第七章 閑話 王とその執事と寵姫 その二
「……ルークお願い。彼が狂わないよう守って。」
それは主の寵姫であり彼の友人である彼女が、死の床で託した言葉だった。
その時のルークには、彼女の言っている言葉が半分も理解できなかった。
疑問の表情を浮かべる彼に、彼女は言葉を重ねた。
「ソルイエは優しい。誰にでも優しい……自分よりも人を優先して、自分を犠牲にして……いつも自分を殺している。」
ソルイエとの子を産んだ彼女の生命は、今にも消えそうだった。だがそれでもはっきりと言葉を紡ぐ。
「ソルイエの優しさは恐怖と隣り合わせ。ソルイエがもしまた大切なものを失ったら、きっと彼は恐怖で壊れて狂ってしまう……何もかもどうでもよくなって、この国を壊そうとしてしまうような気がするの。」
その言葉の意味にルークは息を飲み込んだ。
彼は優しき王。
家族を守る為、貴族達に軽んじられても、汚名を着ようとも黙って耐え続けている。
それは彼が十歳の時に家族を、二十歳の時最初の子供を奪われた恐怖が彼を蝕んでいたのだ。
本来、ソルイエは王になる予定はなかった。
第三王子の彼の上には、智勇に長けた長兄と武芸に長けた次兄がいた。ソルイエも智勇武芸と長けていたが二人にはかなわなかったし、彼自身張り合いたいと思ってもいなかった。
「将来は父上と兄上達のお役に立てるように研究者になりたい。」
幼馴染のルークに嬉しそうに話す幼き頃のソルイエは、今はどこにもいなかった。
王族のかかった不治の病により尊敬する父と兄達を亡くし、貴族達にいいように操られ王となった。成人しても操られることには変わりかなった。
それでもソルイエは自分の義務を果たすために、最初は戦った。筆頭執事となったルークの他、筆頭騎士と筆頭魔法士を加えた彼らは、貴族達と表裏舞台を問わず戦った。
そんな折、政略結婚で嫁いできた正妃に子供ができた。政略結婚だがソルイエは妻を大切にし、最初の子供である娘をとても可愛がった。
だが正妃が次の子を妊娠した時、悲劇が起こった。王族を襲う不治の病により、一の姫である娘が亡くなった。
お悔みの言葉を述べにきた大臣と二人っきりで話した後、ソルイエは態度を一変させ貴族に抗うことをしなくなった。騎士と魔法士は何度もソルイエに進言したが、王の態度が変えることはなかった。
そして騎士と魔法士はついにソルイエの元を去った。彼らが求めたのは優しく強き王であり、弱く儚い暗愚ではない。
ルークも離れようかと考えたが、それを悩む彼に王は離れるよう勧めたのだ。だから幼馴染のルークはわかった。彼は自分達も守ろうとしていることを。一人玉座に残ることを選んだとということを。
だから死んでも離れてやるかとルークは思った。
「ソルイエは優しい王様。だけどまた絶望と恐怖を味わったら、彼は王ではいられなくなってしまう。」
彼女の言葉は、予言めいていた。
そしてルークはそれが予言ではなく、起こりうる未来だということだとわかった。
「だから私の子はきっと彼の支えになる。でも、その逆に追い詰める可能性もある。」
そして寵姫は安心させるように、だが儚く微笑んで言った。
「貴方にしか頼めない。ソルイエを守って……そしていざという時は止めて。」
そう彼女は夫の幼馴染であり、友人であるルークに託して逝った。
ルークは閉まった扉を振り返る。この扉の向こうで、幼馴染は今も恐怖と戦っているのだ。
少しでも油断すれば彼の大切なものは一瞬で消える。だから彼はどんなに傷つこうが倒れず、最後の一線を越えることはしない。ただ全てのことから耐え続けるのみだ。
だがもし、彼が一線を越えてしまったら? とルークは考える。
その時、ルークは命を賭して彼を止めなければならない。そう約束したのだから。だけどまだやれることはある。
(ハーシェリク王子、貴方はきっとこの国の未来に重要な人物になる。)
王の為だけではない。
彼は、友人である彼女が命を賭して残した希望のような気がした。
だから彼は生き延びてもらわなければならない。その為にはどんな手を打たなければならなかった。
ルークはその最初の一手を打つために、暗い廊下に消えていった。
ソルイエはルークを送り出した後、自分の手を見た。微かに震える手を情けなく思い、暖炉の明かりにかざす。
ハーシェリクが誘拐されたと聞いた時、まるで氷の中に閉じ込められたかのような気がした。
心底冷え切って、もしハーシェリクが最悪の状態で帰ってきたら、自分が正気でいられる自信はなかった。
「私がいなくなってもこの子がいるから大丈夫よ。」
彼女が死ぬ直前、暗示をかけるように自分に呟いた言葉を、ソルイエは今も鮮明に覚えている。
「私の分も貴方の側にいてくれる。きっと貴方を助けてくれる。」
そう言って彼女は弱々しく微笑んだ。いつもの彼女とは正反対の儚い微笑みだった。
「だから、私がいなくなっても大丈夫。貴方にはこの子がいるから……大好き、ソルイエ。この世界で一番愛してる。私の優しい王様……」
その言葉を最後に彼女は天の庭へと旅立っていった。
彼女が残した子は成長するにつてどんどん彼女に似ていった。他の子供達も愛していたが、彼は一等愛おしく思えた。それはいなくなってしまった彼女への悲しさの反動だったかもしれない。
「でも子供は成長するんだなぁ……」
ぽつりとソルイエは呟く。
今や末の王子は、内面だけは年かさの王子たちを抜きんでていた。
それが寂しくも感じつつも嬉しく思う。
(守っているつもりが、いつの間にか守られていたのかもしれない。)
先ほどの末の王子を思い出す。
断固として口を割らず、そして動き出そうとした決意の瞳。
今や立つのも危うかった赤子ではなく、自分の足で立ち歩き始めた王子。親にできることは見守ることだけだ。
「君の子なら大丈夫だよね…」
そう自分に言い聞かす。
彼女は強かった。何事も恐れず自分を貫き通す。
恐怖ばかりを感じ、その場に立っていることさえ苦痛だった自分を支えてくれた彼女。
その彼女の子が、旅立とうとしている。
「だけど……」
王は呟き、震えの止まった手を見る。
「私は、ハーシェを失ったらどうなってしまうのだろう。」
ハーシェリクの成長は嬉しい。手助けしたい。
だけど檻に閉じ込めて守りたい。誰にも触れさせたくない。
ソルイエの中で相反する感情がせめぎ合い葛藤する。
救いを求めるように最愛だった寵姫の名前を、ソルイエは縋るように呟いた。




