潔感のあった顔は無精髭面になっていた。

『仲間達はボクを見限って、みんな研究所から出て行った………。しかもアイツら、ボクの研究データまで持っていきやがって………畜生っ!ボクがいなきゃ、ゴーレムの指すら作れなかったくせにぃ……。』

悔しさに顔を歪ませ博士は立ち上がり、倒れた机を何度も何度も蹴り上げる。

肩で息を切らしながら、博士は壁に飾られたゴーレムの片手サンプルに触れた。

『妻も子供を連れて出て行ってしまった……。ボクにはもうお前しかいない…。独りでもボクはやるぞ……。』

そして、また映像が途切れだす。

「随分と執着していたみたいね。」

映像を見ていたロリアは悲しく、複雑そうな顔をする。

その隣でゴーレムはただ黙って映像を見つめていた。

また映像が流れ始める。

『研究開始から七百九十三日目。これがおそらく最後の記録になるだろう…。』

椅子に座った博士は肩まで髪が伸び、髭面で穏やかに笑っていた。

『ボクの提唱した起動人形力学はやはり間違っていなかった…。ただ原動力となる魂がなかっただけだったんだ。』

博士は立ち上がり、カメラを動かすと部屋の中央に置かれた巨像を映した。

「ボクだ……。」

自分の姿が映像に映し出され、思わずゴーレムが言葉を漏らす。

映像のゴーレムは動いておらず、その身体には無数の導線が繋がれていた。

その前に博士が立つと、彼は自分の眉間に指を差す。

『ゴーレムの眉間には、emeth.と書かれた文字が彫られている。これは真意という意味だ。

この文字に魂を定着させれば、彼は永遠の命を手に入れるだろう。だがもし彼が死ぬとするなら、頭文字のeが消え、meth.つまり文字が死という意味に変わった時、魂の定着が解かれて、身体は崩壊していくだろう。』

そして博士は最後、椅子に座り満足気に隣のゴーレムを眺めた。

『ボクは今とても……、とても満足している。これ程の達成感は、もう二度と味わえないだろう。もし魂の定着によってボクの記憶が失われようとも、この夢が叶うのならボクは……。』

博士はそう言いながら、床に置いていた白いヘルメットを被る。

そのヘルメットには無数の導線が繋がっており、その全てがゴーレムの胴体へと繋がっていた。

博士は最期に手押し型のボタンを握り締め、カメラに笑顔を向ける。

『ボクの研究は以上です。では----------。』

その言葉を最後に、映写機の映像は終わる。

改めてロリアは床に倒れた遺体に目を向けた。

遺体の隣にはヘルメットが転がっており、ロリアが躓いた床の導線がそれに繋がっていた。

ゴーレムは近づき、ジッと博士の遺体を眺める。

「ねぇ、ロリア先生。ボクは博士なの?」

「違うわ。アナタはアナタよ。この人じゃないわ。」

「博士はボクのために死んだのかな?」

「それも違うわ。この人は自分の夢のために死んだの。」

「ふーん。ボクにはよくわからないや。」

右の人差し指で、ポリポリと頬を掻くゴーレム。

ロリアは着ていたアカデミックドレスの上着を脱ぎ、博士の遺体にそっと被せる。

その顔はとても腹立だしそうに曇っていた。

レイブックはロリアの横に立ち、彼女の肩に手を置く。

「なぜ怒っているのですか?」

「自分勝手だからよ。後に残ったゴーレムの事を何も考えてないわ。」

「ですが魂は博士の物です。君は否定しましたが、理論上はゴーレムもまた彼自身なのでは?」

一度レイブックに目を向けた後、また遺体を恨めしそうにロリアは見つめた。

「じゃあ記憶も命も捨てて、この人は何になりたかったって言うのよ…。」


『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

部屋の中で突如、声にならない絶叫が響き渡る。

すぐロリアとレイブックが後ろを振り向く。

そこには昨夜と同様、両手で頭を抑えたゴーレムが床に膝を着き、体を震わせながら叫んでいた。

戸惑い、そして慌てた様子でロリアが言う。

「なに!今度はどうしたの!」

「ロリア、あれを見てください。」

レイブックだけが冷静に、ゴーレムの足元を指差す。

彼女が視線を合わすと、そこには{e}の文字が彫られた岩の欠片が剥がれ落ちていた。

ロリアの顔が凍りつく。

意味がわからなかった。ゴーレムが今、何故それをやってしまったのかワケがわからなかった。

混乱と動揺が、彼女の表情をみるみる染め上げてゆく。

ロリアの中で様々な感情や思考が入り混じり、そんな状態の中で彼女はやっと一言声を絞り出す。

「アナタ………何をやっているのよ?」

ゴーレムは額を抑えたまま、ロリアの方をゆっくりと振り返る。

「何って先生、ボクは死に方を捜しにここへ来ました。だから……。」

「だからって何で今すぐそうなるのよっ!死んだら終わりなのよ!」

ロリアがそう言って駆け寄ろうとするが、レイブックが後ろから彼女の腕を掴む。

「離しなさいよっ!」

「ダメです。いま近づけば危険です。」

冷静な声でレイブックに静止され、彼女はゴーレムの方を見る。

彼の身体は蒼白い光に包まれ、身体中にヒビ割れが走ってゆく。

既に右腕が指先からボロボロと崩れ落ち、岩の破片が床に降り積もってゆく。

「ゴメンね、先生。でもボクは博士を見て、なんだか羨ましかったんだ。辛そうな時もあったみたいだけど、それでも夢に向かって生きる博士は、とても楽しそうに見えたんだ。」

ゴーレムが言葉を一言、一言、紡ぎ出す度に、彼の指が、腕が、肩が床へと崩れ落ちる。

それでも彼は天を仰ぎ、嬉しそうに語る。

「ボクも夢を叶えてみたくなったんだ。死ぬってなんなのか結局わからなかったけど、ボクが 最初に決めた夢だから……それを今、叶えてみたいって……そう思えたんだ………。」

そして膝下が崩れ落ちた右足で、ロリアの方へ一歩進み、ゴーレムは彼女の顔を見つめる。

「ボクに死に方を教えてくれてありがとう、先生。おかげでやっとボクの夢を叶えられます。」

ロリアは悲しく、そしてこれ以上に無いほど悔しそうな顔で左右に首を振る。

「違うっ!私は死に方なんて教えたくなかった!学園にアナタを呼んだのも、もっと別の夢を 見つけてほしかったから………。」

感情のダムが決壊したかのように、ロリアは次々と想いを吐き出す。

「だから死ねるワケも無い死に方ばかり教えた。アナタだけの生き方を見つけてほしかったから。生きてさえいれば、いくらだって夢を見られるじゃない!なのに何でアナタはっ……!」

レイブックに腕を掴まれたまま、ロリアは力なく地面に両膝を着く。

頬から流れた涙が雪色の髪を伝い、氷柱から流れる雫のように床へと落ちる。

ロリアの前にはもう下半身も無く、両腕も崩れ落ちたゴーレムが床に横たわっていた。

頭と胸だけになった彼は最期、弱々しく緑の眼を輝かせながら呟く。

「ああっ……人間の言葉で言うと、これを達成感って言うのかよくわからないけど………………夢を叶えるって、なんてっ………。」

次の瞬間、ゴーレムの身体がバラバラに砕け散り、その残骸が床へと崩れた。

彼がいた床には、ただの赤茶色の岩だけが散乱している。

そして、その岩を包んでいた蒼白い光はスゥッと、静かに消えて無くなる。

研究室には、暗闇と静けさが戻る。

床で跪き、顔を俯かせるロリアの表情は白い髪に遮られて見えない。

黙って沈む彼女の肩に、レイブックがポンッと手を置いた。

「帰りましょう。生徒達が待っています。」

「…………。」

朝焼けに染まる東の空。

雲々の流れは早く、その切れ間から太陽が顔を覗かせる。

そこから生まれた光線が校舎を照らしだし、その日の始まりを告げる。

校庭の芝生は黄赤色に染まり、冷たい風がそれらを揺らしていた。

丘の上には少女と白い竜人が立っていた。二人の眼の前には赤茶色の岩が地面から突き出ている。

「ありがとう、レイブック。彼のお墓を作ってくれて。」

「いえ。お墓というよりゴーレムの残骸を地面に突き立てただけなのですがね…。」

地面に刺さった長いシャベルの取っ手に手を置きながら、レイブックは続けて言う。

「崩れゆく音で聞き取れませんでしたが彼は最期、なんと言ったのでしょうか。」

「さぁ。それは彼にしかわからないわ。」

ロリアは朝日を浴びながら悲しそうな眼で、墓石にそっと触れた。

「私は結局、彼に死ぬ方法しか教えてあげられなかったのかしら……。」

「それもまた彼にしかわからない事でしょう。私のような竜人からして見れば彼が生きていたかどうかもわかりません。」

そしてレイブックはロリアの背中を見つめ、彼女に問いかける。

「ロリア。人間の君にとって彼は生きていたと言える存在でしたか?」

その質問を聴いているのか聴いていないのか、ロリアはただ静かにお墓を眺め続ける。

すると朝の風が学園の方からロリア達の前を通ってゆく。

角帽を抑えながらロリアがふと校舎の方に眼を向け、彼女は微笑む。

「………彼は生きていたと思うわ。だってホラ?」

ロリアが学園の方に指を差し、レイブックが振り返る。

そこには学園の生徒達が丘の上へと歩いて来る姿があった。

グリフォンにベアーマン、インプにゴブリン、様々な魔物が列を作って彼のお墓へと進む。

丘の上には二十匹以上の魔物が集まり、先頭にいたベアーマンがロリアの前に立つ。

「先生、オレ達にも弔わせてくれ。コイツとは相撲をとった仲でよぉ。」

「ああ、一度も勝てなかったが……気のいい奴だった。」

「一緒によく遊んでくれたけど、そうか。やっと夢が叶ったんだな。」

全員が神妙な面持ちで墓石を見つめ、一匹一匹の手には一輪の野花が握られていた。

「私からもお願いするわ。」

生徒達にそう伝え、ロリアは最期に墓石を撫でて呟く。


「おやすみなさい。」


そう言って彼女は墓石に背を向け、前へ歩き出した。


                        - 死にたがりのゴーレム -  終


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