第4話 冒険者見習い見習い
「あぁ~~!! そこそこ~! ヒナちゃん本当に上手だワァ~!」
「…………アリガトウゴザイマス」
結局。初期の治癒魔法を覚えたところでぼくがやっていることは。
「――結局マッサージじゃないですか!」
帰宅して先輩に泣き言をいったところでこの状況が変わるわけではないが、それでも言わずにはいられない。
体の中でマナが正常に流れずに溜まってしまう、「マナだまり」を解消するのに多少の魔法(と言ってもいいのだろうか)を使うことはある。が、それ以外はほとんどが文字通りのマッサージだ。8割――いや9割がそう。先輩が対応するはずだったお客がぼくのところに回される。そうして話好きのおばちゃんたちに気に入られ、ぼくは業務のほとんどが雑用とマッサージになっていた。
「まぁまぁ。いいじゃねーの。おまえ、無駄に人気だぜ~?」
「うれしくないです……」
脱力感でいっぱいのぼくはリビングのソファに倒れるように身体を投げ出した。
これじゃあ先輩とそう変わりはないなと思っても、疲れた身体は動かすのも億劫だ。すぐ側には先日たたむのをサボった洗濯物が積みあがっている。
先輩は帰ってくるなり新しい酒瓶をきゅぽんと開けると、グラスにドバドバと注いでいく。すぐに飲み干して「くぅ~!」とうなり、またグラスに並々と注いだ。
「でもおかげでいろんな人間のマナの流れが見れただろ?」
「それは、まぁ、そうですね」
確かに連日かなりの数をこなしていたからか、集中して意識せずとも、身体に触れればある程度マナの流れがわかるくらいにはなっていた。
「だいぶコントロールができるまでレベルアップしたわけだし。そろそろちゃんとした魔法教えてやるかぁ」
「……何ですかそれ」
ぼくがこの3週間近くやってたことは魔法じゃなかったとでもいうのだろうか。
「いや、おまえが今やってんのもちゃんと魔法だけどな。そうじゃなくてよくあるイメージのやつだよ」
ぼくが抗議の視線を送っているのを察して先輩が付け足すように言った。
「おし、ちょっと左手出せ」
「何ですか急に」
「いいから寄こせ」
のろのろと身体を起こして、しぶしぶ左手を差し出すと、手首をガッと掴まれる。少し強めに握られてうろたえているぼくに構わず、先輩は小声で何かを呟いていた。
左手首の辺りに、ぼうっと光の輪が浮かび上がる。
「――【イニシエーション:キュア】!」
先輩が唱えると、輪はひときわ白く輝いた。キュンッと光が収束し、「もういいぞ」と先輩が手を離した。
「今のは?」
「お前にひとつ、新しい魔法が使えるようにしたんだ。冒険者連中は大体こんな感じでギルド長から魔法やらスキルを伝授してもらえるんだよ。まぁある程度の修練が出来てて、使えるレベルに達してないと教えないんだがな」
ということは、ぼくは教えてもらえるレベルになっていた、ということでいいのだろうか。修練といってもほとんどが初歩魔法というより、物理的マッサージだったのだけれど。
「ま、一番レベル低いやつだから。ちょっと素質ありそうなやつには、すぐ教えちゃうレベル?」
「それはちょっとどうなんですか?」
「まぁともかくだ――」
先輩はグイと酒を一気にあおると、酒用に用意していた氷を取り出した。指をちょいちょいっと動かす。空中に浮かび上がった氷は、あっという間に水になり、形を変えて再び氷へと変化した。菓子を切る小さなナイフのような形をしている。
「お前が怪我を治療したいって気持ちで、今お前の身体に叩き込んだ『キュア』って魔法を使おうとしてみろ。いいな?」
「はい」
「じゃ、よろしく」
シャツの袖を捲くり上げ、むき出しになった少し色白の肌に先輩はためらいなく氷の刃を振り下ろす。
「ちょ――」
突然の出来事に静止する間などなく。肘と手首の中間辺り、先輩の腕に赤い線がつうっと浮き上がる。ぼたぼた、と床に赤が落ちる音ではっと我に返った。
反射的に側にあったタオルで先輩の腕を掴んで圧迫。心臓より高い位置へと運ぶ。数秒の応急処置をしただけでどっと冷や汗がふき出した。
「な……何やってるんですか!!」
「……何って、実践授業?」
「だからってやっていいことと悪いことがあるでしょう!」
「地味~に痛いから早いとこ頼むぞぉ~?」
大量に血は出ていないところから傷は浅そうだ。大事には至らなさそうだけれど、少し出血しただけで既に先輩は青白い顔をしていた。
「~~~~ッ、あんたって人は――!」
「こういう時こそ集中だぞ、チビ助。そんでもやりづらいなら音声化しろ。言葉に出すほうが初心者向きだ。いざって時はタイムロスになるから俺はオススメしないけどな」
「もう、ちょっと黙っててください!」
深呼吸。深呼吸。深呼吸。
時間がないときほど焦っちゃ駄目だって☓☓☓さんも言ってたじゃないか。集中して、治したいって気持ちを集中させて。
「――キュア!」
先輩の腕を掴んだまま唱える。瞬間、患部が光に包まれた。タオル越しでも分かるくらいだ。温かい光は数秒後、ゆっくりと消えていった。
恐る恐るタオルを外して確認する。怪我はきれいさっぱりなくなっていた。
ようやく安堵の息をついて先輩を見ると、少し青い顔で笑顔を浮かべていた。
「おめでとう~!! これで今日からチビ助も駆け出しヒーラーとして――いてッ!」
「あんたはもっと自分を大事にしろっ!!」
「あららん、チビ助反抗期? それとも下克上?」
思わず先輩の頭を叩いてしまった。
怪我の治療の機会なんて、今後いくらでもありそうなのにさすがにやりすぎた。
酔っていたというのを考えたとしても、さすがに悪ふざけがすぎる。いくら自分で治せるからとはいっても。何かあったらどうする気なんだまったく。
そういえば何か大事なことが出かかった気がするが、それもまた溜息とともに吐き出してしまったかのように忘れてしまっていた。
「それより先輩。どうするんですか、この惨状」
すぐにタオルで圧迫したので幸いソファは無事だったが、テーブルと床には血痕がいくつも落ちている。白かったタオルはすっかり赤く染まっていた。
「おやぁ? そこ行く少年、どうしたの? ちょっと見ない間にすっごいお疲れモードだネェ」
買出しの帰り道、広場を盛大に溜息を吐きながら歩いているとギヨンさんに声をかけられた。
「あぁ、ギヨンさん。いえ、ちょっと先輩が無茶するもので……」
「あ~……クラさんなら仕方ないかもネェ。あれは見栄張りで無茶したがりだから」
「まぁよく馬鹿なことはしてますね」
まさか魔法の実践練習というだけで傷を作ろうとするとは思わなかったけれど。
「すぐ治ったし、痕も残らなかったからいいようなもんですけど。大事になったらどうする気なんだか……」
「ふ~ん。少年は思ってるよりも信頼されているんだネ」
「……そんなことはないと思いますけど」
そんな愚痴のような雑談をしていると、街の入口のほうがざわついた。ダンジョンのある方面だ。
「おーっす、ヒナ。戻ったぜ~!」
明るい聞きなれた声が響く。声のしたほうを振り返ると、血まみれの男が立っていた。あちこち服は破れ、上半身はもはや裸同然だ。ところどころに切り傷や刺し傷があるが、血は止まり固まっているようだった。その表情は元気が有り余っているといったふうで、ぶんぶんと手を振りながら近寄ってくる。
汚れたバックをどさりと置いて、側にあった噴水の縁に腰掛けた。
「あらら~。怪我だらけ。フューリーくん、また無茶したんじゃないの?」
「あっはっは。そんなことないっすよ~。ダンジョン潜ればこんなもんですって。それに怪我はしてるけど、汚れたのは大体返り血のせいっすから!」
「そっかそっか~。でも気をつけてよ~? この間もうっかり腹に穴開けて帰ってきたって聞いたヨ~?」
「いやいやギョンさん。あん時は回復がダウンしちゃって、まぁしょうがなかったんですわ~」
平然と怖い会話をしているなぁ。
傷だらけで帰ってきたフューリーさんは、同じ階に部屋を持っている冒険者だ。
修行と称してよくあちこちの街を渡り歩いてはダンジョンに潜っているらしい。たまに見かけると、いつもどこかしら怪我をしている。
「この際だから新しい武器とか買ってかない? いいの仕入れてるよ~」
「いやいや商売上手だなあ~。それよりこれ、ダンジョンで採ってきたんですけど買い取りどうですか?」
「ほほう。これはまた珍しいモノを持ってきたネ~♪」
ギヨンさんほど身長はないが、二人とも鍛えているのがよくわかる。重い荷物を軽々と扱うフューリーさんは、こう見えてもれっきとした『魔法使い』なのだ。
とはいっても、彼のスタンスは「殴れるなら殴る」。なので魔法を使っているところはほとんど見たことがないというのは冒険者界隈でも有名だ。
「あの、フューリーさん。お話中申し訳ないんですが、治癒魔法かけていいですか?」
「おっ早速か? いや~、こういうときヒーラーの知り合いがいると助かるわ~!」
はは、と遠慮がちに笑って、怪我した箇所を確認する。
確かにフューリーさんが言っていたとおり、切り傷は多いがそんなに大きな怪我はなさそうだ。とはいっても量が多い。特にダンジョンで怪我をするということは日常でする怪我とは違う。何が身体に影響を与えるか分からないのだ。マナに影響を与える毒素が傷口から入ってしまったり、植物系魔物の種子が埋め込まれて、傷口から芽が出たなんて話も聞く。とにかくダンジョンでした怪我というものはヒーラーがすぐに治療に当たることになっているのだ。
「キュア!」
唱えると怪我の箇所に小さな光がぽつぽつと灯っていく。数が多いので、光の粒がフューリーさんを包んでいるようにも見えた。
「お~、話に聞いたとおりだ。ヒナ、またレベルアップしたんだなぁ~」
フューリーさんはうんうん、と感慨深そうに頷く。
「話って?」
「さっきそこでクラさんに会ってな。したらこっちにヒナがいるから治療してもらえって。魔法覚えたてだから使いたくてしょうがないって聞いたぞ?」
あの先輩はまた勝手なことを吹聴して……。
「俺は攻性魔法しか使えないからな。いやぁ、ホント助かるわ! この街はヒーラーの拠点もあるし。あとはダンジョンがもうちっと歯ごたえあればなぁ」
どこまでも筋肉主体な人だ。
「あれ?」
フューリーさんの傷の治療は無事に終わったはずなのに、傷痕が出来てしまっていた。腕や顔などは綺麗に治ったが、腹部に出来た傷がうっすらと痕になっている。
「すみません! なんかぼくまだ上手くできないみたいで、すぐに先輩を――」
「あぁ、いいのいいの。よくあることだから」
けらけらと笑いながらフューリーさんはほんの少し嬉しそうに傷痕を指でなぞった。
「ダンジョン内の魔物にやられたり、魔法でついた傷ってのは、たまにこうして痕が残ることがあるんだ。だから気にしなくていいぞー。傷は男の勲章ってやつだ!」
「そ、そうなんですか?」
「そうそう。ヒナがもっと上位の魔法覚えたら、傷痕残さずに回復できるようにもなるけどな。それよりこの形、ちょっとカッコよくねぇ? どうよー、ギョンさん!」
ということは、ぼくがもっと強い魔法を使えていたら痕を残すことなく綺麗に治してあげられたんだろうか。
「あの、フューリーさん、その、すみません……」
「気にするな! それにちょっと傷がある男のほうがモテるんだよ。むしろ男前度が上がって俺は最高だぞ!」
そう言われても気にしてしまうのはぼくの悪い癖なんだろうか。
荷物を置きに家に戻るというフューリーさんを見送って、ぼくは溜息を吐いた。
(あ……さっきギヨンさんが言ってたのって)
――ふ~ん。少年は思ってるよりも信頼されているんだネ。
魔法でついた傷は痕が残ることがある。
傷が残ってしまう可能性もあったのに、ぼくに魔法を使わせるためだけにあんなことをしたんだろうか。
「ギヨンさん、先輩ってやっぱりダメな人ですよね」
「ギョンちゃんでいいヨ~♪」
そうしてしばらく談笑もとい愚痴を聞いてもらい家に帰ると、珍しくまだ出来上がっていない先輩がいた。
「先輩、次のレベルの回復呪文、さくっと教えてください」
「『次のレベルになるまでの経験値が足りません』」
へらっと笑って茶化す先輩。心のどこかに感じた不安をごまかすように、呆れたように笑って見せた。
平気で無茶をして、知らないところで無理をするかもしれない。
色白の腕には、どこにも怪我をした痕など残っていないけれど、その時感じた痛みを忘れたわけじゃない。
(ぼくはまだ何にも知らないなぁ……)
出来ることが一つ増えたところで、所詮まだまだの駆け出し冒険者。
一刻も早くこの『見習いの見習い』を卒業して、誰かに無理をさせないように出来るようになりたい。
床にうっすら残った血の痕を見つけて、ぼくは深く息を吸い込んだ。