番外編③ お姉ちゃんの幸せ
大学生というのは、思っていたより時間に融通の利く生活だった。
好きな講義を自分でとって、参加する。
時間割も日によって時間の空きができる。
そういう時はたまに部室に顔を出したり、加奈たちとのんびりしたり、バイトしたり。
夏休みに入ってからは更に時間に空きが生まれた。
その時間は、小春や南央といった高校生組と一緒に過ごした。
具体的には勉強を教えたり、みんなでイチャイチャしたり。
なんだかんだといって恋人がたくさんいる状況を俺はそれなりに楽しんでいた。
ちょっとむずがゆいけれど。
小春たちはどうやら夏合宿は楽しめたらしい。
勉強の合間に楽し気に話してくれた。
とはいえ、小春たちも三年生。受験生だ。
夏休みという時間を利用して、俺たちみんなで勉強はみっちりと教え込んだ。
そのかいあってか夏休み明けの学力テスト、二人ともかなりの成績だったらしい。
そんな感じで高校生組の勉強の面倒を見つつ、高校生組とは一ヶ月遅れで大学の後期がはじまった。
「海斗くん、起きてください」
「んあ…………」
加奈に揺さぶられた俺はむくりと上半身を起こす。
「もうっ、講義がはじまっちゃいますよ」
「あー、悪い。寝てたわ」
大学生になってからも、俺は高校時代と同じ部屋で一人暮らししていた。
変わったことといえば加奈たち恋人に家の合鍵を渡していることだろうか。
みんなで部屋でのんびりしていることもあれば、それぞれ勝手にひょいひょい入ってくるやつもいる。
「あ、正人からだ」
寝起きながらにスマホをチェックしていると、正人から連絡が入っていることに気づく。
どうやら国沼がテニスの大会かなにかで優勝したようだ。
国沼は俺たちとは違う大学に進学した。
高校時代から続けているテニスをその大学でも続けているらしい。
大学ではロボット工学の研究をしているそうだ。
そのうち、なんかの賞とかとっちゃいそうだな。
俺は正人にメッセージを送りつつ、身支度を整える。
「あ、かいくんやっぱり寝てたんだ~」
「…………お寝坊さん」
「うるせー」
加奈と一緒に来ていたのか、恵と南帆が入ってくるなりころころと笑っている。
後ろには美羽と美紗もいる。
「ふぁ…………あら、もう時間なの?」
奥の部屋から寝間着姿のメイがとてとてと歩きながら出てきた。
「メイちゃん?」
「まさか、またここで寝ていたのですか?」
渚姉妹が驚きつつ呆れている。
うちにあがりこんで好き放題してくる率は何気にメイが一番多い。
これもまあいつものことだ。
「俺が寝ている間に忍び込んで寝てたんだな…………」
「あら。だってここが一番大学に近いんだもの」
「そりゃそうだが」
「それに、わたしだけじゃないわ」
「は?」
「ふぁぁ……おや、もうそんな時間かい?」
あろうことか、メイの後ろからフラフラっとした足取りで恋歌先輩も姿を現した。
「れ、恋歌先輩!?」
「やあ、海斗くん。ちょっとお邪魔させてもらってたよ」
何でもない様子で、恋歌先輩はひらひらと手を振っている。
彼女はカレンダーを確認したあと、今日の日付に目を止めた。
赤い丸で囲った日付を見て、ふっと優しい笑みを浮かべている。
「今日だね」
「はい」
頷き、この場にいるみんなと視線を合わせる。
今日という日のためにみんなと一緒にさんざん悩んだんだ。
「みんな、手伝ってくれてありがとう。助かった」
「なに言ってるんですか、海斗くん」
「…………あの人に感謝したいのは、わたしたちの方」
「そうだよー。あの人がいなかったら、かいくんとこうして出会うことも恋人になることもなかったんだから」
「ですから、わたしたちの気持ちもきちんと伝えてきてください」
「本当ならわたしたちも一緒がよかったけど…………」
「こればっかりは、あなたがやる方があの人が一番喜びそうだし」
「そうだね。それだけは保証するよ」
カレンダーに描かれた予定を確認する。
今日は、姉ちゃんに会う日だ。
☆
講義が終わると、俺はすぐに荷物をまとめて教室を出ていく。
時間には余裕があるものの、俺の足は自然と走っていた。
加奈たちは家にこない。
まずは俺だけで、ちゃんと気持ちを伝えたかった。
家に着くと、鍵が開いているのでドアを開ける。
リビングにはぺたりと床に座り込んでいた姉ちゃんがいて。
「おかえり、かいちゃん」
にっこりと笑顔で出迎えてくれた姉ちゃんに、
「ただいま」
俺は、笑いながら言葉を返すことができた。
荷物をおろし、姉ちゃんの正面に座る。
「どうしたの、かいちゃん。いきなり呼び出して」
「ちょっとね」
「? なにか分からないケド…………でもまあ、ちょうどいいや」
「ちょうどいい? なにが?」
「うん。まあ、ちょっと確認したいことがあってさ」
「確認?」
「そ。大したことじゃないの」
姉ちゃんは、じっと俺の目を見て。
「かいちゃんが今、幸せなのかなって。確認したくなったの」
ニコニコと笑う姉ちゃんの口から出てきたのは突拍子もないことだった。
どうしていきなりそんなこと、とか。
わざわざそんなことを確認したのか、とか。
そういった言葉は、出てこなくて。
「うん。すっげぇ幸せだよ」
気がつけば俺は、率直に言葉を返していた。
「そっか。あぁー、よかったぁ」
姉ちゃんは心底安心したように、ほっと息をつく。
それから、体から力を抜いたように床に寝転んだ。
「私ね。後悔してたんだ」
「後悔?」
「うん。かいちゃんに、アニメとかのオタク趣味を教えたこと」
姉ちゃんの声は、微かに震えていた。
こんな姉ちゃんは、あの時……俺が中学でいじめられていると教えてくれた時以来だ。
「そのせいでかいちゃんがいじめられて。辛かったなぁ、あの時は。ほんと後悔した。ああ、なんてバカなことしたんだろうって」
それから、姉ちゃんは少しずつ語り始める。
これまで見せたことのない、心の奥底に眠っていた気持ちを。
「かいちゃんが苦しんでいるのになぁんにもできない自分が悔しくてさ。強くなりたいって思ったの。腕っぷしの強さだけじゃなくてさ。いろんなことができるようになりたいって思った。それこそ、冗談抜きで世界を変えることができるぐらいに強く、ってさ」
「なんか、魔王みたいだな」
「あはは。いいね、それ。かいちゃんのためなら魔王だって悪くないよ」
冗談っぽく言うと、姉ちゃんはころころと笑う。
「それからいろいろなことに本気を出したなぁ。喧嘩の強さも。スポーツも。勉強も。研究も。人脈作りも。資金調達も」
…………なんか、後半ちょっと不穏な方向に行ってないか。
「でも計算外だったのは研究の事故で異世界に行っちゃったことかな。三ヶ月で世界征服して戻ってきたけど」
「ははは。相変わらず姉ちゃんは面白い冗談を言うなぁ」
「あははは。本気なんだけどまあいいや」
確かに姉ちゃんは昔からなんでもありだったけどさすがに異世界はないだろう。
しかも三ヶ月で世界征服て。
「ともかくさ。いろいろなことを経験して、私はいろいろなことがもっとできるようになった。反省したって過去は戻ってこないし。さすがの私も時間を巻き戻すことはできないから」
「まるでそれいがいはできるみたいな言い方だなぁ…………」
「さすがに死人をよみがえらせることはできないけどね。でも医療技術ならサークルの方でいろいろ進めてたし」
「相変わらず規格外なサークルだ…………」
「えへへ」
照れた姉ちゃんはかわいいなぁ!
「まあ、ともかくさ。私は、かいちゃんに幸せになってほしかったの」
「…………」
「私のせいで苦しい思いをさせちゃったから。だから、その分……ううん。もっともっと、たくさん幸せになってほしかった。それが私の夢。私の目標。私の生きる意味。かいちゃんが幸せになってくれれば、それだけで私も幸せなんだよ。かいちゃんが幸せなら、それでいいの」
きっと、姉ちゃんは今まで俺のためにいろいろとしてくれてたんだろうな。
「俺さ。姉ちゃんにはほんと感謝してる。姉ちゃんがいなかったら、今の俺はなかった。みんなと出会って、恋人になることもなかったと思う。姉ちゃんがいてくれたからこそ、俺は幸せになれたんだ」
「かいちゃん…………ありがと」
「だから、姉ちゃんにはもっと幸せになってほしい」
「え?」
俺は鞄から、綺麗にラッピングされた箱を取り出して、姉ちゃんに手渡す。
「誕生日おめでとう、姉ちゃん。これ、俺からのプレゼント」
「あ…………」
姉ちゃんはきょとんとしている。
「今日、姉ちゃんの誕生日だぜ」
「あ、そっか……忘れてた」
「毎年忘れてるよな」
「あはは……ごめん。でも、これ、いいの?」
「弟が姉にプレゼントを渡すのにいいもわるいもないだろ?」
「そう、だね。うん」
おずおずとしながらプレゼントを受け取る姉ちゃん。
「あけていい?」
「どうぞ」
がさごそとプレゼントを開ける姉ちゃん。
中から出てきたのは、
「これ、指輪?」
「ん。そうだよ」
「綺麗……これ、高そうだけど…………」
「姉ちゃんも、もう大人だし。できるだけ良いものを贈りたかったし。指輪なら、普段から身につけてもらえるし。姉ちゃんに似合いそうなやつ見つけたけど、まあ、お察しの通り値段がちょっと手が出なかったやつだからさ。バイトして買った」
「そうなんだ。かいちゃんが、私のためにバイトしてくれたんだ…………うれしくて、ちょっと泣きそう」
「お、大げさだよ」
「そんなことないもん。嬉しい時は泣いたっていいんだもん」
「それだけ喜んでくれるとこっちも嬉しいけど……あ、そうそう」
俺は鞄から、またさらに別のプレゼントを取り出す。
「こっちは加奈たちから。姉ちゃんにありがとうの気持ちと、おめでとうの気持ちをこめたってさ」
「加奈ちゃんたちから?」
「そうだよ。みんな、姉ちゃんに感謝してるって。姉ちゃんにも幸せになってほしいって」
「そっか…………ありがと」
こうやって安心したように、嬉しそうに頬を緩ませる姉ちゃんなんて、いつぶりだろう。
「俺が幸せならそれでいいって言ってたけどさ。そんな寂しいこと言わないでくれよ。俺は姉ちゃんにもっと笑っていてほしいし、もっともっと、今以上に幸せになってほしいんだ」
「それ、ハードル高いなぁ。だって今以上の幸せなんて、私には考えつかないよ」
姉ちゃんは俺やみんなからもらったプレゼントを、大事そうに抱きかかえている。
ぎゅっと、離さないように。
「大丈夫。姉ちゃんならどんなハードルだって、飛び越えちゃうよ」
「そうかな」
「そうだよ。それに、俺もいるよ。ずっと、傍にいる」
姉ちゃんは笑った。
涙をにじませながら。
「誕生日おめでとう、姉ちゃん」
「うん。ありがとう。私、今――――とっても幸せだよ」
俺が一番笑顔になってほしいと思った人。
笑顔であってほしいと願った人。
それが姉ちゃんだ。
俺がいじめられたせいで笑顔を失った姉ちゃんの笑顔を取り戻したいと思った。
それが戻ってきた。
だから俺は今、最高に、本当の意味で幸せだ。
それをこれからもずっと続けていきたい。
隣にいるのは加奈たちで、そこに姉ちゃんもいてほしい。
だから、俺は。
みんなが幸せに笑うことのできる未来を作ろうと、心に誓った。
これにて完結です。
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました!