1.森の来訪者
大きな森がありました。
太陽をいっぱいに浴び、雨をたくさん浴びて大きくなった森でした。
はじめ、この森にはたった一本の木しかありませんでした。
その木の名前は『フササ』と言いました。
その名前がつけられたのは、この森ができてからずっとずっとあとの話です。
フササがまだ一人ぼっちで子供だった頃、どこからか産毛の生えた種が飛んできました。
その種はフササの足元に落ちて、少しずつ大きくなり、黄色い太陽のようなものになりました。
その名はひまわりと言いました。
フササがそれをひまわりと言うのだと知ったのも、この森ができてからずっとずっとあとからのことでした。
それから何年も何年も経つうちにフササの周りには色んな木や花が育ちました。
雨がたくさん降りました。
フササの背中のほうに雨がだんだん残るようになりました。たくさんの雨の残りは少しずつ大きくなっていきました。
大きくなった雨の残りの中に動くものが住み始めました。
魚という名前の生き物でした。
それからまた、何度も何度も太陽が昇って雲がたくさん通り過ぎるうちに、いつの間にかフササの周りには動物たちがたくさん増えていきました。
フササを真ん中にして、やがて森ができました。
この森は周りを海で囲まれた場所に生まれました。
フササは海を見たことがないけれど、空を飛ぶ動物--鳥というのだそうです--が、森の周りは雨のかたまりだと、そう言っていました。
それが海であることをフササはもうすぐ知ることになるのでした。
森は海のそばまで広がったので森が広がることはとうに無くなっていました。今、森にいる仲間たちとその仲間が産む子供たちだけでの生活が続きました。
ときどき種が飛んできて、
「ここはもういっぱいですか?」
と訊ねました。
「ごめんなさい、いっぱいなんです」
と、フササは申し訳なさそうに答えました。
種は寂しそうに、もっと先へと飛んでいきました。
フササはとても悲しい気持ちになりました。
ある夜、森にとても強い風が吹きました。
みんなが身体を傾けられて、動物たちは大きな木の下にうずくまって耐えしのごうとしました。
フササも必死に踏ん張って風に耐えようとしました。
夜が明けるまで風は止むことはありませんでした。
何本かの木は倒れ、何本かの花は折れ、飛ばされていった動物もいたと聞きました。
フササの周りでも仲良くしていた木が倒れてしまい、やがて枯れてしまいました。
森のみんなが悲しみに暮れました。
明くる朝、見たこともない動くものが浜辺に倒れているとカメが知らせに来ました。
砂浜にはひとりの少女が倒れていました。
傷だらけで息も微かに、熱を出して震えていました。
「いっぱいだから」と、追い返すこともできず、動物たちはみんなで少女を抱えて、森の中で一番涼しいフササのふもとへ連れていきました。
「すごい熱だ。冷まさなきゃ」
フササは身体を揺すって葉っぱに溜まった雨を降らせました。少女の熱は下がりましたが、少女はびしょびしょに濡れてしまいました。
「だ、だ、だめだよ。こういうときは頭だけ冷やして体は温めてあげるもんだぜ」
物知りのマントヒヒがしょうがないなというように頭をかきむしりながら言いました。
「ごめんよ」
しょぼんとうなだれ、フササはとにかく日陰を作ることに努めました。
マントヒヒの指示で森じゅうから薬草が集められ、少女の体に貼られていきます。その体を柔らかいミンクたちが自慢の毛で覆いました。
頭を池から汲んだ水で何度も冷やし、何度も薬草を取り替え、フササは太陽の位置に合わせて身体を動かしながら強い陽射しから少女を守りました。
少女はまるで眠っているようで、びくりとも動いてくれません。
みんな悲しい気持ちになりながら、頑張ってと声を掛け、必死に看病しました。
やがて三日が過ぎ、風の無い静かな夜を迎えました。
みんな疲れはてて眠っていました。フササも一番大きな葉っぱでまぶたを覆って、こくりこくりとうたた寝に入っていたときでした。
「……ん……んん」
フササは閉じていたまぶたを開けて、慌てて目を擦りました。
むくりと少女は体を起こし、体を包んでいたミンクたちが一斉に飛び起きて少女から離れます。
少女は辺りを見渡し、
「お母さん、お母さん」
と叫びました。
その声は夜の森に響いて、やがて小さくしぼみ、闇に飲まれていきました。
少女は地面に突っ伏して、大きな声で泣き出してしまいました。
他の木々や動物たち、花たちもその泣き声で目を覚まし、ミンクたちとフササはどうしよう、と目を合わせました。
「……あ、あの、あっちから来て倒れていたんだよ」
フササが少女に話しかけると、上から聞こえたその声に少女はびっくりして飛び上がりました。
「あ、あっちだよ。あっちの方から」
フササは枝で少女がやって来た方を指差しました。
「は、話せるの?」
目をまんまるにした少女はフササに少し怯えながら訊ねました。
「うん、話せるよ?」
「木なのに?」
「木?」
がささと音が鳴って、マントヒヒがやって来ました。
「おお、起きたのかい。良かった良かった」
少女はまた驚いた表情を向けました。
「マントヒヒも喋るの?」
「マントヒヒ?」
「わたしたちもお話できるわよ」
少女をくるんでいたミンクたちが足元で少女に言いました。
少女はクスクスと笑って、手を広げてくるりと回りました。
「すごい、夢の国だわ。動物も木もみんな喋ってる」
フササとマントヒヒは顔を見合わせて首を傾げました。