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孤独な悪魔の葬歌  作者: なつき
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episode 04 秘密と変貌


 ひょこひょこと進む小さな後ろ姿を、スニルは追いかける。夜の近づく暗がりで真っ黒な布は見失いそうだが、意外に苦ではなかった。サグムを縁取る文様が光り輝くせいだ。何を紡いだ糸なのか。黄色の蛍光色は暗がりでふわふわと揺れている。

「急げよ、じきに森が目を覚ます。そうなると真暗で溢れるからな」

 ファジルは時折立ち止まって、息を切らせるスニルを急かした。楽しそうに身を翻す様は、森に潜む妖精のようだ。フードの下から見た顔は、確かに人だったのに。

(あれ? でもどんな顔だっただろう)

 刺青の印象が強くて思い出せなかった。そういえば少年だったろうか、少女だっただろうか。

 スニルは必死になって、巨木の間を通りすぎる影を追いかけた。びっしりと広がった苔のせいで足音もろくにしない。見上げるほど大きな倒木も楽々飛び越えていく。人間とは思えない跳躍力である。

「ま、待って! もうちょっと、ゆっくり」

「待てるはずなかろう、夜が来る。今宵は儀式があるのだ。早々に戻らねばエコーに叱られてしまう」

「エコー? エコーってだれ? 儀式って?」

「私の……なんだ、保護者? 姉か? よくわからんが家族でな、怒らせると口うるさくて敵わん。儀式は今宵行われるが、知らなかったのか」

 倒木を不格好によじ登ると、ファジルが面白そうにスニルを見ていた。飛び越えれば楽なのにと興味津々、頬杖ついている。

(あんな動き、できるわけないでしょ)

 土塊(つちくれ)を払い、全身でスニルは呼吸を繰り返した。持ってきた皮の水筒から、水を喉へ流しこむ。予想以上に行軍がきつくてしんどい。休みを入れて欲しい。

(この子、普通なら迂回するとこを平然と越えちゃうし)

 今よじ登った苔むした倒木は、スニル二人分の大きさがあった。凸凹した面に足をかけ、何とか乗り越えられたのだが、この先何本が行く手を阻んでいるのだろう。暗がりで先を見通せないことも辛い。

(それにしても)

 スニルはあたりの木々を見渡してみた。一体どれだけ長い時間を生きてきたのだろうか。可能なら、樹齢を確かめたかった。きっと千年、二千年、それ以上の時を刻んでいるに違いなかった。

(こんな森があったなんて)

 森へ足を踏み入れた直後とは比べ物にならないほどの、畏怖を感じている。圧倒される。三本王の木も、成長していたら数百年後にはこれほどの巨木になっていたのだろうか。自分がひどくちっぽけな存在に思えてくる。

(フィーたちはここを守っているんだ)

 ニヴルガル……いや、森の人たちはこの太古の森の守護者なのか。

 不意にスニルの眼前で何かが揺れた。ファジルが杖を振り、早く来いと急かしているのだ。

「ねぇ、もっと簡単に進める道は、ないの?」

「あるにはあるが、時間がないと言ったろう。これでもお前に合わせてゆっくり進んでいる。それにしても、外界の(ダウェド)なのによくついてくるな。見所があるぞ」

「ついて行けば、フィーに会わせてくれるって言ったもの。それにしても何なの、その身軽さ! 信じられない」

 話すにも息が切れて、スニルは水をさらに飲んだ。ニヴルガルとはこれほど体力に――身体能力に――差があるものなのだろうか。汗で服が肌に張り付いて気持ち悪かった。体中の細かな傷もヒリヒリ痛みを訴えてくる。

 ふふん、と黒い布(サグム)が揺れた。自慢げに胸をそらしたのかもしれない。

「私たちには森の加護があるからな。他の森の人も、ここでは同様だ。我らはこの場所でこそ本領を発揮する」

 話す声が楽しげに弾んでいた。森の人と名乗る彼らは、森の中では異様に身が軽いようだ。背丈の倍以上も飛び跳ね、枝から枝へ渡ることも難しくない。

「それと間違えるなよ。お前が望むなら会えるだろうと言ったんだ。……あと、もっと小声で話せ。善くないものも呼び寄せている」

 は、と瞬いたスニルの前で、ファジルは長い杖を振った。その一瞬、不思議な光り輝くものがふよふよと目の前を通りすぎる。多くは手のひらほど大きさだ。明滅を繰り返し、形を変え、二人の周辺を漂っている。よく見ると細い触手を生やしていた。

「……何なの、これ」

「お前に惹かれて集まって来たのだ。悪さもできん奴らだが、たまーにでかいのもいてな、こちらの生気を吸い取ろうとする。気をつけろよ」

 すうっと寄ってきた『でかいの』を杖で子どもが追い払う。スニルにまとわりつこうとしたそれは、ぼわんと弾かれて木の幹に激突し、再びふわふわと漂っている。

 杖で大きく円を結んだ範囲だけ、そんな半透明な物体が見えた。まるで世界の裏側を切り取ったようだ。景色までが微妙に違う。

 青い。

 水の中のような風景がそこにあった。別の世界が重なっているようだ。

「うそ……! 何これ。どうなってるの?」

「精霊、と便宜上呼んでいる」

 呆けて立ち尽くすスニルは、恐る恐るぼんやり明滅を繰り返すものに触れた。感触は得られず、すうっと指は素通りする。

「精霊ってこんな形しているの? どうしてこんなものが見えるの? 今までどこにいたの?」

 スニルが喜色を浮かべる傍らで、ため息がした。

「……お前、何も知らずにここへ来たな」

「この森が特別な森だってことはわかってるよ。立ち入りを禁じられた恐ろしい森で、ここでは生命を奪ってはならないの。破ると森に喰われるって伝承なら誰でも知ってる」

 どんなときも、飢餓の年が訪れても、森へは立ち入ってはならない。森のものを口に含んではならない。狩ってはならない。

 これを破る咎人に罰を。森の呪いを。森の悪魔の覚醒を――

「具体的には調べられなかったけど」

 こういった伝承は、おとぎ話や迷信だと締め括られることが多かった。広大な土地は豊かで、人間を丸ごと抱えてくれてあまりある。よりよい土地を巡って過去には争いもあったというが、現在はその必要さえない。

 森へ関心を寄せるまでもないのだ。

 街道は整備され、行商人たちは回ってくる。納税は軽く、街や市場での売買も自由に行えた。貯蓄ができるため、村々は年を経るごとに豊かになった。家屋や家具を作るために木々を伐採することはあっても、必要以上に森を開拓することもない。伐採を行った場所に木々の苗を植えることもある。

 森に潜む危険な獣に襲われないよう、村を柵で囲い注意するだけで良いのだ。迷信はそのためのエッセンスだ。近頃は正教会の力もあり『森の呪い』は口にするのも憚られる始末である。

(その程度のことなんだって、だれも気にしない。本当の森の意味なんて考えないんだ。あれだけ書物を調べても、おばあちゃんから教わった口伝の方がよっぽど具体的だったもの)

 フィルルセナたちのことが知りたくて、街の図書館に足繁く通っては調べていた。遠い村へも足を伸ばし、古い伝承を集めようとした。しかし、その成果は全くと言っていいほど出なかった。

(どうして、私たちは自分たちの土地に無関心なんだろうってずっと不思議だった)

 フィルルセナたちのほうがよほど土地に詳しいのだ。

 不意にファジルが杖を振り回す。先ほどの大物とよく似たものが群れになって二人を――スニルを――覆おうとしていた。無数の透明な触手が迫り、ひっとファジルの陰に隠れる。

「騒ぐな。お前の生気につられただけだ。それと……私は呆れているぞ。お前が無知で、無謀で、無鉄砲な命知らずだとな」

「え? えへへへ?」

 褒められちゃった? とスニルが笑うと冷たい視線が刺さる。

「――真暗(まくら)が現れたぞ」

 指し示された場所から、すうっと何かが生えた。大樹の幹から、苔むした地面から、蔦の這った岩から、音もなく顔を覗かせた。

 そこらを漂う『精霊』とは違う。影のようなものが人の形を持って歩いている。大きいもの、小さいもの、痩せたもの、太ったもの、男、女……それぞれ個性があった。真っ黒なそれは『精霊』と同じく時折形が変わり、すうっと透明になった。

 ゆっくり近くの『真暗』と歩くもの。出っ張った木の根に腰掛け、何かの作業を繰り返すもの。家事のようなことを始めるもの。木の枝に座り足をぶらぶらとさせるもの。寝転がるもの。お喋りを楽しむように集まるもの。

 瞬く間に、視界いっぱいに真暗たちが現れていく。生活の音が聞こえてくる。そのさまは幻想的で、不気味で、気持ち悪い。不吉なものが胸をよぎる。

(真暗って、何。なんだか人間っぽい。……どう見ても違うのに)

「喋るなよ」

 ひんやりとした手がスニルの口を塞いだ。

「あれに捕らわれると、目を奪われて記憶を喰われる。森から出られなくなり、やがてあれの仲間になるのだ。森の人でさえこの時期こんな深部まで踏み入らない」

 森に喰われる迷信はここからきたのか。ファジルの言葉通りなら、森へ踏み入った人々は真暗に襲われて帰れなくなったことになる。

「これ以後、お前は口を利いてはならない。私の手を離してはならない。それとも迷信が本当かどうか、その身で試したいか」

 スニルが青ざめたのを確認し、子どもは大きく杖を振った。

「行くぞ」




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