番外編 占米野メイの冬休み④
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。本当はもっとはやく更新しようとしたのですが、予定を遥かに上回る文量になってしまった為に遅くなってしまいました。
今回はたぶん、今まででトップクラスに文量が多いです。
それは油断というに等しいものだった。
待っていろと言われたからベンチに座って待っていた。はじめての自由を手にしてはしゃいでいたのかもしれない。こんなにも自由に移動したり買い物したりしたのは初めての事だったし、そのせいで疲れがたまっていたのかもしれない。
後ろから近づいてくる誰かに気づくのが遅れた。明らかに悪意を持っている。こういった気配には慣れている。どうすればいいのかも。
メイは名残惜しいと思いながらも、荷物をその場に置いて逃げ出した。あの場にいれば確実に自分は攫われるなりなんなりされるということは分かりきっている。
力を使えばどうすれば助かるのか解る。……けどそれを使う事は躊躇われた。この力を使うとまるで自分が元の人形のような、ただ両親の言いなりになるだけの道具に戻ってしまうような気がするのだ。
今は違う。昨日からの自分はまるでただの、平凡な普通の女の子になれた気がして。
(……本当に、私はどうしたのかしらね。昨日といい、今日といい……)
いつもと違う自分。変わりはじめている、いや、既に変わっている自分に苦笑しつつ。
メイは咄嗟に頭の中で思考する。追っ手は誰かは分からない。分かる必要もない。メイの家は裏の世界では恨みをいくつも買っている。メイの家に苦い思いをした勢力は数えきれない。
普段はメイの力で手を出せないようにされているどこかの勢力だが、今回はまさにチャンスと言えるだろう。護衛も何もなくメイという『価値のある人質』がフラフラと出歩いているのだから。
メイの力のことは知らなくても、占米野家の人間はメイを重要視して扱っているのは知られている。
カモがネギを背負ってやってきたとはまさにこのことだろう。自分はそのカモというわけだ。
出来るだけ人込みの中を歩く。人に紛れるように。
しかし、力を使っていないメイは勘が良い以外は殆ど普通の女の子と変わらない。
運動能力も大したことはない。ごくごく普通の一般的な女の子程度の運動能力しかない。
次第に息が切れてきた。それに追っ手の数が増えてきた上に進路をふさがれていく。
メイは自分が追い詰められていることを感じた。
背後からの追手の足音が徐々に近づいてくるのに対して自分の走るスピードが落ちていく。息切れが激しくなってきた。曲がる。曲がる。次は直線。……だめだ。追っ手をまけない。追い詰められていくのが肌で分かる。
最終的には行き止まりの路地裏にまで追い詰められた。後ろには壁。目の前には黒いスーツに身を包んだ男たちがいる。
(我ながらモテるわね)
そんな言葉を心の中とはいえ呟ける自分の変化っぷりにまた驚く。
男たちは自分たちの主と連絡をとっているのか手元にある写真や画像データなどと誤りが無いかを確認している。たぶんここで能力を使ったとしても助からないのかもしれない。
同時に、思う。
こんな小説みたいな、それこそメイが昨日今日見てきたアニメのような出来事が起こってしまう。普通ならこんなことにはならない。なるはずもない。でも自分の元を取り巻く環境はこうなってしまう。
思わず笑ってしまう。本当に笑える。
やっぱり自分を取り巻いているのはこんなモノだ。
何が平凡だ。何が普通の女の子だ。
道具じゃないなんてどうして思っていられたのだろうか。
自分はあの少年とは住む世界の違う人間だ。自分を取り巻く環境はとてつもなく冷たくて、ドロドロして、どうしようもないぐらいに真っ黒で。
ああ、まるでアニメみたいだ。
自分は悲劇のヒロインで、主人公の助けを待っている。
でもここはアニメの世界じゃない。
自分は悲劇のヒロインでもないし、主人公なんてものもいないのだ。
そういえば、昨日見たアニメでちょうどそのヒロインが似たような状況に追い込まれていた。
相手は謎の組織の手先たち。特別な力を持っているヒロインを連れ去ろうとしていた。その後ヒロインは連れ去られる直前で主人公に助けられて、一緒にヒロインの大好物であるドーナツを食べに行くのだ。
(ドーナツ……そういえば、食べたことなかったわね。どうせなら一度ぐらい、食べてみたかったけれど)
そのアニメにはヒロインが大好物のドーナツを食べるシーンが何度かあって、あまりにも美味しそうに食べるから自分も食べたくなってきた。特に深夜にそんなシーンを見たものだからお腹が減ってきた。
これがどうせ最後の自由だ。
こんなアニメみたいな状況で、あとはせいぜいヒロインらしく振舞ってみよう。
心残りといえば。最後にドーナツを食べてみたかったことぐらいだろうか。それと、待っていてくれと言われていたのにあの場所で待つことが出来なかった。
「さて、私はこれからどうなるのかしらね? どこかに連れていかれるの? それとも人質らしく縄で縛られるのかしら?」
「いやいや俺と一緒にドーナツでも食べに行こうぜ」
その瞬間、人垣が割れた。否、吹き飛ばされた。
一瞬ぽかんとしてしまう。
だがその先にいた人物を見て……どうしてか、ほっとしてしまう。
どうしてこんなにも安心するのだろう。
「おい、待ってろっつったのになんでお前はちょろちょろ走り回るんだ」
「……ちょっと運動してみたくなったのよ。健康の為にね」
「そうかい。物騒なトレーナー様を多く抱えてそれは豪勢な運動だ。将来はさぞかし健康になれるだろうよ」
手には何やら袋を持っている。どこか買い物に行っていた為にさっき離れていたのだろう。
「で、こちらのトレーナー様共はお前の知り合いか?」
「私の親の知り合いよ。割とスパルタで困ってるのよ」
「そうか。困ってるのか。なら、ぶっ飛ばしてもいいんだな?」
「出来るのなら、お願いするわ」
メイはここではじめて気づく。
生まれて初めてメイは助けを求めた。
今までそんなことなかった。助けを求めることそのものを諦めていた。
(……なんだ。こんなにも……こんなにも、簡単なことだったのね)
そういえば、あのアニメのヒロインもこんな風に主人公が助けにきてくれた。
あのヒロインはどんなセリフを言ったっけ。
「――――私を助けてくれる?」
「――――当たり前だ。そこで待ってろ」
軽く拳を作ると、少年……海斗は、一緒に持ってきたメイの買い物袋を地面に一旦置き、更に手に持っていた袋を上に放り投げる。袋は放物線を描きながらメイのもとへと舞っていく。高く高く、舞い上がる。だが袋を放り投げた瞬間に海斗は動いていた。フッ、と消えたかと思うと黒スーツの男たちを軽く五、六人は殴り飛ばしており、次の獲物へと襲い掛かる。
相手は裏の世界で動き回る駒だ。つまりはその世界においてプロであり、ただの一介の高校生にどうこう出来るものではない。メイはどうして助けを求めてしまったのか分からなかった。危険なめにあわせたくないのに。
とはいえそんな心配は杞憂に終わったのだが。
目の前では追っ手たちがふっ飛ばされていく。
「くらえ次元覇王流……いや、次元お姉ちゃん流!」
そんなことを言う余裕まであるのだから驚きだ。
(ていうかどうして壁を走り回れるのかしら。どうして拳銃で撃たれる前に接近して弾き飛ばしたり出来るのかしら)
もしかしたら海斗の方が自分よりもよっぽど特別なんじゃないのだろうかと思ったり。
そうこうしていると、袋がメイの手元にまで落ちてくる。それをメイはキャッチした。
「それ、ちゃんと持ってろよ」
「……ええ」
海斗の拳が踊るたびに男たちが宙を舞う。これではまるでコメディだ。
さっきまで自分は悲劇のヒロインだと思っていて、ジャンルで言うならファンタジーだのシリアスなんたらだのそこらへんだろう。
だけど今やそれがコメディだ。あの少年がメイを取り巻く環境を一瞬で変えてしまった。
そんなことを思っていると、着地した海斗の背後から別の黒スーツの男が黒い警棒のようなものを振り下ろした。だがそんなことは既に察知していたようで、海斗は気絶した別の黒スーツの男の頭をひっつかみ背後からの奇襲の盾にする。
「黒スーツガード!」
「ぐえっ!」
警棒は見事に味方へとヒットする。用済みになった盾にした男の頭を鷲掴みにしたまま警棒を持った男へと強打させ、挙句の果てに二人纏めて地面に頭から叩きつけた。ついでに盾にした方の男をぐいっと引き上げるとぐったりとしてボロボロになっている。
「ちっ。使えねぇ盾だな。もうガラクタになりやがった。次のに変えるか」
「あなた割と鬼畜ね」
「姉ちゃんから習ったんだ」
「あなたのお姉さん本当に何者よ」
「世界一の姉ちゃんだ」
「でしょうね」
クスッとメイは自然な笑顔を浮かべた。まだ追っ手は残っている。だけどもう大丈夫だということが分かった。海斗は一瞬で消えたかと思うと次の瞬間には拳を振るって相手を吹き飛ばす。かと思うと今度は壁を蹴り地を蹴り空間を存分に活かした動きをして。回転しながら蹴りを叩き込んだり今度は相手を投げ飛ばしたり、やっぱり拳でぶちのめしたり。
ものの五分も経たずに、海斗は追っ手たちを無力化してしまった。彼女の目の前には、海斗一人に叩きのめされた男たちが気絶している。
「おい、大丈夫か?」
「ええ」
「怪我、ないか?」
「おかげさまで」
「怖く、なかったか?」
「怖かったわ」
「……ごめん」
「大丈夫。すぐに怖くなくなったもの。あなたのおかげで」
自然な笑顔で言えた。とはいっても、帽子を深く被っているし眼鏡をかけているので顔は殆ど見えないのだけれど。でも精一杯の気持ちを表してみたつもりだ。
「本当に、ありがとう」
「……おう。つーか、遅くなってごめん」
「ホントよ」
海斗はどうやら照れているらしく、ポリポリと頬をかいている。
メイからすればそれが可愛らしくてまたクスッと笑ってしまう。
「ていうか、どうして私の居場所が分かったのかしら?」
「ああ、なんかお前に待ってろって言った場所に行ってもいなくてさ。荷物だけが置き去りだったし。こりゃなんかあったなと思ってお前を探そうと思ったら、いきなりメールが来たんだよ」
「メール? 誰から?」
「姉ちゃんから。『クロちゃんがピンチだよ~~~!』って。なんかリアルタイムで位置情報を転送してくれるオマケ付きで」
「あなたのお姉さん本当に何者なのよ?」
「まあ、姉ちゃんだしなぁ」
「それで済んじゃうなんてあなた、どれだけお姉さんの事で慣れてるのよ」
「昔っから姉ちゃんは姉ちゃんだったからなぁ」
「あなたがそれでいいならいいけど……」
と、メイが呆れたようにため息をついたときだった。
海斗は彼女の目の前に、さきほどアニメショップで買ってきたメイの買い物袋を手渡す。
「ほら、お前の」
「ありがとう」
メイはそれを受け取ると同時に、さきほど海斗が放り投げてきた袋を返した。海斗はそれを受け取ると、袋の中身を確認する。
「ん。なんとか無事っぽいな」
袋の中身が無事なのを確認すると今度は海斗がメイの持っていた袋を持ち、更に無事を確認した袋をメイに手渡す。
「ほい。お前にやる」
「……私に?」
「そうだ。あれだ、プレゼントってやつだ」
「ぷれぜんと……これが……」
キラキラとした目で海斗からの『プレゼント』に目を光らせるメイ。
メイからしてみれば、生まれてはじめてのプレゼントだ。
「開けてみてもいいかしら?」
「別にいいぞ」
メイは丁寧な手つきで袋からプレゼント包装された箱を取り出し、開けていく。中から出てきたのは携帯音楽プレーヤーだ。淡い桜色のカラーリングの、最新型のかわいいデザインの物だ。
「これって……」
メイも携帯音楽プレーヤーの存在は知っていた。
だけど欲しいと親にねだるような感情も勇気もなかった。逆に言えば、欲しいという感情を抱いた数少ない物でもある。
「お前、音楽好きって言ってたろ。だから……それさえあればいつでもお前の好きな音楽が聴けると思って」
「これを買いに行ってくれたの?」
メイが音楽が好きと聞いてすぐに、わざわざ走ってまで買ってきてくれたのだ。
「音楽が好きっていうか、唯一許された娯楽って言ったんだけど」
「だからだよ」
一瞬、海斗の言っている言葉がわからなかった。
「『唯一許された娯楽』じゃなくてさ。ちゃんと音楽が好きって言えるようになってほしいって思ってさ」
「どういう意味?」
「だってお前、本当は音楽好きだろ。『唯一許された娯楽』なんて呼び方してるけど、お前、アニソンだけはやけに食いつきがよかったし、それにさっき店でアニソンが流れてた時、お前鼻歌歌ってたし。だから素直に言えないだけじゃないかなって。それに……」
「それに?」
「それ渡した時、めちゃくちゃうれしそうにしてたぞ、お前」
「ッ……そ、そんなことないわっ」
「嘘つけ」
「嘘じゃないわ」
ぷいっと海斗に背を向けるメイ。だけどその表情は仄かな、優しい笑顔に包まれていた。
ぎゅっと大事そうにはじめてのプレゼントを抱きしめる。
(……そういえば、あなたは、色んな『はじめて』を私にくれたわね)
はじめてアニメを見た。
はじめてコンビニに寄った。
はじめて電車に乗った。
はじめて買い物をした。
はじめて助けを求めた。
はじめて助けてくれた。
はじめてプレゼントをくれた。
どれも大切な『はじめて』で、それはこれからずっと彼女の心の中に残り続けるもの。
忘れることなんてできはしない。
そして、はじめて――――、
「ありがとう。私にたくさんのはじめてをくれて」
「はじめて? なんだか分からんが別にお礼をされるようなことはしてないんだけど。こいつらにしても居場所を教えてくれたのは姉ちゃんだし。それにお前が困ってたらしいから俺が勝手にぶっ飛ばしただけだし」
「ふふっ。それ以外にも色々って意味よ」
メイはあまりささやかではない胸を手に当てる。心臓の鼓動はいつもより大きく聞こえる。
こうなったら目の前の鈍感男には責任を取ってもらおう。
メイは海斗の手をさっと握ると、その手を引っ張って歩き出す。
「さあ、さっそくドーナツを食べに行きましょう」
「おい、引っ張るなよ」
「嫌よ。だって、はやくしないと今日が終わっちゃうじゃない」
メイは笑う。
とても自然に。
心の底からの笑顔で。
普通の女の子のように。
☆
メイは次の日、部室に顔を出した。
「ねぇ、これ、音楽を入れてみたの」
差し出してきたのは海斗がプレゼントした携帯音楽プレーヤーだ。
「どうせだから、一緒に聴いてくれる?」
「ん。別にいいけど」
メイはさっそくイヤホンの片方を自分の耳につけると、もう片方のイヤホンを海斗の耳につける。
二人は隣に座って、一つのイヤホンを共有して音楽を聴きはじめた。
「あ、これこの前買ったやつじゃん」
「そうよ」
「これ好きなんだよなぁ」
「私もよ」
二人でこうして一緒の時間を共有して、一緒の音楽を聴くこと。
これも『はじめて』だ。
さりげなく椅子を寄せる。肩と肩が触れ合って、彼の微かな体温が伝わってくる。
窓から差し込んでくる日の光に包まれて、不思議と心がぽかぽかしてきた。
いや、それは日の光だけじゃないだろう。
きっと隣に彼がいるからだ。
メイはそっと目を閉じながら、海斗と同じ時間を共有する。
その中でメイは、ある一つの決断をした。
☆
七日間の『冬休み』はあっという間に過ぎ去った。海斗と一緒にアニメを見たり、買い物をしたり、漫画を読んだり、ライトノベルを読んだり、アニメの感想を話し合ったりしてして過ごした。
その最終日。七日目。
メイは朝から部室にやってきた。
そこにはもちろん海斗がいた。
メイは微かに優しい笑みを浮かべると同時に、間髪入れずに口を開く。
「私、決めたわ」
「ん? どうした突然」
「私、両親とは別れる事にするわ。これからは、私は私の好きなように生きていく」
「……そっか」
七日間、毎日朝から晩まで一緒に過ごしているうちにメイは両親とは上手くいっていないこと、メイが両親から良い扱いを受けてこなかったことをなんとなく察していた海斗はそれを黙って受け入れた。
「お前がそう選択したのなら、俺は何も言わねぇよ。それで、これからどうやって生活していくんだ? 何か俺にできることがあったらなんでもするけど」
「別にいいわ。ありがたいけど、遠慮しておく。兄さんが……兄さんが来てくれるらしいから、一緒に暮らすわ」
「ん。分かった」
海斗はこくりと頷き、メイはそんな海斗に微笑みかける。この七日間、いまだメイは顔も名前も明かしていない。それでも海斗は何も言わずメイと一緒にいてくれた。
それがどれだけありがたかったことか……きっと言葉にしても伝えきれない。
「ねぇ。また一緒に、音楽を聴いてくれない?」
「いいぞ。ほら、椅子」
「ありがとう」
隣に座って、また一つのイヤホンを共有して音楽を聴く。
片耳から入ってくる曲も、この触れ合う肩から伝わる温もりも。
メイにとっては大切な宝物だ。
この七日間でメイは道具から人間になれた。なることができたのだ。
これまで自分はからっぽの道具だった。
でも海斗にたくさんの『はじめて』を入れてもらった。
「…………ねぇ」
「ん?」
「もし……もしも私が、『なんでも解る力』があるとしたら、人とは違う力があるとしたら、あなたは私をどう思う?」
「なんだそれ。え、お前そういう病?」
「断じて中二病じゃないわ」
そこはちゃんと訂正しておく。そういえば、中二病なんて言葉を知ることになろうとは、七日前の自分は思いもよらなかっただろうな、とメイは考えた。そう思うとなんだか不思議な気分になる。
「ちょっとした質問よ。心理テスト感覚でいいから、ちゃんと答えて」
メイの真剣さが声から伝わってきて、海斗は「そうだなぁ」と天井を見上げる。
「うーん……考えてみたけど、別になんとも思わないな。しいて言うなら『すげー!』としか」
「……それだけ?」
「おう。それだけ」
「変な人」
思わず笑ってしまう。
らしいと言えばらしいけど。
「あ、やっぱり『幼女の好きなもの』とか、『幼女にウケること』を教えてほしいかな!」
「却下よ」
ため息をつく。でも、やっぱり海斗は海斗だった。
「つーかさ、仮にそんなのがあったとしてもクロはクロだろ。俺からすればただのオタクっ娘としか思わないね」
「あら。私もついに『オタク』とやらになれたのかしら?」
「オタクってなるもんじゃないと思うんだけどなぁ。好きなものを追いかけてたら自然とそうなってただけだろうと思う。俺は」
「ふふっ。そうね。そうかもね」
メイは笑う。
とても自然に。
嬉しそうに。
そして、
「――――好きよ」
それは不意打ち、のつもりだった。
いつも海斗に驚かされっぱなしで。
いつか逆に驚かせてやろうとひそかに思っていた。
「好き。とっても好き。大好きよ」
だけど隣にいる鈍感男はきょとんとした顔で、メイのささやかなサプライズに気づいてなさそうにしていた。
「そんなに強く言われなくても、お前がこの曲を好きなのは分かってるぞ。良いよなぁ、これ。俺はサビが好きだ。最終回のラスボスとの戦闘シーンにも流れてさ。やっぱりああいう場面でOP曲が流れるのは燃えるよな!」
キラキラとした目でそんなことを語る海斗に、メイはため息をつく。
「…………ばか」
「ばか? なんで?」
「自分の胸に聞いてみなさい」
ぷいっと顔を逸らす。
顔が赤いことは絶対に悟られたくなかった。
そして落ち着いてからしばらくして、メイはもう一つの決意を述べることにした。
「ねぇ」
「今度はどうした」
「私、友達を作ることにしたわ」
「友達?」
「そうよ。私は学校でもぼっちなのよ」
「え、俺は友達じゃなかったのか?」
結構ショックだ……と本当にショックを受けている海斗。
メイとしては、『友達』じゃなくてもっと踏み込んだ関係になりたかった。具体的には恋人、という関係なのだが。
そんなメイの乙女心に気づくこともなく、海斗は落ち込んでいる。
「あら失礼。言い足りなかったわね。あなた以外の友達を作りたいと思ったのよ」
「なんだ。そうだったのか。ちょっと泣きそうになったぞ」
不良のような見た目をしているのにこんなことでちょっぴり泣きそうになっている海斗がかわいく見えてくる。本当におかしくなった自分に内心で苦笑しつつ。
「私、あなたと出会うまでは正真正銘ぼっちだったのよ。誰とも話そうとしないし、話しかけてくれる人も冷たく断っちゃうし。どうしようもない子なのよ」
「そうだな。お前、教室でも帽子被ってそうだしな」
「流石に被ってないわよ。私をなんだと思ってるの」
「コミュ障」
「…………(イラッ)」
しかし実際その通りなのだから笑えない。
「あなた、盛大なブーメランを投げたわね」
「うぐぅっ!」
実際、海斗もコミュ障なところがあるのだからブーメランだと思う。
「とにかく、私はそこからはじめてみるわ。本当の意味で、私は変わらなくちゃならないと思うから」
「……友達もさ」
海斗はどこかを視るような眼で、視る。
どこを視ているのかはメイにも分からない。
でもそれはきっと、彼にとっての大切な何かだろう。
「作るもんじゃなくて、自然とそうなるもんじゃないのかな」
「そうかもしれないわね。でも、私は……友達がほしいの。あなたみたいな、一緒にいて楽しくなれるような友達が。それも、自然となれるものなのかしら」
「なれるさ。だって、俺たちがなれたんだから」
「そうね。そう言われると、勇気が出てきたわ」
こんなことを話してみたのも、結局は勇気がほしかったからなのかもしれない。
海斗と知り合ってからは、今まで知らない未知の世界に飛び込むときにいつも海斗がいてくれた。
でも、海斗に頼ってばかりではだめだ。
だから一人で見知らぬ世界に飛び込む前に、ちょっぴり背中を押してほしかった。
ちょっぴり勇気を分けてほしかった。
「そういえばこの部室の人達もオタクなの?」
「ああ。どいつもこいつもかわいい顔して個性的なやつらだよ。変態とも言えるけど」
「ふーん。そうなんだ」
ちょっと悔しい。
海斗の周りには、とてもかわいい女の子たちがいることは知っている。
だからちょっと……いや、とても羨ましいと思ってしまう。
だからこそ。
「……私、頑張るわ」
「おう。頑張れ。俺も応援してるぞ!」
「そうね。その応援、ありがたく受け取るわ」
「ありがたく受け取っとけ受け取っとけ。……だって怖いもんな。友達作ろうとするの。どうやって話しかけたらいいのか分からないし、相手にウザがられたりしないかどうか怖いし、ていうかどうすればいいのか分からないし。なんかいろいろ、緊張しちゃうよな」
「……そうね」
「でもさ、お前なら大丈夫だよ。根拠はないから俺の勘だけど」
「ふふっ。その勘、頼りにしてるわよ。だって私も、同じ趣味の友達が……オタク友達がほしいもの」
「その時は、部室に来てもいいんだぜ。ていうか、お前はもううちの部員のつもりだったんだけど」
「そうね」
メイは部室の中を見渡す。ここに、まだ自分の居場所はない。ここに居場所を作る時は、海斗に一人で歩き出せたときだ。
もしくは、
「そうね。せっかくだから、願掛けでもしましょうか」
「願掛け?」
メイはくるっとまわり、海斗の方へと向き直る。その時にスカートと髪が揺れて、思わず海斗はその光景に目を奪われた。出会った当初のメイにはなかったまた違った魅力が、今のメイにはあった。
「もしも。もしもあなたと私がまた出会うことができたら、この部室にまた来るわ」
「……俺、お前の顔知らないんだけど」
「だからこそよ。知っていたら面白くないじゃない」
そりゃそうだ、と海斗は笑った。
本当に出会えるかは分からない。
分からないからこそ、メイはこんなことをしてみたくなった。
なんでも解る自分だからこそ、分からないことにあえて挑戦してみたいのだ。
でもきっと出会える。
メイはそんな予感がした。
これは特別な力なんて関係ない、恋する乙女の直感だ。
「そろそろ帰るわ」
「もう帰るのか? まだ朝だけど」
「これから、兄さんとこれからの生活について色々と準備があるのよ。それに今日のうちに両親に一言いっておきたいし」
「一言どころじゃ済まなさそうだけどな」
「たぶん、そうなるわ」
でも、とメイは言葉を紡ぐ。
「私ね、まだちょっと怖いのよ。あの人たちに逆らうのが。だって私、生まれてからずっとあの人たちの道具だったんだもの。だから、だからね」
曲が終わると同時に、メイは咄嗟に行動に移した。
勇気がほしい。でも、この行動にもちょっとした勇気がいる。
でもそんなことは言ってられない。だって自分は、『あの子たち』に比べると遅れているのだから。
「――――私に、勇気をちょうだい?」
そう言って。
メイは、海斗の頬にそっと桜色の唇をあてて――――キスをした。
肩に比べれば接触している範囲はごくわずか。でも肩の体温よりも、もっともっと温かいぬくもりが伝わってくる。
海斗は海斗で頬から伝わってくる唇の感触に呆気にとられていて。
「おい、お前……」
何かを言おうとした海斗の唇に、メイはそっと人差し指をあてて黙らせる。
「だーめ。今度は、次に再会した時にね」
それだけ言って、メイは部室から去った。
七日間を一緒に過ごした二人は、次に出会うときまで別れることとなる。
☆
あれから、だいたい一年が経った。
メイは放課後の教室で、あの部室から見えていた光景を思い出していた。
あの後、海音と兄が連れてきた両親に文句をぶちまけてやって、そのあと改めて兄と再会した。
今は二人で暮らしている。実家は変わらずあの屋敷のまま。
変わったのは両親がいなくなったことと、屋敷中のお手伝いさんが変わったことぐらいじゃないだろうか。両親のその後は知らない。海音曰く、「後の処理は任せて幸せになってね」だ。
あなたは何者なの? とたずねると、海音曰く、「かいちゃんのお姉ちゃんで、全世界のお兄ちゃんとお姉ちゃんと弟と妹の味方」らしい。
特に大変だったのは学校生活だ。いきなり素直になるのはかなり勇気がいったが、日水奈弥生がずっと話しかけてきてくれてたので、まずは弥生に対して素直になった。
彼女とは友達になって……というか自然になっていて、占い研究会とやらに入った。とはいっても、当時は弥生とメイの二人だけだったが。
そこでは自分から『力』を使って弥生を驚かせてみたり。驚く弥生を見て思わず笑ってしまって、力を使ってもぜんぜん不快にならなくなったし、占い師としてみんなにアドバイスしてあげようよ、と弥生に言われてそうしてみたり。
力にこんな使い道があるなんて思いもよらなかった。
今の彼女の髪を結っている紫色の綺麗なリボンは、弥生がくれた物だ。
これも今ではメイの大切な宝物の一つとなっている。
あとは、占い研究会では占いの方法を研究してみたり、古今東西の色々な占い方法を調べてみたり。
オタク趣味はというと、海斗がいなくてもどんどんのめり込むようになった。
毎クールアニメはかかさずチェックして、気に入ったアニメがあればブルーレイを全巻予約してイベントチケットもしっかり確保。抽選の物は『力』を使ってちょっとズルしてでも手に入れて、休日には兄を無理やり連れて好きなアニメのイベントやライブに出かけている。
ふとしたことでオタク趣味が弥生にバレてちょっと冷や汗をかいたりもしたが、
「へぇー。メイちゃんがそんなに夢中になるものなんだ。それわたしも見たいなぁ」
という一言をきっかけに弥生もこちらの道にずるずると引きずりこんだ。
今では休みの日に一緒にアニメグッズ専門店へとお買い物に行く仲だ。
今年になって一年生も何人か占い研究会に入ってきて、楽しくやっている。
さて。
願掛けの結果はどうなったのか?
その解は先日の文化祭ではっきり出ている。
どうやら彼はメイと会ったことは秘密にしておいてほしいという約束を守ってくれていたようだ。
メイの顔を見てどこか引っかかっていて、会ったことがあるという事を言ってくれた時は嬉しかった。
(さあ、いつ会いに行ってあげようかしら)
自慢の友達からもらった大切なリボンに手をかけながら、メイは席を立つ。
初恋の人との再会の時の事を考えながら、大切な友達が待つ部室へと歩いていく。
④で何とか完結させようとしてこんなにも長くなってしまいました……。
今回は海斗がヒロインズの知らないところで建てていたフラグの一つを描いてみましたが、結果的には新ヒロイン登場の前振りに。
次から新章『修学旅行編』(仮)の開始予定です!