第26話 国沼良助
合宿当日。
正人のギリギリまで生徒会を手伝いたいという要望に応えて集合は学園にした。俺の夏休みは毎年、暇なものだったのだが、文研部の部員は毎日、部室に足を運んでいる。やっぱり趣味を共有できる友達がいることは思っていたよりも大きく、何だかんだで今年の夏休みは充実していた。
俺は少し早く着きすぎてしまったようで、一人でぶらぶらと校舎を歩いていた。不思議なことに、休みの日に歩く校舎というものはなかなか新鮮だ。
窓の外を見てみると、グラウンドでは運動部が盛んに活動している。そういえば夏休みになると大会とかあるんだよな。俺も元テニス部員だから分かるけど。懐かしいなぁ。あの頃は練習が始まる二時間前から来て壁打ちやって、練習が始まってからは隅でおとなしくしてたっけ。
と、そんな昔の悲しい思い出に浸っていると、前のほうから誰かが歩いてくるのが見えた。高身長イケメン、リア充の中のリア充。目にしただけでそんな単語が頭にぽつぽつと浮かんでは消え、また新しい印象に上書きされていく。
タオルで汗を拭いながらさわやかな笑顔を向けてくるのは……確か、うちのクラスにいたやつだ。俺は教室内では基本的に寝るか葉山や正人と会話するか、時折こちらに視線を向けてくる加奈とアイコンタクトするぐらいしかしていないのでクラスの連中のことはよく知らない。だがそんな俺でもこいつだけは知っている。
葉山が転向してきた今となっては一年生二大イケメンの、行ってしまえば男子版天美加奈である国沼良助だ。高身長にスポーツマンらしい鍛えられた体。太すぎず細すぎずの完璧なバランス。成績も毎回、TOP10に入るぐらいに頭が良いと聞くし、どこぞの金持ちのお坊ちゃんだったはずだし、テニス部で、正人と同じ生徒会にも入っていたような気がする。性格も良くて、誰に対しても分け隔てなく接してくれる。
うわ、すげぇな。高身長イケメン、頭も良い、金持ち、しかも性格も良い。女ならすぐに飛びつくだろこういうやつ。確か葉山と仲が良いんだっけ。やっぱりイケメンとイケメン、良い奴と良い奴というのは惹かれあうもんなんだな。
「よっ」
誰にでも優しいとは聞いていたがまさかこの俺に正面切って話しかけてくるとは思わなかった。自慢じゃないが、俺はクラスでもかなり扱いの困る生徒だと自負している。加奈や正人、葉山いがいの生徒は誰も俺に視線を合わせようとしない。
まあ、国沼も国沼の友達付き合いというものもあるだろうし、そもそもその友達付き合いをほったらかして俺に話しかけることもない。
むしろ、偶然廊下で会ってわざわざ話しかけてくる辺り、こいつは凄く良いやつだと思う。
だってよ、俺に話しかけてきてくれたんだぜ?
「ん」
俺も無難な挨拶をしてから歩きだす。別に話題も何もないしな。ただ偶然、会っただけだ。
そう思って俺が歩を進めていると、国沼はニカッとスポーツマンの理想形のような爽やかな笑顔を返してきた。うっ、眩しい! これがリア充の力か……!
「黒野も部活? 運動部だっけ」
「え? あ、まあ、部活、だけど、文化系のやつだ」
まさか会話をするとは思わなかったので反応が少しおかしくなってしまう。
え? 何こいつ。なんで話しかけてくるの?
「文化系か。ちょっと勿体ないな。黒野の体ならスポーツもそれなりに出来そうだけど。テニスとかさ」
そりゃ俺だって中学時代はテニス部員でしたからね。それに姉ちゃんに地獄の特訓をつけてもらってからはそれなりに体も鍛えられたのでスポーツも少しは出来ると思う。
「何部?」
「……日本文化研究部」
「へぇ。意外だな。黒野って日本文化が好きなんだな」
「まあ、ちょっとだけな」
嘘ですごめんなさい。この部活の実態はただ部室でお喋りしたりゲームしたりラノベ読んだりしているだけです。生徒会の調査が入ったら間違いなくこの部は廃部だな。
「……その部ってさ、部員は誰がいるんだ?」
何だこいつ、まだ会話続けるの? 正直お前みたいな聖者のような人間と話していると何故か俺が酷く汚れた人間に思えるんですけど。
「えーっと、か……天美だろ、あとは三組の、な……じゃなくて、楠木と牧原だ」
「ははっ。学園の美少女を独り占めか。羨ましいな」
マジで何いってんだこいつ。いくら美少女でもBBAだと意味がないだろうに。しかもこの学園の女子は正人がいうには全体的にレベルが高いらしい。しかもその女子の大半(少なくとも一年生は)はお前が独り占めしているようなもんだろうが。
「これから部活?」
「ん。まあ、合宿に行くトコだ」
「合宿か」
「そうか?」
お前だってテニス部の合宿ぐらい行くだろうに。ああ、でもそれだと練習ばっかりになってしまうのか。俺は自主的にテニス部の合宿にはいかなかったけど。
ふと訪れるわずかな沈黙。え? なに。俺何か悪いことした?
「おーい、海斗ー」
そんな沈黙を切り裂くかのようにして、廊下に声が聞こえてきた。振り返ってみると、こちらに向かって歩いてきてるのは徹さんと加奈だ。どうやら二人も着いたらしい。
「あら。国沼くんじゃないですか」
「おはよう、天美さん」
「ん。良助じゃねぇか」
「お久しぶりです。先輩」
と、国沼がぺこりと徹さんに頭を下げる。二人は知り合いなのだろうか。そんな俺の疑問が思わず顔に出ていたのか、加奈が補足してくれた。
「国沼くんは中学の頃、街のテニス教室で兄さんと会っているんです」
「いやー、こいつは本当にテニスが上手くてな。高校でもやってるんだろ?」
「はい。ついさっき、練習を終えてきたところです」
「ん? 朝だけか?」
「はい。五時から練習してたんですけど、今日の午後から三日間は休みです」
朝の五時から練習してたのか。夏休みというのにご苦労なことだ。
「おお、そういうことならどうだ、お前もこれから一緒に合宿にでもこないか?」
「え? いいんですか? 俺、部外者ですけど……」
と、国沼は俺のほうに視線を移してきた。そこで何故、俺を見る……。
「別にいいんじゃないですか」
視線を向けられたのでここは一応、俺が返事をしておく。今回の合宿には美紗と美羽、正人に葉山と普通に部外者も参加している。部長は加奈なんだけどな。
その加奈も「私も構いませんが」と返事したことで正式に国沼の参加を了承する。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
爽やかな笑顔に眩しさを感じながらも、俺は準備をするために小走りでその場を去った国沼を見送った。
☆
急きょ参加することになった国沼の準備もあって、時間は少し伸びることになった。俺は正人が部室にやってきたのを確認し、事情を説明すると正人に確認を入れる。
「なぁ正人、お前、国沼もお前と同じ生徒会役員なんだろ? なんで国沼が俺たちの合宿のことを知らないんだ?」
「いや、ほら。この部って書類上の活動内容と実際の活動内容がずれてるだろ? だからあんまり嗅ぎつけられるのはよくないだろうなー、って思ってさ。あんまり話題に出すのもどうかと思ったんだよ。特に副会長に見つかったらアウトだし」
あー、まあ確かに現生徒会副会長は真面目さんだからな。俺達の部の実際の活動を目撃された場合、相当不味いことになりかねない。なんだかんだ、俺たちは日頃から正人に助けられてた、というわけか。
ここは素直に感謝しないとな。今度、なにか奢ってやろう。
しばらくすると、思いのほか早く、国沼の準備ができたらしく、二台のワンボックスカーは国沼の家に向かった。国沼の家はちょっとした日本の屋敷だった。つーかやっぱ、金持ちってのはマジだったのか……。ハイスペック金持ちイケメン。天はこいつにどこまで与えれば気が済むのだ。
「え、渚さんたちも来てるの?」
「うん。そうだよ」
「気がつかなかったのか?」
「え、あ、うん」
徹さんの運転するワンボックスカーの車内は男子メンバーで固められていた。姉ちゃんが運転するワンボックスカーは当然のことながら女子で固められている。
「っと、悪い。伝え忘れていた」
「ははっ。謝られるほどの事じゃないさ」
おおぅ。やっぱりイケメンは心もイケメンなんだな。やだ……素敵。
しばらく車内は学園の話題や近況などの雑談で盛り上がった。そして話が一段落した頃。
「おおっ。海だぜ! 海!」
窓際に座っていた正人が歓声をあげた。すると外には確かに真っ青な海が広がっていた。海面が日の光を反射しキラキラと眩い輝きを放っている。砂浜にはかなりの人がいた。浜辺には海の家だとかビーチパラソルなどが視認できる。鼻腔をつんと潮風が刺激し、海に来たんだということを改めて実感させられる。
そこからまたしばらくして、加奈の家が保有するという別荘にやってきた。どうやらこれだけの人数を収納できるだけの寝泊りする空間は有り余っているらしい。
「ほぇ~。さっすがかなみんのお家だねっ!」
「ですがしばらく使ってませんでしたからね。少なからず掃除が必要になると思いますが」
そんな会話を耳にはさみながら別荘に入ると、懸念していたほど散らかってはいなかった。むしろ普通に生活するには差し障りない程度には綺麗だ。俺としては若干、気になる程度には汚れていたけどしばらく使っていないということを考慮すれば上々だろう。
「もう四時前か……」
徹さんがポツリと呟いた。国沼の準備は割と早かったので時間的にはそうロスはない。ここに来るまでの渋滞に少し引っかかったのが悪かったのもあるだろうし、学園からここに来るまでの距離の問題もあるだろう。
それに今回の合宿は二泊三日を予定している。初日が潰れたぐらいではどうということはない。
「それじゃ、今日はとりあえず一旦休憩にして、今からみんなでご飯つくろっか!」
姉ちゃんが提案をする。その提案に皆は特に異論を挟まなかった。
「じゃあ、まずは食料の買い出しだね!」
「あ、その前に」
俺は役割分担をする為の話し合いが始まる瞬間に挙手する。それを見た姉ちゃんが「はい、かいちゃん!」と先生気分で俺の発言を促す。
「いや、ちょっと個人的なことなんだけどさ、少しこの別荘を掃除したいんだよ」
「ん。まあ確かに、綺麗とはいっても多少の汚れはありますしね」
「だからこれは俺が個人的にするんであって、もちろん、調理には参加させてもらう」
確かに綺麗なことには綺麗なのだが、俺としてはこの若干の汚れが気になって仕方がない。
普段から幼女キャラグッズの管理にもかなり気を配っているのでもはやちょっとした綺麗好きになってしまったというのもあるだろう。
「かいちゃんは綺麗好きだからねぇ」
「……掃除するのも悪いことじゃない。問題は、無いはず」
「他の皆は買い出しとかそこら辺をぶらぶら散歩してくれればいいしさ」
「あ、あの……」
大人しめにひっそりと手を挙げたのは、美紗だ。
「わ、私もお掃除、してもいいですか?」
「?」
一瞬、きょとんと呆気にとられてしまった。正直、これだけ広い別荘となると買い出しよりも大変であるだけでなく、これはあくまでも俺個人が気になったから始めるものであって、わざわざ美紗が付き合ってくれることはない。
「え、えっと、その、か、海斗くん一人だと大変かなって……」
おお、なんと優しい。女神や! ここに女神がおるで!
「そういうことなら俺も手伝おうかな。この広さは二人でもちょっときつそうだし」
お前は聖人か。こんなDQN(自称)の我儘に付き合ってくれるなんて、どこまで優しいんだこいつらは。
その後も役割分担が決まり、結局は俺、美紗、国沼が掃除で、残りのメンバーが買い出しとなった。
どうやら女子は籠に商品をぶち込む係で男が荷物持ちらしい。女、怖い。
皆を送り出してから、残った俺たち三人で掃除を開始。全部で二階あるこの別荘のまずは一階からやってしまうことにした。
俺は適当なボロ布を拝借して汚れている個所を水拭きしていく。ふと、国沼の方へと視線を移す。国沼は朝のテニス部の練習や長距離移動の疲れを一切見せず鼻歌を歌いながら埃のある個所をボロ布で拭いていた。凄いな。正直、練習した直後にあれだけの長距離移動を終えた後でもこんな風に鼻歌をうたいながら掃除するなんて俺には絶対に無理だ。
いや、幼女キャラのキャラソンを聴きながらだったらワンチャンあるか。何しろ幼女キャラの美声というものはゲームで言う回復アイテムだからな。
「そういえば美紗さんも、文研部の一員だったりするの?」
「え。いや、違うけど……」
「そうなんだ。てっきり同じ部の人かと思ったよ」
おおっ。向こうでは会話が弾んでいるぞ。……やべ。三人しかいない状況で一人だけはぶられるって何かあれ、悲しいな。今まで友達と三人きりなんて状況になったことがないから知らなかったけど。
いや待て。今なら凄く自然なタイミングで滑り込めるんじゃないのか。
「加奈たちは是非とも入ってくれって誘ってたみたいだし、これを機に美紗も入部するか?」
「ふぇっ!? い、いいいい、いや。わ、わたっ、私は……えっと……」
慌てすぎだろ。
つーか明らかに国沼と対応が違うぞおい。ちょっと泣きそう。いや、BBAだからよかったものの、これが幼女だったらうっかり身投げするところだったぜ。
「……お、お姉ちゃんが入るなら……」
人見知りな美紗からすればこれが精いっぱいの返答だったのだろうか。顔を茹でタコのように真っ赤にしながらうつむき加減にそう言ってきた。まあ、爽やかイケメンの国沼からDQNにチェンジすればそりゃ嫌だろうよ。
まあでも、人見知りの美紗からすれば最大限の譲歩なのではないだろうか。
「や、無理して入らなくてもいいんだぜ」
「そ、そんなことっ!」
ぶんぶんぶん! と首を横に振る美紗に俺はほっと安堵する。途中、もしかして無理をしてるのではないのだろうかと思ったのだ。
その後も掃除は続く。
今度は俺と国沼が二階の掃除、そして美紗は一階の残りのスペースだ。階段を登る途中、部分的に滑りやすいところがあり、階段で転びそうになった。咄嗟に手すりを掴んでいなければ危なかったぞおい。
取りあえず一部屋一部屋見て回り、気になる範囲をボロ布でふき取っていく。
途中で一階の掃除を終えた美紗も二階に合流し、掃除のスピードは格段に上がっていった。こうして共同で掃除をすることで分かったのだが、美紗にしても、そして国沼にしても掃除のスキルはかなり高い。もしかしたら家事スキル全般が高いのかもしれない。
次の部屋に入る。するとそこには既に国沼がいて、掃除を始めていた。どうやら順番が被るまでに来ているということはここと美紗が掃除している部屋でもう終わりだろう。
二人きりの空間で、沈黙が続く。そういえば俺、国沼を知ってはいてもロクに話をしたことがないんだよな。どうしよう、これ。
「なんていうかさ」
俺の心を読んだかのように国沼がおもむろに口を開いた。
「黒野って噂と全然イメージが違うな。正直、ビックリしたよ」
あー。その事ですか。
「そうか。まあ、なんつーか……俺の場合は入学当初、いや、春休みから色々と失敗してしまってな」
「失敗?」
「国沼、高校デビューって知ってるか?」
俺は「熱膨張って知ってるか?」とでも言うかのように国沼に質問した。だが対する国沼といえば「?」と首を捻るのみだ。やはり国沼のような爽やかスポーツイケメンには耳にすることもあまりない単語だろうしな。
「簡単に説明すると、中学の頃に地味だったり虐められているようなやつが高校入学を機に一気にイメチェンすることだ。髪を染めたり、悪ぶったりな」
「なるほど。でも、あんまり想像できないな。地味な黒野って」
「ほっとけ……ああ、それと、クラスの連中っていうか、学園の連中には言うなよ」
「そりゃまたどうして」
「色々と事情があるんだよ……」
最近、死に設定になりがちだが俺はこれでも近辺のDQN達には逆恨みされている。加奈の時の一件や、喧嘩をふっかけてくるやつらを散々返り討ちにしたお陰で噂に尾がつきまくった結果、今ではこうして喧嘩のない平穏な日常を送っている。
あの頃は大変だったなぁ。そういえば正人と知り合ったのもあの頃か。一緒にDQNから逃げたり返り討ちにしたりした日々が懐かしい。
「ん。わかったよ」
流石イケメン。心が広い。これで話も終わりでまた奇妙な沈黙が続くのかと思ったら、国沼が再び口を開いた。
「……なあ、黒野」
「ん?」
「渚さんと知り合い、なんだよな?」
渚というと美羽と美紗のことか。
「そうだな」
「どこで知り合ったんだ? 何か、前々から知ってたような感じなんだが」
「え――――っと、春休み、だったかなぁ。俺もつい最近、言われて思い出したんだけど。その時にちょっとゴタゴタがあってさ。その時に美紗は見かけた。で、美羽も含めて合宿の班決めの時に改めて知り合いになったって感じかな」
「……そっか。そうだったのか」
その後、国沼は口を閉ざした。俺からも特に話すことはないし、ただ黙々と掃除という作業が続いた。
掃除が終わり、あとは買い出し組を待つのみとなった。
「あのっ、この布、どこに仕舞えばいいのかな?」
「ああ、それなら徹さんが使い終わったら捨てても構わないっていってたから、ごみ箱にでも捨てておけばいいんじゃないか?」
と、国沼はそつがない。事前に処分方法を聞いておいたんだな。流石だ。
「あ……じゃあ、捨ててくるね」
「いや、俺が三人の分を纏めて捨てておくよ。貸して?」
そういって、国沼は俺たちから使い終わったボロ布を受け取って階段を下りていく。
「花瓶のお水も入れかえなきゃ」
美紗はそう言って傍に置いてあった花瓶を手に取るとそのまま階段をトテトテと下りていく。が、そこで悲劇が起きた。この階段は部分的に滑りやすい個所がある。俺も登るときにはそこで滑りかけた。そこに足を置いた美紗はずるっ、と足を滑らせた。
そのまま花瓶を落としてしまう美紗。ガシャン、と花瓶が階段の下で砕け散る音が響く。状況は最悪だ。このままだとガラスの破片にまともに身を晒すことになる。幸いというべきか、階段を下りてたばかりの国沼が驚いたように振り返る。間に合わない。
「美紗っ!?」
咄嗟に手をとろうとする。目測。駄目だ。届かない。なら。
更に大きく踏み込む。手が――――届いた。
だが体勢的には俺は目の前に大きく踏み出しすぎた。しかも俺も階段に足を滑らせる。
一緒に落ちることは明白である。
しかも、このままの体勢だと美紗を下敷きにすることになってしまう。
下を見る。そこにあるのはまき散らされたガラスの破片。
……痛そうだなぁ。
でも、まあ。
別に、いいけどさ。
「っ!」
美紗を抱き込み、落ちる過程で体の向きを懸命に変える。
体が揺れる。階段にぶつかっては転がり、鈍い痛みが頭のほうからジンジンと響いてくる。このまま、なんとかして背中から落ちることができればなんとか美紗を守ることが出来るだろう。
そしてガラスの破片がすぐそこまでやってこようとしたその時――――腕のような物に支えられる感覚がした。
しばらくして。
「…………ってぇ」
結果だけ言おう。
ピンクだった。
じゃなくて。
美紗のスカートの中身はどうでもいい。
今はとにかく右腕がちくちく痛む。
「おーい、大丈夫か、美紗」
「ふぇ……あっ……」
状況を説明すると、美紗は俺に抱きかかえられながらなんとか無事でした、ということだ。ぱっと見、怪我はない。BBAとはいえ、あのまま落ちるのは流石にやばいし。
「だ、大丈夫か!? 美紗さん、黒野!」
「あー……なんとか。国沼のおかげでな」
ギリギリのところで国沼が俺の体をかろうじて受け止めていた。まあ、右腕はガラスの破片からかばい切れなかったけど、頭をぶつけていないだけマシか。いや、落ちる途中で結構ぶつけたけど。
なんとかガラスの破片をよけながら立ち上がる。体のあちこちがちょっと痛い。どうやら右腕を少し切ってしまったようで、血がポタポタと流れ落ちていた。
「か、海斗、くんっ! だ、大丈夫っ!?」
「あー、大丈夫大丈夫。つーか、それよりおまえだろ。怪我、ないか?」
俺の問いに美紗はこくこくと首を縦に振る。
「そっか。ならよかった」
申し訳なさそうにしている美紗の頭の上にぽんっと怪我をしていない左手を乗せる。
別にこれぐらい、幾多もの喧嘩を経験した俺としてはどうということはない。あいつら普通にガラスの花瓶どころか鉄パイプ持ち出してくるからな。どこのヤンキー漫画かと思ったぜ。
「あ、いや。俺も悪かった。あの階段が滑りやすいって教えておけばよかったな」
「う、ううんっ。ぼーっとしてた私も悪いから……」
謙虚な奴だな。分かってはいたけれど。
「……救急箱、とってくるよ」
「あ、悪い」
取りあえず割ったガラスの片づけは美紗に任せておいて、俺は国沼に連れられてリビングへと向かった。
救急箱を取り出した国沼はてきぱきと俺の腕の怪我に対して処置をして包帯を巻いてくれた。たぶん、長いことスポーツをしているだろうし、それに誰にだって優しい国沼のことだ。こうして誰かに怪我の手当てをする場面も少なくなかったんだろう。ただ、いつもは(いつもというほど会話もしてないが)気さくな国沼は考え込むように黙っていて、途中、それまで黙っていた国沼の口が微かに開いた。
「……さっきさ」
「ん?」
「さっき、少しでも躊躇わなかったのか?」
「何が」
「あんな風に、美紗さんを助けること。下手をすれば、自分が大怪我しかねないのに」
「あー。そうだな。ガラスの破片に突っ込むときに『痛そうだなぁ』って思ったけど」
にしてもマジで冷や汗ものだった。何か、こう、時間が凄くスローモーションになったような気がするっているか、人間、本当にヤバいときにはあんな感覚になるんだなって思った。
「……それだけ、なのか?」
「は? それ以外に何があるんだよ」
「……そうか」
「?」
再び訪れる、奇妙な沈黙。
俺にはそれが少し、息苦しかった。
……にしても国沼の奴、改めて近くで見てみるとマジでイケメンだな。
おいおいまた新キャラかよ
と思った方、ご安心ください。
彼は変態さんではありません。おそらくこの作品の中で現状、唯一の常識人です。




