第34話 終幕 夏休み前半戦
花火も終わったところで後片付けをし、入浴も済ませてしまったところで就寝時間が訪れた。なぜか、花火をしている時の記憶が途中からおぼろげになっているのは気のせいだろう。今日は昼間に海で遊んだ分、みんな初日と同じぐらい疲れてしまっているだろう。現に女子陣はやけに眠たそうにしていた(約一名、「かいちゃーん、一緒に寝よ――――!」と元気にはしゃいでいた者もいたが。ええい、うちの姉ちゃんは化け物か!)。
俺たち男子も部屋に戻るとさっさと布団の中へと入る。因みに部屋のスペースの関係で徹さんは物置で眠っている。「あれ? 俺だけ扱い酷くね?」とかなんとかほざいていたけど無視。加奈がそうしろと言ったのだから仕方がない。
「んじゃ、電気消すぞー」
正人の声が聞こえた直後、部屋の明かりが消えた。そのまま目を閉じる。しばらくすると、部屋の中を寝息が埋め尽くした。……いや、違う。埋め尽くしてはいない。俺はまだ寝ていないし、何より、国沼もどうやら起きているようだ。
正人と葉山は昼間から海で遊んだりして疲れたのだろう。
「黒野、起きてるか?」
「一応な」
「そっか」
「そうなんだ」
さて。さっさと寝るか。間がもたない。死ぬ。俺の精神が。よくよく考えてみると俺ってば国沼と話したことがないんだよな。
「黒野って、思っていたよりも面白いやつだよな」
「……?」
目を開けてみると、そこには天井。目が暗闇に慣れてきたせいか、暗闇でもおぼろげに見える。そんな中で、国沼の声が聞こえてくる。
「俺はとしては少し複雑だけどな」
「そっか。わるいわるい」
楽しそうに苦笑する国沼。そもそもなぜ急に話しかけてきたのだか分からない。
うん。いや、まあ。国沼は良いヤツだし、俺に気を使っているのかもしれないし、仲良くなってくれようとしているのかもしれない。
こんな時、ふと思ってしまう。加奈や、南帆や、恵や、美紗や、美羽や、正人や、葉山や、国沼たちと一緒にいると、思ってしまう。俺が中学の時に、こんなやつらが一緒にいてくれれば、あの頃はどんな日々になっていただろう、と。
「きいたぜ。昼間の渚さんたちのこと」
「ん。そうか」
国沼の言葉に歯がゆくも、嫌になってしまう。俺がああしたのは、ただ中学の頃のを思い出してしまうからだけだ。別に正義感とか、そういうのじゃない。いや、ああいう場面に遭遇して、自分にはああいうやつらを叩きのめせるような実力があって、それで黙っていることは誰にだってできないだろう。誰だってあの場面だったらああしたはずだ。
「大したことじゃねえよ。つーか、あの場面だったらお前だってああしただろ」
「……だとしても、俺はその場面に立ち会えなかったんだよな」
国沼の顔こそ見えなかったものの。俺にはなぜか、その声がどこか自身の無力さを噛みしめているような、そんな感じがした。俺がそれに気づいたのも、そういった経験が……無力さを噛みしめているような経験を何度もしていたからだろう。
「おいコラそこ。残念がるなよ」
「いや、そういう意味じゃないよ。……なんていうか、俺は駄目だなぁってさ」
「お前が駄目なら俺はアレか。ゴミ? 虫ケラ?」
「そんなことないだろ。もう少し自信もてよ」
「……そうかな」
「そうだろ」
再び、苦笑する声が耳に入ってきた。これで少しでも、自分のことを正しく認識してくれればいいのだが。じゃないと俺が僻みで死にそうだ。マジで。
例えるならそれは後輩にパワーアップアイテムを先に入手され、更に遅れてようやくパワーアップアイテムを入手したと思ったら後輩は更にその上の力にエボリューションし、直接対決でもボコボコにされた先輩みたいなものだ。なんか違う気がするのはきのせいだ。
でもあの先輩はストーリー上、重要な戦いでは無類の強さを発揮するから。それまでの醜態が嘘のように無双するから。この距離だとバリアは張れないから。本当は強いから。ただちょっとメンタルがアレで体がボドボドになっちゃうだけだから。敵にも一度ならず二度までも騙されるだけだから。いい加減にしろ! 弱フォームかっこいいだろ! 辛味噌!
☆
次の日。
みんなはすっかりと昨日までの疲れをとり、テキパキと荷物をまとめるなどの準備を始めている。俺は恵の様子を気にしつつ、準備を終え、一階にみんなと一緒に集まっていた。みんなといっても、今ここには俺と恵しかいないのだが。
これが終われば文化祭が控えている。今回の合宿は幼女との思い出を消されたりしたけど、まあ、楽しかった。……まあ。幼女がいないのは残念だったけど、なんだかんだ楽しかったような気がする。
また、このメンバーで来年もこうして過ごせたらいいな。
「いやー、今年の夏は楽しかったねぇ!」
恵も大満足のようだ。ただ、幼女との思い出を消されたのはキツイ。恐らく、帰った後は初回購入限定版に付属していた抱き枕を濡らすことになるだろう。
「ううっ。くっ……さつきちゃん……家に帰ったらもう一度、会いに行くからね!」
「ねえかいくん。もしかすると今、二次元幼女のことを思って涙を流しなかった?」
「当たり前だろ……そりゃ泣くよ。こっちは覚えていても、画面の向こうのさつきちゃんは俺との思い出を覚えていないんだぜ。でも、いいんだ。何度でも会いに行くから……何度でも、何度でも。思い出ならまた作ればいいんだ……」
「それっぽいこと言ってるけどそれって本当にギャルゲーのデータを消されたんだよねぇ!?」
「当たり前だ。ギャルゲーのデータ。それはすなわち、俺と幼女たちのメモリー」
「かいくんって、本当にもう少しリアルの女の子に興味持った方がいいよ、ホント……」
恵が心の底から心配するような目で俺を見ていた。
でも大丈夫。ここ最近の俺はこういう目で見られることに慣れてきたから。
「それにしても心外だな。俺はちゃんと、リアルの女の子にも興味あるぜ」
「幼女はなしで」
「………………………………………………………………………………………………」
「そんなシロガネ山にいるレッドみたいな反応をされても……」
「だって、BBAに興味をもてと言われても……」
「待って。そんな困ったような反応をしないで。こっちが困るから」
恵が頭が痛そうな反応をしてきたが、俺の方が頭が痛くなってくる。だって幼女という神々しい存在を除くなんて、この女は正気か!?
「もうちょっとぐらい幼女のことはいったん忘れることはできないの? そんで周りの女の子に目を向けてみるとかさあ」
「俺に死ねと!?」
「幼女のことを忘れると死ぬの!?」
何をいっているんだろうこいつは。こんなの常識じゃないか。恵はバカだなぁ。
「そんなバカだなぁって言いたそうな目で見るのやめてくれる!?」
「っていうかよ、周りの女の子に目を向けるったって……」
俺はとりあえず、言われた通り周りに目を向ける。そこにいたのは、可愛い子が多いと言われる我が流川学園の精鋭とも呼べるべき美少女たち。その圧巻とも呼べるべき光景を目に焼き付けて、俺は息を吐き出す。
「……見ろよ。BBAしないないじゃないか」
「ですよねー。かいくんならそういうと思ったよ」
再度、再びため息をつく恵はチラっと俺の様子を伺うように視線を向けると、
「だからさ、もう少し……私……たちのこととかさ」
「私たちって、お前らのこと?」
「う、うん……ほ、ほら、かなみんもなほっちも、みうみうもみさみさも、みんな、可愛いでしょ?」
「お前もな」
とりあえず付け足した捕捉に恵は「ううっ」と唸りながらぼっ、と顔をトマトみたいに赤くする。
「だ、だから、さ……もう少し、周りに目を向けてみて」
じっと恵は俺の目を見つめてくる。だけどそれはいつも向けてくるような、気楽な笑顔ではなくて、何ていうか――――切実、というか。まるでなにかを訴えているような。そんな気がした。
「――――ちゃんと、私たちを見て」
恵は覚悟を決めたかのように、告げる。
「友達としてじゃなくて。同じ部活のメンバーとしてじゃなくて。一人の、女の子として私たちを見て」
恵がいったい何を言っているのか。この言葉がどういう言葉なのか。俺には何も分からなかった。
それが悔しかった。恵は何かを切実に訴えている。だが俺にはそれがなんなのか、分からない。
たぶん、恵は何かの一線を越えようとしているのだ。
だけど。でも。俺には、目の前の何かを訴える牧原恵という女の子が、どうしても友達にしか、同じ部のメンバーにしか、見えないのだ。
この時の俺は、困った顔をしていたのだろう。
きっとそうだ。それを俺の顔を見た恵が、悲しそうな笑みを浮かべていたからだ。
「もしかしたら、すぐ近くにかいくんのことが好きな女の子がいるかもしれないよ?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべた恵は、そのまま逃げずに見つめてくる。俺はそんな恵に、正直な今の気持ちを伝えることにした。
「――――それはねえだろ」
ため息を同時にその言葉を吐き出す。
俺を好いてくれる女の子。
そんなやつがこの世界に存在するわけがない。
「こんな俺なんかを好きでいてくれる女の子がいるわけがない。それだけは絶対にありえない」
好きになる? 惨めで、バカで、みっともなくて、いじめを受けるような、こんな俺なんかを。
誰かを助けてやるときにだって、ただ俺をいじめていたやつらを重ねて、そいつらを暴力で叩きのめすことしかできない。ただの自己満足でしか誰かを助けることが出来ない俺なんかを。
俺は、自分を好きになってくれる子がいたら、全力でその子を幸せにしてあげたい。けど、こんな俺なんかと一緒にいても、その子は幸せにはなれない。その子にはきっと。もっとその子に合った男がいるだろうから。こんな俺を、選んではいけないのだ。
「……『こんな俺なんか』、ね」
恵は目を伏せる。そして僅かの間の後。
「ねえ、かいくん。私は――――」
私は――――なんだったのだろう。俺はその後に続く言葉をきくことが出来なかった。
なぜなら。
「探したわよ。恵」
聞いたことのない女性の声が、部屋の中に響き渡った。……いや。俺は知っている。この声を。
その声を聴いたときは、とても分かりやすい説明だな、と記憶の中に残っていたのだ。
そして、恵の顔が見るからに凍り付いているのがわかった。
入口で堂々と立っているその女性に背を向けたまま、恵は僅かに肩を震わせている。あの女性が怖いのではない。これは……何かが壊れるのを、恐れているのだ。
何を? 何を恐れているんだ?
俺は無意識のうちに、その人と恵の間に割って入るように、恵を守るように。
「ママ……どうしてここに?」
「ま、ママ!? ってことは、この人が、恵の……」
「母の、牧原富音です。この子がお世話になってます」
「く、黒野海斗です」
そうだ。あの塾の創立者だ。そういえばあの人も苗字が「牧原」だった。
でもおかしいな。あの人って今じゃ結構な有名人だろ。仕事も忙しいだろうに、どうしてこんなところに……。
「ああ。あなたのことは覚えています。春の体験会にいらっしゃいましたよね?」
「え? ああ。はい。授業、とってもわかりやすかったです」
「そうですか。それはこちらとしても何よりです」
ここまでは何てことのやりとりだ。だが俺の背にいる恵は経過するように、自分の母に向けて鋭い視線を放つ。
「こんなところまで、何しに来たの?」
「決まってるわ。あなたを連れ戻しに来たのよ」
ちょっと待て。
「転校のこと? 今はまだ夏休み中だよね。なんでそんなに焦ってんの」
待ってくれよ。
「焦って当然ね。親としては一刻も早く、あなたが道を踏み外さないようにするのは当然のことでしょう?」
だから……待ってくれ。
「ちがう。あれは私が悪いの。かいくんたちは関係ない。あの場所は関係ない。なんでもかんでもみんなのせいにするのはやめてよ」
「ま、待てって!」
ようやく。俺は一言を吐出すことが出来た。
俺の言葉に、親子の応酬がいったんはとまる。
「い、いったい、何の話をしてるんだよ?」
「かいくん……」
「転校って……なんだよ……」
また来年も、こうしてみんなで一緒に、ここに来たかったのに。
なんだよ。なんなんだよ。
「言葉のとおりです。恵は夏休み明けには転校させます」
「なんで……ですか?」
「恵は、とても優秀な子です。しかし、流川学園に入学した途端に今までとは変わってしまいました。髪を染めるぐらいなら。髪を切るぐらいならまだ良いです。娘がおしゃれしたいのならそうさせます。ですが、そうすることで勉学の方が疎かになるのでは話になりません」
勉学が疎かにって……まさか。
あの、中間テストか。恵は元々、ちゃんとやればできる子だ。それはここ最近のあいつを見ればわかる。現に、期末テストではいきなり上位に食い込んできたし、となれば中学の時はもっとできていたのかもしれない。
恵の方を見る。恵はまるで自分の行動が裏目に出たかのような目をしていた。
ああ、そうか。
そういうことか。
たぶんこいつは、ずっとこの母親と戦っていたんだろう。転校したくなくて。今まで、母親の言うことにずっと従ってきたのではないだろうか。いつもはちゃんと優等生を演じて。だけど今回のことで母親に反抗してみた。それがあの、赤点ギリギリのテストだったのか。
赤点にギリギリならないように点数を調整することぐらい、こいつなら簡単にやってのけそうだしな。
「今すぐ帰りましょう、恵。この夏からはきっちりと勉強に励みなさい」
「いや。絶対に転校はしない。これからはちゃんと勉強も頑張る。それのどこがダメなの?」
「今はそういっても、いずれまた点数が落ちたらどうするの? 自分の将来がかかっているのよ?」
どちらも一歩も譲らない。
だが、この富音さんの言うことは正しいのだ。
恵は点を落とした。本当はトップクラスの成績のはずなのに、それが赤点ギリギリになるまで。そこからまた本来の調子を取り戻したものの、だけど母親としては高校に入学した途端から変わった娘には心配せずにはいられない。
当然のことだ。
親として、当然のことなのだ。
気が付けば、中に踏み込んできた富音さんは恵の手をつかんでいた。
何をしているんだ俺は。何のためにこいつの前に立った。
「いや、離して!」
「我がままを言わないで。あなた、幸せになりたくないの?」
……確かに。たくさん勉強して、立派な大学に入って、立派な企業なりなんなりに就職すればそれが幸せへの最短ルートなのかもしれない。けど……。
俺は、富音さんの手を払う。不意を突かれた富音さん。その隙に恵の手をとって、引き寄せる。
「……私たちの家の事情に首を突っ込まないでくれるかしら?」
「いや、知りませんよそんなの。俺は俺のやりたいようにやる。俺がどう動こうと、俺の勝手でしょう?」
富音さんが何かを言いたそうに口を開きかけたその瞬間――――、
「他人の別荘に土足で踏み込むっていうのは、ちょっと褒められた行為じゃないですよねぇ」
二階からにこにこと笑顔で降りてきたのは、姉ちゃんだった。
「……あなたは?」
「あ、黒野海音でーす。かいちゃんのおねえちゃんでーす」
にっこりと姉ちゃんスマイル。くそっ。我が姉ながら可愛いじゃねーか。
「あ、それとですねー。心配しなくても、今から帰るところですから大丈夫ですよー? 恵ちゃんは、ちゃんとお家まで送り届けますので♡」
姉ちゃんは笑顔を崩さない。だがその笑顔には、どこか芯の通った意思が秘められていた。
「……そうですか」
「それとそれとー。ちょっと偶然きこえちゃったんですが、もう少し娘さんのことを信頼してくれませんかね? 押し付けるだけのその対応じゃあ、『私は娘のことは信用してませんから』にしか聞こえないですよ? 信用してあげなくちゃ、娘さんがかわいそうだし、いくらお母様が言ってもきいてくれなくなっちゃいますよ?」
最終的に、ダメ押しとばかりに放った「娘さんはちゃんと家まで送り届けます」の一言がきいたのか、富音さんはそのまま踵をかえして去って行った。
姉ちゃんは何事もなかったかのように「じゃあ私、もう少し上にいるからゆっくりね」と二階へと戻っていった。こういうところで気が利いているのは流石は姉ちゃんだ。愛してる。
「……なあ。いつから、転校の話、聞いてたんだ」
「……親睦会から帰ってきた後」
「そうか」
そこから恵は、ずっと一人で戦ってきたのか。
ロクに親に反抗したこともないくせに。わざと赤点ギリギリをとるなんて、幼稚な反抗ぐらいしかできないくせに。
俺は、このメンバーで過ごす日々が大好きだ。
だからこそ、守ろう。
無様でもいい。
かっこ悪くてもいい。
誰かの助けを借りてでも。
この、皆でいる日々を守りたい。
俺がやっと掴んだ、ずっと欲しかった、焦がれていたこの日々を守りたい。
だから――――
「なあ、恵」
「なに、かいくん」
「文化祭、楽しみだよな」
「……うん。そうだね」
「俺さ、やっぱ考えたんだけどさ、うちの部活も何か出さなきゃいけないと思うんだよ」
「……そうだね。私もそう思う」
「まだ何を出すか決まってないけどさ。でもきっと、楽しくなると思うんだよ」
「うん。きっとそう」
「だからさ、俺たちと、みんなと一緒にやろうぜ。文化祭」
――――ここからが、本当の夏休みの始まりだ。
「……うん。絶対に、みんなと一緒にするよ。約束」
第三章完結。
今度は数話ぐらい生徒会エピソードを挟んでから次の章へと進みます。




