第5話 無茶と無謀
魔法で怪我を治せても、元に戻らないものもある。
まず無機物。
肉体の回復を主とする治癒呪文では、壊れた建物や攻撃で破れた衣服を元通りにすることはできない。基本的にマナに干渉して活性化させているので、マナを持たない無機物にはまったく効果がない。
次にマナ。
マナだまりを解消したり、相手に自分のマナを送り込むことも出来るのだが、個人の保有量は変わらないため、減ったマナを魔法で元通りにすることはできない。日常ではゆっくりと回復するのだが、ダンジョン内での戦闘などで急速に消費した場合、『急速ドーピング』ことマナ回復薬を使用する。
ぼくも練習中に散々飲まされたが、正直あんまり美味しくない。
そして、魔法で元に戻らないものに『血液』がある。
今日も今日とてソファで爆睡している先輩。青白い顔は二日酔いと寝不足のせいだとばかり思っていたけど、ぼくの知らないところで何か危ないことでもしていたのだろうか。
先輩も、もしかしたら、他のみんなも。
先日、ぼくに魔法を使わせるためだけに、ためらいもなく自分を傷つけていたのを思い出してひやりとする。
先輩のかけっぱなしの眼鏡を外して、代わりに毛布をかけた。先輩は小さくうなって毛布を引っ張り、猫のように丸くなる。
夜は、まだ冷える。
次の朝はなんだかいつもより早く目が覚めた。
二度寝をするには微妙な時間だったので、少し散歩に出ることにした。近くを回って戻ってきても、ゆっくり朝食を食べる時間はありそうだ。
自然が多いこの街で散歩をするのはとても気持ちがいい。
森に囲まれたここフォルトゥーレは、自然がすぐ側にあることもあってマナが豊富だ。深呼吸をすると、新鮮な空気とともに新しいマナが満ちていくのが分かる。
パンの焼ける匂い。朝食の準備をはじめた音。夜の静けさに包まれた街が少しずつ目覚めていくのが何だか面白かった。
広場を通りかかった時、街の入口に向かうフューリーさんの姿があった。
「おはようございますフューリーさん。もう出発するんですか?」
「おぉヒナか。今度は南のソニエラ辺りに行こうかと思ってな。久々にあそこのスパイシーな料理が食べたくなってなぁ~。そういやヒナも料理好きだったな。ソニエラは独特の調味料があるんだが……今度なんか土産に持ってきてやるよ」
大きなバッグを背負ってフューリーさんはニカッと笑う。
「ありがとうございます。今度また他の地方の料理も教えてくださいね」
「もちろん! それと、ヒナがもっとレベルアップしたら、ダンジョンにレアアイテムでも探しに行こうな! そんじゃまたな~」
結局一週間もせずにフューリーさんはまた旅に出かけていった。
森の木々に溶け込むように、お互いの姿を認識できなくなるまで笑顔で手を振ってくれていた。ぼくもフューリーさんに手を振り返して見送った。
「う~……気持ち悪ぃ……頭いた~い」
さわやかな昼下がりだというのに、先輩は朝からずっとこんな調子だ。
今日もシャルさんに怒られては怒鳴り返し、二日酔いだろう頭痛でダメージを受け、というのを何度も繰り返している。
「自分で飲みすぎてるんだから自業自得よね」
「ぼくもそう思います」
薬を届けに来たシャルさんは困ったように溜息を吐いた。
「そういえば、シャルさんが配達に何度も来るのって珍しいですね」
「あぁ、今日は人手不足でね。うちの子たちの何人かダンジョンに行ってるのよ。薬草採取と勉強も兼ねて。確かそっちからも何人か出してもらってたはずよ」
確かに何人かダンジョンに行っているという話は聞いていた。
ヒーラーギルドには実はこうしたダンジョン同行の依頼が多くある。そのため、外部のヒーラーがこの街を訪れた際には、ヒーラーギルドを介して他の冒険者たちと一緒にダンジョンに潜ったりするのだ。
最低でも中級魔法を習得しているヒーラーにしか同行の依頼は来ないので、まだぼくに話がくることはない。
「ダンジョンかぁ……」
「何? ヒナちゃんダンジョンなんか行きたいの?」
「え、それはまぁ……興味はありますね」
「やめときなさいよ。あんなとこ行って怪我するだけ損よ、損」
呆れたようにシャルさんは深く息を吐く。
「確かに貴重なモノや薬の材料もあるわよ。でも、行き過ぎた好奇心は命を奪うわ。命をかけるリスクってのがもう私にはわかんないわ。特にこうやって薬を作るようになってからはね」
「……それってシャルさんも以前はダンジョンに潜ってたってことですか?」
「あそこはね、私たちが思ってるような『常識』が通じるところじゃないわ。それにあんまり無茶してるとそれこそあの馬鹿みたいに――」
「た、大変だっ!! ダンジョンが……っ!!」
表情を曇らせたシャルさんの言葉を遮るように、ギルドに冒険者が駆け込んできた。
ダンジョン内で落盤事故があったらしい。ダンジョン内の構造が変わることはしばしばあるらしいのだが、その落盤のせいでダンジョンのさらに奥にいた魔物が出てきてしまったということだ。
最初に遭遇した冒険者たちとはもう連絡が取れなくなっていて、負傷しながら逃げてきた別の冒険者から伝え聞き、急いでヒーラーを呼びに来たというわけだ。
「事情は大体分かった。が、面倒なことになったな……」
状況はかなり厳しい。
最近はダンジョンが落ちついていたこともあり、この街に訪れている外部ヒーラーがほとんどいないこと。その少ないヒーラーもほとんどがダンジョンに潜っていて、現在の消息は不明だということ。
ダンジョンに潜ることが出来るヒーラーは現状ギルドに残っている中では人数が少ない。そして何より、ギルド長であるアクアリッツァさんが、ギルドの会合で他の都市に出払っている。
「こういうときに限ってアクアのやつはいねえし、俺は当然行くとしてあとダンジョンにいけそうなのは……ナナオとアリシャ、ユースタスくらいか。残りは負傷者の運び込みに備えて待機。チビ助、お前もここで待ってろ」
「でも先輩――」
「でも、じゃねぇ。来たところで足引っ張るだけだ。お前ひとりで何が出来るんだよ」
眼鏡の奥の瞳に冷たく射抜かれる。
先輩の手がヒュッと動いて、反射的にビクリと身体を竦ませる。
こつん、と軽く頭を叩かれた。
「いいから、ここでみんなの帰りを待ってろ。自分に出来ることだけやればいいんだ。分かったか?」
「…………はい」
「おらぁー、お前ら気合入れろよ! これから忙しくなんぞ!」
バタバタと中も外も忙しなく、街中がざわついていた。
「クライヴさん、先日フューリーさん戻ってきてましたよね。彼も一緒にダンジョンに同行してもらえば……」
「あの――フューリーさんは今朝街を出てしまって……」
一瞬、希望が見えたようなギルド内に水を差すのは嫌だったが、それでも事実として伝えなければならない。
「……今朝か。おいチビ、あいつどこに行くか言ってなかったか?」
「確か南のほうに行くって……ソニエラの辺りって言ってました」
にやりと先輩が口角を上げる。
「おい、シャルロット。行けるか?」
「分かってるわよ。この場合仕方ないわね……」
「あいつが寄り道好きで助かったな。早いとこ見つけてくれよ」
「はいはい。マナ回復薬は無駄に予備だけはあるから、ぜひとも大量消費してくれると助かるわね。うちの新人に新しいの作らせたいし」
燃えるような赤い髪をひとくくりにまとめて、シャルさんは手早く身支度を整えた。いつもの白衣ではなく、黒い衣装に着替えている。身体のラインが分かるぴっちりとした素材は、少々目のやり場に困る。
「そんじゃ、あとはよろしく。こっちは任せといて」
「おう。じゃ、俺らもダンジョン向かうぞ。日が暮れる前には第一陣を運ばせてぇな。いつでも対応できるように準備は整えておけよ」
そうしてシャルさんは南に、先輩たちは他の冒険者を引き連れてダンジョンへと向かっていった。
残されたぼくにできることは、いつもと変わらない雑用ばかり。
ここにいても怪我人が運ばれてくるまで何もできないもどかしさと、不安感で、胸がざわつきっぱなしだった。
日がとっぷりと暮れても、先輩たちも、怪我人も、誰ひとり戻ってくることはなかった。
未だに戻らない冒険者たちを思い、多くの住人や冒険者が街の入口に集まっていた。
(怪我人が戻ってこなければ、何もすることがないなんて……)
待ち疲れてうとうとと船を漕いでいるギルドのメンバーにバレないように、こっそりとギルドを抜け出した。音を立てないようにマナ回復薬の瓶を何本も持ち出すのには苦労したけれど、これだけあれば十分だろう。
腰に巻いた皮のポーチに回復薬を入れる。護身用にギヨンさんから調達した初心者向けのロッドを装備してダンジョンへと向かった。
先輩は来るなと言ったけど、こんなに時間が経っても戻って来ないということは何かあったに違いないとぼくは考えていた。
ダンジョンの近くまでは何度か薬草を取りにシャルさんと来たことがあったので、道に迷うことはなかった。
夜の森はもっと鬱蒼としていて暗闇が広がっているものだとばかり思っていたが、思っていたよりも明るい。外灯もまばらに設置されているが人工的な光ではない。森にあるマナを吸収した精霊たちが放つ光だという。
カンテラで足元を照らしながらダンジョンへ急いだ。
ダンジョンの入口はぽっかりと不気味に開き、闇の奥深くへ誘っているようだった。
ごくりと唾を飲んで、中を照らす。ごおっと風の通る音が聞こえる以外、何も聞こえない。
恐る恐るダンジョンの中に一歩、また一歩と足を進めていく。
空気の膜のようなものを通り抜けた感覚。目を凝らして辺りを見渡すと洞窟のようなダンジョンの内部が浮かび上がる。
土壁の通路、鉱石があちこちから出ている通路。光る植物や、壁自体が微かにキラキラと光るものまで、ダンジョンの中は様々な不思議に満ちていた。何かがいる気配もする。見えないだけで、その辺に精霊も多くいるんだろう。新しく魔物避けの術札が張ってあって、魔物とは遭遇しなかった。
先を行く冒険者、もしくは先輩たちが残したのだろう壁の目印を頼りに、ぼくは奥へと歩みを進めた。
狭い通路の先にうっすらと明かりが漏れているのが見えた。明かりに照らされた影が蠢いている。人がいる!
ぼくは駆け出した。
通路の先、ぼくが見たものは。
月の光がわずかに差し込む広けた空間、転がったカンテラに照らし出されたぼろぼろの冒険者たち。防具は壊れ、服には血がにじみ、腕があらぬ方向に曲がって折れている。意識がないのかピクリとも動かない。痛みで動けずにいる冒険者もいるようだ。
すぐに回復させようと近づこうとしたとき、何かを壁に叩きつける音がした。人だ。ごほっと血を吐いてそのまま地面に崩れおちた。
ズン、と重量を思わせる音とともに、暗がりから魔物が姿を現す。大きなトカゲのような魔物は、ぼくの身長の二倍はありそうだった。鋭い眼光に鉤爪。鉱石を主食にでもしているのだろうか、全身が鉱石のような質感。極めつけにサソリのように高く持ち上げられた尻尾は刃物のように尖っていた。
吹き飛ばされたのだろう冒険者たちの中に槍で刺したような傷が多く見て取れるのはそのせいか。
(早く、回復しないと、でもその前に……ぼくは……!)
ロッドを構えてぎゅっと握る。無機質な眼光に捉えられて足が竦む。膝が震えて後ずさってしまう。
ゆら、と尻尾が動いた瞬間。
「――――アイシクル・ソーン!!」
洞窟内に聞きなれた声が響き渡る。
幾重もの氷柱が鉱石トカゲに命中し、意識を逸らした。
「おい、ボサッとしてんな! 動けるやつから早く――――チビ助?! お前、何でここに来た!」
驚く先輩の顔を見て、怒られているのに何故だかすごくほっとした。
「あぁもう今はそんなこと言ってる場合じゃねえ、少しでも早くここを出るぞ!」
トカゲが怯み、氷に足をとられている隙に、ぼくが持ってきた回復薬をがぶ飲みして先輩は治癒魔法をかけていく。動けるようになった冒険者は一目散に走り出した。
やつは執拗にぼくたちを追ってくる。先輩が何度も足止めをしながら出口へと向かっていく。先輩の背中が今日はやけに頼もしく見えた。
そんな時だ。
急激なめまいに襲われて立っていることもままならない。気持ちの悪さに全身が震えだす。
「よし、あと少し行けば――おい、どうした?!」
地面に倒れ、ぐるぐると回る視界の中で、トカゲがぼくに向かって勢い良く尻尾を振り下ろすのが見えた。
あぁ、痛そうだ。
そう思って目を閉じたのに、いつまでも衝撃も痛みもやってこない。変わりにぽたりと頬に温かい感触がした。
「てめぇヒナ……あとで、覚えてろ、よ」
先輩の腹部を貫通した尻尾の先から、ぽたぽたと赤い雫が落ちていく。
謝りたいのに、身体は動かない。言葉の代わりに漏れるのは苦しい呼吸だけだ。
「タイミング、良すぎだろ……あとは頼むぞ、フュー、リ……」
「あいよ」
いつもと変わらない明るい声で返事をしたフューリーさんの姿を、揺れ霞む視界の端に捉えたところで、ぼくの意識はふつりと途切れた。