序章 ゲリラ豪雨と新作ゲームと交通事故
その日、早川涼子の人生が終わった。
彼女はどこにでもいる、普通の女性だった。
家族は両親と妹二人の五人家族。長女ゆえどちらかといえば責任感が強く、だがこれといって目立つ才能もなく、容姿もごく平凡などこにでもいるような人物だ。
一般人と違うところといえば、子供の頃からゲームや漫画や小説が大好きで、成人をすぎても、否三十路をすぎてもそこから抜け出すことができなかったことだろう。
大学時代は、合コンに参加するよりも漫画喫茶に入り浸る。
新社会人になってからは、懇親会を波風立てず回避し、撮り溜めたアニメを肴に一人酒を飲む。
二十代後半に入ると婚活よりも二次元の彼氏に熱中した。
もちろん夏の海や冬のスノースポーツを満喫するより、某所で行われる即売会へ向かい、行列に並んで戦利品を獲得することを優先した。
そして気がつくと、三十歳をとうに過ぎていたのだった。
「私の彼氏は、画面から出てこないだよね」
結婚について聞かれたとき、そう真顔で言った長女に両親は「ああ、この子はもうだめだ」といろんな意味で悟った。
お節介で出羽亀な親族にも同じような質問をされたときは「私の好きな人は……この世にいないんです」と涼子は悲しそうに微笑んで見せた。
バツの悪そうな親族相手に心の中で舌を出しつつ「だって二次元だもの」と心のなかで付け加え、後日母親から大目玉を食らった。母親の拳骨には辟易したものの、親族のお見合いセッティング攻撃がぱたりとなくなったのは幸いである。
そんなオタク街道まっしぐらな涼子は、とある上場企業の本社で事務員として働いていた。同年代の同性より少しばかり多い収入だったため、老後の事も考え二十代後半には実家に近い場所にローンを組んでマンションを購入した。
結婚する気も相手もいなかったし早期のローン完済を目指しつつ、万が一結婚する場合は夫婦で住んでもよし売ってもよし、両親や老後の生活を見据えつつ悠々自適なお気楽一人様ライフを楽しんでいた。
趣味を優先しつつも会社の仕事は事務員だがやりがいを感じ、後輩を育ていつの間にかお局ポジションをゲットし、せっかく育てた後輩を他部署に持ってかれ涙しつつ、また育てて……と充実した日々を送っていた。
この生活が定年まで続くだろうと疑うこともなかった。
だが代わり映えのない日常は、唐突に終わりを告げる。
三十五歳の誕生日の前日、秋深しというよりは冬もそこまできているというのに、残業を終え会社から外へ出るとゲリラ豪雨だった。寒い上視界が悪く、地面を抉るように叩きつけられる雨の音がとてもうるさく耳障りである。
「天気予報だと、小雨程度だったんだけどなぁ」
涼子はため息を漏らしつつ、鞄からお気に入りの折り畳み傘を取り出す。朝の天気予報では降水確率は低く、降ってもすぐに止むという予報だったが大外れだ。
(雨宿りがてらどっかで夕飯を食べていくというのも手だけど、今日は外せない用事があるし……雨のあほう)
そう涼子は内心うんざりし、小さくため息を漏らす。
彼女にとって、今日は三十五歳の前日という意味だけの日ではない。涼子が待ちに待った、具体的に言うなら半年以上も待った、新作乙女ゲームの発売日なのだ。
それなのに、残業となったのが惜しまれる。いつもだったら残業せず、同僚たちの縋る視線も華麗にスルーし、定時と同時に席を立つ。
しかし今日は失敗した。上司からどうしても仕上げて欲しい書類があると、退社時間の十五分前に頼み込まれ、というか泣き付かれたのだ。断れない悲しい社会人の性である。
だが惜しんでも時間は帰ってこない。涼子は少しでも急ぎゲームをゲットするため、そしてプレイ時間を増やすために折り畳み傘を広げ、小走りに行きつけのゲームショップを目指す。
目的のゲームショップは高校時代からの行きつけの店だった。
今時はネットショップで自宅送付が楽なのに、店頭で予約や購入してしまうのは顔見知りの女性店員がいて、いつも新作の話題や本当は予約できない商品もとっておいてくれたりするからだ。
例えそれが三十過ぎの女が買うには、ちょっと世間様から恥ずかしいモノであったとしても、店員さんと萌えを燃え上がるように熱く語れるのなら悔いはない。
「おおう、信号がかわるかわっちゃう!」
一人暮らしを始めてから増えた独り言。テレビを見ていてツッコミをいれるのは日常茶飯事だ。
目の前の信号機は、彼女が目指す目的地までの最後の関所で待ち時間がとても長い。そのうえ肌寒い気温と酷い雨のなか、長時間信号待ちは辛い。
それに傘は傘でも折り畳み傘では、豪雨を防ぐには力不足であり、先日買ったばかりのブーツもお気に入りのコートも、高かったブランド物の鞄も雨で濡れてぐっしょりとなりつつある。
だから涼子は駆け出した。点滅し始めた横断歩道を走って渡ろうとする。普段の彼女なら絶対にしない行動だった。
ゲリラ豪雨で視界が悪かったことと、新作ゲームが楽しみすぎたことで注意力と危機察知能力が著しく低下していたことを、のちの彼女は反省をすることとなる。
涼子が横断歩道の二つ目の白線を踏んだ瞬間、雨の音を切り裂くようにクラクションが鳴り響いた。
彼女が音のほうに首を動かすと真っ白な光、次いで鈍い衝撃とスローモーションのように変わる空と地面。
最後にガツンという音が響き、視界から景色が消失し、真っ暗になった。
遠くから叩きつける雨の音と悲鳴、そして怒号がまるで水の中にいるみたいに聞こえる。
唯でさえ遠くから聞こえる音は、段々と遠のいていく。
(ああ、お姉さんに今日とりにいけないって連絡いれなくちゃ……)
涼子はそんなことを考えていたが、スイッチを押したかのように意識がぷつりと途絶えた。
平凡な人生を歩んでいた早川涼子は、三十五歳を迎える前日に、交通事故により呆気なく幕を下ろした。
初めまして。初の投稿です。
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誤字・脱字は時間が空いた時に直していきますので、生暖かくスルーして頂ければ幸いです。
それでは楽しんで頂けたなら幸いです。
2014/1/31 加筆・修正
2014/2/26 後書き変更