第73話 確かめたいこと
「では、はじめようか」
「は、はぁ……」
俺は、恋歌先輩とアミューズメント施設を訪れていた。
どうしてこうなったのかと言われればよく分からない。
だが何故か今の俺は手にダーツを持って、恋歌先輩と一緒に遊んでいる状態である。
しかしなぜダーツ……まあ、これなら遅くなる前に簡単に切り上げることが出来るし丁度いいか。
もしかすると、恋歌先輩もそのことを考えてくれていたのかもしれないし。
荷物を目の届く場所に置きながら、俺と恋歌先輩は一緒にダーツを楽しむことにした。
もうテキトーに付き合って切り上げて帰ろう。
「あの、俺ダーツのルールとか詳しく知らないんですけど」
「安心してくれ。私もだ」
だったらなぜ選んだし……。いや、そりゃまあ俺に気を遣ってくれたのかもしれないけど。
「そうだなぁ。お互い初心者ということで、ここは交互に投げて点数を競い合うっていうのは?」
「なんか細かいルールとかありそうですけど、まあそんなもんでいいんじゃないですかね」
先行はじゃんけんの結果、俺が先に投げることになった。
とりあえず気楽にやるか。
デートだのなんだの言っていたけど、ようはただのお遊びだし。
「ところで海斗くん」
「なんですか恋歌先輩」
「ただ投げるだけじゃつまらない。ここは何か賭けでもしないか?」
「賭け?」
横目で恋歌先輩の表情を確認してみると、その表情はどこか楽しげだった。
いたずらを思いついたような子供のような。
恋歌先輩って、こんな顔も出来るんだな。
なんか意外だ。
でもとりあえず、その手にはのらない。
どうせこれは俺の集中力を乱すためのものだろう。
――――なんて思っていたら、
「ああ。もし私がこのゲームに勝ったら、君と一日恋人になる、というのはどうかな?」
「はぁ!?」
思わず叫んでしまった。
そのせいでダーツを投げた時にバランスを崩してしまい、ダーツはてんで的外れな方向に飛んで行った。
これがほんとの的外れ……じゃない!
「な、なに言ってるんですか!?」
「おや。随分と慌ててるね。今までの君なら『なんでBBAとそんなことしなくちゃいけないんですか?』ぐらいは言っていただろう」
う……確かに。
どうしたんだ俺っ! 俺は幼女に己の人生を捧げると誓っただろう!
でも、なんで恋歌先輩はどうしていきなりそんなことを言い出したんだろう。
「君が勝ったら、私は君のいう事をなんでもきいてあげよう。それなら不満はないだろう?」
「不満も何も、恋歌先輩は良いんですか? 恋歌先輩が勝ったってメリットなんて何も無いでしょう?」
「あるさ。一日だけでも、君の恋人になれるっていう、ね」
怪しく微笑む恋歌先輩に、思わず魅入ってしまう。
軽い足取りで近づいてくる恋歌先輩。傍に立つ彼女からはふわりと花のような香りがするし、白い肌や鎖骨に目がいってしまう。
くっ……本当にどうしたというんだ俺は。BBAたちに囲まれて生活しているうちに頭がおかしくなったか?
「ふふっ。これは想像以上に君も変化してきているようだね」
「なにがですか……ああもう、次は恋歌先輩の番ですよ」
今度は恋歌先輩が投げる番だ。恋歌先輩は俺と入れ替わるようにして、投げる場所に立つ。
一生懸命に狙いを定めようとする姿はちょっと子供っぽい。
「海斗くん」
「なんですか」
「それで、私の出した課題は解けたかな?」
「……まだです」
けっきょく、あの出された課題に関しては考えてみたものの良い答えが思い浮かばなかった。
そもそもどうして俺は加奈たちが怒ると思ったんだろう。
直感、というか、心の奥底の何かが告げてきたというか。
「ん。そうか」
恋歌先輩はひゅっ、とダーツを投げると、あっけなく的のど真ん中に突き刺さった。
う、上手い……実はこの人経験者だったんじゃないのか。
「ふむ。はじめてやってみたが、なんとかなったようだ」
マジかよおい。
次は俺の番。よく狙いを定めてダーツを投げる。
だが、ダーツは真ん中とは少し離れたところに突き刺さった。
「力が入りすぎてるんだよ」
そういって、今度は恋歌先輩がダーツを構える。
確かに心なしか、リラックスしているように見える。
「ねぇ、海斗くん。君はこのごろ、自分に変化が起こったとは思わないかい?」
「変化、ですか?」
「そうだな。例えば……君と同じぐらいの歳の女の子に対してちょっとドキドキするようになった、とか」
恋歌先輩の放ったダーツは、再びど真ん中に突き刺さった。
文句なしの完璧な一投。
「……別に、そんなことは」
「本当に?」
恋歌先輩はまるで、俺の心の内にある何かを表面化させようとしているようだ。
俺自身でも分からない、何か。
「ちょっとしたお話をしよう」
恋歌先輩は今度は君の番だよ、とでも言うかのように俺に場所を譲る。
俺は黙ってそれに従い、投擲体勢に入る。
「君は今日まで日本文化研究部のみんなと過ごしてきたわけだけど、君は彼女たちに対して何の感情も抱かなかったのかな?」
「……楽しかったです。すごく」
「楽しい。うん。それも一つの感情だ。それは紛れもない君の本心なのだろう。だけどもし、君の中に『楽しい』以外の感情も存在していて、彼女たちと過ごすうちにその感情が育ってきていたとしたら?」
「なんですか、その感情って」
思わず恋歌先輩に質問してしまっていた。
きっと恋歌先輩は知っている。
俺の中にあるこのもやもやの正体を。
それを考えると、なぜか俺は情けなく感じて。
恋歌先輩が知っているのに、俺は知らない。
その事実を考えると、とても自分が情けなく感じたし、誰かにかは分からないけど、申し訳なく思った。
「ほら、君の番だよ。投げて投げて」
「…………」
三投目。だが、どうやら今の俺に集中力というものは皆無らしく、真ん中からはほど遠いところに当たった。
恋歌先輩はまた俺と交代して、ダーツを構える。
その姿すらなかなか絵になっていたが、今の俺にそんなことを気にする余裕はなかった。
「海斗くん。君は中学時代、いじめを受けていたそうだね」
何気なくつぶやいた恋歌先輩の一言に、思わず体が強張ってしまう。
ていうか、なんで恋歌先輩が知っているんだ。
「ああ、これは別に加奈さんたちからきいたわけじゃないよ。私なりの情報網というものがあってね。それはそうと、君は中学時代にいじめを受けていた。そういう連中は私も好きじゃない。大嫌いだ。でもあえて今ここでその話題を出したのは、君に確かめたいことがあるからだ。これは君の口からじゃないと確かめられない事だからね」
恋歌先輩はさも当然の如く、ダーツを真ん中に命中させると、軽やかなステップでくるりとターンした。綺麗な黒い長髪が動き、なびく。
「君をいじめていたグループの主犯。それは女子生徒だった。違うかな?」
瞼を閉じれば蘇る。
あの頃は本当に、学校に行くだけで苦痛だった。
姉ちゃんはごめんねと悲しそうな顔をしながら俺に謝っていて。
――守ってあげられなくてごめんね。
――お姉ちゃんのせいでいじめられてごめんね。
――わたしがかいちゃんにアニメとか勧めなかったら、こういうことにはならなかったのにね。
違う。
そうじゃない。
俺は何度もそういったけど、姉ちゃんはずっと悲しい顔をしていた。
姉ちゃんに心配をかけたくなくて学校には頑張って通った。
そしてそこで待ち構えていたのが――――あいつらだ。
「……君をいじめていた主犯格の三人は全員女子だった。そして君は、中学時代にその同年代の女の子に対する恐怖という感情を克服するために、感情を殺した。君の中学の女子生徒を意識しないことで、女子生徒に対する恐怖心を少しでも克服しようとした。そして君は中学を卒業して、春休みの間に自分なりの復讐を済ませた。そして今の学園に君は入学してきた。そこで君は、もうすべてが終わったと思っていた。だけど、君の中では、同年代の女の子に対する恐怖心が、心の奥底では残っていた」
恋歌先輩の言葉を、俺は否定できない。
実際に、そういった部分が俺の中に残っていないとは言い切れない。
だけど俺は別にそれでもかまわないと思っていた。
俺は変わらなかった。
姉ちゃんに勧められたアニメを見たりして、中学時代も今もそれは好きだった。
好きなものを好きだと思っているまま、俺は中学時代の頃から変わらずにいられている。
俺はこうすることで、姉ちゃんのせいじゃないって言いたかった。
その思いが姉ちゃんに届いているかは分からないけど。
「女子生徒に対する感情を殺したままこの学園に入学してきた君は、一人の女子生徒と出会う。それが、天美加奈さんだ」
俺は、加奈と出会った日の事を思い出す。
前々からあいつのことは知っていた(何しろ有名人だったし)。
けどまさかあいつの正体があんなんだとは思わなくて、恐怖心よりもまず驚きの方が大きかった。
「もともと君の恐怖心というのはあくまでも心の奥底にあるもので、表面化することはない。だけどその影響は、君に与えていた。同年代の女子生徒を意識しなくなっていた。だが、あの日本文化研究部という場所で過ごしていくうちに、君の中にある恐怖心が少しずつ解けて行った。氷がゆっくりと、暖かな太陽の光で溶かされていくように。……そして先日の雨宮家訪問の際に、雨宮小夏さんの言葉で君は自分自身の感情の変化を改めて自覚した」
恋歌先輩は俺の瞳をじっと見つめていて、俺も思わず彼女の事を見つめていた。
逃げることは許されないと言われているかのような。
そろそろ向き合えと、言われているかのような。
そんな、気がした。
「ここで、君に一つ質問したい。あの文研部の女の子たちは……君の目にはどう見える?」
恋歌先輩の言葉が、俺の胸に突き刺さる。
「君をいじめていた女子生徒たちと同じ存在? 恐怖の対象? 避けたいもの? 見たくないもの? 拒みたいもの? 拒絶したいもの? それとも――――」
「大切な人たち、です」
その答えは、驚くべきほどあっさりと出てきた。
実際、俺はちょっと内心、自分でも驚いている。
「確かに中学時代、俺は嫌なことがあったけど、でも加奈たちは関係ない。あいつらは俺にとって、大切な人たちです」
「そうか。それをきいて安心したよ」
ふっ、と恋歌先輩が柔らかい笑みを浮かべた。
心の底から安心したような、柔らかい笑み。
思わずドキッとしてしまうような、そんな少女のようなかわいらしい笑顔。
普段の凛としている恋歌先輩からは想像もつかないような笑顔。
「つまり君は、もう同年代の女の子を異性として意識しているってわけだね?」
「う……なんですか、それ。なんでいきなりそんなトコまで話が飛ぶんですか!? ていうか、俺はあいつらのことが大切ってだけで、意識も何も、俺は幼女一筋ですよ!」
「それを意識しているって言うんじゃないのかな? じゃあ、こうしても何も感じない、と?」
今度はいたずらっ子のような笑みを浮かべた恋歌先輩は、突然俺の腕に抱きついてきた。
発育豊かな胸がぎゅむっと押し付けられ、肉付きの良い太ももも絡めてくる。
顔もやけに近づけてくるし、制服を着崩しているのと角度的な問題で胸も谷間のようなものが見えてしまっている。
「ちょっ、や、やめてくださいよ恋歌先輩。こんなところで……」
「おや。これぐらいで動揺するとは君らしくもない」
クスクスと恋歌先輩がいじわるな顔をしている。
くっ……わかっててやっているなこの人は。
「ほら、次は君の番だ。私がダーツの投げ方を教えてあげよう。手取り足取り、ね……」
そういって、恋歌先輩はその細くて白い指を俺の手に絡めてくる。
温かい手のぬくもりと柔らかさに思わずまたドキッとしてしまう。
が、
「へぇ……手取り足取り、ね……」
聞き慣れた声。
ゆっくりと振り返る。
そこには、阿修羅たちがいた。
「海斗くん……随分とお楽しみのようですねぇ……」
「……いきなり恋歌先輩に捕まったと連絡を受けて探したのに」
「そこで来てみればこれだもんねぇ」
「海斗くん。恋歌先輩と楽しくしてたんだね。ごめんね」
「最低ですね。幼女だけでなく、先輩にも手をだそうだなんて」
「先輩。私、そろそろ怒りますよ?」
「ただ怒るだけじゃだめだよ小春ちゃん。海斗先輩にはちゃんとオシオキしないと」
どうしてだろう。
尋常じゃないぐらいの汗が出てきた。
そして恋歌先輩はいつの間にか離れていて、帰り支度を始めている。
「海斗くん。賭けは私の勝ちだ。後日、また連絡させてもらうよ」
「あ、はい……」
「そうそう。それと、今は不利かもしれないけど……でも、私も頑張るからね。想い出なら、作ればいいのだから」
「は? それは、どういう……」
その言葉の意味を問いただす前に、恋歌先輩はスルリと猫のようにすり抜けて、その場を後にした。
律儀に入場料を置いて。
「海斗くん! 今のどういう事ですか。ていうか、今まで恋歌先輩と何やってたんですか!」
「ちょっと待て、なんでお前らそんなに怒っているんだ!?」
「……正座」
「は? いや、ここお店の中……」
『正座』
「はい……」
その後、俺は文研部女子陣に散々、遊びに付き合わされた。
結局、頭の中のもやもやは晴れないままだったけど……それでも何かが、進んだ気がした。




