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孤独な悪魔の葬歌  作者: なつき
2/13

記憶:五年前

 記憶:五年前


 黒い布の群れが遠目に見えた。丘の上を通り過ぎるあの集団は、これから村へ向かうのか。こちらの方へ近づいてくる。木の上で器用に昼寝中だった十三歳のスニルは、悪巧みを思いつき愛馬を確認した。少し離れた木陰で、良い具合に草を食んでいる。

(ふふっ、あっち側から見えないな)

 にやっと笑って木から降り立った。平原にこんもりできたシダの影に潜りこむ。鮮やかな黄色の花が咲いたエニシダは、少女を見事に隠した。

 そうとは知らず、全身を黒い布で覆い、顔を隠して歩く一団が静々と過ぎっていく。彼らはニヴルガルと呼ばれる異民族だ。その中から自分より小柄で、かつ見覚えのある革の靴を見つけ、スニルはキラリと目を輝かせた。

 忍び足で近づく少女に気づいた者が、企みを察してすっと道を空ける。くすくす笑う気配に、しぃ、とスニルは唇に人差し指を立てた。そちらへ合図するように手を振り、目的の人物へ近づくと――「わっ!」と耳元で大声を出す。

「うわあああっ……あ? この、スニル!」

 スニルがくっくっと笑い、胸元を押さえる友人の隣に並んだ。友人の名前はフィルルセナ。スニルはフィー、と呼んでいる。

「まーた引っかかってるし。フィーのばーか」

「驚かすなよな毎度毎度、まともに登場しろ! つーか、今日はどっから現れた」

 あの木陰、とスニルがけろりと指さす。黒い布からため息の気配がした。お前、また家から逃げ出したのか、という呆れ混じりのものだ。

「休憩だよ休憩。教会のお祈りなんて行ってられないじゃない。眠くなるし、寝てたら怒られるし」

「……じっと説教聞いてりゃいいのに、男かよ。髪だって短いし、その格好とか」

 同年代の少年と同じく、スニルは駆け回ってばっかりだ。大人しく一箇所にとどまることが苦手だった。ちまちました裁縫も、家事もすぐ逃げ出してしまう。

 それなら年に数回だけ行われる狩りへ参加させて欲しいし、羊や牛たちの世話をしている方がマシだ。馬に乗って遊びに出たほうがはるかに楽しい。

 スニルの性格は格好にも現れていた。馬に乗りやすいからとお下がりの下衣を履き、幼子のように髪も肩のあたりで切り揃えている。村の他の少女たちは髪を伸ばしているのに。

「だって動きやすいんだもん、すっごい楽。それに、驚かすなって言ってもねぇ。アン姉さんは気づいてたよ? フィーの修行が足らないんだよ」

 友人の黒い布がぐるんとはためき、自分の次に小柄な者へと突進した。ねえさん、という非難にも動じず、他の者と喋りながら年上の少女は歩いていく。露骨な無視だ。

 ぷーっと頬を膨らませてスニルは笑いを堪えた。

「わかってるって。その布してるから視界が狭いんだよね。音だって聞き取りづらいかも? でも外せないんでしょ?」

 今にも怒りを爆発させそうな友人へ、スニルは同情をこめて背中を叩く。

 三年以上付き合いがあるのに、彼の素顔をスニルは知らなかった。白い手足が時折覗く以外、遊ぶときも黒い布はまとったままだ。

 彼らは人前で頑なに布を取らない。その黒い布は縁に不思議な文様が描かれていた。

 フィルルセナのそれを、外してやろうとしたことはあった。実行しなかったのは、伝統を重んずる彼らの意志を尊重したからだ。身近にある大切なものが冒涜される悲しさや憤りを、スニルは身をもって知っていた。

 あつい、とフィルルセナがスニルの手を払う。

「そうだよ外せない。あと何度も言うけど、これは布じゃなくてサグム。確かに暑いし視界狭いし鬱陶しいし、夏場は汗で臭いし、……何の修行だよって思うけど」

「じゃ、脱げば」

「お守りだから無理」

「お守りって……、魔除け?」

「その意味もある」

 目を輝かせるスニルを一瞥し、フィルルセナは渋々口を開いた。

 布をまとうことで一族の弱い者を隠していること。ニヴルガルを狩る者たちは多く、特に女性や子どもが一時期大勢攫われたこと。それを守るために、外では必ず布をまとい、集団で威嚇していること。黒い布で全身をすっぽり覆ってしまうと、個人や性別はもとより、所持品もわかりづらくなる。

 他民族だと知らしめることで、個人の危険を下げているのだ。呪術的で排他的な印象が、彼らを「異民族だ」「よそ者だ」と奇妙なほど周囲から浮かせていた。

「確かにとてつもなく怪しく見える」

 顔も隠しているため正体不明で、不気味な集団にしか見えない。

「それが狙いでもあるんだ。俺たちは仲間に手を出されたら、必ず報復する。そうしなければ俺たち自身を守れないから。サグムはその為の警告なんだ。表情も読み取らせないからハッタリになるし。大人のつける刺青や、扱う薬も脅しになる」

 スニルは少し眉根を寄せた。友人は報復や脅し等と不穏な言葉をさらりと口にする。村の騒がしい少年たちはこんな風に話さない。

(フィーは自分の言葉で、自分の考えを口にする)

 大人のようなところを持った少年だ。もの静かだが怖くなる時がある。

 スニルは少年の奥底に得体の知れないものを感じてしまうのだ。

(多分、正体不明ってこういうことなんだ)

(でも、フィーはフィーだ)

 びっくりさせたら「うわあああああ」なんて悲鳴を上げて、慌てふためくのがフィルルセナだ。

「フィーたちってさぁ、親切なのに物騒だよね。……誤解されたりするの嫌じゃないの」

「それでいいんだよ。俺に言わせれば、お前たちって無防備すぎ。手足剥き出しだと怪我もしやすいんだよ」

「動きやすいよ? 馬にだって乗りやすいし。夏は涼しい」

「みんなスニルみたいだったらいいよな」

 お前にはわからない。

 そう拒絶されたようで、少々スニルはむっとなった。

 だが実際のところ、黒い布で全身を隠す彼らは善くないものだと云われていた。彼らは年に数回、村へ装身具や織物を売りに来るが、表から村に入らず、家の敷居も決して跨がなかった。交わす言葉も必要最低限だ。場合によっては身振り手振りだけで話を進めようとする。彼らは、常に村人と一線を画した。

 彼らが現れると子どもは家の中へ閉じこめられる。死神だとだれかが言った。目が合うと呪われる、不幸がもたらされる、などと噂もあったほどだ。他所では不吉だと出入りさえ禁じるところも多い。

(私も最初は怖かったんだ)

 三年前、十歳のスニルはニヴルガルから逃げていた。

「来ないでよ、化物! 来ないで!」

 泣きながら喚いていた。逃げた馬から転げ落ち、服は破れて汚れ、手足は怪我をして散々だったときに、彼らと遭遇したのだった。

 足を引きずって逃げるスニルを、彼らは追ってきた。その内黒い布の集団から、小さな者が二人ゆっくり迫ってきた。黒い布の下から、何か小さな袋を取り出している。

 咄嗟にスニルは殺される、と思った。捕まって、手足を引きちぎられて、食われてしまう、と。足の痛みに膝をつくと、もう逃げられなくなった。

「来ないでったら! あっち行ってよ! 嫌だ、助けて、お母さん、お父さん!」

 黒い布の下から白い手が伸びてきて、スニルは悲鳴を上げて、遮二無二暴れた。すると、突然胸ぐらを掴まれたのだ。

「手当するだけだからじっとしろよ。派手にケガしてるんだろ! 馬は大人が捕まえに行ったから」

「やめなさい。フィー、この子は女の子なんだから、優しく」

 呆然としているスニルから黒い影を引き剥がしたのは、別の影だった。フィルルセナの姉だ。彼女は瞬いているスニルを気遣うように、しゃがみこんだ。

「ごめんなさい、あなたが心配だったの。その怪我、放っておいたら化膿するから」

 そう言いながら、二人はスニルの怪我を手当してくれたのだった。村からずいぶん離れた場所でうずくまる少女を、彼らは見捨てられなかったのだ。

 当時は黒い布の中身が、話の通じる常識的な「人間」だったことに何より驚いた。

(手当してくれた手は、あたたかかった)

 よそ者のスニルにも親切だった。なぜ彼らが「死神」と呼ばれるのだろう。もっと互いを理解することはできないのか。

(もっともフィーたちは神出鬼没だし、そう会えないけど)

 彼らは季節ごとに移動する。拠点はいくつかあるが、冬の訪れを前に消えてしまう。そうなるとスニルの日常はひどく色あせた。次の春までが長く、待ち遠しくなる。

(本当は毎日だって会いたい)

 お互いの都合が、友人とスニルを引き離そうとする。もっと互いに歩み寄れないか……考えては憂鬱になった。

 凝り固まった大人の意識改革はきっと難しい。兄たちはニヴルガルの特産品を密かに売っていたが、そういう手合いは稀である。

(ううん。お兄ちゃんたちだって親しいわけじゃない)

 話していると村に知られたら咎められる。もっとも末娘に甘い村長が、ご飯抜き以上の罰をスニルに与えるとは思えないが。

「そうだ、これ途中で摘んできたんだけど」

 フィルルセナが黒い布サグムの下から取り出したのは、木イチゴの入ったかごだ。

「お前好きだったろ。会えたら分けてやろうと思って」

 ぱあっとスニルが破顔したときだ。前方のざわめきが最後尾の二人の元へ届いた。二人は不安げに顔を見合わせ、足早に道を急ぐ。そして人混みをかき分け見たものは。

「三本王の木が、伐られている」

「どうしてこんな酷いことを」

「罰当たりな」

「今に神罰が下るぞ」

「あれは守護の木だったのに」

「あああ……」

 村外れには三本の古木があった。平原にぽつりとできた小さな森だと錯覚するほど、ねじくれた枝を大きく伸ばしたオークだった。ごつごつとした幹は、大人が五人がかりで腕を広げても届かない。夏には深い緑を枝全体に茂らせ、鳥や昆虫たちの憩いの場となる巨木だった。

 街から村へと続く街道の脇にあるため、よく旅人や行商人がこの木を目印に進み、時に軒を借りて一休みしていた。スニルたち村の子どもたちの遊び場でもあった。

 近隣の平原をおさめる王のようだ、三本王の木だ、と親しまれていたそれが――無残な姿を晒している。悲鳴が聞こえそうな荒々しい断面が、胸をつく。

「だれだ! だれがこんなことするんだ。この地をずっと見守ってくれていたんだぞ。これからも何百年とこの地にあったはずなのに。御神木なのに!」

 フィルルセナが珍しく怒りを露わにする隣で、スニルがぽつりとこぼした。

「この木は神でも何でもない、特別な力など持たないただの木だ。このオークは教会を建てる良い素材となるだろう。見ているがいい。お前たちの崇めるこの巨木を伐ったところで、我々に神罰など当たりはしない」

 ニヴルガルたちの鋭い眼差しが、虚ろな目をしたスニルに集中する。少女は俯き、悔しげに拳を握り締めた。

「三月ほど前に……そう言ってあの正教会の人たちが、奪っていったの。伐らないでってみんなお願いしたのに、これはただの木だって」

「スニル」

「みんなおかしくなっちゃったんだよ。……神様を伐ってしまったから。教会の言いなりになっちゃった」

 ぼろぼろと涙をこぼすスニルの握り締めた拳に、何かが触れる。それはあたたかなフィルルセナの白い手だった。スニルの痛みや悲しみを受け取るように、彼は手をつなぐ。スニルはたまらずフィルルセナにしがみついた。

 うなだれていたニヴルガルの人々は、やがて膝をつくと祈りの言葉を口々に捧げ始める。


 幼いスニルも理解していた。

 かけがえのないものが、失われてしまったのだと。


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