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第9話 ちいさなひかり

 キュクレと名乗る少女を見つけて数日。これと言って特に大きなことは何もなく、ぼくは魔法もギルドの仕事も禁止令が出されたままだ。定期的にシャルさんのところを手伝いはするが、いつもぼくが手伝える仕事があるとは限らない。今日も簡単なお使い程度くらいしかできることはなかった。

 それに、キュクレは数日経ってもぼくの後ろに隠れたままで、他の仕事をしようにもなかなか難しそうなところではある。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 キュクレは大人が通るたびにビクリと後ろに隠れてしまう。それでも初日よりはずっとマシになってきてはいるのだけれど、こればっかりは急かしてもどうにもならない。

 思えば、ぼくもここに来たばかりの時は、右も左も分からず、知らない人に囲まれて不安だったっけ。それでもぼくが早々に順応できたのは、ぼくがある程度の年齢に達していたからだろう。およそぼくの半分くらいの年ほどのキュクレには、『知らない』だらけのここはかなりのストレスになっているに違いない。

 この街にもそんなに数は多くないけれど子供はいる。

 キュクレはちゃんと文字も読めるし、言葉も理解できる。普通なら学校に通い始め、友達と遊びまわっている年齢だ。しかしキュクレは自分からあまり話をしない。というよりも極端に口数が少ない。慣れてないだけかとも思って、こちらから聞くことはあったが、それでもほとんど会話は続かなかった。

 キュクレと同じくらいの年の子は、たくさん遊び、喋り、それはもう悪ガキと呼べるくらい活発に動き回っている。対して彼女はといえば、他の住人や子供たちとほとんど喋ることもなく、遊びに行くこともなく、時間が空けばひたすらに本を読みふけっていた。



「そんなに心配しなくても大丈夫よ、ヒナくん」


 やっぱり気になってしまうものはどうしようもない。マナの経過観察のついでに、ギルドの先輩でもあるアリシャさんに相談してみた。よっぽどぼくは深刻そうな顔をしていたのだろうか。アリシャさんは微笑んでそう言った。


「キュクレちゃんね……。やっぱりまだ慣れてないから緊張はしてるだろうけど、落ちついてきてるからいい子にしてるし。むしろ悪ガキたちにも見習ってもらいたいくらい!」


 明日の子供たちの定期健診が面倒だとアリシャさんは頬杖をついた。

 話を聞くと、毎度ドタバタと騒がしく、悪戯好きの子供たちがギルド内を走り回り、時に備品を壊し、時に他の患者を質問攻めにし、それはもう大騒ぎなんだそうな。


「……あの子があまり喋らないのは精神的なものかしらね。彼女、いつもマフラーをしてるでしょ?」


 キュクレは検診でここにはいない。以前のようにギルド内で逃げ回らなくなっていた。

 そんなキュクレはいつも絶対にマフラーを外そうとしない。シャルさんたちが「一緒にお風呂に入ろう」と誘っても、首を縦に振ることはなかった。お風呂嫌いかとも思ったけどそうでもないようで、ひとりでちゃんと入っている。

 となると、見られたくない何かがある、と察しはつく。


「実は、首に大きな傷痕があるのよ。マフラーを外さないのはそれを隠してるからだと思うんだけど……大人に対してのあの反応を見ると、考えたくもないけど、まぁそういうことがあったんでしょうね」


 首の傷。ぼくはまだ見たことがなかった。


「だからまだ大人にはちょっと抵抗があるみたいね。子供同士も……ほら、子供同士って結構平気で残酷なことしちゃうから。女の子が見える場所に傷があったらからかうでしょ」


 一度他の子と遊ばせてみようとしたが、上手くいかなかったのかすぐに戻ってきたことがある。あれはそういうことだったのだろうか。

 考えてみれば確かにそういうことはありえる。ぼくにも覚えがある。好きの裏返しなんて表現もあるけど、やられるほうにはたまったもんじゃない。

 ……ということは、ぼくも似たような経験があったんだろうか。


「でもヒナくんの前では割と喋ってるほうだと思うわよ。ちゃんと返事してるし。私たちはようやく首を振ってくれるかどうかってところだもの。ヒナくんはキュクレちゃんにとって『お兄ちゃん』みたいだから、安心してるのかもね」

「それなんですよ。『お兄ちゃん』って呼ばれても、ぼくそういうのわかんないし……」

「あはは。でも嫌われるよりよかったじゃない。『あいつにも初めての後輩ができた~』ってクラさんが言ってたわよ?」

「またあの人は勝手なことを……」


 はあと溜息を吐いたところで、部屋の扉がノックされた。

 ととと、と走ってきて正面からがしりとしがみつかれる。紫の柔らかそうな髪が見えた。


「検診終わりました。こっちは特に異常ナシっス」

「ナナオもキュクレちゃんもお疲れ~」

「いやいや~、キュクレちゃん大人しくしてたんで問題なく終わったっス!」

「そっか。キュクレちゃんはちゃんと言うこと聞いてたのね~。いい子いい子」


 ぼくにしがみついたままのキュクレの頭を、アリシャさんがそっと撫でる。

 けれど、すぐにキュクレはぼくの後ろに回って隠れてしまった。


「あら、逃げられちゃった」

「アリシャさん。クマ、すごいっスよ? 顔が怖くて逃げちゃったんじゃないスか?」

「……ナナオ、ちょっとそこ座りな?」


 空気を読んで華麗に退室。

 先輩は珍しく爆睡していたので、キュクレと一緒に街をのんびり散歩しながら帰ることにした。


 ヒーラーギルドの周りは女性が活躍してる現場も多くて活気に溢れている。うちのギルドもシャルさんのところも、もともとあまり気の強い男性は多くないので、自然と女性が強くなってるだけだけど。先輩はともかくとして。


(荒っぽい人たちは戦闘系のギルドに行くもんなぁ)


 この街がまったりとした空気に包まれているのは、周囲を自然で囲まれているからというだけではない。ヒーラーギルドのような治療系や、細工師などの技術職の人たちが多いということもある。もともとこのあたりはそんなに強いダンジョンや魔物が出ることもないので、戦闘系ギルドもあっても規模は大きくない。南のソニエラや北のレーン地方ではダンジョンや魔物の出没が多いため、戦闘系ギルドはそちらに分散している。

 しかしいくらまったりとした空気が流れているとはいっても、ダンジョンで怪我をする冒険者は後を絶たないし、マナの不調でギルドを訪れる人も多い。マナ回復も兼ねて他の地方から静養に来る冒険者もいる。技術職のギルドもあるので、ギヨンさんのような行商人も多く訪れる。何だかんだと人の出入りがある不思議な街だ。

 そういえば先輩が「老後に住みたい街ランキングで常に上位に入る街」とか言ってたっけなぁ。深くは突っ込まなかったけど。


「…………お兄ちゃん、」


 くいくいとローブの裾を引っ張られる。遠慮がちに赤い瞳が揺れている。


「あ、ごめん。キュクレはまだ街を歩くのが怖かったかな。疲れたなら帰ろうか?」


 大人も大勢いる街中に、いつも一人で散歩をするノリで来てしまったのを思い出して、すぐにキュクレに確認する。

 するとキュクレはぷるぷると首を振った。そして「あれ」とおずおずと屋台を指さした。


「あぁ、食べたいの?」

「…………?」


 キュクレが指をさしたのはアイスクリームの屋台だった。ギヨンさんもお気に入りだそうで、前にご馳走になったことがある。濃厚なミルクと滑らかな舌触り、適度な甘さ。ぼくもたまに買って帰ることがある。


「アイス。食べたいの?」

「あい……す……?」

「……食べたことない?」


 こくんと頷いたキュクレ。ぼくはキュクレを連れて屋台へと向かった。


「らっしゃいヒナ! 今日はちっこい嬢ちゃんも一緒か。珍しいな」

「こんにちは。実はこの子、アイス食べたことないらしくて」

「なにぃ? そんじゃ、おまけしてやるから早いとこ食わしてやれ! 子供はうちのアイス食わなきゃな!」


 ぼくはいつもと同じバニラ。キュクレにはストロベリー。おまけでチョコレートまで乗せてもらった。


「ありがとうございます」

「いいっていいって。うちのアイス好きになって、次から客になってくれればありがてぇしな!」


 おじさんは商売上手だなぁ。

 アイスの代金を払ってカップを受け取る。すぐ側のベンチに座ってキュクレにカップを渡した。


「はい。キュクレのアイスね。食べてみて」


 ぼくとアイスを交互に見ているキュクレ。「早くしないと溶けちゃうよ」と言うとスプーンを手に取る。

 緊張しているのかぷるぷると震えながらアイスをすくう。

 ぱくりと口に含まれるストロベリーアイス。

 スプーンを加えたままキュクレは動かない。


「……キュクレ?」

「…………!」


 そこからはもうぱくぱくとスプーンを口に運んでいくキュクレ。

 出会ってからずっと、ぼくの後ろに隠れる以外、子供っぽいところを見ていなかったからなんだか微笑ましい。


「キュクレ、バニラも食べてみる?」


 バニラアイスを乗せたスプーンをキュクレの口元に持っていく。やはりアイスとぼくを交互に見てくる。「食べてみていいよ」というとぱくりと口を開けた。


「美味しい?」


 こくこくと何度も頷く。

 いつもよりもほんの少し、ともすれば見落としてしまいそうなほどの表情の変化。

 少しだけ驚いたような顔をして、新たな出会いに感動しているようにも見えた。

 目が嬉しそうに輝いている。


「ハッハッハ! どうだ嬢ちゃん、うちのアイスは。気に入ったか?」


 屋台から顔を出してたずねてくるおじさんのほうを見て、キュクレは何度も頷いた。


「そうかそうか~。気に入ってくれたんなら嬉しいわ! どれ、もうちょっとおまけしてやるか!」


 キュクレは驚いたように少し目を見開いた。硬い表情だが、伝わってくる感情は嬉しさそのものだ。


「嬢ちゃんはどれが気に入った?」

「…………」


 ぴっと迷わずに指をさしたのはストロベリー。


「女の子だなぁ! ま、俺も好きだけどよ。美味いもんな!」


 豪快に笑いながらおじさんはアイスをカップに入れていく。

 キュクレはその様子が面白いのか、アイスが待ちきれないのか、ベンチから立ち上がりひとりで屋台を覗いている。


「ほらよっ。サービスしといたぜ! 次からはお嬢ちゃんもお客様として、うちの店をよろしくな!」

「…………あり……と」


 擦れてしまいそうな声でお礼を言ってキュクレはカップを受け取った。そしてひとりでベンチまで戻ってきて、行儀よく座ってアイスを食べだした。


「あの、ありがとうございます。おいくらで――」

「あぁいいっていいって。今回はサービスだから。またうちの店を贔屓にしてくれりゃいいさ。……それより、あの子だろ? この間森で見つかったていう子はよ」


 そんなに大きな街ではない。大体のことは数日中には知れ渡る。


「あんな小さい子がなぁ……何があったか知らねぇが……ほら、ずっとお前の後ろに隠れてたしよ。結構他の連中も気にしてたみてぇだが……」


 ちらりとキュクレを見やる。

 ベンチで嬉しそうにアイスを食べているキュクレは、見た目どおりの小さな女の子だ。


「ああいうのは時間がかかんだろ。それまでしっかり面倒見てやるんだな『兄ちゃん』♪」

「いや、だからぼくは……」


 違う、と言いかけてちらりとキュクレをみると、鼻と口の端にアイスがついていた。


「キュクレ、アイスがついてるよ。もう……」


「そういうところが兄ちゃん気質なんだと思うんだがなぁ俺は」


 おじさんのぼやきは聞き流してぼくは取り出したハンカチでキュクレの顔を拭う。


「まったくもう……いつも顔につけて……もうちょっと綺麗に食べられるよう、に――」



 どこかで、パキンと割れる音が聞こえた。



 いつも?

 いつも顔を汚して?


 誰が?

 いつ?

 どこで?



 真っ暗な闇の中、足元の硝子が砕けて消える。硝子の破片に囲まれて『ぼく』という意識がどこかに落ちていく。


 何? どこ? 何が? どうなって?


 疑問が浮かんでは消えていく。

 そんな質問は意味をなさない。


 ごうっと強い風が吹き、映像が凄まじい勢いで流れ出す。

 まるで映画でも見ているようだ。


 誰だ? 何を言ってる?


 声は聞こえない。

 でもどこかで見たことがある。

 そんな景色。人。文字。

 たくさんの情報が処理できないほどの速度でぼくに流れ込む。


 空、雲、太陽

 家 家 家

 人、人、人、人――


 回転する世界の中で『ぼく』はまだ落下を続ける。


 ――……さん、


 大量の文字。写真のように流れ続ける景色。

 誰かは覚えていない。どこかで聞いたことのある声が聞こえる。



 ――……さん!



 あぁ、ぼくはひとりきりではなかった。


 キュクレにしてあげたように、いつか遠い昔。ぼくが同じように口を拭ってあげたんだ。




 ――…………ん



 あんなにも大切にしていたのに。守ってあげると言ったのに。

 ぼくはすっかり忘れてしまっていた。

 ぼくと同じ髪の色。ぼくと同じようにふわふわでちょっとクセの強い髪の毛。

 小さくなてのひらを必死に伸ばして、ぼくに笑いかけて。


 笑顔、笑顔、笑顔。

 どんな顔をしていた?

 記憶とともに、あの子の顔も砂時計の砂のようにサラサラと崩れて消えていく。

 どんな声をしていた?

 つい先ほど思い出したはずの。つい先ほど聞こえたはずの懐かしい声がもう思い出せない。

 顔も、声も。


 ――――名前も。


 ひどくぼんやりとした景色の中、それでも最後まで「あの子」がそこにいた。

 崩れていく人、建物、空も景色も、サラサラと細かな粒になって暗闇に落ちていく。

 けれど最後の最後までぼくのそばにいたのは。



『――――にいさん、』



 何の音もしないのに、確かにそう言っていると分かった。

 顔も見えないはずなのに、確かに笑っているような気がした。



 カシャンとまた何かが割れるような音に、ハッと我にかえる。

 引っ張られる感覚に視線を下に向けると、不安そうな顔でローブを掴み、「おにいちゃん?」と呟くキュクレがいた。


「なんだぁ? 大丈夫か兄ちゃん?」


 店主も不安そうにぼくを見ていた。

 ベンチに置かれたカップの中でアイスは溶け始めていた。


「大丈夫……大丈夫です」


 自分に言い聞かせるように言葉にする。


「……どうやらぼく、本当にお兄ちゃんだったみたいです。キュクレの、じゃないと思いますけど」


 心配そうに見つめてくるキュクレの頭を撫でて、店主に告げる。

 おじさんはよく分からんという顔をして少し悩んだあと、「疲れてんだよ」とぼくにアイスをくれた。



 今日はアイスを食べすぎだ。

 でも、いいこともあった。キュクレは少し元気になったみたいだし。

 ぼくは、たぶん、少しだけ失くした欠片を取り戻した。

 断片的過ぎるものだったけれど、ぼくには『妹』がいたということを思い出せた。


「きみのおかげだね」


 本を読んだままソファで眠ってしまったキュクレを見て、ぼくはぽつりと呟く。

 寝顔だと、普段よりも表情が豊かに見える。


 キュクレにもどこかにお兄さんがいるのだとして、きっとどこかにぼくの妹もいるはずだ。

 流れる砂のように、もう姿形をはっきりと思い出せない。

 声も、顔も。名前も。

 でも、確かにいた。

 そこにいたんだ。


 それだけで、ほんの少し前に進めた気がした。


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