第8話 まいごふたり
「ねぇ、お願いだから出てきてちょうだい~!」
「どうしたんですか、あれ?」
次の日ギルドへ行くと、シャルさんが扉の向こうに向かってひたすら話しかけていた。扉の向こうからは一切反応がない。
「あぁ、お前が拾ってきたガキだよ。目ぇ覚ましたんだが、ビビったのか知らねぇがあそこに閉じこもっちまったんだ。もうかれこれ1時間近く経つな」
「あぁ……まぁ知らない人たちに囲まれたらちょっと怖いですもんねぇ。子供ならなおさら……」
「お前なら怖がらねぇかもしれねぇな。チビだからガキ仲間だと思って安心するかも。ちょっとおまえ行って来いよ」
「ちょ……身長のことは言わないでくださいよ! 気にしてるんですから」
ぼくの身長は低い。150センチにも満たないぼくはまだ子供なのだから仕方ないと言えば仕方ないのだけれど。それでもやっぱり言われると悔しい。
「あ、そうだ。先輩ミュフガ……なんとかって知ってます? 肉……なのかな。食材なんですけど」
「あぁ知ってるぞ。お前から聞くとは思わんかったけど。で、それがどうした?」
「いや、昨日ギヨンさんにご馳走してもらったんですけどなんの肉だろうって気になっ――」
「おま……アレを食ったのか! シャル! シャルロット! おい、ちょっと来いバカ女!」
え……何だろうこの反応。やはり食べてはいけない系の珍味だったんだろうか。
「何ようっさいわね! あんた今どういう状況だかわかってるでしょ! 大した用もないなら呼ぶんじゃないわよ!」
「いいからちょっと来いっつってんだろうが、『田中』! こいつ昨日ギョンとミュ――」
「え、タナカ……?」
ドアの前にくっついて少女を呼んでいたシャルさん。ツカツカツカッと駆け込んできて、先輩の頭を取り出したカルテで思いっきり引っぱたく。先輩が文句を言う前に胸倉を掴んでベッドから引き上げ、前後に激しく揺さぶりだした。
「あああああああああああんたねぇぇぇ!! その名前で呼ぶなって言ってんでしょうがあああ!!」
器用に小声で叫ぶシャルさん。珍しく動揺し周囲をキョロキョロと確認しながら、困惑と羞恥の入り混じった複雑な表情。顔を真っ赤にして先輩を締め上げていた。スナップの聞いた往復ビンタがいい音を立てて先輩の頬を打ち抜き続ける。
シャルロット・T・オーリ。通称・シャルさんのTは「タナカ」のTだ。
ぼくにはよくわからないが、なぜかシャルさんはその名前で呼ばれるのを非常に嫌う。
先輩が呼ぶのをぼくは初めて聞いたが、なるほどシャルさんはこういう反応をするのか……。
「それで。この私に何の用だって言うのよ」
ひとしきり頬を叩いたあと、先輩をベッドへ解放する。ぶたれた頬は赤くなっていた。
「こいつが昨日ギョンと一緒に――」
先輩が話し出した瞬間。シャルさんが扉から離れたのに気づいたようで、少女が扉を開けて出てくるのを目撃した。少女と目があう。少女は逃げるように走り出した。シャルさんも先輩も気づいていなかった。
ぼくは立ち上がって少女を追いかけた。
幸い少女が向かった方向は外に出る出口はない。窓はあるが、ぼくよりもさらに小さい子供がそう簡単に抜け出せはしないだろう。
追いかけるとバタンと扉が閉まる音が聞こえた。
音のするほうは……ギルド長の部屋があるほうだ。扉が閉まっていたのはギルド長の部屋のみだった。
「……失礼します」
ギルド長の部屋へ入ると、すぐそこに少女の姿があった。机にはいつもと変わらない表情のギルド長。少女は複雑そうな顔をしていた。
「……そこのお兄さんがあなたを助けてくれたのよ。ちゃんとお礼を言えるわね?」
ギルド長の言葉に、少女は掠れて聞き取れないほど小さな声で「ありがとう」とぼくに呟いた。
ぼくはしゃがんで少女と同じ目線の高さに合わせてにっこりと笑う。
できるだけ怖がらせないように気をつけながらぼくは話しかける。
「うん。もう、怖がらなくても大丈夫だよ。みんな優しい人たちだから」
「……おこって、ない?」
「怒ってない」
顔を上げて尋ねる少女。さらりとした紫の髪が揺れる。赤い瞳がまっすぐにぼくを見つめてくる。
伝わる声だけではあまり感情がわからない。見つめてくる顔も、表情にほとんど変化がない。
「きみの名前は?」
「…………キュクレ」
「どうして森にいたの?」
「…………」
「お母さんやお父さんは?」
「…………」
分かったことは名前くらい。他のことは覚えていないのか何なのかも分からないが、プルプルと首を振るだけだった。
「ギルド長。この子はどうするんですか?」
「少しの間、様子見といったところでしょうね」
「そうですか……そうですよね……」
少女はぼくをじっと見つめていた。
「ん? どうしたの?」
「……おにい、ちゃん」
「えっ?」
少女はぼくのローブにがっしりとしがみついた。
ぼくはこの子と初対面だし、面識はないはずだ。と言ってもぼくの記憶がもどったわけではないのだけれど。もしぼくのことを知っているのならすぐに駆け寄って声をかけるはずだ。もし本当にぼくがこの子の兄ならば、最初にぼくを見た瞬間に逃げずにぼくのところに駆け寄ってきたことだろう。
「なんだかよく分からないけど、ヒナくんに任せてもいいのかしら?」
「そんな適当でいいんですか……」
「年が近いほうが大人と一緒よりもいいかと思ったのだけれど」
「う~ん……」
正直かなり複雑な気持ちだ。暗に子供は子供同士と言われたような気がして仕方がない。
だが、抱きつく少女の手が少し震えているような気がして、どうにも振り払う気にはなれなかった。
「……ということで、しばらくこの子の面倒を見ることになりました」
面倒を下っ端に押し付けられたと言えばそうなのだけれど、何だかそういう意味合いとはまた少し違うような気もしている。懐かれているのか何なのか、少女はあれから片時もローブを掴んで離してくれない。ずっとぼくの後ろにひっついているのだ。
とにかくそういうことで、と先輩に半ば投げやりな報告をしたところで。
「お前だけいい目にあったんだから当然だ! むしろ俺の面倒ももっと見るべきだね! そうだ、もっと面倒を見ろよ! むしろ養うくらいのつもりで!」
「アンタ本当にそういうとこブレないし最低のクズだと思うけど……ヒナちゃん、今回ばかりは私も味方はできないわっ……あの最高級食材、『ミュフガワキレン・ニュクス』をタダで食べたとあっては……くぅっ……羨ましいっ!!」
……あのよく分からない肉は、二人にそこまで言わせるほどのモノだったのか。先輩はともかく、シャルさんにまで。
「…………ところでヒナちゃん。その、どうだった?」
「何がです?」
「何って、『ミュフガワキレン・ニュクス』よ。どうだったの?」
問われてぼくは思い出す。確かに美味しい肉だった。結局まだ何の肉かはわかっていないけれど。
「見た目は煮込んだみたいに柔らかそうなのに、外はパリッと、中はふっくら、一口噛むと肉汁がじゅわっと。お肉自体もすごく柔らかくて……味は鶏と豚の間みたいな感じだったんですが、食感は独特でしたね。一口目は確かに『肉!』って感じなんですが、噛んでるうちにこう……もちもちとした弾力が」
「あぁ~やだ~! 私も食べたい~!」
「くそぅ、美味そうだな……聞いてるだけでよだれが出てくるぜ……で、何で食ったんだ? シンプルに塩か?」
「いえ、甘辛ダレでしたよ。香辛料が効いてて、ピリッとした辛さが舌にくるんですが、ほんのり甘くて。お米にもあいそうだし、作ってみたいなぁ。ソニエラ風……とか言ってたような」
「あー、絶対! 酒に!! 合うやつ!!!!」
思い出したらお腹が空いてきた。
丼にしてもよさそうだし、卵でとじても美味しそうだなぁ。
それよりあの甘辛ダレの作り方は調べてみよう。
しかしこの二人がここまで騒いでるところを見ると、屋台で買ったと思ってたけどそうではないのかもしれない。ギヨンさんは行商をしてるから、あちこちのお店の人と仲がいい。もしかしたら独自に入手した肉を屋台の人に頼んで焼いてもらい、ぼくに食べさせてくれたのかも。
ギヨンさんの優しさや気遣いとともに、絶妙なハーモニーを思い出す。
おっと、よだれが。
「くっそおぉぉ、お前ばかりオイシイ思いをしやがってぇぇ! 許さん……お兄さんは許さんぞおぉぉ!」
じゅるりとよだれを拭いながら先輩が叫ぶ。表情は変わらないものの、キュクレは後ろで少し怯えているようにも見える。あの奇行じゃ当然か。
「俺はぜっっっっっっったいそこのチビの面倒は見ねぇからな! 俺はむしろ面倒を見てもらう側だ!」
「アンタ何言ってんの」
「ヒナ、テメーもだ! 俺の面倒見てるだけでもまあまあ手一杯のお前が! さらにこのチビの面倒も見れるのか?!」
「だから何言ってんの」
シャルさんの冷たい視線に反応することもなく。びしりとキュクレに向かって指をさし、先輩は続ける。
「拾ってきたやつが面倒を見るのは当然! 世話をするのも当然! それができないなら元いたところに捨ててきなさいッ!」
「クラ……その理屈でいうと、自分の首もガッツリ絞まるって気付いてる?」
「俺はルール適応外だからいいのー!」
「本当に最低だわアンタ」
二人のやり取りをぼくの後ろから眺めるキュクレ。「ぼくの先輩だよ」と教えてあげると、またじっと二人を見つめる。
「そうだヒナちゃん。その子ヒナちゃんに任せるとは言ったけど、もちろん皆も協力するから、何かあったらちゃんと言いなさいよ?」
「えっ、丸投げじゃねぇの?」
「アンタ……ダンジョンで怪我したときに、微妙に残った常識とか良識とかまで落っことしてきたんじゃないでしょうね……?」
相変わらずの騒がしい職場。少しずつ前のような活気が戻ってきてぼくは少しほっとしている。ぼくは自分が思っていたよりも、ギルドの皆に元気を分けてもらっていたんだ。
「みんなちょっと変わってるけど、優しい人たちだから。安心していいよ」
「…………うん」
先輩二人がいつものようにドタバタやりだしたのを見ながら、キュクレにこっそりと伝える。思えばぼくも最初に来たときは不安しかなかったことを思い出す。
ぼくのローブをしっかりと握って、小さな声でキュクレは頷く。
迷子のぼくたちのこれからは、ぼくたち自身で探していかなきゃいけない。
先はまだまだ見えないけれど、当面ぼくがやることは見えてきた気がする。