第110話 殻から出るとき
「話?」
「……うん」
こくりと頷いた南帆。とりあえず、立ち話はなんだということで中に招く。今日は色々と心臓がいくつあっても足りないような感じなので休みたかったのが正直なところだが……まあ、南帆の真剣な目を見ていたら断れなくなった。
「……おじゃまします」
「お、おう」
とてとてとかわいらしく歩く南帆。まるで小動物みたいだ。
まずはジュースを用意して、椅子をすすめる。
「……ありがと」
「ど、どういたしまして。それで、話って?」
「……うん…………」
南帆は顔を真っ赤にしながらもごもごとする。しばらくの間待つが、沈黙と時間だけが流れていく。
「……げーむ」
「ん?」
「……げーむ、しよ。一緒に」
いうや否や、南帆は椅子から降りて勝手知ったる様子でがちゃがちゃとゲーム機本体とテレビを繋げていく。まあ、別にいいんだけど。
「……格ゲーでいい?」
「いいぞ」
格ゲーか。そういえばしばらく触ってなかったなぁ……。
ゲームがはじまり、対戦モードを選ぶ。対戦がはじまると、南帆の動かすキャラがすいすいっと迷いのない動きで接近してきた。
あっという間にボコボコにされた。
「あ、相変わらず強いな……」
「……ずっとやってたから」
「だよなー」
しかし……こうしてぽこぽことゲームしていると落ち着く。特にここ最近はずっと落ち着かなかったから。南帆とこうして、『いつものように』ゲームをしているだけで落ち着く。
何とかしてガチャガチャとキャラを動かしながら、南帆にボコボコにされながら、時間だけが過ぎていく。それにしても不思議だ。ずっと前にもこんなことがあった気がする。ただ黙ってゲームしているだけの時間が、あったような気がする。いつだっけ……。
「……わたしね、ずっと前からゲームしてた」
「ん?」
「……ずっと、ずっと前から…………一人で」
南帆の表情に変化はない。強いて言うなら、目が違う。どこか昔のことを懐かしんでいるような。
機械的に南帆の動かすキャラは拳を振るう。俺はただただなす術もなくボッコボコにされていく。まあ、されるがままってやつか。
「…………わたしは、小さい頃からずっと一人だった。幼稚園でも一人だった。喋ることが苦手で、うまく喋れなくて……友達なんて、一人もいなかった。だからゲームばかりしてた。ゲームは一人でも出来るものだから」
南帆はゲームをしながら、機械的に手を動かしながら、淡々と言葉を紡いでいく。
俺はただ、じっと耳を傾けるだけ。されるがままに。
「……ゲームは、喋らなくていい。一人でもいい。誰とも関わらなくてもいい。だから、楽。閉じこもっていればいいから」
「…………」
「……でもね。ある日、一人じゃなくなったの。わたしの隣に住んでいた男の子がね、わたしと遊んでくれた。上手く喋れないわたしの隣に黙っていてくれて、一緒に遊んでくれた。ゲームだって、何も聞かずに、ただ黙ってわたしと遊んでくれたの。…………今みたいに」
それって……あれ?
なんだろう。この感覚。ちくちくと、頭の中が刺激されていくような……。
「……その男の子は飽きずにずっとわたしに付き合ってくれて。わたしは『どうして?』って聞いたの。『どうしてわたしと一緒に遊んでくれてるの』って。だって、絶対つまらないと思ったから。ゲームしてもわたしに負けてばかりで。毎日毎日飽きもせず、負け続けて。そしたらね、言ったの。『楽しいよ』って」
くすっと南帆は楽しそうに笑う。
「……ほんとかどうか知らないけど、わたしは嬉しかった。その男の子と一緒にいる時間が楽しかった。殻の中に閉じこもるわたしの殻をこじ開けようとせず、殻の中にあの男の子は入ってきてくれたから」
「…………その男の子とは、どうなったの?」
「……男の子は……引越しした。それで……またわたしは殻の中で一人になって……でも、殻の中に閉じこもっていたら、あの男の子とはもう会えないって思うようになったの。あの時は殻の中に男の子が入ってきてくれたけど、それは家が隣だったから。そういう繋がりがあったから。でも引っ越しして、繋がりが消えた。つながりが消えてしまったら、閉じこもっているだけじゃもう会えない。だからわたしは、殻の中から少しでも何かを、しようと思ったの」
記憶の中にある微かな思い出が蘇る。……今まで忘れてしまっていた、南帆にとって大切な思い出。
「……少しずつでもいいから喋ろうって思った。少しずつでもいいから変わろうって思った。……上手くは、喋れるようにはなれなかったけど。でも、わたしはあの男の子のおかげで変わろうと思えたの。変われたの。だからわたしはみんなと出会えた。………………海斗と、また出会うことができた」
だからね、と。
南帆はゲームをする手を止めて、俺の方に向き直り、
「……一人で殻に閉じこもる時間はもうおしまい」
コントローラーから手を放す。
画面の中にいるキャラクターが動きを止めた。
「……一歩前に出て、殻から抜け出したい」
じっと目を見つめてくる南帆に対し、俺は……出来るだけこたえてあげたくて、見つめ返す。
南帆は息をすって、覚悟を決めたような声を絞り出し、
「……黒野海斗さん」
「は、はい」
「…………わたしは……あなたのことが、好きです」
決定的な一言を、口にした。