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第1話 まっさらなせかい


 どれだけ走ったか、わからない。

 短い間隔で吐き出される息は白く、身体は熱さを感じない。繋いだ手のひらだけがお互いの熱を感じさせている。

 まだ冷たい雨が街全体をぐっしょりと濡らし、叩きつけるような雨は足音を隠してくれている。


 ――たか

 ――のほうは――――わん――


 雨の音に混じって時折聞こえる大きな水音に、見つからないよう身を潜めてやりすごす。

 いつまでも続けていられない。そんなことはわかっている。


「――さん、」


 震える小さな手。か細い声で口にする言葉に首を振って、手をぎゅっと握りしめる。


「だいじょうぶ。ぼくがまもる。ぼくが、まもるから」


 自分に言い聞かせるように何度も呟く。

 わかってる。自分にできることは限られている。せめて、せめてあと少しだけ――!



 何度も躓きそうになりながら石畳を駆け抜ける。

 林を抜け、森を抜け、何とかここまでたどり着いた。

 この山を越えれば、あと少し。それなのに。


「――さん!」


 閃光。

 バランスを崩す身体。いや、地面自体が滑り落ちている。

 遅れてやってくる劈くような轟音に、悲痛な叫びはかき消された。




 ごめん。ごめんよ。また、きみをひとりにしてしまう。

 一緒にいるって約束したのに、ここまで来たのに、この手を離したくなかったのに。




 ――ぼくを、ゆるして




 視界がブツン、と音を立てて途切れる感覚。

 嫌な感覚にハッと息を吸い込み、大きく目を見開く。

 ドクドクと恐ろしいほど早く脈打つ心臓に、目をぱちぱちさせて辺りをうかがう。


「ゆめ……」


 サワサワと葉っぱが揺れる音。少し湿った土の匂い。頬にあたる少し生ぬるい風。木々の隙間から漏れる光が、閉じていた目には眩しく映る。


「あれ?」


 ぼんやりと空へ向かって伸ばした自分の手は、こんなに小さかっただろうか? もっと大きかったような気がしていたのだが、見ていた夢の中のように小さく感じる手のひらに違和感を覚える。


「いっ……!」


 と同時に、感覚の戻ってきた身体のあちこちから訴えがあがる。

 ビキビキと締めつけられるような痛みに、身をよじることさえ難しい。

 夢から覚めたばかりだというのに、痛みに視界は黒く染まる。


 これもまた夢だったりするのかな。

 夢の中で夢を見るのは疲れている証拠、と誰かが言っていた気がする。

 誰に聞いたのかまでは思い出せそうになかった。




◇◆◇◆◇




 深い緑の香りがした。

 ふと、意識がふんわりと戻ってきた。ぼくは眠りから目が覚めるこの瞬間はなんとも言いがたく好きだ。ゆったりと浮上するような感覚。投げ出された手足に感じるさらりとした布の感触が心地いい。

 深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。重いまぶたを開けると、きれいな木目の天井を柔らかな光が温かく照らしている。窓の外に池でもあるのかきらきらと波紋が反射しているのを見て、小さく感嘆の声がもれる。


「お、ようやく目が覚めましたか、眠り姫?」


 ひとがいたのかとドキリとして声のするほうに恐るおそる目を向けると、革張りのシックなソファに身体を投げ出し、テーブルに両足をどっかりと乗せた軽薄そうな男がいた。

 読んでいた雑誌を乱雑に投げ捨てると、こちらへ向かって面倒くさそうに歩いてくる。

 ベッドにどかりと腰を下ろした衝撃で、ぼくの身体にビリビリと痛みが走る。


「あぁ、そういや怪我してたんだっけか。悪ィ悪ィ。ぶつかったか?」


 痛みに声を上げたぼくに謝るが、ベッドから腰を上げるつもりはなさそうだ。振動がちょっとつらい。


「ふぅん……ま、大丈夫そうだ。もう2、3日ゆっくり休めばよさそうってとこだな~?」


 軽い口調と声音で告げる男。眼鏡の奥のツリ目はちょっとキツめの印象だけど、嘘を言ってるような感じはしない。


「えっと……ぼくは、どうしたんでしょうか……?」

「さぁな。俺だって知りたいよ。何であんな山ん中でズタボロになってたのか。おかげでこっちはクタクタだ」

「助けていただいたんですね……ありがとうございます」


 じろじろと無遠慮な視線で射抜かれて、口を閉じる。無言な空間がしばし続きちょっぴり居心地の悪さを感じる。耳の奥できーんと鳴った。


「あの、聞きたいことがあるんですが」


 沈黙に耐えられなくてぼくは口を開く。聞きたいことはいっぱいあるのだ。

 ここはどこなのか。今はいつなのか。

 ×××は、どうなったのか。


「あれ……?」

「なんだ?」

「えっと……なにか大事なこと、だったと思うんですけど、思い出せなくて……すみません。うまくいえなくて」


 はっきりしねぇな、と男は面倒そうに眉をひそめる。

 『×××』ってなんだ? ぼくは何をしていたんだろうか。というよりも――


「で、おまえはなんてーの?」

「え?」

「名前、なんつうの?」

「ぼく、は…………」


 告げようとして脳内の引き出しを片っ端から開いてみたのに、まったくその痕跡が見当たらない。眩しい真っ白な光に阻害されて、見えなくなっている。そんな感じだ。


「ぼくは、誰、なんでしょうか……?」

「んぁ?」


 残念なことに、ぼくは『ぼく』を形作っている要素、その何もかもを思い出すことができずにいた。

 自分でもこれは大変な事態だと理解はしているのにそこまでショックを受けなかったのは、目の前の男が「なんつー面倒な!」と頭を抱えて天を仰ぎ文句を叫んでいたせいかもしれない。



 ひとしきり罵詈雑言を天に叫んだあと、男は深く溜息をついてこちらをじろりと見つめてきた。その目にはぼくに対しての怒りや哀れみというよりも、自身に降りかかる面倒ごとを予感しての悲しみを湛えているようにも見える。


「なぁ、冗談とかじゃねーの? もいっかいそのちっこい脳内洗い出してみてくれる?」


 こっちを指差しながら失礼極まりないことを平然と言ってのける。

 何回思い出そうとしたところで結果は特に変わりなし。


「嘘だよね、嘘だと言ってよ! ほら言えよ!」

「ちょ……痛……苦し……っ!」


 怪我人だというのにお構いなく胸倉を掴んで思いっきり揺さぶられる。痛みと気持ち悪さで天井がぐるぐる廻り始めたころ、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「ちょっと! さっきからうるっさいんだけど?!」


 木製の扉は反対側の壁にぶつかり重厚な音を響かせ、蝶番が悲しげな音を立てた。

 怒りを表しているようにも見える燃えるように真っ赤な髪と瞳で鋭く睨まれ、そろって竦み上がる。


「あ、あ、あ、あの。怒らないで聞いてほしいんだけど」


 しどろもどろに言葉を告げる男にツカツカと歩み寄り、思いっきり胸倉を掴んで顔を引き寄せる。白衣をまとった怒れる美人は女性にしては身長が高く、さらにヒールを履いているせいで拳ひとつ分は男より高い位置に見える。上からの威嚇は効果抜群のようだ。


「ご・め・ん・な・さ・い、は?」

「…………ごめんなさい」

「よろしい」


 謝罪の言葉を聞くとにこりと微笑み、男を掴んでいた手をぱっと離す。

 掴みどころのなさそうにみえた男の弱点は、驚くほど簡単に判明した。


「そっちのボーヤ、具合はどう?」

「え、あ、はい! 大丈夫……です、たぶん」

「ふんふん、だいぶ回復してきたみたいね。まぁ、私が作った薬も使ったんだから当然っちゃ当然だけど」


 いくつか問診され、取り出したカルテに書き込んでいく様子をぼくはぼんやりと眺める。


「うん。そんだけ喋る元気があるなら大丈夫。動けるようなら一度顔出しに行ったほうがいいわね」


 連れ出された先は、この建物からそう離れていなかった。

 白を基調とした建物に十字マークの看板が掲げられている。風に乗って薬草か何かの匂いがした。


 そこにいたのは綺麗な女の人だった。

 肩にかかるかどうかのアイスブルーの髪はさらりと音がしそうなほど艶やかで、エメラルドグリーンの瞳は見惚れてしまうほど深く輝いていた。


「そう……あなたが」


 透明感のある声だった。儚く消えてしまうんじゃないかと思ってしまうほど、透き通った声。

 司祭のような白のローブが神聖さを際立たせていた。


「大体の話は二人から聞いています」


 聞くと、ぼくはこのギルドのメンバーであるあの眼鏡の男性――クライヴさんに偶然助けられて一命を取り留めたということだった。


「あちこちやばかったからな。久々に魔法連発したから俺ってばあちこち筋肉痛ぅ~」

「それ魔法関係ないわよね?」


 聞きなれない単語にぼくは首を傾げる。


「ここでは魔法って不思議な力が使えるのよ。まぁ全員じゃないけど」

「で、俺たちはそのスペシャリストってわけだ。ただし、回復特化のな」

「そしてここは回復魔法専門職が集まるヒーラーたちのギルドってわけ! まぁほぼ病院みたいなもんだけど」


 二人がテンポよく教えてくれるけど、ぼくは未だによく状況が飲み込めていない。

 すっと青髪の女性が僕の腕に手を当てる。するとあたたかい光がぼくの腕を包み込んだ。


「――少しは痛みが引いたかしら?」


 光がすっと消える。さっきまで動かすことを躊躇していた手首から痛みが引いていく。ずっとベールがかかったようにぼんやりとしていたような頭も少しずつはっきりとしてきた。


「……肉体の傷は治せたとしても、私たちにはあなたが失くした記憶まで取り戻すことはできない。魔法もそこまで万能ではないから」


「いえ、助けてくださってありがとうございます」


 怪我が治ったところでぼくがいま置かれている状況は大して変わらないのだ。

 ここがどこかも分からない。自分の名前も分からない。何をしようとしていたのか。

 そして、これからどうするべきなのかも。


「とりあえず君の今の状態を考えても、しばらくはうちのギルドにいたほうがいいわね」

「でも、みなさんのご迷惑に……」

「迷惑とか言ってる場合じゃねーだろ。お前、自分が誰かもちゃんと分かってねーだろうが。金も仕事もない状態でどうするつもりだよ」


 返す言葉もなかった。

 どうしようもなくてうつむきかけた頭を、クライヴさんがぐしゃぐしゃに撫で回す。


「しばらくはウチで面倒みてやるっつってんだ。ガキは大人しく甘えとけ。そんで礼は身体か金品で返せ」


 サイテーと赤髪の彼女が虫を見るような目で呟く。確かに最後で台無しだ。

 でもそんな言葉に緊張がとけてつい笑みがこぼれた。

 ちらりと周りを見回せば、みんな優しそうな顔でぼくをみていた。

 青い髪をさらりと揺らして、彼女はぼくに歩み寄る。


「ヒーラーズギルドへようこそ」


 白く柔らかな手をそっと握り返す。

 治癒魔法の光のように、あたたかい言葉だった。




 ――――――

 ――――



「よし!」



 バシャリと顔を洗って気を引き締める。

 何度見ても、鏡に映るぼくは自分が思っていたよりも身長も低いし童顔だ。

 薄茶のクセ毛に茶色の瞳。少し大きい目に全体的に丸みを帯びた顔は、より幼さが際立ってちょっと不満だ。

 けれど、これがいまのぼくのすべてだ。

 まっさらなぼくの新しい第一歩。

 真新しい真っ白なローブに袖を通して、今日も歩き出す。

 ヒーラーズギルドは今日も大忙しだ。




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