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旅するサカナ

 パタン。


 サカナは本を閉じる。


 猛烈なスピードでカバンをあけると、そこに机のなかの教科書をザラザラ押しながす。もちろん文庫本も。

 イスから立ち上がる。

 と、赤いカバンを背負い、猛ダッシュ。風となって席から離れた。この突発的な行動に、ぼくは面食らってしまう。


「あ、あの、」


 必死になって息を吸い、声をかけていた。思わず立ち上がってもいる。よっぽどびっくりしたんだろうね。声も裏がえっているし。


「な、なに?」


 急ブレーキをかけ、ふりかえるサカナ。いぶかしげにひそめられるミドリの瞳。


「あ、あの」


 なんで帰ろうとするのさ、という言葉がでてこない。

 しどろもどろになってしまう。泡を食っているとサカナがつかつかとこちらに歩み寄ってきた。そして。


「ありがとう」


 え、なに? どういうこと? わからないんだけど。

 なんで、お礼をいうのさ。

 でも、ぼくはそれ以上、何もいえなかった。


「う、うん」


「でね、お願いがあるんだけど」


「え、なに?」


「伊藤咲花菜はいまから早退するから。先生に伝えといて」


「え、そ、そうなんだ。……で、理由は?」


「きみがいったじゃない。サカナが海にも菜の花畑にいるって。それをたしかめる旅にでるのよ。生まれてからずっと謎だった。わたしは自分の名前の本当のこと、知りたいの。なんでわたしはサカナなのか。じゃあね!」


 バイバイ。サカナは手をふった。


 教室から出てゆくサカナの背中を見送る。近くの女子が「どしたの?」と眼できいてきた。首をふった。ぼくにこたえられるわけがない。

 そしてぼくは笑っていた。どうしてかっていうとサカナが笑っていたからだ。


 サカナが笑う?


 そう、あのツンケンしていたサカナが笑っていたんだ。つられてぼくも笑っていた。

 それにしたって。

 ぼくは笑いながらボンヤリとしていた。

 せ、先生にどう早退の理由をつたえたらいいのか、困惑しながら……。

 それでもサカナの早退の理由をオロオロしながら先生につたえた。

 中学生の女の子みたいな先生は、――じゃ、あとで先生から伊藤さんのお家に電話しときますね、とやわらかく笑うばかりだった。




 その夜はもちろん眠れない。


 ベッドで苦しげに寝がえりをうっていると、ノノがせつなげに、くうんくうんと鼻を鳴らす。ノノっていうのは、ぼくんちの犬だ。犬小屋は庭にあるっていうのに、ぼくの気持ちが手にとるようにわかるらしい。くうんくうん、慰めてくれる。なかなか寝つけなかったんだけど、ノノの声のあったかな毛布にくるまれながら、ぼくはいつしか安心してスヤスヤ眠りについた。


 あくる朝のこと。予鈴のオルゴールがスピーカーから流れ、ホームルームの時間がはじまった。中学生の女の子みたいな担任の先生はいった。


「伊藤さんは一週間、休むそうです」


「えーっ。どうしちゃっつたんですかぁ」


 生徒から声がとぶ。先生はわずかに首をかしげてみせた。しずかにふくみ笑いをしている。あたたかい微笑みだった。きっとクラスのなかにはサカナのこと、心配してる女の子もいると思うんだ。先生の笑顔は、みんなの不安を取りのぞく甘いシロップのお薬みたいな効果があった。ほっと安心した子は、たがいに顔を見合わせると、くすくす笑いあった。教室じゅうに笑いの花がこぼれる。よかったね。たいしたことがなさそうで。


「お父さんといっしょに旅をするって聞いています。先生もくわしいことは知りません」


 というと先生は、まるで中学生の女の子がそうするみたいに肩をすくめてみせた。

 大人なのにとってもかわいらしかった。そして先生はぼくにむかってウインクしてみせたから、ぼくはびっくりしてしまった。ふたつまえの席の田口さんが、お猿みたいに歯をむきだすと、「うぎー」とうなりながらものすごい形相でぼくをにらみつけてきた。先生のこと好きなんだね、きっと。

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