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孤独な悪魔の葬歌  作者: なつき
9/13

episode 05 真暗と精霊


 黙々と、子どもの小さな手を握りしめて歩く。夜陰に支配された森は、不思議と淡い光に溢れていた。

 ふわふわと漂う『精霊』や、不気味に明滅を繰り返す『真暗』、苔や花が淡く輝く。特に花は、僅かな月光を求めて白い花びらを開かせた。星のような輝きも群れとなって時折頭上を通りすぎた。

「あの上の方を流れていく細かな光は、その白い花の種子だ。赤い月の夜にだけ花を咲かせて種を飛ばす」

 それを追って『精霊』の巨大なものが現れ、大きく口を開く。布地を広げたような口が、豪快に星を呑み込んだ。勢い込んでこちらへ接近するそれを、ファジルは面倒くさげに杖を掲げて追い払う。

 昼間とはまったく違う顔で、森はスニルを出迎えた。いや、こちらが本来の顔なのか。うずうずしているスニルを制御するようにファジルが杖を回した。

「意外に怖がらないのだな。外界の民(ダウェド)はこの光景を目にすると、恐れると聞いたが」

 スニルはファジルの呟きに微笑だけで応じる。

(ファジルがいるから怖くないんだよ)

 この小さな子どもが、手を握り締めて道を先導してくれる。淡々と説明してくれる。ゆえに好奇心むき出しで、周囲をのんきに観察できるのだ。許されるなら奇声をあげていただろう。好奇心の赴くまま、初めて知った世界を堪能すべく走り回っただろう。

 一人きりで迷い込んでいたなら、森の変化は異質で恐ろしい。逃げ帰ることもできずにうずくまって、朝の訪れをひたすら待っていたに違いない。いいや、それさえできなかっただろう。『真暗』や『精霊』に襲われ、自分をなくしていたやも。

「――気づいているな」

 頷いたスニルの耳が音を拾う。真暗が、二人の後を追ってきていた。はじめは大勢いたが、今では一体になった。それがずっと付いてくる。土の踏む音は他の雑音に紛れながら、なぜかよく耳に響いた。ここにいる、ここにいるぞ、とスニルを威圧する。

(もうかなり歩いたはずなのに)

 真暗の出現後も結構な距離を進んだ。呼吸の音も控えるためにスローペースではあるが。

 ふっとスニルは笑みをこぼした。先を急ぐファジルがゆっくり進むのは、スニルを慮ってくれた結果だ。痛む足を堪えていたのが発覚したとき、ファジルは激昂したのだった。

『なんだこの足は! こんな状況で無理を強いるなど、愚かにも程があるぞ』

 足の裏はいくつもの水ぶくれが潰れ、くるぶしがわからないほど足首が腫れていたのだ。

 ぶつぶつ言いながら緑のどろりとした痛み止めを塗りたくり、布を巻いて手当してくれた。その様子が出会ったばかりのフィルルセナと重なり、スニルは懐かしさを覚えたものだ。

 もう少しぐらい早く歩いていいと合図したが、ファジルは「ダメだ」と頭を振った。

「手当したが、その足はちっとも良くなっていない。これ以上急いて悪化しては本末転倒だろう。それと、……気になるだろうが、真暗へあまり目をやるな」

 ――やはり彼らはやさしい。親身に接してくれる彼らが、異民族だからと迫害される理由が、スニルにはわからない。崇める神の違うことが、それほどの罪なのか。フィルルセナが暮らしていた集落跡を思い出し、罪悪感に心が蝕まれそうだ。

 森の深部へと一歩一歩近づく。そのたび感覚が研ぎ澄まされる。身に馴れない空気が神経に障る。『精霊』や『真暗』の気配をざわざわと肌が感じる。

(異様な空間の力が大きくなっているのかも)

 鈍感なスニルにも感じ取れるほどに。

 巨大すぎる木々の間を進むうち、今が現か幻かわからなくなってくる。精霊たちの光はあぶくのようだ。空いっぱいに広げられる木々の枝は、揺れる水面。その隙間を縫うように落ちてくる月光は、藻のようにたゆたうのだ。

 青い、青い世界。

 この目で見て、己の足で進んでいるはずなのに、浮遊感が拭えない。暗い水底へと落ちていくかの不安感が、胸の内側に澱んでいく。繋いだ手の感触だけがスニルを繋ぎ止めている。

 息苦しい。

 美しい光景に見とれる反面、この世のものではないのだと強い反発心が鎌首をもたげる。ここへいてはいけない。早く、立ち去らねばならない。早く、早く、早く、息のできる場所へ――

「あれだ」

 暗がりが不意に途切れた。雲が流れたのか白々とした光が降り注ぐ。月光だ。

(なに、あの月)

 稜線を描く丘の上に、ぞっとするほどの赤い月が二人を見下ろしていた。大きな満月の光は足下に濃い影を落とす。

「まだ止まるな。その位置じゃ喰われる」

 繋いだ手を離され、スニルは慌てて小柄な影を追った。平原一面に、先ほどの白い花で埋め尽くされている。風が吹くたび、ファジルが「種子」だと呼んだ光が、流れていく。

 その中を黒い布をはためかせながら子どもは進んだ。森の中とは違った幻想がそこにも広がっている。なんて美しいのだろう。

 ふと振り返ると森は、真っ黒な口を静かに開けていた。先ほど抜けてきたばかりだが唐突に恐ろしくなり、身震いする。それだけ森は異質だったのだ。

(大丈夫。ここは森の外なんだから)

 強い風に吹かれ、スニルは髪を押さえた。舞い上がった白い花びらが視界を惑わす。夢から覚めたような感覚に大きく息をつく。

 ファジルを追いかけると、白い花畑からひょっこり頭を出すように石像が並んでいた。丸い石のようだが、中央をくり抜かれてあった。森のほうから続き緩やかな丘を登っている。石像は道を示すように、等間隔で二列設置されていた。それらの合間にはガタのきた石畳みがある。

「そっちじゃない、こっちだ」

 草原の向こう側で真っ黒な布がはためいた。杖をぶんぶんと振り回す場所に、何かの模様がでかでかと描かれている。ファジルは、図を消さずに陣に入れとスニルへ命じた。

「あの道は魂が辿るものだ。向こうに寺院が見えるな」

 石像が続く先は、半ば崩壊した建物があった。天井が瓦解した様は、巨人が誤って手をぶつけたかのようだ。黒ずんで蔦が這い回り、古色がいっそう厳かな雰囲気を生み出している。

(高い……。それに変わった形。異様に大きな扉がある)

 建物の高さは巨木を優に凌いだ。石を削って造られた大きな柱が、欠けた天井から見える。空を突き刺すように尖った屋根はいびつで、背筋が寒くなった。近づいてはならないという警告が、早鐘のように脳裏で響いた。見てはならないものを見ている。そんな確信に肌が粟立つ。感覚が千々に張り詰めていく。

 大きな月と森を背景にそそり立つそれは、まるで遺跡だ。

「お前はこれ以上近づくなよ。呑まれたら戻れなくなる」

 杖で行く手を塞がれ、ハッとスニルは我に返った。釘づけになった視線を無理矢理戻され、自分が円の中から出かけていたのを知る。

(だけど、あそこに向かっていたんじゃ)

 スニルの表情を読み取り、子どもは小さく笑った。

「言ったはずだ。お前が望む限り相手のほうが会いにくると。じっとしていろ。引きずられるな。陣の中から絶対出るな。これから行う儀式に巻きこまれたくなくば」

 そこへ、崩れた寺院から小さな光が飛んできて、ファジルにまとわりついた。精霊かと目をこらしたが、違う。よく見ると小さな人の形をしている。ぷくーっと頬を膨らませた女の子だ。黄金色の髪と瞳をしている。

(もしかして、森の精?)

 ナナカマドを植え森を守護する存在が、この手のひらほどの存在なのだろうか。眠れる悪魔を呼び覚ます森の化身――

「遅いよファジル! 何やってたのよ。月があんな位置にきちゃってるのにそんなよそ者連れてきちゃって、ダメじゃない! 何やってるの」

 スニルを指さしてそれは仰天し「追い出してくるって約束したでしょう」とひゅんひゅん飛び回った。

「陣にいれば気を揉む必要はなかろう。それにこの者は部族の加護を得ている。会いたいと望む以上、無下にはできまい」

「ファジル!」と目くじらを立てる『森の精』を無視し、ファジルはフードを外した。なびく群青の髪は夜のような色をしていた。鮮やかな青の瞳は強い意志を宿している。柔らかそうな右頬には見慣れない文様。だが、それ以上にスニルの目を引いたのは。

(角……?)

 柔らかな髪の間に硬い角があった。まだ小さく目立たないが、羊のそれのように弧を描いている。

 森の奥には悪魔がいる。

 そのフレーズが胸のうちに蘇り、スニルはぎくりとした。では、目の前の小さな子が、その悪魔なのか。冗談のように語られてきた昔話に登場する、人々に不幸を招くという……?

「エコー、杖を変える」

 納得いかないと全身で主張する妖精は、それでも手をかざした。一部の空間がぐにゃりと歪み、ファジルが杖ごとそこへ手を突っこんだ。波紋を描いて少年は腕を引き抜く。現れたのは先ほどと似た杖だ。ただし、先端に金属の輪がいくつも束ねたものがあった。軽く振ると、しゃん、しゃりん、と高い音がする。

 驚きを隠せないスニルへ、少年は小さく笑いかけた。スニルの反応を当然だと受け入れる表情は、フィルルセナが浮かべるそれと似ている。

「もう喋っていいぞ」

 声を出そうとして、唇が乾燥していることに気づいた。緊張に喉がひりつく。

「あ、あなたたち……何なの? あ、あ、……悪魔?」

 角があるだけで異常だが、魔法めいたものまで披露されては尋常な事態ではなかった。しかしファジルは微笑んだだけだ。

「私はセナを知っているぞ。会ったこともある。あれは良い森の人(オラティア)だった」

「セナって……」

 思わずスニルは少年の肩をがっしりつかんだ。怯えてなどいられなかった。

「フィルルセナのこと? どこで、いつ? ねぇ、彼は今どこにいるの」

 後ろで「ファジルに何するのよ!」という甲高い声がしたが、構うものか。そのためにここまで来たのだ。そのためだけに禁忌を犯したのだ。

 少年も一瞥で『森の精』を黙らせた。鮮やかな青い瞳でまっすぐスニルを見つめ「ここで待つといい」と伝える。

「セナはしばらく前に、森の人(オラティア)へ引き入れたい者がいると私に告げた。会いにきたのだ、こんな森の深部まで、わざわざお前のためだけにな。だから私は、縁のあるお前の望みを叶えたい」



 †


「ねぇ、本気で言ってるのファジル」

「セナが呼んでいる。あの娘は奴に招かれたのだ。これに参加する資格もあろう」

「……そういう意味じゃ、ないんだけどさ」

 光をまとった『森の精』ことエコーは、腰砕けにしゃがみこんだスニルを盗み見た。幼い少女のように自分の髪留めを握りしめ、呆けている。もたらされた情報を喜んでいるようにも、突然の希望に戸惑っているようにも感じられる。実感がわかないのだろう。

「あなたのやさしさって、時々ひどく残酷だわ」

 ため息混じりに妖精は苦笑する。そこが好きなところだけどね、とエコーはファジルの肩に止まり、きょとんとした少年の頭を撫でた。


 †




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