ゴソゴソ。
隣の部屋から毎晩のように聞こえてくる物音。
その音を聞きながら、隣の部屋に住む綺麗なお姉さんが何をしているかを妄想する。
バカな妄想から男子の夢まで……それらを妄想しながら、僕はいつのまにか本物の夢へと旅立っていく。
※
一人暮らしを始めて一年。
凍えるような寒さの中、布団から出たくないという本能に打ち勝とうとする僕、興梠 悠馬。時計を確認しつつ、なんとかモソモソと布団から脱出し、部屋の暖房をつけ朝シャワーへ。
「さむっ……」
脱衣所の窓から外をチラ見すると、隣の家の屋根が見えた。見事に真っ白になっている。
流石冬だ、一月だ。雪が降って当たり前の季節なのだ。
「お湯……お湯……」
ジャージと下着を脱ぎ捨て全裸になりつつ、震えながらシャワーからお湯を出そうとする。
なかなかお湯にならない。まあ冬だし仕方ないか。水道管もキンキンに冷やされているに違いない。
ようやくお湯になったシャワーで腕から濡らしていく。寒い空気を断ち切るように、熱すぎるくらいのお湯を浴び続けた。
シャワーを浴び終え、新しいジャージに着替えて洗濯機を起動。
この洗濯機は優秀だ。ワンタッチで全てやってくれる。施設のは酷かった。ボタン押した瞬間に中で和太鼓でも叩いてるのか? っていうくらい激しい音がしたし。
「さーって……たまには自分で朝飯作るか」
僕は今年で高校二年生。一人暮らしなど別に珍しくもないのだが、このアパートの大家さんにとっては、そうではなかったらしい。僕が高校生だと知るや、朝ごはんや晩御飯は食べに来てもいいよ! と気さくに言ってくれる。まあ、それで最初の内はご馳走になっていたのだが……
「そろそろ自炊できるようになろう……」
その為に炊飯器も買ってきたのだ。一か月分のバイト代全てはたいて。
ちなみに昨夜の内に米はセット済み。あとは炊飯のボタンを押すだけ。
「よーし……ポチっとな。えーっと……どのくらい掛るんだっけ?」
タッチパネルを操作して確認。えーっと……
「四十分……って、えぇ?! そんなに掛かるの?!」
現在時刻は七時ジャスト。半過ぎには出なければ高校には間に合わない。
つまり……このまま待っていたら遅刻確定。
「……明日から頑張る……」
僕はそのまま制服に着替え、高校に行く準備をして大家さんの家へと向かった。
※
「あらー、そういう事なら教えてあげるのに」
大家さんと朝食を挟みつつ、今朝の失態を報告。
すると大家さんは、今度自炊のコツなどを教えてあげると言ってくれる。
「でもオバちゃん寂しいから食べに来てもいいのよ」
「ぁ、ハイ……スミマセン……」
ちなみに大家さんは五十過ぎの未亡人。
だが見た目は滅茶苦茶若い。下手をしたら小学生と間違えられるのでは? というくらいだ。
しかし料理は超絶美味しい。今朝の献立は白ご飯に納豆、そして味噌汁に焼き魚に肉じゃが。
もう肉じゃがとか大好物になりつつある。鍋一杯に入った大家さんの肉じゃがなら、僕は一人で完食する自信がある。
「あ、そうだ……今夜は何が食べたい? 何でも作って……あ・げ・る」
あぁ、ヤヴァイ……なんか今一瞬、このまま大家さんの息子になる! と本気で思ってしまった。
「じゃあ……ビーフシチュー……」
「おっけー。ぁ、そうだ。ビーフシチューなら紗弥ちゃんも好きだったわよね。誘ってみようかしら」
紗弥ちゃん……あぁ、僕の部屋の隣に住む大学生のお姉さんだ。ちなみに超美人。しかし大家さんによると、美人過ぎて回りから「彼氏当然居るだろー」と思われ、いまだに男と付き合った事が無いらしい。
そういえば……
「あの……大家さん」
「もうっ、大家さんじゃなくて加奈さんって呼んでって言ってるでしょ?」
は、はい、加奈さん……。
「で? 何?」
「あぁ、えっと……紗弥さん……漆原さんの事なんですけど、なんか夜中になるとゴソゴソやってるんですよね。何してるのかなーっと思って……」
「え? 紗弥ちゃんが? ごめんねー、五月蠅かった? 注意しとくわ」
いや、別にそこまで……眠れない程ってわけでもないし……。
「何か悩みでもあるのかしら……それとも夜中に部屋で儀式でもしてるのかもね」
なんだ、儀式って。
あれか、黒魔術的な。
「冗談よ? まあ、でも大目に見てあげてね。悠馬君だって男の子だし、ベランダに干してある紗弥ちゃんの洗濯物に御世話になるかもしれないでしょ?」
「ぶほぅっ?! ちょ、な、何言ってるんデスカ!」
思わず味噌汁を吹き出しそうになりつつ、なんとか耐えて加奈さんに抗議する。
ま、まあ僕だって健康的な高校男児だ。確かに……気にはなるが……。
「ぁ、もうこんな時間。遅刻しちゃうわよ、さっさと食べた食べた」
「は、はい……」
加奈さんに急かされつつ、朝ご飯を完食。
そのまま後片付けをしようとするが、加奈さんに追い出され仕方なく自分の部屋へ。
「はぁ……結局ご馳走になってしまった……しかも今夜はビーフシチューか」
あぁ、ヨダレが今から止まらぬ。
おっとイカン。遅刻してしまう、現在時刻は七時四十分。さっさと行こう。
コートを羽織り、鞄を持って部屋を出る。
すると丁度、隣の部屋から噂の女子大生、紗弥さんも出てきた。今から大学だろうか。
「ぁ、おはようございます」
「ん? ぁ、おはよー。今日も寒いねぇ」
にこやかに挨拶を返してくれるお姉さん。
あぁ、何気に僕の私生活はかなり充実しているような気がする。
「ん? 悠馬君、マフラーは?」
「マフラー? いや、僕持ってませんけど……」
いまだかつて、マフラーなど装備したことは無い。
だってアレ……女子が持つアイテムでしょう?!
「そんなことないから。これよかったら使って?」
紗弥さんは自分がしていたマフラーを取ると、僕の首へと巻いてくる。
いや、貴方のマフラーでは……
「私は予備があるから大丈夫。ウフフ、お返し楽しみにしてるね」
「え?! いや、あの……」
お返しって……え、これバレンタイン? ホワイトデーは三倍返しが基本だったっけ……。
「あはは、冗談冗談。じゃあね、お互い頑張ろうっ」
むん、とガッツポーズを決めつつ、紗弥さんは大学へと向かう。
肌が締め付けられるような寒い朝。でも空気は澄んでいて気持ちがいい。
しかも今日はマフラーを装備。なんだかいい匂いもする。
「……がんばろう」
一人で呟きつつ、僕も高校への道のりを歩く。
薄く積もった雪を踏みしめながら……。