第2話 限りなく黒に近い白
思っていた以上に、仕事は激務を極めています。
「おら、新人! ボケっとしてないで早く持ってこい!」
「分かりました!」
「あ、こっちも包帯とガーゼ追加でお願い~!」
ギルド内をばたばたと走り回る。
目が覚めた日から一週間。ぼくはこのギルドにお世話になっている。
――ヒーラーズギルドへようこそ。
あの日、差し伸べられた手を取った。ギルドのみんなの優しさに包まれて、ぼくは嬉しかった。
みんなのためにできることをしたいと思っている。
でも今ぼくができることといえば――
「遅くなりました! 追加の薬草持ってきました!」
「ありがとう新入りくん~! あと今朝言ってた資料、どうなった?」
「それならクライヴさんが後でまとめて持って行くって言ってました」
治癒魔法もろくに使えず、医術の知識も乏しい。
なのでぼくはその他諸々の雑用をこなしている。そのほとんどが使い走りだ。
ヒーラーギルドはそこそこの人数がいる。けれど一日中ほとんど途切れることがなく人がやってくる。ぼくも雑用ながら一日中あっちこっちを走り回っていた。
「朝から晩まで薬草をすり潰して……薬薬薬……あ~、もう嫌!」
赤い髪と瞳が一週間の疲れを物語っている。白衣のあちこちに薬草の色が飛んでいた。
「今日を乗り切れば明日は休みですよ、シャルロットさん」
「シャルでいいわよヒナちゃん。あ、そうだ。よかったらコレ飲んでって」
渡されたコップからは湯気が立ち上っている。
茶色だろうか、それに近い色の液体がなみなみと注がれていた。
むおん、と遅れて異臭がやってくる。
「何ですかこれ!? 嫌です。ぼく絶対飲みませんから!」
本能がヤバいと告げている。
飲んではいけないと。
「えぇ~残念……」
「シャルさん、ぼくを実験台にするのはちょっと……」
「う~ん、それもそうね。ヒナちゃんで試すのは良心が痛みそうだから、大人しくクラに飲ませましょ♪」
バン、と机に資料を叩きつける音がした。
音のした方を恐るおそる見ると、眼鏡の奥のツリ目を引きつらせてクライヴ先輩が立っていた。
先輩は思っていた以上にすぐキレる。
「ごめんねぇ、ヒナくん騒がしくて。ウチのリーダーはクラさんが来るといつもああだから」
「いえいえ。そろそろ慣れてきましたから」
ヒーラーギルドの斜向かいにあるここは、シャルさんが取り仕切っている薬屋だ。
ギルドで使う薬なんかは、シャルさんの店のものを使っている。
一日に結構な人数が来るから薬剤が途中で足りなくなりそうな時は、ぼくがこうして取りにきているのだ。今日も何度か雑務で往復していた。
「おいチビすけさっさと帰んぞ! テメーの仕事は山積だ。今日も定時で上がれると思うなよ!」
「え」
シャルさんとの言い合いは今日も負け試合のようで、機嫌の悪さはこっちに回ってきた。
「え、じゃねえよ。お前の大先輩のクラさんが残ってんだぞ。一人で帰すか馬鹿やろう」
本日も残業が確定した。
残業と言ったって、ぼくができることなんて本当にただの雑務でしかない。
山積の仕事はぼくじゃなくて先輩のほうで、実質ぼくは業務時間が終わったらすることはほとんどないのだけれど、ここ2、3日で先輩の仕事を手伝わされることが増えてきた。
とりあえず掃除を終わらせて、資料をまとめながら悪態をついている先輩にお茶を淹れる。
「これ戻しといて」
渡された大量の資料を棚に戻す。
暗くなりはじめた室内にテーブルランプの明かりがぽつり、と先輩の横顔を照らしている。
(普段からそうしてればいいのに)
いつも軽口を叩いてばかりいるけれど、こういう時だけ非常に真面目な顔をする。
ようやくギルドを出た頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「先輩、ご飯どうします?」
「あ~……別に食べなくてもいいなぁ……面倒……もう寝たい……」
「先輩昼も食べてないですよね。朝もコーヒーだけで済ませて。帰ったら何か作りますからちゃんと食べてください。本当にそのうち身体壊しますよ?」
「いいねぇ~ルームシェアってありがたいね~恩恵だね~」
ぼくはギルドに拾われてからクライヴ先輩の家にお世話になっている。
仕事も――といっても雑用だけど――住むところも用意してもらった。怪我の治療費だって全然払えていない。そのうち返してくれればいいと言ってくれているけれど、せめてできることはと家事を引き受けている。
家はギルドのすぐ近くで、ぼくが目を覚ましたときにいた部屋がそうだ。
ギルドが持っている集合住宅らしい。倉庫代わりに古い資料が置かれている部屋もある。ヒーラーギルドだけでなく他のギルドの住人もいるようだけど、まだ会ったことはない。
先輩の家は思っていたよりも広かった。というよりも、本来一人で住む部屋の広さではない。いくつも部屋があってそのどれもが十分な広さだ。
ただ、いずれの部屋も乱雑に物が積み重なり、脱ぎ捨てられた服が散乱している。長い間窓を開けた形跡もなく、しばらく掃除をしていないのがよく分かる。たまった埃のせいでしばらくくしゃみがとまらなかった。
居候なのでソファで構わないといったのだが、いいからベッドで寝ろと言われた。
他の部屋に入ってみて分かったのだが、なぜか先輩の家にはベッドが3つもあるのだ。
そのくせ本人はソファでだらだら寝るのが好きらしい。ダメな先輩だ。
部屋を片付けてくれた礼に好きな部屋を使っていいというので、ありがたく使わせてもらっている。
シャワーから出ると、先輩はいつものようにソファで酔いつぶれていた。
自室に戻るのも面倒になるのも分かる気がする。疲労感からくる眠気に耐えて自室に戻ったものの、髪を乾かすのも億劫でそのままベッドに倒れこんだ。
「よし、じゃあ今日からお前は『ヒナ』でいいな」
「…………なんです?」
初めてギルドに行った日の帰り道、先輩が唐突に言った。
「自分の名前もわかんねぇんだろ? 呼び名がないと不便だからなァ」
そう言って大きな手でぼくの頭を無遠慮に撫で回した。
ぐしゃぐしゃにされ鳥の巣のようになった頭を指差して笑う。
街を案内してもらったあと近くの食堂で早めの夕飯を食べ、先輩はそこでしこたまお酒を飲んでいた。とっぷり日が暮れるまでずっと。近くにいるだけでかなり酒臭い。
「ここのこと知らないお前は生まれたばっかの雛鳥みてーなもんだし、ヒヨっ子が一人前になるまで面倒みてやっから。まぁ、そんなに心配すんな」
そうやって無自覚に格好いいところ見せた直後に散々醜態さらした挙句、次の日そのやり取り全部をすこんと忘れてるような残念さだけど、なんだかんだで面倒見はいい。
分からないことは教えてくれるし、他の住人とやり取りをする際、積極的に間に立ってくれたおかげで早く街に慣れることができた。
明日の夕飯は先輩の好きなものを作ってあげようかな。
そんなことを考えながら眠りに落ちた。
「おいこら、いつまで寝てんだ! とっとと起きろぉー!」
「わぶっ!!」
快適な眠りは唐突に終わる。まさか顔面に水をぶちまけられて起きる日が来ようとは思いもしなかった。
「ちょっ、冷た……何するんですか! ベッドがビシャビシャに……あれ?」
……なっていなかった。
濡れるどころか、水がいくつもの丸い塊になってぷかぷかと宙に浮いている。
先輩は指をちょいっと動かすと、その塊はバケツに戻っていく。ぼくだけがびしょ濡れだ。
「とっとと着替えろ。三分やるから準備して裏庭に来いよ。んじゃ、先に行ってるから」
言いたい放題言ってさっさと部屋を出て行く。扉が閉まるのと同時にぼくの髪から水がぽた、と垂れた。
前言撤回。
あの人は甘やかすとつけあがるタイプだ。優しくしたところで、ぼくへのあたりがエスカレートするに違いない。
深く溜息をついて大人しく着替えることにした。
家の裏手にまわると、そこそこ広い庭がある。
手入れされた芝生が広がり、花壇では季節の花がいい香りを漂わせている。
端のほうには家庭菜園ができるスペースがあり、住人は自由に使っていいらしい。
隣人のシャルさんも自分で使う薬草を自家栽培していたりする。
近くの川の水が流れてきて敷地内に小さな池を作っていた。
「おせーぞヒヨっ子ぉ、先輩を待たせるとは何事だぁ~?」
「おはようございます……で、早朝から一体何の用なんです?」
まだ朝日が昇ってそんなに時間は立っていない。夜の間に冷えた空気が日陰に色濃く残っている。
そして先輩は……昨日飲んだお酒が残っているようでフラフラしている。結構離れているのに酒臭い。
「今日からお前にまほーを教える。だから全力でとりくむよーに!」
「…………は? え?」
まほ? まほう? 魔法?
「えええ、なんですか急に!! 今まで魔法関連の説明は一切拒否してたのに?!」
休日至上主義を掲げる先輩は、休憩時間や勤務時間外の『オフモード』に入ると仕事の話は一切返してくれない。そんな先輩が休日にこんなことを始めるなんて、もしかして昨日の酒が回りに回って発熱でもしてるんじゃなかろうか。
「大声出すな……響くんだよ……」
「もしかしなくてもまだ酔ってるんです?」
だからこんなことを言い出したのかもしれない。
もっと後にならないと教えてもらえない、ギルド長から伝授されるようなものだと勝手に思っていたのだけど。
「お前の体とマナが馴染んできたからな。今のうちに使えるようになっとかねーと、後々習得に苦労することになるから。こういうのは早いほうがいい」
そう言って先輩はどかりと芝生に腰を下ろす。
「よし、じゃあ順番に教えてくぞ。前に『なんでギルドで治癒魔法をほとんど使わないか』って聞いてきたことがあったな」
覚えていてくれたのか。
ギルドに入って最初に出た疑問はそこだった。
回復魔法を専門としているはずなのに、ギルド内ではあまり魔法を使っているところを見たことがない。使っていたとしても初歩の初歩らしい治癒魔法で、怪我の治療などにも積極的に魔法を使用しているところは見たことがなかった。
「抗体って知ってるか? 魔法ってのは薬と一緒でな。長期間日常的に魔法を受け続けちまうと効き目が弱くなってくるんだ。だから緊急を要する場合以外は回復魔法は控えてんのさ」
なるほど。だから普通の薬を使うことが多いのか。
「……治癒魔法を頻繁に浴び続けると、肉体が非常に弱くなる。魔法に依存しちまうと、本来持ってる自然治癒能力が落ちちまって、より魔法に依存する生活になっちまうんだ」
そうなると、あとは弱ってサヨナラ。
背筋がぞわりとして唾を飲み込んだ。
「まぁ普通に生活してできた傷治す程度だったら、問題ないんだけどよ。稀にいるんだ。依存症というか中毒みたいになっちまうやつが」
魔法に依存して死んでしまうなんて、なんだか怖い話だ。
「そんな話を聞いた後だと、ちゃんとできるかものすごく不安になるんですけど……」
「大丈夫~おまえは俺がちゃんと見ててやっから」
二日酔い真っ只中の青い顔で言われても、説得力はない。
「これから教えるのは初歩中の初歩だが……これを覚えればギルドの仕事がもう少し任せられるようになる!」
「は……、はい!」
ギルドでの手伝えることが増えるのなら、こんなに嬉しいことはない。
ドキドキしながら先輩の言葉を待つ。
「まずお前がマスターするのは――マッサージだ!」
「……………………は?」
数秒前の胸の高鳴りを返せと言いたい。
早朝のさわやかな鳥の鳴き声が響く中、ぼくのこころは早くも黒くなりつつある。