ifストーリー 恵ルート③
教室の中では他人のふりをして、屋上や放課後はさも友人のようにすごす。そんな、恵との奇妙な関係は夏休みに入っても、まだ続いていた。夏休みに入ると、放課後のように帰り道に子猫たんの様子を見に行くことはできないので、毎日、子猫たんのもとに通おうとした。が、夏休みを境に子猫たんの姿が消えた。まさか車にはねられたのか、と思ったけど段ボール箱ごと消えているから、その可能性は低い。とはいえ、事故った後に誰かが段ボールを撤去したのかもしれないけど。
そのことを恵に話してみると、恵は何故かにこにこ笑顔のまま、
「むふふっ。じゃあ、今日は家にきなよ。いいもの見せてあげる」
そんな恵の笑顔に不意にドキリとさせたれた俺は、とりあえずこくこくと頷いておいた。その日、俺は恵の家に向かった。何気に初めてである。あいつの家にお邪魔するのも、女の子の家にあがるのも。
恵の住んでいる家は、白い一軒家だった。何気に少し大きい。上品な雰囲気も感じられる。今までの話から察するに、父親は他界してしまい、今は母親と二人で暮らしており、その母親がかなり稼いでいるらしい。
「いらっしゃい、かいくん」
「お、お邪魔します……」
夏休みだから当たり前なのだが、恵は私服だった。白いブラウスに、その上からワンピースを着ている。全体的に清楚で爽やかな雰囲気が感じられ、だからこそかいつも放課後や屋上などといった、学園にいる時とはまったく違っているように見えた。
「あー、め、恵」
「ん? どしたのかいくん」
「いや、その服、似合ってるなって思って。学校にいる時とは全然違うっていうか」
「うぁっ!? あ、ありがと……」
ごにょごにょと返す恵は、さっ、と俺から背を向けると、トコトコと歩き出した。とりあえず、俺はそんな恵の後ろをついていく。リビングに到着した俺は、恵に「そこで座って待ってて」と言われてて、すぐ傍にあったソファに腰かけた。
恵の後姿が見えなくなったところで、息を吐き出す。
……緊張したぁー…………。
学校で制服姿で会うのと、あいつの家で私服姿で会うのとでは何故かぜんぜん違う。何が違うのかは分からないが、とにかく違う。まさに制服マジックならぬ私服マジック。
その後も、妙にそわそわと落ち着かない気持ちで待っていると、すぐに恵はやってきた。
「じゃーん」
笑顔の恵が抱きかかえていたのは、他ならぬ子猫たんだった。俺は思わずソファから立ち上がり、驚きの表情を露わにする。
「え、ちょっ、どうして?」
「ふふっ。実は、この子を引き取るのに前々からママに許可をとろうとしていたのです。それで、ようやくその許可がとれたから、引き取ったの」
「グッジョブ!」
みゃーんと幸せそうに鳴く子猫たんのなんとまあ可愛いこと。一度、恵に代わってもらって子猫たんを抱いてみた。どうやら俺のことは覚えてくれていたみたいで、みゃーんと鳴きながらごろごろと甘えるように頬ずりしてくれた。か、かわゆい……。
「よかったぁ。いつか保健所? かどこかに引き取られて殺処分されてしまうのかとヒヤヒヤしてたんだ」
「私もそう思ってね。仲良くなったのにそれはなんか、ちょっと嫌だし……」
どうやら恵も同じように思っていたらしい。なんとか引き取り手が見つかって安堵した……のだが、
「あー、でもこれからは毎日会えなくなるなー」
そう頻繁に女の子の、それも割と一人でいることの多い子の家にお邪魔するのは気がひける。ていうか、恵だってそれは嫌だろう。こんな、なんちゃってDQNみたいなやつが毎日、自分の家に通うのは。
が、そんな俺の心配とは裏腹に、
「か、かいくんがいいなら、毎日この子に会いに来てもいいよ……?」
「え、マジで?」
以外にも、あっさりと承諾された。暑さのせいか知らないが、恵の頬が少し赤くなっていた。でもこの部屋、エアコンがかかっているはずなんだけどな。
その日以降、俺は子猫たんに合うために毎日、恵の家に通った。そのたびに恵の私服を見てしまって心臓の鼓動が早くなるのはどうにも慣れなかった。何しろ俺は、紳士とはいっても一人の男子である。こんなにも可愛い女子の可愛い私服姿を見て緊張しないわけがない。
恵の家に通うついでに、毎日二人で宿題も蹴散らしていった。が、宿題をする時にはいつも一緒のテーブルを使ってやっていたので、たまにふと視線を上げると無防備な胸元が目に入ってくるので目の毒だ。しかもこいつは、小柄な割に……その、なかなか大きいものをお持ちだから、なおさら目に毒なのだ。
それにここ最近は……自分の気持ちにも気づいていた。少し前から、俺は彼女のことを意識していたのかもしれない。だからこそ痺れを切らして、俺はある日、言ってみた。
場所はリビングで、いつものように二人そろって向い合せに座って、同じテーブルに宿題を広げていた。
「なあ、恵」
「ん? なぁに、かいくん」
「……いや、あの、もう少し服装とかには気をつかった方がいいぞ?」
「ほぇ? なんで?」
「だから、えーっと、なんていうか、その……む、胸とか見えそうだし」
気まずいので遠まわしに指摘したかったが、生憎いまの俺はそんなスキルを持ち合わせていないし、何しろこいつと会話をしようとしたら頭がまわらなくなることがたまにある。タイミング悪く、今がまさにその時だった。
「ていうか、少し無防備すぎるんだよ、お前。男と二人っきりなんだぞ。頼むからもう少し警戒してくれよ」
じゃないと俺の理性がリミットブレイクしそう。
恵は、俺の必死の説得に対して、頬を少し桜色に染めながら俯いて、小さく小声で何かを呟いた。
「……わざと無防備にしてるんだもん」
「……? 悪い。もう一回いってくれ」
「な、なんでもないよっ。ほら、はやく今日の分のノルマをやっつけちゃお」
慌てて夏休みの宿題に恵は取り掛かる。変な奴、と思う傍ら、俺は今のシチュエーションに緊張しっぱなしだった。
かわいい女の子の家で、二人っきり。
男なら誰だって――上級紳士ならばともかく……上級紳士ってなにそれ上級モンスターみたいでかっこいい――、こういう状況に陥れば緊張するだろう。都合の好い妄想だってするだろう。
これまでの期間を経て、俺は確かに牧原恵という少女に魅かれていた。理屈じゃない。同じ時間を過ごすうちに意識しはじめて、本当にいつの間にか、好きになっていた。
気が付けば視線で恵のことを追うようになっていた。
彼女のことをよく見るようになっていた。
だからこそ……俺は、気になっていることがある。前から疑問に思っていたことがある。
宿題が一段落したところで、恵がうーんと背筋を伸ばしていた。そのタイミングを見計らって、俺は思い切って切り出してみた。
「なあ、恵」
「ん? なーに、かいくん」
「これは俺の直感なんだけど……お前、お前さ。前にどこかで、俺と会ったことが、あるのか?」
「……な、なんで?」
「いや……なんか、お前って、あの屋上で俺とはじめて……俺の体感ではじめてお前と話をする前から、俺のこと知っていたような気がしたんだよな。だって、いくらなんでも夏休み前ぐらいまで同じクラスにいて名前も知らないなんてありえないだろ? お前って頭良いし、なんだかんだ先生の話もしっかりきいてるし。それに今ならわかるけど、あの時のお前って明らかに動揺してたし。他にも、今まで一緒に行動してきて思ったところがあるんだけどな」
「どーして、そう思ったの?」
これぐらいは言っても許されるだろうか。いや、それは恵が決めることじゃない。俺が決めることが。俺が前に一歩、進めるかどうかだ。
ならば、俺が今ここで選ぶ選択肢は、進む、だ。
「……いや、その、ここ最近はずっと……見てたから。お前のこと。だから、なんとなくそう思ったっつーか……」
俺がつっかえつっかえにそう言ってみる……が、恥ずかしくなって、目の前にある恵の顔を直視することができなかった。うわなにこれすっげぇ恥ずかしい。
だが、進むという選択を選んだ俺としては、このまま突っ切るほかなかった。
思い切って顔をあげてみると、恵が驚きを露わにして――――あと、心なしか少し顔が赤い。
「ずっと見てたって……私のこと?」
「お、おう。悪い。ごめんな。なんか、気持ち悪いこといっちゃったな」
ああ、なんでここで弱きになってしまうのだろうか、俺。
だけど事実だしなぁ。
そんなことを考えていたが、恵はぶんぶんと頭を横に振り、
「そ、そんなことないよっ! むしろ、うれしいっていうか……」
「えっ」
「っ、そ、そのっ……」
沈黙が居間を支配する。だが、この沈黙は俺は嫌いじゃない。恵も……そうだといいんだけど。
互いに俯きあっていたので、恵の表情は分からない。
心臓の鼓動が頭の中にガンガン響いてくる。この音はなんなのだろうか。まるで、何かを語りかけているかのようだ。勇気を出せ、といっているかのような。
それなら、それに、従ってみよう。もう一度、勇気を出してみよう、かな。
生まれて初めて出す勇気に後押しされるように、俺はその言葉を口にした。
「……恵」
「な、なに?」
「俺は……お前の事が……」
ふと、俺は顔を上げた。恵も、顔を上げていた。そして、俺は彼女の眼を見る。こういう事は、ちゃんと相手の眼を見て言わなきゃならないと思った。
「好き、だ」
言ってしまった……。告白なんて何気に人生で初めてする体験だ。緊張する。返事をもらうまでの時間が、永遠にも感じられた。それぐらい、体感では長かった。やがて、恵は。
「わ、私も……かいくんのことが、好きだよ」
頭が真っ白になった。
「……………………まじですか?」
「……………………まじです」
自分で告白しておいてなんだが、信じられなかった。何しろ目の前にいるのは誰もが認める超絶美少女なわけで。そんな子が、こんな元いじめられっこのなんちゃってDQNの告白に対してOKをくれるなんて。
「ていうか、か、かいくんから告白しておいてまじですかって……」
「信じられないんだよ。本当に」
「じゃあ……」
向かい合わせに座る恵が、テーブルから身を乗り出して近づいてきた。どんどん近づいてくる。未だショックから抜け出せていない俺には、十分な不意打ちになった。そのまま恵は止まらずに、近づいてくる。やがて、吐息がかかるぐらいの距離に近づいたかと思ったら、唇に温もりを感じた。
時間にして僅か数秒ほどだったが、俺にはその何倍の時間にも感じられた。唇から温もりが去った。俺はさっきとはまた違う意味で、ぼーっとしていた。
「……これで、信じてくれる?」
「……信じる」
「そっか」
「うん」
間違いなかった。まるで夢のようだ。だけど、これは夢じゃない。現実だ。
それが、たまらなく嬉しかった。
だからこそ、欲が出たのだろうか。
証拠が欲しくなった。この夢のような現実が、本当に現実であるという確かな証拠が。
「確かに信じる。けど、」
「けど?」
そのまま、俺はやや強引に恵の肩を引き寄せて、更に――行儀が悪いとは思うが――テーブルの上に、今度は俺が身を乗り出す。
「……もっと証拠が欲しい」
「ふぇっ……んっ」
今度は俺からキスをした。恵は少し驚いたようだが、素直に身を任せてくれた。キスが終わって、互いの顔を見合わせる。
「ん……かいくん、ちょっと強引かも」
「わ、悪い……でもなんか、夢みたいで」
「その気持ち、わかるよ。私も同じ気持ちだもん……」
自分たちがしたことに今更ながら照れてしまったものの、今度はどちらからということもなく、二人同時に、互いの唇を重ねた。三回目のキスをした後は、流石に俺たち二人のキャパが限界を迎えてしまって、手を繋ぐまでに留めた。
手から伝わってくるその温もりは、夢ではなく確かに現実だった。




