第三章 懐中時計と伯爵と操り人形 その三
グレイシス王国の王のソルイエは、末の息子を抱き自室を後にした。
すでに城内は慌ただしく、朝の支度が始められている。特に後宮付きの官吏や使用人、侍女達の朝は早い。ここは国で一番の貴人達が住まう場所であり、この場所で働く者は一瞬の油断もできないのである。
そんな朝から真面目に働く彼らを尻目に、王は歩みを止めない。もちろん王を止める者もいない。ただ深く頭を下げ王が通り過ぎるのを待ち、姿が見えなくなるとまた忙しなく働き始める。それが普通であり、常識だ。
だがかつて、この後宮で王の歩みを止め、そしてそれを罪に問われることがない者がいた。それはすでにこの世にはいない、ハーシェリクの母である寵姫である。
「あら? 私の旦那様は奥さんを無視なさるの?」
そう彼女がにっこりと微笑み、連日連夜仕事で無理を重ねる王を引き留め、強制的に休憩を取らせるのは、後宮内では有名な話であった。一見寵姫の我が儘にしか見えない行動は、決まって王の顔色が優れない時に発動する為咎める者は皆無。むしろ後宮で働く人々は隠れて寵姫に拍手を送っていた。
その事をふと思い出し、ソルイエは苦笑を漏らす。
(懐かしいことを思い出した……ハーシェと一緒にいるからかな。)
王は抱き上げた我が子を見る。ハーシェリクは父の肩に顔を埋め、嗚咽を堪えていた。
その頭を落ち着かせるように撫でると、王は歩みを速める。
そのままの足取りで、王は後宮を出ると馬小屋へと向かう。すでに世話係が栗毛の牝馬に鞍をつけて待機をしていた。長年連れ添った執事が連絡をしていたのだろう、とても気が利く。
やっと泣き止みはじめた我が子を先に乗せ、王は颯爽と愛馬に跨り手綱を受け取る。
「ハーシェ、落ちないように掴まっているんだよ。」
ハーシェリクが頷いて鞍に手を置いたのを確認し、王は息子の腹に利き手を回し逆手で手綱を掴む。
執事と同じく長年連れ添った愛馬は、乗り手の準備ができると同時にゆっくりと動き出し裏門から出た。
「少し早さを上げるからね。」
そう言うと父は息子に回した手に力をいれ、愛馬の速度を上げる。
王城の裏門から出ると民家はない。
王城のある王都は国土の中央からやや南方にある。王都の北方には王家所有の大自然が広がっていた。広大な草原と深い森、そしてグレイシス王国建国以来、国を見下ろしてきた高き山。
ここは王家、ひいては王と王に許可された者しか踏み入れることができない、特別な大地である。
王が愛馬を駆け、丘を登りついた先は、王城と首都である町並みを一望できる草原の丘だった。すでに太陽が上がり始め、民家の煙突からは朝食の準備だろう煙が所々上がっている。
「ここは私のお気に入りの場所なんだ。ここに連れて来たのは、ハーシェが二人目。」
そう言い王は馬から降りると、馬上のハーシェリクを抱きあげた。
初めて乗った馬は、見た目以上に体を上下させお尻を強か打った。あと十分も乗っていたら、ハーシェリクはさきほどとは別の意味で泣いていただろう。
愛馬は騎乗者がいなくなると少し距離をとり、草を食べ始める。
ソルイエはそんな愛馬を横目で確認しつつ、ハーシェリクを抱いたまま地面に座り、息子を自分の膝に座らせる。
「少し待っていてくれ。」
ソルイエがそう言うと、まるで歌うかのように言葉を紡ぐ。ハーシェリクに聞き取れない言葉だったが、ソルイエの言葉に応えるかのように風が二人を中心に渦巻き草を揺らし、歌のような言葉が終わると同時に風が二人を中心に外へと走った。
ハーシェリクには、なにが起こったかわからなかった。だが何かが起ったということくらいは理解できた。
「……ここに最初に連れて来たのは、ハーシェのお母さんなんだよ。お母さん、最初来た時なんて言ったと思う? 『お腹すいた!お弁当持ってくればよかったわ!』って言ったんだ。」
初めての出来事に理解が追い付かないハーシェリクに、思い出したように父は笑う。
そんな父がハーシェリクはなんだかいつもと違うような気がした。いつも父は優しく微笑むが、どこか影がある憂いを帯びた風な笑い方だった。だが今は、自然な影のない笑顔だ。
なにを言っていいかわからず沈黙するハーシェリクに、父は苦笑を漏らし朝日を浴びる王城に視線を移す。そしてゆっくりと話を始めた。それは絵本の物語を音読するような口調だった。
「……ある王様はね、人形なんだ。いろんな人に敬われているように見えるけど、実際は見えない糸で操られている操り人形」
あえてその王様が誰か、ハーシェリクは聞かなかった。その王様が目の前にいる自分の父親だと、簡単に分かったからだ。
「その王様は、本当は王様になる予定じゃなかった。将来は農作物とかの学問を研究して、王様の父や兄達の役に立てたらってずっと考えていた。でもある日、父と兄達は病を患い、いなくなってしまい、王様以外に王様になる人がいなくなってしまったんだ。」
齢十歳の王様は政のまの字も知らない。そこに現れた悪者がお飾りの王様を利用して国政を担った。王様が成人しても、悪者は操り人形の王様を好きなように操ろうとした。
「最初は王様も国の為、家族の為、国民の為に悪者達と戦おうとした……だけど悪者のほうが上手だった。」
先ほどの微笑みとは打って変わって、ソルイエの表情は一瞬で無表情になる。今から語る事で思い出される痛みを感じないようにする為のようだった。
「実はね、ハーシェの一番上の兄弟はお兄さんじゃなくて、お姉さんだったんだ。でもお姉さんは弟がまだお母さんのお腹の中にいる時にいなくなってしまった。父や兄達と同じ病が、お姉さんを天の庭へ連れ去ってしまったんだ。」
「同じ……?」
「そう同じ病。過去、王族しかかからなかった病。原因はわからず、発症例も父と兄の数件しかなく、治療法も見つからなかった。娘も治療する間もなく……」
ソルイエは、ハーシェリクを支えていない手を強く握る。
「あの子が亡くなった後、悪者は言ったんだ。『残念でございます。次のお子はそうならぬよう注意せねばなりませんな。それにご家族だけでなく、陛下の忠臣たちも気をつけて頂かねば……原因不明の病ですので』とね。」
その表情は無表情から一変、怒りとも苦しみともとれる表情に変わっていた。いつも穏やかな表情しか知らない父が、負の感情を露わにすることにも驚いたが、その話の内容もハーシェリクを驚かせるには十分だった。
表面だけみれば王を労わる臣下の言葉。だが裏を読めば次も同じことが起こるかもしれない、いや察しのいい者なら気が付く。
誰が裏から手を引いて王の父や兄達、そして初めての子を殺したのかを。
そして次があるかもしれないことをほのめかしている。
ハーシェリクはその事に気が付くと、驚くのと同時にすっと体温が下がり血の気が引いた気がした。
(そんなことが出来る人間がいるなんて……)
証拠はない。だがハーシェリクには、父が嘘をついているようには思えなかった。それにルゼリア伯爵の話を先に聞いていたことも大きい。
さらに初めて会った時の大臣の、あの人を馬鹿にしたような人を見下した表情と目つき。反射的に嫌な奴と判断した自分の直感は間違っていなかった。
(ひどい、ひどすぎる……)
なぜそんなことが出来たのか。ハーシェリクには理解できなかった。
前世では姪がいた。初めて姪に会った時、無条件で彼女を可愛がろう、守ろうと思った。それが他の子だったとしても、幅はあれ変わらないだろう。
なぜ殺そうと思ったのか考えられないし、考えたくもない。
「……そして王様は、戦うことをやめてしまいました。国よりも国民よりも、家族たちをとったんです。」
そう言い終わり父は弱々しく笑った。ハーシェリクには笑っているのに泣いているように見えた。
(だからあの時、操り人形になることを選んでしまった。)
ソルイエの選択肢は、それしか残されていなかった。家族や大切な者たちを守るには大臣の言いなりになる以外なかった。守る力を持っていなかった。
彼は狡猾だった。
王が逃げられないように側室を迎えさせ、人質を増やしていったのだ。側室に入った姫や令嬢達は皆なにも知らない、裏などない性格も擦れてない王を支える為に後宮に入った女性達だった。だから王は無下にはできなかったし、悪者達もそれを狙っての人選だったのだろう。
彼女達も馬鹿ではない。後宮に入り現状を知ると動けなくなってしまった。彼女達も王と同じだった。王が家族を守りたいように、彼女達も家族を守りたい。互いに互いを守りたいが為に動けなくなってしまった。
ただ一人を除いて。
「ハーシェリク、本当は君のお母さんとは、一緒になる気はなかったんだ。」
唯一、彼女だけが違った。彼女だけが現状を笑い飛ばし、途方にくれていたソルイエに言ったのだ。
『好きな人と一緒にいるのに理由なんて必要? そんな三流芝居以下の三流悪役達なんて私がぶっとばしてやるわ!』
そう豪語した彼女はあっという間に後宮に溶け込み、落ち込み気味だった妃達を助け、彼女達の子供達を我が子のように愛した。
大臣や貴族達の嫌味をモノともせず、むしろ言葉でやり込めてみせた。何事にも物怖じしない、気高く優しい彼女。
だがそんな彼女も、天命には逆らえなかった。彼女は我が子を残し、先に天の庭へと旅立ってしまった。唯一の救いは彼女が奴らの手にかかって死んだのではないということだけだった。
「だからハーシェ、君は私が守る。生まれた時からずっとそう思ってきた。」
(……そうだったんだ。)
数多のファンタジー小説や漫画を読み、ゲームを楽しんできた前世。そんな記憶を持つハーシェリクが感じた、この世界での違和感。
王子なのに自分の身の回りの世話をするのが、乳母であるメリアのみなのだ。
どんな話でも王子の周りには付き人や使用人、召使や侍女がいるものだ。最初は第七王子という多くいる王子の一番下で微妙な立場だったから、人件費削減の為かなと思っていた。
だが王が唯一信頼している乳母のメリアだけを側に置き、彼女以外に近づく者がいればその者だけを警戒すればいい。とても効率がいいやり方だった。
それに父が時間を固定せず会いに来るのは、自分の無事を確かめに来ていたのだ。後宮の使用人が買収されたとしても、王が時間を定めずに会いに来れば近づきにくいだろう。ここまで徹底していれば、貴族達が会いに来られないよう手を打っていたのかもしれない。
それに末の王子には、他の兄弟と違って親族の後ろ盾がない。もし次に王に脅しをかける為に使うとしたら、リスクの低い自分を使う可能性が一番高いのだ。
「昨日の宴で彼が現れた時、もしかしたら悪者を倒してくれるかもと思ったんだ。」
だがそれも甘く淡い希望でしかなかった。すでに彼も、悪者の手のひらの上で踊らされる操り人形だったのだ。
「……こんな身勝手で最低な王様、ハーシェリクは嫌いだよね。」
その言葉にハーシェリクは、一瞬考えた後首を横に振る。
(もし私が同じ立場だったら、自分もそうしていたと思う。)
顔がわからない遠い人より、すぐ傍の大切な家族を優先して守りたい。
王としては最低だろう。ハーシェリクでもわかる。
王という存在は無私であるべきであり、存在は孤高であるべきだ。
優秀な王ほど無私であり、最愛の妻であろうと、血を分けた子供であろうと、彼らより国益や民を優先する。国の為なら彼らを利用もすることもある。それが王の義務であり責任なのだ。
そう考えれば、確かにソルイエは王としては失格だろう。
だが人として最低といえるだろうか。
大切な人の為に己を殺し、屈辱にも耐える。それが普通の家庭なら、誰も責めたりはしない。
しかし彼は王なのだ。
望まずに与えられた玉座は、今も望まない責任を王に負わせ続ける。優しすぎる父は、毎日毎夜その責任に苦悩しているにちがいない。
ハーシェリクから見た父は、とても優しい素晴らしい人だ。だが国民から見た王はとても暗愚に見えるだろう。
今更気が付いたが、父の服は昨日の宴のままだった。暖炉の前で一晩、眠らずに考え苦悩していたのだろう。どうにかして助けられないかと考えていたにちがいない。
「……なら王様は、その悪いやつをやっつけてしまえばいいじゃないですか。」
有無を言わさず元凶を死刑台に送る。それができるのが王であり権力だ。これが間違っている答えだとわかっていても、ハーシェリクは問わずにいられなかった。
父は悲しそうに微笑み、末の息子をなでる。
「それをしたら王ではなく、権力を意味もなく振るう独裁者になってしまう。それではヤツと同じだ。私は暗愚と言われても人でいたい……欲に支配された獣のようなヤツらと同じにはなりたくないんだ……本当にダメな王だよ、私は。」
だがそれだけが唯一ソルイエの人としての、そして王としての誇りだった。
奴らの言いなりになりながらも、全て彼らの言いなりになるわけではない。軽んじられようとも王である。
神経をすり減らしながらも、少しでも民を守ろうと大臣達と綱引きを続けた。彼らの欲をほどほどに満たしつつ、国民の命を守る。それくらいしかソルイエには出来なかった。
静かに語る父に、ハーシェリクは時が止まってしまったかのように動きを止めていた。
王と独裁者。
似ているようでその間には、決して越えられない壁がある。独裁者となり証拠もなく権力を行使して元凶を排除したとしても、次の新たな元凶を生むだけだ。一度でも無理な権力行使すれば、次も同じような事が起こる。そしてまた権力を行使する。
歯止めが効かなくなった権力は結果、国を衰退させ終焉を招く。前世の世界では、そうやって消えていった国はいくつもある。
ハーシェリクは、理解はできた。だが納得はできなかった。
「でも……だけどッ」
(伯爵が死んでしまうッ)
ハーシェリクの瞳に、止まったはずの涙が溢れた。
彼が父の最大の枷になっている現実と、どんなに考えても今の自分ではなにもできない現実が突きつけられ、無力感がハーシェリクを支配する。
ハーシェリクは、父の胸に飛び込む。泣くことしかできない自分が、とても惨めでとても無力だった。
そんな親子を愛馬は遠くから眺めていた。




