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孤独な悪魔の葬歌  作者: なつき
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記憶:三年前

     記憶:三年前


 滑り落ちるように、秋は終わりを迎えつつあった。

 馬の世話を終えた十五歳のスニルは、ただいま、と玄関をくぐる前にふと足を止めた。裏手からくぐもった悲鳴がしたのだ。続く男たちの声に、石と漆喰で建てられた家屋を横切った。視界の隅に黒い布を捉え、息を呑む。

 一人のニヴルガルが、寄って集って暴行を受けていたのだ。しかもスニルと年ごろの変わらない子どもである。

「何してるの、やめなさいよ! この人が何かやったの!」

 悲鳴じみた声を出し、慌てて間に割って入った。いつもなら複数で行動するニヴルガルが、なぜか単独だったのだ。両手を広げて庇うと、舌打ちが聞こえた。

 ニヴルガルは、自分たちが火種になることを嫌ってひっそり暮らしている。穏やかな彼らが問題を起こすなんて、よほどの理由がない限り――

「どけよ」と聞き覚えのある声が降ってきた。スニルの兄だ。そこで気づいた。集まっていたのは彼の仲間ばかりだった。

「どけ、スニル。こいつに、もう村へ来るなって教えこんでるところだ。もう何度も忠告してやった。無視するこいつが悪い」

 兄の足がニヴルガルの腹を蹴った。悲痛なうめき声に、スニルのほうがびくりと身体を弾ませた。

「やめて! 無抵抗な人に乱暴して恥ずかしくないの!」

「人? こいつらは人なんかじゃない。煤の化け物(ニヴルガル)だ。これと親しくしてると、異教徒扱いされんだよ。異教徒は麦の取引さえ応じてもらえない」

 麦だけじゃない、と兄は声高に言った。羊毛やチーズなどの特産品も買い取ってもらえない。外貨を得られねば、生活用品や食料の調達も難しい。正教会におもねない農村は、納税額だって跳ね上がる。

 それを免れたくば、小さくとも村に教会を建設し、異教徒ではないと証明する必要があるのだ。

「そうすれば税は元の額に引き下げて、市場への参加資格も得られる。正教会へ多額の寄付と引き替えだがな」

 近頃は行商人も見かけなくなった。行政に割り込んだ教会が、街や港で通行料を倍額以上に釣り上げたためだ。国内の主な街道も正教会の通行許可証が必要になり、地方を巡っていた商隊の足は遠のくばかりだった。巡礼の旅人や、教会と取引のある商隊のみ通行許可証が融通されるのだ。

 情報も教会を通じてしか入ってこなくなった。一方的に通達される触れがどれほど理不尽であろうと、周辺の村々の団結を彼らが許さない。

 この国が豊かなのは、戦争をせず国力へと税を注いだ結果だった。地方を取り仕切る民会が、安定した物価と交易の自由を認めているからだ。

 街に出店すると税がかけられたが、定期的に街道沿いで開かれる市場や、個人的な取引は目をつむってもらえた。一定の取り決めさえ守っていれば、自由が得られたのに。

 急激な変化に辺境の村々は対応し切れていない。閉塞感や無用の苛立ちが、穏やかだった村を塗り替え始めていた。

「こいつらは教会を認めない。教会もこいつらを認めない。俺たちはこうするしか手がないって、お前でもわかるだろ」

「でも! 街でニヴルの細工物は高く売れていたじゃない。私たちは上手くやっていたのに」

「異教徒の印だと焼かれる前ならな……。いいか、こいつらは異教徒だ。俺たちは異教徒だと認定されるわけにはいかない。お前もつるんだりするなよ。そいつにも言っておけ。……次はない」

 妹を上から下まで眺めた兄は、すれ違いざま「また遠乗りか。それとも街へ出てたのか? 呑気なもんだ」と吐き捨てた。かっとスニルの頬に血が上る。

 同年代の少女たちは、スニルのように馬に乗らない。街へ出て勉強もしない。家畜の世話をし、作物を育て、家を手伝い、早ければもう結婚して子供もいたりする。だが、スニルの父は、好奇心旺盛な娘を街の学校へも通わせてやっている。

 どこかへ駆けて行ったら二三日戻ってこない娘である。街へやっている間は図書館に通いつめて大人しいため、父は安堵するのだ。また、物怖じしないスニルは教師にも覚えがよく、その教師たちは民会に顔が利く。スニルを通じて街の重要な情報が入ってくることもある。

 だが、スニルの兄にとっては遊んでいるようにしか見えないのだろう。兄の嫁は十四で嫁いできた。スニルも早くそうすべきだと思っているのだ。

 教育費の他、交通費や生活費など、金ばかり嵩むことはスニルだって理解している。肩身が狭いとも感じている。すべて末娘に甘い父のおかげだ。

(父様の本当の狙いは結婚相手探しなんだってわかってるけど)

(お兄ちゃんが面白くないのも、わかるけど)

 時々、ひどく悔しくなることがある。

(私が男だったら良かったのに。対等に言い返せたのに)

 男勝りだと言われていても、暴力で迫られたら敵わない。

 動かなくなったニヴルガルを何とか馬に乗せ、スニルはとぼとぼと運んだ。足が重い。半時ほど歩いた先にある集落の人たちに、どんな顔をして会えばいいか、わからない。

(もう村へ来ないでって言うべきなんだ)

 それは決別を意味する言葉だ。自然と涙で視界が滲んだ。

「……スニル、泣いてるのか」

 弱々しい呼びかけに少女はパッと顔をあげた。やはりフィルルセナだった。荷物のように運ばれる彼は、馬の振動にうめく。

「フィー、気がついた!? 大丈夫?」

 ほっそりとした白い手が、黒い布(サグム)の下から覗いた。何かを探すように空を切り、やがてスニルの腕に触れる。

「たぶん、打ち身と擦り傷だけだ。スニルの兄さんは手加減してくれた。……村の状況を察せなかったこっちの落ち度だから」

「……怒らないの?」

「怒ってどうするんだよ。仕返しでもするのか。だれに? 正教会って奴ら? それともスニルの村?」

 スニルはびくりと肩を弾ませる。ニヴルガルたちは、仲間が襲われると一丸になって報復を行うのだ。彼らに目をつけられた村は、原因不明の病に倒れ、作物は育たなくなる呪いを受けると言われている。

「はは。安心しろよ。下手に動くと、他の仲間たちに被害が及ぶんだ。サグムをつける以上、そんな選択肢はありえない。……でも、もう近づくのは止したほうがいいな」

 スニルは馬を引きながら、悔しくて俯いた。大丈夫だよ、と言えない自分が情けない。

 近道だから、とフィルルセナから指示されたのは森へ続くルートだった。どきりとした。森へ近づくことは禁忌なのだ。

 しかし、スニルはその動揺を呑んで進む。その途中、傷や打ち身に効くからと指示通りに草をいくつか摘んだ。

「ねぇ、手当って外で済ますつもり? ちゃんとしたほうがいいよ」

「ちゃんとやるよ、自分で。身内に知られると面倒だろ。騒ぎを大きくしたくないんだ」

 この先に小さな湧水がある、とフィルルセナは言った。打ち身を冷やすのだ。

「じゃあそこまで運ぶ。フィーがダメだって言っても」

「それって俺の心配? それとも湧き水の場所を知りたいだけ?」

 軽口を叩く元気はあるようだ。バカ、とスニルは口を尖らせた。

 二人は森の縁をぐるりと迂回した。遠道を選んだのはスニルへの配慮だろう。森の少し奥まったところに、ひっそりと湧水はあった。小さな湧き水は石の器が設置され、顔を洗う程度のことはできた。

「こんな近くに水場があったなんて」

「お前たちは知らなくて当然だろ。ここは俺たちの領分なんだから」

 冷たい水をいくつかの小さな皮袋に入れ、口を縛る。そして持っていた手ぬぐいを、スニルは濡らして固く絞った。

 背後では木の根元に座ったフィルルセナの手が、布の中でゴソゴソと動いた。そうして傷口を探っていたが、やがて観念してため息をつく。白い手がおもむろに黒い布(サグム)をめくった。

「え、サグム取っちゃうの? いいの?」

「どうやって手当するんだよ。――お前にならもう構わない。付き合いも長いし」

 固まるスニルの前に現れたのは、黒い服を着た少年だった。服は袖や襟、裾等にサグムと同じく細かな刺繍が施されてある。黒っぽい髪と、宝石のような鮮やかな青い瞳が印象的だ。

 スニルの知る限り、人は茶系の髪や瞳の色をしていた。赤茶や黄色っぽいことはあるが、鮮やかな青色は初めて見た。

「……フィーだよね」

「他にだれが?」

 真夏でも取ろうとしなかった黒い(サグム)を外した少年は、続いて無頓着に服を脱いだ。

 白い肌の色に目が釘付けになる。サグムから時折見える手足の色が白いことに気づいていたが、こうして見ると、日に焼けていないから白いのではなく、そもそも肌の色が違うのだとわかった。

 その白い肌には、痛々しいあざや傷があった。慣れた様子で傷口に水をかけ、摘んできた薬草と軟膏を混ぜ合わせ、少年は肌にあてていく。草を揉みこんだことで、青臭いにおいがつんと鼻をついた。手足の打ち身には、濡らした手ぬぐいや皮袋を肌にあてて冷やす。

「スニル、背中がどうなってるか見て」

 青い瞳がスニルを映す。その途端、頬がかっと熱を帯びた。友人のはずだが、見知らぬだれかのようだった。しかし、その背に散ったあざが彼女を現実に引き戻す。浮ついた気分はたちまち萎んだ。

 暴力の跡だ。

 ごめん、と口走った。兄のやった仕打ちが恐ろしく、そして恥ずかしく、情けなかった。フィルルセナが怒らない分、立つ瀬がない。

「べつに」という平坦な返事は、スニルへの期待がなかったと告げていた。助けがこなくて当たり前だと、彼は思っているのだ。それが一層やるせない。

「もう俺たちは不用意に近づいたりしないよ。他の仲間にも伝えておくから」

 休みながら手当を終え、再び黒い布をまとったフィルルセナは、律儀にも外までスニルを送った。迂闊に森へ入るなよ、と仁王立ちする。

「心配ない。俺はちゃんとうちまで帰れるから」

 明らかな強がりが、彼らしい。恨まれるような役目は負わなくていいと、気遣ってくれたのだ。

「ねえ、私に会いに来てくれたんだよね。一人で」

「ああ……。そうだった、大した用じゃなかったんだけど」

 フィルルセナは拳を突きつけた。スニルの手のひらを転がったのは、銀でできた筒状の髪留めだ。いくつも模られたのは、花弁が五枚ある花。しかし可愛いと呼ぶには少々いびつか。裏側にも何かが細かく掘られてあった。ニヴルの文字だろうか。

「食い物じゃないんだ、みたいな顔するなよ」

「違う! 可愛いなーって見とれてたんだよ」

 ぷくりとスニルは頬を膨らませる。

「ゼラニウムの花だ。傷の手当に使ったりする、あの赤い小さな花。銀も魔除けだが、ゼラニウムも女性の魔除けになる。……習作の中じゃ上手くいったほうなんだ。本当ならもっと石をあしらってもいいんだけど、シンプルな方が普段から身につけられるし」

 スニルに似合うと思って、とそっぽを向く少年へ、まじまじと少女は視線を注ぐ。

「フィーが作ったの、これ。お守りって?」

「いらないなら、」

「いる! いるよ、いる!」

 手櫛でざっとまとめた髪に髪留めを通した。馬を世話した格好では可愛らしさに欠けたが、スニルはへへっとはにかむ。両親からうるさく言われ、少しだけ髪を伸ばしていたお陰で、この髪留めを使うことができた。

「どうかな」

 サグムのせいで表情は不明だが、「気に入ったならいい」と、ぶっきらぼうに少年は言う。だが、声色から満足げな気配が伝わってきた。用は済んだとばかりに、フィルルセナは踵を返す。

「あのね、ずっと自分がどうして男じゃないんだろって思ってたの。だって女って損じゃない。男ばっかり偉そうで」

 大切な友人や家族を守るための力もない。「やめて」と訴えるしかできない。

「でも、今は」

 女の子で良かったと思っている。

(贈り物一つでこんなに舞い上がれるなんて)

 フィルルセナがスニルのために作ってくれたと思うと、一層嬉しさが増した。頬が熱を帯びる。

「お前が男だったら……そうだな。ナイフでもやったかな」

「えっ、ナイフ!? 本当に?」

「……ナイフが良かったのか?」

「便利じゃない」

 やるもの間違えたか、という呟きが聞こえ、少女は小さく笑った。ニヴル製のナイフはよく切れるため、大人たちが重宝している。以前は高値で取引されていたのだ。

「でもこっちのほうがずっと身につけてられるから、嬉しい。ありがとう」

 大切にするね、と精一杯笑顔で伝えると「うん」という返事があった。そのまま、森の奥へ少年は向かう。心なしか、先ほどより足取りがしっかりしていた。

「ねえ、私が会いに行くから。みんなのところへ行くから! 構わないよね? ダメじゃないよね?」

 彼はくるりと振り返った。

「明日には移動するから報せを送る。お前なら居場所を伝えても、みんな嫌がらないだろう!」

 スニルは大きく手を振った。また会いたい、という願いをこめて。

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