第3話 初めての魔法
さわさわと音を立てて早朝の風がやわらかく吹き抜けていく。
小鳥のさえずり、川のせせらぎ。
気持ちの良い爽やかな朝なのに、先輩の一言でぼくの気持ちは地面に叩きつけられたようにどろどろだ。
「…………え、なんです?」
聞きとれなかったことにして、できるだけ表情を崩さないように先輩に聞き返す。
すると先輩はにんまりと笑って高らかに叫んだ。
「マッッッスゥアァァァーーーージッッッ!!!!」
はっきり言って朝からその声量は近所迷惑だ。無駄に良い発音が余計にカチンとくる。ポーズを決めてぼくのコメントでも待っているのだろうが、そこはスルーで。
「――――帰っていいですか」
「ちょちょちょ、待ちたまえよ少年! マッサージはマッサージでも、ただのマッサージじゃないんだってば!」
「本当ですか?」
「本当本当! ちょっと肩を拝借」
肩もみをするようにがしっと両肩を掴まれる。
すぐになんだかぽわぽわと温かくなってくる。じんわりと心地が良い。
ギルド長がしてくれた治癒魔法の温かさに似ていた。
先輩はといえば特に筋肉を揉み解したりということもなく、ただ肩を掴んでいるだけだ。
肩を掴んでいる手は、ぼんやりと白く光を放っていた。
「さて、どうだった? これがお前に覚えてもらう『マッサージ』。おわかりいただけたかな?」
「……先輩はなんていうか言葉が足りないと思います」
「そいつが足りないのは言葉じゃなくて頭のほうだヨ~、少年♪」
「わっ?!」
すぐ耳元で怪しげな声にささやかれて思わず飛びのく。
振り向くとそこには長身の男が立っていた。黒い衣装に身を包み、丸いサングラスをしている。男性にしては少し長めの胡桃色の髪は全体的にウェーブがかかっている。
「お~誰かと思ったらギョンじゃねーか、久しぶり~! てかなんでチャイナ服?」
「長袍。いいでしょ~俺に似合うでショ~? 仕入れ先で偶然見つけてね、つい買っちゃった~」
先輩と互いにバンバンと肩を叩き合っている。どうやら知り合いのようだ。
「あ、こいつうちのギルドの新人。あんまいじめんなよ~」
「キミの性格でそれ言う~?」
まったく同感である。
「チビ助、こいつは行商やってんだ。まぁ見た目はちっと怪しいが、悪い奴じゃないから。欲しいもんとかあったらこいつに相談してみるといいぜ」
「おチビちゃんはじめまして。ボクはギヨン。ギョンちゃんって呼んでもいいヨ~。何かご入用の際はぜひウチをご贔屓に♪」
「はっ、はじめまして!あ ヒナ、です! よろしくお願いします!」
先輩よりも長身のギヨンさんは、さりげなく屈んで握手をしてくれた。
サングラスの奥の糸目がうっすら開いて、金色の目がぼくを見つめる。なんだか、猫にじっと見られている時のような落ち着かない感じだ。
「夜にでも飲みながら話そうぜ。しばらくいるんだろ?」
「そうネー。じゃ、またいつものところで」
別れ際にギヨンさんはどこから出したのか青い小瓶をぼくにくれた。
「お近づきの印にプレゼント。まだ使うことはないと思うけど大事にとっておいて。もしかしたら、精霊と仲良くできるかもしれないヨ♪」
手を振って去っていくギヨンさんを見送る。去り際、何かが頬を触れたような気がした。
「さーって、すっかり話がそれちまったが話を戻すぞー。お前には早速このマッサージを実践してもらう。まずもう一回こっちに背中向けてー。目閉じてー」
「はい……?」
先ほどと同様に先輩がぼくの肩を掴む。
「よしよし、俺の手に集中してー。ちょっとあったかい感じ、わかるか?」
「――はい」
「わかりやすく今から体内を循環させる。冷え切った体にスープ流し込んだ時みたいな、あったかいのが流れてく感じがすると思うんだが、どうだ?」
先輩が触れた肩からじんわりと温かくなって、それが血流に乗って流れていくような感覚がした。
「なんとなく流れてるのがわかります」
「よしよし。これが分かれば大体クリアしたようなもんだな。そんじゃ、バランス崩さないようにしっかり立ってー」
「は?」
――――ドンッ!!
背中に強い衝撃が走る。痛みはない。でも確かに吹き飛ばされていた。
「ありゃ。やっぱ無理だったか」
地面に勢い良く倒れこんだぼく。運よく怪我はなさそうだが、草の香りと土の味が口の中いっぱいに広がっている。うぇ。
「ちょ……急に何ですか!」
「いやぁ、すまんすまん。でもほら、これで分かるようになったろ?」
そう言って先輩はぼくの手を先輩の胸に押し当てた。
小石が当たって膝立ちの状態が意外と辛いとか、口の中がまだ苦いとかごちゃごちゃと考えていたら「集中しろ」と急に真面目なトーンで言われて面食らう。
心臓の鼓動が聞こえる。
「手のひらに全神経を集中させろ。さっき流れを理解したときの感覚を思い出せ」
目を閉じて集中する。
先輩の手の温かさが、ぼくの手に移ったようだ。
その温かさは光に変わった。目視はしていないはずなのに、手のひらから伝わる感覚は確かに光としてぼくの頭で認識されている。そうしてその光がまるでエコーのように先輩の体内をぐるりと巡っていくのが分かる。
ぼくの手は薄ぼんやりと白く光を発していた。
目を開けるとすぐに光はおさまっていく。
「うん。まぁ初めてにしちゃ上出来だな」
「今のは――」
ガクン、と急に身体から全身の力が抜ける。力が入らず、立っていられない。
ぼくはその場に倒れこんだ。
「まずお前も見えたと思うが、あの光は基礎中の基礎だと思ってくれ。むしろそれが使えることが回復職の大前提にあたる」
「――――あの、」
「で、だ。光を循環させることで体内の異常をいち早く発見し、異常箇所を治療するんだが――」
「……この状況で話進めます?」
倒れたままのぼくをおいて、先輩はすらすらと話を進めていく。
「それただのマナ切れ。その内回復するから問題ねーよ。回数こなせば耐性ついてくっから。魔法はあれだ。慣れだ慣れ」
「えぇぇ……」
起き上がろうにも手に力が入らず動かせない。
頭ははっきりしていたので先輩の説明は理解できるが、いろいろと納得はできていない。
結局ぼくは地面に突っ伏したまま、大半の説明を聞くことになった。
ここでは誰もが『マナ』と呼ばれる魔力の源を持っている。マナは基本的に自然界から吸収する形で回復するらしい。他にマナ用の薬や食事でも回復する。この街はマナが多くあり、普通に生活しているだけでも自然回復するということだ。
マナはいわゆる魔法を発動させるための媒介のようなもので、使う魔法の威力によって消費も
変わってくる。
ぼくはその消費の配分をコントロールできていないので、無駄に力を消費しすぎてこうして倒れているというわけだ。
時間が惜しいからと、ドーピングさながらマナ回復薬をたらふく飲まされては倒れを何度か繰り返している。薬を持ってきたシャルさんがちょっぴり同情してくれた。
「おーっし、だいぶ慣れてきたなぁ。次は目を開いたままその感覚で発動させること。あといい加減にそろそろ倒れなくなること。日没まで!」
「えぇぇぇ……」
思っている以上に気力の消費が激しい。
いや、もしかしたら体力なのかもしれないが、もうよくわからない。
何度目かの土の味ともそろそろおさらばしたいところだ。
日が沈む頃には早朝からぶっ続けの特訓の成果もあって、何とか倒れずにできるようになっていた。
「じゃあさっそく明日からお仕事なぁ~これから忙しくなるぞォ~」
「え。ちょっと、いきなりすぎませんか?」
特訓終了を宣言した後、疲れから倒れこんだぼくを放置してギヨンさんと飲みにいった先輩がご機嫌で帰ってきて第一声がこれだ。
「だーいじょうぶだいじょうぶぅ、基本はできてたしぃ~。あとは実践で何とかしましょ~い!」
ダメだ。これはもう話が通じないぞ。
そんなぼくも眠気が限界過ぎて、早々に自室に戻って休むことにした。
夢の中でも、昼間の土の味を思い出してぼくはうなされた。
「では、さっそく今日から……おまえにも、うぇっぷ……仕事をだな……」
次の日、ぼくたちがギルドに着いた頃、先輩はすでに限界を迎えそうだった。
「ちょっとあんたまた考えなしにバカスカ飲んだわね!? 薬飲んで、混んでくるまで休んどきなさいよ!」
シャルさんに押し込められるように奥の小部屋に追い立てられる先輩は、ゾンビのような声をあげていた。
「あの、シャルさん。ぼく仕事を手伝うって言われても、何をするのかとか、まったく聞いてないんですが……」
「あの馬鹿はまた適当に話半分で飲みに行ったのね……」
「まぁ、そんなところです」
あははと苦笑いするぼく。
「昨日の成果はどこまで?」
「えっと、とりあえず倒れずにできるようにはなりました」
「ん。じゃあまぁ基本は大丈夫そうね」
そんな簡単な問題なんだろうか。
「昨日ヒナくんが習得したのは基本中の基本。体内にマナを流し込む方法よ」
基本中の基本、そういえば先輩もそんなことを言っていた気がする。
「それが出来ただけじゃダメ。それが出来てはじめて、体内のマナの異常に気付いてあげることができるの」
「異常、ですか?」
「そ。私たちみたいに日常的に魔法を使う人間と違って、普通に生活している人たちは魔法を使う頻度が高くないの。そもそも使えない人もいるしね。で、そういう人たちもマナだけは吸収していっちゃうわけ。そうすると体内に『マナだまり』ができちゃうのよね」
マナだまりができると、行き場のないマナが余分に溜まりすぎて悪循環を引き起こし、体調に影響が出てくる場合もあるとか。なんだか血管の血栓とか、ドロドロ血液みたいな感じなんだなぁ。
「目に見えたり物理的なものじゃないんだけど、どうしても魔力の干渉を受けちゃうわけ。で、私たちの出番! マナの流れを正常に戻して余分なマナを取り除くってのが、今日から君のお仕事よ、ヒナくん!」
「って言われてもぼくそこまでのやり方は聞いてないんですが!」
「心配しなくても大丈夫。魔法って基本的には意思の力だから。とりあえず『マナの流れを正常にする』って強く念じながらやってごらんなさいな」
「念じる……だけ、ですか?」
「想いの力って魔法では一番大事だったりするわよ?」
本当に大丈夫なのかと不安そうなぼくの前に、さっそく一人目のお客が通された。
ノックの音。扉がゆっくりと開いていく。
ああどうしよう。本当に、うまくできるのだろうか。
「あらあら。今度の治療士さんは、ずいぶん可愛らしいのねぇ」
入ってきたのは車椅子に乗ったおばあさんだった。やわらかい笑顔と声で、ぼくは少しほっとした。車椅子を押してきたギルド長も、ぼくの初仕事だからか付き添ってくれていた。
「は、はじめまして! ぼくヒナっていいます。その、うまく出来るかわからないですけど……よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしく頼みますね。ふふ、緊張しなくても大丈夫よ」
おばあさんは楽しそうに笑う。
「最近、マナだまりが多くて困っちゃってね。よろしくね、ヒナちゃん」
「は、はい!」
昨日嫌というほど繰り返したことを思い出せ!
集中、集中――
おばあさんの肩に手を当てて集中する。ぼんやりと光が灯り、体内をマナが巡っていくのがわかる。よし、ここまでは上手く出来ている。
マナを巡らせているとすぐに異変に気付く。マナが上手く進めない場所があるのだ。
(そうか、これがマナだまり……)
溜まったマナは変色して黒い大きな塊のように見えた。それがマナの巡りを悪くしてうまく分散できなくなっている。これは確かに悪影響がありそうな感じだ。
先ほどシャルさんが言っていた言葉を思い出す。
(――マナの流れを正常に、正常に、正常に)
強く、何度も念じていると次第にマナだまりがほろほろと崩れ、マナの流れに吸収されて固まりが小さくなっていく。そうして何箇所かあったマナだまりは跡形もなく消えた。
見届けて、ぼくは安堵の息を吐いた。
「ありがとうね。これでしばらく楽になるよ」
「いえ、こちらこそ……その……」
なんてこたえればよいのかあたふたとしていると、おばあさんがそっと手を握った。
「ヒナちゃんの魔法はとっても気持ちがいいねぇ。他のみんなも上手だけど、なんだか安心感が違うわねぇ。すこしあなたの手に似てる気がするわよ、アクアちゃん?」
「ありがとうございます」
ギルド長のアクアリッツァさん。久しぶりに聞いた彼女の声は、相変わらず素敵だった。
「ヒナちゃん、また今度もあなたにお願いしてもいいかしら?」
「――ぼくでよければ、よろこんで!」
部屋を出て行く時、ギルド長が小さく「がんばって」と言い残した。
まだまだできることは少ないけど、「ありがとう」と言ってくれる人がいる。
ぼくは、いま自分に出来ることを精一杯がんばろう。
ちいさな手のひらを、ぎゅっと握りしめた。