ヒトコトノチカラ
バレンタインデーの雪に馳せた真白の想い。一ヶ月経ったホワイトデーの今日、その想いは苦い苦い混濁の泥水へと化した。
空風吹き荒ぶ予備校帰りの並木道。カサカサと舞い上がる枯れ葉たちは行く宛もなくアスファルトに打ちひしがれ、行き交うスーツ姿の伽藍堂に何度も踏まれては、地に還ることなくただ身を砕かれるだけ。街を支配する冷気は胸の奥まで容赦なく染み込み、見上げた空の星たちは、明日のまどろみを連れてくるだろうか。どうしてだろう、辛いことがあると頭の回転が異常に早くなって、過去の記憶や未来への不安に呑み込まれてしまいそうだ。それでも私は束の間の休息を求め、平坦で険しい道を北へ北へとひたすら進む五分間。
「はぁ……」
私はこれから、何を楽しみに生きれば良いのだろう。途中のコンビニで買ったおにぎりをざっとテーブルに並べ、ウォーターサーバーでインスタントの味噌汁を作って、学生服から着替えもせずに食事を始める。
「いただきます」
誰もいないリビングに響く微かな声。聞こえるのは冷蔵庫の稼働音と人を貶めて高笑いするバラエティー番組。チャンネルを変えても似たような番組や暗いニュースが流れるばかり。
なかなか喉を通らないおにぎりを味噌汁で無理矢理流し込むと、億劫な宿題を後回しにしてシャワーを浴びる。
勉強できないスポーツもできない将来の夢もない。ひたすら漫画を読み漁るばかりの受け身の私に、誰が魅力を感じるというのだろうか。想いが実らないのは当然だ。桜という名前がとても似合わない私は、帰宅する間もなく働き続ける両親の期待を裏切るだろう。
「はああああああ……」
シャワーの湯を浴びるうち、徐々に肩の力が抜けてきて、ようやく訪れた束の間の休息。溜め息は三倍増し。水とガス、時間を気にしつつも、ついゆっくり湯浴みをしてしまう。
◇◇◇
「ふわあああ〜」
ホワイトデーから十日後、この日は修了式。いつも通り午前二時まで学校と予備校の宿題を片付けて、客層も内装も無機質な通勤電車に乗り込む午前七時。出入口脇の背もたれに身を委ね、朝陽を浴びながら目を閉じる。
十分後に電車を降りたら学校はすぐそこ。教室に入ると単なるライバルでしかないクラスメイトは皆一様にノートにペンを走らせている。始業時間になったら担任が来て出席を取り、講堂で修了式を済ませたら教室に戻って成績表を渡される。
「十六番」
担任に呼ばれ、はいと機械的に返事をして、目の前の教壇前に立つ出席番号十六番、下曽我桜。つまり私。番号で呼ばれる私たち生徒の存在ってなんだろうと最初は思ったけれど、徐々にあくまで学校のブランドを背負った働き蜂の一部でしかないと悟っていった。
「なんなんだ?」
「はい?」
「なんなんだこの成績はと訊いているんだ! お前クラスどころか学年で断トツビリだぞ! 俺に恥かかせてんじゃねえよ。お前ら生徒の成績は俺と学校のメンツに関わるんだよわかってんのかこの落ちこぼれが!」
静かだった教室に響き渡る罵声。私は茫然としながら言葉の槍をただひたすら突き刺される。傷付いて、あまりにも傷付き過ぎて、傷付けられるときの神経が麻痺して無感動になっている。
私、ずっとこのままなのかな。そうならさっさと死にたい。今夜眠ったらそのまま死んじゃえば良いのに。頭良くなりたい才能欲しいせめて人並みになりたいやだやだもうやだこんな人生なんで私こんなバカなの怖がりだから不良にもなれない行き場がない成績このままじゃ親に何言われるかわからない進学できない就職できないお先真っ暗じゃん。
ああ死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい。私ってなんのために生きてるの? 大人の期待に応えるため? じゃあ私が大人になって今の大人がみんな死んだらどうなるのさ。存在意義はどうなるのさ。ああもう意味わかんないわ。とりあえず国家公務員か大企業の正社員になって漫画読みながら堕落した生活送るしかないか。そしてこんな性格だから結婚できなくて最期は孤独死ってね。
「はああ……」
ホームルームが終わったらとりあえず溜め息。とりあえず今日は文芸部サボって帰るか。部活サボったところで誰も干渉してこない。
◇◇◇
四月一日、私は高熱を出して寝込んでいた。節々の痛みと咳が辛いけど、日常のストレスと比べたらまだマシだ。せっかく高熱を出しているのだから、何もしないをしよう。
でも何もしないのはあまりにも退屈だから、スマートフォンでネットサーフィンをしてみる。気が向いたので、学校の文芸部が製作しているサイトにアクセスした。顧問の審査を通過した句や詩、小説が掲載されていて、数百ある作品の中に、たった一作だけ私の作品がある。審査を通過できなかった作品は陽の目を見ずに淘汰されるだけ。その数幾多。
「はっ!?」
驚いた。自分の作品に感想が届いたと赤文字の知らせリンクがある。
ああ、荒らしかな、どうせ。
ほんの一瞬だけ意気揚々としたものの、次の瞬間にはタップする人差し指が重たくなった。さて、一応チェックするか。大抵のバッシングには傷付かない自信がある。
「はー」
もうなんでも来い。えいタップっ。
『はじめまして。四月から貴校でお世話になる者で、文芸部への入部を考えています。たった一言の感想で恐縮ですが、下曽我さんの作品、綺麗過ぎる作品が多い中、飾り気がなく、希望を持てる作風がとても素敵です。僕も下曽我さんみたいに素直な作品を生み出したいです。良かったら四月から宜しくお願いいたします』
飾り気がなくて希望を持てる作風、か。誉められてるのかな。私の俳句。
「ははっ」
けど、なんだか嬉しい。
四月五日。熱は下がり、気分転換に近所を散歩してみる。いつもの並木道には満開の桜が咲き誇り、笑顔で見上げる人々を見守りながら儚げに花びらを散らしている。写真を撮ろうとスマートフォンを取り出したら、画面の上に薄くて薄い華奢なピンクの花びらがひらりひとひら。
真白の雪が溶けて汚ないものがたくさん混じった泥水を大量に吸い込んだ桜の木は今、それらを優しい色に染め替えてみんなを笑顔にしている。
もしかしたら私も、そんな『桜』になれるかな? 自分次第で変われるかな?
そんな風に期待してしまう、麗かな春の、ほんのひとときだった。
涙して
きっといつかは
サクラサク
お読みいただき誠にありがとうございます!
思い付きで書いた女子高生のお話、いかがでしたでしょうか。
心の闇に少しでも光を差し込める作品になれば幸いです。